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プッチーニ「トゥーランドット」(オペラ夏の祭典2019ー20) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも中村医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
トゥーランドット.jpg
2020年に向けたプロジェクトの一環として、
新国立劇場と東京文化会館、
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールと札幌文化芸術劇場がタッグを組み、
大野和士さんが取りまとめに当たった、
「オペラ夏の祭典2019-20」の第一回公演として、
プッチーニの「トゥーランドット」が、
東京文化会館と新国立劇場で上演されました。
提携する地方公演も行われます。

大野和士さんの指揮で、
演出はバルセロナ・オリンピックの開会式を手掛けた、
スペインのアレックス・オリエ、
オケは大野さんが音楽監督を務めているバルセロナ交響楽団、
合唱には新国立劇場合唱団に加えて、
藤原歌劇団やびわ湖ホールアンサンブルも加わるという、
大規模な「混成」チームです。

上演される「トゥーランドット」は、
プッチーニの最後のオペラで、
そのラストは未完のままでプッチーニは亡くなり、
ラストの部分のみ他の作曲家による補作で完成した、
という特殊な作品です。

台本自体はもう出来上がっていたので、
基本的には内容には変わりはない筈なのですが、
音楽は補作の部分は明らかにタッチが違うので違和感があり、
内容的にもカラフを愛するリューが、
自らカラフを守るために命を絶っているのに、
そのすぐ後にはリューを死に追い込んだトゥーランドットと、
カラフが結婚してめでたしということになるので、
おとぎ話とは言えあまりに「愛」をないがしろにしたような展開に、
「そりゃないだろう」という気分になるのです。

もともと騙しあいの末に王女と結婚して終わり、
というようなお話はおとぎ話の定番ではあるので、
それをどうこう言っても仕方がないのですが、
この物語ではカラフを慕う奴隷の女性が、
彼を守るために命を絶つ、
という部分に哀切な盛り上がりがあるので、
単純に家来が高貴な主人のために身を犠牲にする、
という枠組みからはみ出してしまい、
三角関係のメロドラマ的要素が入ってしまうので、
ややこしいことになってしまっているのです。

その意味では現代の価値観とはそぐわない作品です。

それでもこの未完成の上、
現代の価値観とは相いれない作品が、
今でも盛んに上演されているのは、
音楽の完成度がともかく素晴らしいからです。
プッチーニの全作品の中で最もスケールが大きく、
何処を切り取っても傑作と言える素晴らしい音楽です。
特に2つのアリアを歌って絶命するリューの最後の部分は、
これまでに書かれたあらゆる音楽の中で、
最も感情を哀切に強く揺さぶるものの1つと言って、
過言ではありません。

その後のあらゆる映画音楽やミュージカルで、
この作品の影響を受けていないものは1つもありません。

そんな訳で素晴らしい「トゥーランドット」なのですが、
現代に上演する場合には、
矛盾するラストをどう処理するか、
という大問題が常にあるのです。

今回の演出は、
今の価値観で作品を読み直す、という、
個人的にはあまり好きではない種類のもので、
「リューが目の前で死んだのに、トゥーランドットが結婚出来る訳がないだろう」
という考えから、
音楽はそのままにして、
ラストいきなりトゥーランドットが、
リューが自死した懐剣で、
自分も喉笛を搔き切って終わります。

駄目だよね、こんなことしちゃ。

この演出家は黒い壁がそそり立つ、
近未来みたいなセットを組んで、
絢爛豪華で色彩豊かな筈の物語を、
単色に染め上げてしまっています。
日本の観客のためにアニメのビジュアルも取り入れた、
とパンフレットには書かれていて、
攻殻機動隊的なトゥーランドットになっているのですが、
このおとぎ話は本来、
オペラ世界旅行的な性質のものなので、
もっと色彩感にあふれた古代の中国が、
再現されるのがやはり必要ではないかと思います。

比較的前方の席で観ると、
人物の動きや感情表現も、
まずまず工夫されていることが分かるのですが、
少し遠くの席から観ると、
誰が何処で歌っているのやら、
皆同じような暗い衣装なのでまるで分かりません。

これでは大劇場の演出としては落第ではないでしょうか?

音楽はなかなか迫力があり、
大野さんも緩急織り交ぜこの巨大な作品を、
壮麗にまとめていました。
歌手陣は理想的なトゥーランドットのテオリンが素晴らしく、
カラフのイリンカイも美声ですし、
リューの中村恵理さんも良かったと思います。

大野さんはいつもそうですが、
中村恵理さんクラスの歌手の方に、
細かく演出するのが得意ですよね。
あのアリアの感じというのは、
大野さんの美学であり完成度であると感じました。
その一方で大野さんは大物歌手のあしらいはそう上手くないというか、
ギクシャクすることが多いような印象があります。
今回はでも、皆気持ち良さそうに歌っていて、
アンサンブルもなかなかでした。

そんな訳で音楽的には満足の出来る「トゥーランドット」でしたが、
演出や作品のとらえ方には疑問が残りました。

ただ、大野さんとしては、
著明な演出家のオリエさんに、
日本で演出してもらう、ということ自体に、
意義を感じているようで、
戦略的にはおそらくそれで正しいのだろうな、
というようには感じました。

個人的には、
この「トゥーランドット」のラストの矛盾を解消するには、
群衆の心理の劇として見ることが、
唯一の解決策のように思います。

この作品は合唱が大きなパートを占めていて、
プッチーニの合唱というのは、
概ね情景描写としてあるのみ、
ということが多いのですが、
この作品の民衆の合唱は、
「殺せ!殺せ!」みたいに他人の死をもてあそんだり、
逆に気の毒がったり、権威を妄信したり、
恐れたり糾弾したりと、
1つの感情を持つ主体のように表現されています。

そして、このドラマを一言で表現するなら、
「無知で残酷な民衆が無償の愛の尊さに目覚める物語」
とまとめることが出来ます。

こう考えれば、トゥーランドットもカラフも、
ただの民衆の背景であるに過ぎないので、
2人が結婚することの感情的な辻褄合わせは、
特に必要はないのです。
民衆の残酷な心を作ったのは権力装置や環境の過酷さであっても、
ドラマの本質は権力装置の感情にはないので、
高らかに愛を歌い上げる大団円と、
何ら矛盾はしないものなのです。

今後民衆の心の動きに主眼をおいた、
新たな「トゥーランドット」の誕生にも期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ヴェルディ「リゴレット」(2019年ボローニャ歌劇場来日公演) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前中は中村医師が外来を担当し、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
リゴレット.jpg
震災の2011年にドタキャン続出の中で公演が行われ、
それ以来8年ぶりにボローニャ歌劇場が来日公演を行いました。

今回の演目はヴェルディの「リゴレット」と、
ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」で、
どちらも極めつきの名作ですが、
前回は3演目で舞台もとても豪華なものでしたから、
随分小粒になったなあ、というようには思いますが、
これも時代なのですから仕方がありません。

今回参加したソプラノのデジレ・ランカトーレと、
テノールのセルソ・アルベロは、
2011年の時にも「清教徒」で共演し、
凄味のある歌唱を披露してくれた名コンビで、
その時はファン・ディエゴ・フローレスがドタキャンしたことによる、
急遽の代打当番でした。

今回上演された「リゴレット」は、
ヴェルディ中期の名作で、
オープニングからエンディングまで、
1か所として音楽の緩みはなく、
全てが名曲の連続と言って過言ではない作品です。

内容は原作がユゴーの戯曲で、
せむし男の道化と傲慢で淫乱な国王との確執を描いた、
如何にもユゴーらしい物語です。
美と醜の対比に畸形を持ち出すところが、
「ノートルダム・ド・パリ」を彷彿とさせます。
全体にグロテスクでエロチックで危険な香りがしますし、
血みどろの復讐劇や倒錯的な部分も、
他のオペラ劇にはあまりない魅力です。

ただ、せむし男という設定が、
今ではあまり表現自体望ましくないものとされているので、
最近の上演では、
足や手が不自由というような設定にして、
せむしの演技はしないのが一般的です。

ただ、歌詞には「背中のこぶ」のような表現が複数ありますし、
そもそも身体的な障害をあざ笑って、
そうした人物を「道化」として娯楽の対象とする、
という行為のおぞましさ自体が、
作品のテーマの1つとなっているので、
それをやらないのでは、
この作品を「演劇として」上演することは、
放棄したと言って等しいようにも思います。

従って、通常で考えると、
現代の人権意識や倫理観からして、
容認できない性質の物語なので、
上演不可でも良いのですが、
それが今でも上演を重ねているのは、
その音楽があまりに素晴らしくて、
オペラ史上でも屈指の名作なので、
これを埋もれさせることは有り得ないからなのです。

勿論ユゴーは今の人権意識の元を作ったような作家なので、
「リゴレット」も決して身体障害者をあざ笑うような作品ではなく、
地位のある国王の方が、
人間としては下劣な存在として描かれているのですが、
現行は「せむし男」という設定自体が不可なので、
そこはいかんともしがたいところなのです。

リゴレットを手足の不自由なおじさん、
と表現する現行の演出では、
何故リゴレットがからかいの対象となっているのか、
「正常な人間」とリゴレットの違いが何なのか、
ということが分かりません。
リゴレットの娘が絶世の美少女で、
彼女を宝物のように家に閉じ込め秘匿している、
という倒錯的な設定も、
リゴレットの容貌があるからこそ意味を持つものです。

今回の演出は、
基本的には最近の流れを踏襲していて、
リゴレットは手足の少し不自由なおじさん、
のままなのですが、
全体的にはかなり倒錯的で退廃的な雰囲気が強く、
ゴスロリ風の衣装の美少女的ビジュアルのダンサーが複数登場して、
エロチックで倒錯的な雰囲気を盛り上げたり、
オープニングでは道化の珍妙な衣装で登場したリゴレットが、
畸形的な動きを少し見せて、
作品世界を可能な範囲で表現していました。

リゴレットの娘の美少女ジルダは、
コケティッシュなフランス人形の扮装をして、
本物の沢山の人形と共に、
化粧ダンスの中に棲んでいる、
という設定になっていて、
2幕では凌辱された下着姿で二重唱を歌い、
ラストはその姿のまま血みどろになって死んでゆきます。

ジルダ自身もまともなキャラではない、
ということをかなり明確に示している訳で、
あまりこれまでにない発想だと思いました。

2幕と3幕は幕間がなく、
2幕のラストでボロボロになったリゴレットとジルダが、
そのまま舞台に残ると、
背後から貨物船のようなボロ船が、
幽霊船のように現れて、
そこが3幕の売春宿になるという趣向です。
3幕において水が結構象徴的な意味を持つので、
それを船と海で表現しようという、
なかなか巧みな読み替え演出だと思いました。

全体に舞台装置はチープですが、
かなり考え抜かれた演出で、
B級怪奇映画的な趣向が、
全体の雰囲気に結構調和していました。
良い意味で上品さや気取ったところのない、
娯楽作風の「リゴレット」でした。

歌手陣は…凄かったですよ。

リゴレット役のアルベルト・カザーレと、
マントヴァ公爵役のセルソ・アルベロが抜群でした。

どちらもこれまでに聴いた、
最高の歌唱と言って大袈裟ではなく、
カザーレは迫力押しでありながら、
アジリタなどの精度も高く、
何より演技が説得力のあるものでした。
2幕の二重唱はアンコールに応えて、
ラストの部分を2回歌う大サービスでした。

セルソ・アルベロは、
伸びる高音と精度の高い端正な歌唱が素晴らしく、
今回はその演技においても、
退廃的な貴族の魅力を十全に表現していました。
楽譜にはないハイCを連発し、
それがバッチリ決まっていて、
極めて痛快で心浮き立つものがありました。

メインキャストの一角ソプラノのランカトーレは、
その未熟な感じを残したビジュアルが、
今回の演出のコケティッシュな感じに良く合っていました。
倒錯的でやや変態的で、これまでにないジルダ像です。
その歌唱も他の2人に負けずと、
とてもとても頑張っていました。

彼女が踏ん張ったからこそ、
この作品の眼目である多くの二重唱が、
高いレベルで実現されたのだと思います。

ただ、ジルダのアリアなどは、
正直そのアジリタなどの精度において、
不安定なところがあり、
以前と比べると高音も出ていませんでした。
それが一時的な調子の問題であったのかどうかは、
良く分かりません。

今回特に感銘を受けた歌唱は、
3幕の4重唱で、
通常は生で聴いてあまり良いと思ったことはないのですが、
今回はその精度の高いアンサンブルで、
とても素晴らしかったと感じました。

そんな訳で、
バブルの頃の引っ越し公演と比べると、
色々な部分でチープになったな、
というようには思うのですが、
密度と精度の高い「リゴレット」で、
久しぶりにオペラは良いな、
と思った舞台でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「ジャンニ・スキッキ」(2019年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ジャンニ・スキッキ.jpg
新国立劇場のレパートリーとして、
ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」と、
プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」が二本立て(ダブル・ビル)として、
先日新国立劇場で上演されました。

これは以前二期会が同じ組み合わせの上演をしていますが、
上演自体はかなり珍しくて、
僕自身はどちらの作品も今回生で聴くのは初めてです。

「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニが比較的後期に作曲した、
60分くらいの上演時間の短い1幕劇です。
中に出て来る「私のお父さん」があまりにも有名で、
マリア・カラス以来リサイタルのアンコールの定番ですが、
全体が上演されることは非常に稀です。

これはプッチーニ唯一の喜劇で、
遺産相続の遺言状を巡る騒動を、
伴奏に乗った合唱主体で軽快に描いた作品です。
ほぼ鳴り止む瞬間のない音楽は、
全編が快適なリズムとスピード感を持っていて、
心地良く一気に聴くことが出来る完成度の高い作品です。
「私のお父さん」を初めとする、
間に挟まれたアリアがあまりに美しいメロディなので、
ちょっと浮いている感じもするのが、
唯一の瑕というのが面白いところです。

ただ、この20世紀初頭の、
古典的オペラの最後の時代の作品は、
ほぼミュージカルと言って良い構造になっていて、
ここまで来ると、必然的にミュージカルと映画の時代になり、
古典的オペラは終焉を迎えるのです。

今回の上演は1幕で同じ程度の上演時間の悲劇である、
「フィレンツェの悲劇」との二本立てで、
こちらもシュトラウス的音楽をベースとした、
現代音楽と演劇の融合に繋がる、
こちらも古典的オペラの最後の時期の作品です。

演出は最初の「フィレンツェの悲劇」は、
テーマを具現するような、
中央で破壊された巨大な屋敷のオブジェが舞台中央に陣取り、
その家の外の舞台前方に、
家の内部が拡大されて表現されている、
というかなり抽象的なものです。
2本目の「ジャンニ・スキッキ」になると、
紗幕の向こうでオブジェが左右に割れて、
その向こうから全ての家具や小道具が、
巨大に作られたポップな舞台が姿を現します。

「フィレンツェの悲劇」は原作と同じ時代設定で、
「ジャンニ・スキッキ」では1950年代が舞台の読み替え演出です。

舞台面はなかなか美しくて良いのですが、
「フィレンツェの悲劇」はオブジェが舞台を狭くしているだけで、
最後まで何ら動きがないのが詰まらないと思います。
舞台が動くのは紗幕の向こうの転換というのは、
これも如何にも詰まらないのです。
「ジャンニ・スキッキ」をポップな舞台にしたのは、
2つの作品の対比を明確にしたかったのだと思いますが、
この作品が上演される機会は、
そう多くはないのですから、
原作通りの設定で上演して欲しかったな、
というのが正直なところでした。

キャストはまずまずの充実度で、
特に「ジャンニ・スキッキ」は、
一点豪華主義でタイトルロールにカルロス・アルバレスを導入し、
後は実力派の日本人歌手で固めて、
絶妙のアンサンブルを実現しています。
砂川涼子さんの「私のお父さん」は抜群の完成度ですし、
村上敏明さんとの二重唱も日本人歌手の良さが出ていたと思います。
押しは強くありませんが、完成度が高く繊細です。

そんな訳でなかなか楽しめる上演でした。

もう日本のオペラは、
新国立を楽しむくらいしかないですからね。

バブルは遠くなりにけり、という感じです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ワーグナー「さまよえるオランダ人」(東京・春・音楽祭2019) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

さまよえるオランダ人.jpg
東京春音楽祭のワーグナーシリーズとして、
今回は「さまよえるオランダ人」が演奏会形式で上演されました。

この作品はワーグナーの初期作で、
彼のキャリアの中では、
初めてその後のワーグナーのオペラのスタイルが、
確立された作品とされています。

実際現行上演されるワーグナー作品は、
「さまよえるオランダ人」以降のものが殆どで、
それ以前の作品も数作残っていますが、
僕も生で聴いたことはありません。

また、この「さまよえるオランダ人」自体も、
ワーグナー作品としてはそれほど上演頻度は多くなく、
僕は生で聴くのは新国立劇場での上演以来2回目です。

不死の呪いを掛けられたオランダ人の船長が、
夢見がちな少女の自己犠牲によって救済されるという物語で、
その後何度もリフレインされるワーグナー生涯のテーマが、
最もシンプルな形で表現されています。

構成も比較的シンプルで、
上演時間も他のワーグナー作品と比較すると短いので、
ワーグナー作品としては比較的聴きやすい部類です。

ただ、指輪4部作のとてつもない仰々しさや、
「タンホイザー」後半の深刻さのつるべ打ちのような重厚さ、
また「トリスタンとイゾルデ」のいつ果てるともなく続く、
二重唱の長大さなどと比較すると、
少し淡泊で物足りなさを感じることも確かです。

今回の上演は演奏会形式で、
場面のイメージが浮かびにくいというきらいはあるのですが、
キャストはブリン・ターフェル、リカルダ・メルビート、
ペーター・ザイフェルトと一流のワーグナー歌いが顔を揃え、
新進気鋭のドイツ人指揮者に、
オケはNHK交響楽団という豪華版で、
ワーグナーの音楽の醍醐味を、
心ゆくまで味わうことが出来ました。

現在はその充実度において、
1年に1回の東京・春・音楽祭が、
オペラ好きとしては一番の楽しみであることは間違いがなく、
今後も良い演奏を期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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マスネ「ウェルテル」(2019年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ウェルテル.jpg
新国立劇場のレパートリーとして上演された、
マスネの「ウェルテル」を聴いて来ました。

これはゲーテの「若きウェルテルの悩み」を原作として、
マスネが作曲したフランスオペラの代表的な作品の1つで、
マスネの作品としても「マノン」に次いで上演頻度の高いものだと思います。

ともかくテノールが歌いっぱなしという感じの作品で、
テノールが良くないと話にならないオペラです。

僕はこれまでに生では2回聴いていて、
最初は2002年に新国立劇場が初めて上演した時。
テノールはジョゼッペ・サバティーニでした。
歌唱は素晴らしかったのですが、
年上の女性に失恋して自殺する青年、
という役柄には違和感はありました。
2回目はリヨン歌劇場が演奏会形式で上演し、
大野和士さんが指揮した舞台でしたが、
これは若手のテノールが確か代役だったと思うのですが、
とてもウェルテルを歌う水準には達しておらず、
学生の練習に立ち会っているような悲惨な舞台でした。
大野さんの指揮するオペラは、
これまで何故か歌手との連携の悪い、
ギクシャクしたものが多いという印象があります。
何故なのかしら?
ひょっとしたら、
たまたまそうした舞台ばかりを聴いているのかも知れません。

今回の演出は2016年が初演ですが、
その時は聴いていません。

演出はクラシックなものですが、
細部に安普請の感じはあるものの、
なかなか美しくて好印象でした。

さて、今回は主役のテノール以外は日本人というキャスト、
ただし相手役のシャルロットは、
ヨーロッパで活躍されている藤村実穂子さんです。

テノール役はサイミール・ピルグという若手で、
ハンサムでビジュアルも役柄にどんぴしゃりですし、
声も伸びがあって声量と繊細さを兼ね備えた、
なかなかの逸材でした。
対する藤村さんはビジュアル的には微妙ですが、
歌は非常に素晴らしくかつ堂々としていて、
世界の第一線で活躍している凄みが感じられました。
ただ、彼女の歌い方はワーグナーのヒロインのようなので、
あまりに堂々としていて、
この作品の持つある種軟弱な優しさのようなものが、
陰に隠れてしまった感はありました。

テノールは藤村さんほどではないのですが、
矢張りかなり堂々とした歌いっぷりなので、
マスネの繊細さが、あまり表現されず、
「なんでこんなウジウジした話なのに、
そんなに堂々と歌い上げちゃってるの?」
という違和感が伴うような印象がありました。

本当のマスネは多分、
もっと繊細で弱々しくないと、
物語の切実さに届かないのではないでしょうか?

そんな訳でこれまで聴いた「ウェルテル」の舞台の中では、
最もクオリティの高い素敵で音楽的に優れた舞台でしたが、
その表現自体にはマスネの繊細さはあまりなかったようにも感じました。
音は素敵で情感に溢れていて、
何も起こらない1幕が、
個人的には一番気に入りました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「タンホイザー」(2019年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
今日は東京も雪ですね。
受診予定の方はお気を付け下さい。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
タンホイザー.jpg
新国立劇場の2018/2019シーズンのレパートリーとして、
ワーグナーの「タンホイザー」が上演されました。

「タンホイザー」はワーグナーの作品の中では、
比較的上演時間が短く、
それでいてワーグナーらしい聴き所も豊富で、
ワーグナーの思想が、
簡明に表現されているようなところもあるので、
初めてワーグナーを聴く方にはお薦めの作品です。

これまでに生で聴いたのは、
新国立劇場のレパートリーで2回くらい、
ドイツの歌劇場の引っ越し公演で3パターンくらい、
東京オペラの森とその後継の東京春音楽祭の公演と、
都合7回くらいで、
今回が多分8回目くらいになります。

演出として印象に残っているのは、
ロベルト・カーセンが演出した東京春音楽祭の舞台と、
鬼才コンヴィチュニーが、
それほど前衛的でなかった時期に演出した、
バイエルン歌劇場(そうでなかったかも…)の舞台です。
カーセンの舞台は魔女は殆ど全裸で登場して、
白い布のセットを赤いペンキで塗りたくるような舞台。
コンヴィチュニーのものは、
大人の童話という雰囲気の、
彼としては前衛に走りすぎない、
見やすい舞台でした。

今回の新国立のプロダクションは、
新国立らしい比較的オーソドックスで、
セットや美術は構想は悪くないものの、
大味で細部が雑なものでしたが、
あまり変わったことはしていないので、
まあまあ音楽を聴くには支障のないものです。

オケは最初の管楽器の響きなど、
何とかならないものかな、とガッカリするレベルでしたが、
その後は堅実で後半はまずまずでした。
歌手陣はメインの3人がなかなか頑張っていて、
ビジュアルも役柄に合っていましたし、
声が美しいので良かったと思います。

例によって良い演奏でも観客は終わるとすぐに帰り出して、
アンコールをじっくり待たない慌ただしい新国立クオリティですが、
今や日本のオペラの屋台骨は、
新国立劇場のみが支えているので、
応援は是非し続けたいと思っています。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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2018年のオペラと声楽を振り返る [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

本日までクリニックは年末年始の休診です。
明日からは通常の診療になります。

休みの日は趣味の話題です。

今日は昨年聴いたオペラと、
声楽のコンサートを振り返ります。

昨年聴いたオペラはこちら。
①東京春音楽祭「ローエングリン」(演奏会形式)
②イタリア・バーリ歌劇場「イル・トロヴァトーレ」
③新国立劇場「トスカ」
④オーケストラ・アンサンブル金沢「ペレアスとメリザンド」
⑤ローマ歌劇場「椿姫」
⑥ローマ歌劇場「マノン・レスコー」
⑦新国立劇場「魔笛」
⑧新国立劇場「カルメン」
⑨新国立劇場「フォルスタッフ」

2018年はあまりグッと来る舞台に出逢いませんでした。
ローマ歌劇場の2作品はまずまず充実した舞台であり演奏だったと思います。
2作品とも演出は面白くて、
特に「椿姫」の、
全ての場の間にきちんと幕間を取った、
堂々としてビジュアル的に豪華な舞台は、
最近場を繋いで幕間を減らすような演出が多いので、
とてもフレッシュに感じましたし、
これが本道だと改めて思いました。
日本にお金がなくなって、
大がかりな引っ越し公演のようなものがあまりなくなりましたから、
新国立劇場の持つ日本のオペラ界における位置は、
より大きな物となっているように感じます。
他に聴くものがないですからね。
ただ、カーテンコールを待たずに帰ってしまったり、
電話を鳴らしたりフライングの拍手をしたり、
マナーの悪い観客が大部分であるのにはうんざりします。

それから昨年は以下のような、
声楽のコンサートに足を運びました。
①東京春音楽祭 フォークトとクルーガーのリサイタル
②デジレ・ランカトーレ ソプラノリサイタル
③モイツァ・エルトマン ソプラノリサイタル

こちらも例年より少ない回数です。
リサイタル自体は皆良かったのですが、
実際大物の来日は減りましたし、
腰も重くなったのが実際でした。
それから良質なリサイタルを主催していた、
東京プロムジカがプロムジカさんの急逝でなくなってしまう、
という切ないニュースもありました。
お悔やみを申し上げます。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ヴェルディ「フォルスタッフ」(2018年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
フォルスタッフ.jpg
新国立劇場のレパートリーとして、
ヴェルディの「フォルスタッフ」が上演されています。

「フォルスタッフ」はヴェルディ晩年の円熟期のオペラで、
「マクベス」「オテロ」と並ぶ、
シェイクスピア原作ものの最後の作品です。

これは結構難しいオペラなんですよね。

物語は他愛のない喜劇で、
それほどの起伏のあるドラマチックな物語がある、
という訳ではありません。
また聴かせどころのアリアがある、
というような構成ではなく、
メインはアンサンブルを楽しむという音楽作りになっています。

ヴェルディが最後にモーツァルトに回帰した、
という感じの作品で、
何に似ていると言えば、
「フィガロの結婚」辺りに良く似ています。
ラストに妖精の森で大団円を迎える辺りなどそっくりです。

アンサンブルが聴き所なので、
歌手が揃わないと上質な公演にはなりません。

今回の舞台はエヴァ・メイやロベルト・デ・カンディアなどの海外組に、
幸田浩子さんなどの国内組が上手く配分されていて、
突出した歌唱はなかったのですが、
アンサンブルはなかなかの高レベルで、
ヴェルディの音楽の到達点を、
まずはじっくりと鑑賞することが出来ました。

エヴァ・メイは大好きなメゾも歌えるソプラノで、
久しぶりに聴きましたが、
前回リサイタルで聴いた時よりかなり引き締まった体型で、
若返った印象を持ちました。
正直最近は浪速のおばちゃん感があったのですが、
今回は衣装も良く、
素敵な若奥様を楽しそうに演じ歌っていました。
もっと歌える人だと思いますし、
予習で聴いたスカラ座のムーティ指揮版などと比べると、
とても控えめに歌っている印象ですが、
おそらく他とのバランスを取ったのかな、
と思いました。
スカラ座版はファン・ディエゴ・フローレスとインヴァ・ムーラが、
若い恋人同士という豪華版です。

そんな訳でもっと爆発するような「フォルスタッフ」も、
あり得るとは思うのですが、
今回はかなりモーツァルトに寄せたアンサンブル重視で、
今の新国立の水準としては、
充分及第点の出来であったと思います。

演出はこの初演の時に観ていて、
安っぽく感じて印象が悪かったのですが、
今回改めて観てみると、
2つの回り舞台を組み合わせて、
場面転換のストレスを解消した構造は、
決して悪くないなと感じました。
ただ、新国立のオリジナル演出は概ねそうしたものが多いのですが、
構造は悪くなくても美術の細部がおざなりで、
舞台のラフスケッチそのまま、
というような仕上がりになってしまっています。
この舞台もその代表で、
もっと細かいところが重厚に出来ていればなあ、
とそんな風に思えてなりませんでした。

いすれにしてもこの難しい作品にして、
水準を超える聴き応えのある作品となっていたことはとても嬉しく、
まずは充実した気分で劇場を後にすることが出来ました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。


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ビゼー「カルメン」(2018年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
カルメン2018.jpg
新国立劇場のレパートリーとして上演された、
ビゼーの「カルメン」を聴いて来ました。

「カルメン」はフランス・オペラとしては最もポピュラーな作品で、
音楽は誰でも知っていますし、その認知度は高いのですが、
意外に上演時間は長くて、
風俗描写的な部分が多いので、
初めて聴いて退屈して寝てしまう、
という人が多い作品でもあります。

また、タイトルロールのカルメンには、
男なら誰でも一目惚れして当然、
というような圧倒的なオーラが必要とされるので、
納得の出来るようなキャストに出会うことは滅多にありません。
歌の聴かせどころは意外に少なくて、
カスタネットを叩いて踊ったりもしないといけないので、
歌で聴かせる、というタイプの歌手では駄目なのです。

これまでに6回くらい生で聴いていますが、
納得のゆくカルメンに出会ったことはまだありません。

スターの闘牛士が出て来るのですが、
彼の歌がまた難物で、
何故かたどたどしく盛り下がってしまうことが殆どで、
これも納得のゆく歌唱を聴いたことは皆無です。

今回の上演はもう多分4回くらいは上演している、
鵜山仁さんの演出による舞台ですが、
鵜山さんの演出は保守的で地味で暗くて、
あまり好みではありません。
この舞台は鵜山さんとしては、
比較的派手で色彩感もある部類ですが、
お金の都合なのか4幕とも同じ壁のセットなのが如何にも詰まらず、
特に4幕は闘牛場の門の前という抜群のセンスで、
スペクタクルにも演出出来るところなのに、
ただ抽象的な門があるだけのセットで、
地味でガッカリしてしまいます。

今回の上演はカルメン役に、
イタリアの新鋭ジンジャー・コスタ=ジャクソンがキャスティングされていて、
初登場の瞬間から、イメージするカルメン通りのビジュアルに、
感心する思いがありました。
ハバネラの最初の歌い出しなど、
ゾクゾクするような興奮があります。
ただ、ハバネラ自体は今ひとつ膨らみには欠ける歌唱でした。
演技とビジュアルは申し分なのですが、
また歌唱にはカルメンの風格はありませんでした。
それでも伸びしろを感じる素敵なカルメンでした。
対するドン・ホセにはボリショイの若手オレグ・ドルコフで、
透明感のある声が役柄にフィットしていました。

音楽と合唱は優等生的ですがレベルは高く、
まずは満足のゆくカルメンだったと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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モーツァルト「魔笛」(2018年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
魔笛.jpg
大野和士さんが芸術監督に就任しての、
新国立劇場のシーズン開幕公演として、
モーツァルトの「魔笛」が上演されました。

ウィリアム・ケントリッジが2005年に演出し、
その後世界中で上演された名演出を、
今回初めて借りて来ての上演になります。

「魔笛」は新国立劇場ではこれまでに何度も上演されていますが、
僕はここで聴くのは初めてです。
通例で男声のメインのキャストは海外ゲストが多く、
夜の女王やパミーナという主要な女声キャストは、
日本組となることが多いのですが、
あまりそれが乗らなかったのです。

ただ、今回はシーズンオープニングですし、
演出にも興味があったので足を運ぶことにしました。

「魔笛」は引っ越し公演などで何度かは聴いていますが、
1幕はともかく2幕が長くて、
有名な夜の女王のアリアが終わると、
眠くなることが多いのが正直なところです。
また、子供じみた演出や悪ふざけのような演出が多いことや、
効果音などに人工音が使われることが多いことも、
僕がこの作品の上演を、
あまり好きではない理由です。

ただ、今回の上演はなかなか良かったですし、
最後まであまり眠くもならずに聴くことが出来ました。

演出は基本的には擬古典という感じの古風なもので、
そこにプロジェクションマッピングが、
上手く活かされて新しい風を吹き込んでいます。
最初の大蛇を影絵で処理したのは、
ちょっとミスタッチに感じましたが、
それ以外の部分はなかなか原作の雰囲気を活かしていて、
良かったと思いました。
主要なアリアやアンサンブルの聴き所は、
舞台正面に歌手を立たせて、
下からの古風な照明を当てて処理するのも、
音楽優先で良いと思いました。
何より良かったのは、
雷や嵐などの効果音も、
全て生音で処理していたことで、
これは最近の「魔笛」の上演では、
あまりないことだと思います。

でも、こういうのは、
一般受けはしないかも知れませんね。

コロラトゥーラは大好きなので、
夜の女王のアリアにはこだわりがあるのですが、
正直生の舞台で満足のゆく歌唱を聴いたことはありません。
今回の安井陽子さんは夜の女王はお得意なので、
安定した歌いっぷりと貫禄は、
悪くありませんでした。
トータルに歌手陣も悪くありませんでしたし、
今回の「魔笛」はなかなか高レベルで満足のゆくものでした。

まずまずお薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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