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「魔界転生」(2018年堤幸彦演出舞台) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

クリニックは本日から年末年始の休診に入っています。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら、
魔界転生.jpg
山田風太郎の忍法時代劇の傑作「魔界転生」が、
日本テレビ開局65年記念舞台として、
マキノノゾミさんの脚本で堤幸彦さん演出で上演されました。

もう公演は終わっていますが、
その本年11月の明治座の公演に足を運びました。

これは高校生の時に原作を読みました。
山田風太郎さんは多彩な作品を書かれていて、
ミステリーの「十三角関係」などはとても好きなのですが、
忍法帳としてはこの「魔界転生」が抜群で、
とてもワクワクと読んだことを今でも覚えています。

これは柳生十兵衛を主人公にして、
彼がその全盛期の違う宮本武蔵や父親の柳生但馬守宗矩と、
それぞれの全盛期の状態で対決する、
という架空対戦ものなのですね。
それを成立させるために、
女体を借りて復活するという魔界転生という妖術を用い、
史上最強の剣豪軍団と我らが十兵衛の血湧き肉躍る戦いが描かれるのです。

1981年と2003年に映画化されていて、
1981年版はテレビで見ましたが、
正直原作の良さは殆ど打ち消されたような、
深作欣二風アクション映画になっていました。

今回の舞台版は、
どちらかと言えば原作より映画を原作としている印象で、
時代の違う剣豪が魔界転生でリセットされ、
最盛期の力で勝負する、
という基本設定の部分があやふやになっていました。

今回の舞台は端的に言えば、
劇団☆新感線の上演する舞台の世界を、
堤幸彦さんが職人芸で再現するという感じの代物で、
格別新しい趣向はなく、
テレビの番宣などで盛んに取り上げられていた、
3D映像とのコラボという代物は、
目を細めればそう見えるかな、
と言うレベルのお寒い仕掛けでした。

キャストはなかなか豪華で、
主役の十兵衛役の上川隆也さんは、
堂々とヒーローを演じていてなかなかですし、
天草四郎の溝端淳平さんも頑張っています。
そして何より素晴らしいのが、
柳生但馬を演じた松平健さんで、
上川さんと松平さんの対決が、
芝居としては全編のクライマックスです。

全体に新感線の同じような作品と比較すると、
テンポはまったりとしていて、
メリハリやスピード感には乏しいのですが、
それが却って見やすいという感じはします。
松平健さんに今以上のテンポを要求すれば、
その良さを殺してしまうと思いますし、
これが随所に配慮した、
大人の演出と言えるのかも知れません。

そんな訳であまり乗れない観劇だったのですが、
それなりにプロの仕事を感じて、
劇場を後にすることは出来たのでした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い年末をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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M&Oplays プロデュース「ロミオとジュリエット」(宮藤官九郎演出) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中のみ外来を開ける予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
ロミオとジュリエットクドカン.jpg
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を、
三宅弘城さんと森川葵さんというコンビで主役を務め、
宮藤官九郎さんが演出した舞台に、
先日足を運びました。

公演はもう終わっています。

「ロミオとジュリエット」はシェイクスピアの作品の中では、
展開的にドラマチックで青春物としての魅力もあるので、
日本での上演頻度は高く、
また非常に読み替えのような風変わりな演出が、
多いという演目ではないかと思います。

最近の藤田貴大さんが演出した舞台では、
原作の場面をバラバラにして入れ替え、
同じ場面を繰り返すという得意の手法を、
大胆に取り入れて、
それでいて原作の台詞はほぼ変えていないという、
特殊な演出がされていました。

蜷川幸雄さんも複数の演出の舞台を上演していますが、
かなり自由度の高い舞台になっていました。

翻案としては「ウェストサイドストーリー」など、
数限りなくありますし、
最も一般に馴染みのあるシェイクスピアの物語、
という言い方をして間違いはないと思います。

さて、今回のクドカン版ですが、
相当変わったことをしてくるのかと思いの外、
かなり原作そのものを再現した、
まっとうな舞台で、
勿論ギャグもあるのですが、
原作を解体するような性質のものではなく、
かなり穏当に始まり穏当に終わった、
という感じの作品になっていました。

主役に三宅弘城さんを起用した意味も、
あまり明確ではありませんでしたし、
それほど伸び伸びと芝居をしていた感じでもありません。
セットも紙芝居のようで安っぽく、
これといった見せ場もなく終わってしまった、
個人的にはかなりガッカリの舞台でした。

こんな保守的な仕上がりになるのであれば、
どうしてこうしたキャストと演出でやろうと思ったのか、
正直最後まで良く分からないままに劇場を後にしました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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城山羊の会「埋める女」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
埋める女.jpg
大好きな城山羊の会の新作公演に足を運びました。
しばらく公演の予定はないとのことで、
とても残念ですが、
またいつかの再開を期待したいと思います。

今回のお芝居は、
コーエン兄弟の映画みたいな味わいで、
何処までが真面目で、何処までがリアルなのか分からない、
手探りのような快感に満ちたドラマが展開し、
闇の中に1人置き去りにされるようなラストが待っています。

主役はトラック運転手の岩谷健司さんで、
彼が客席を向いて観客に向かって1人語りをする、
というスタイルで始まります。
その後も随所で観客を意識するようなやり取りがあり、
これは一体どういうことなのかしらと思っていると、
主人公に降りかかった災難から、
それがラストに繋がるという趣向です。
観劇後に、結局観客の僕達は、
何に見立てられていたのかしらと、
頭をひねって不思議な気分になるのです。

途中でいつものように、
偏執狂的なキャラの岡部たかしさんが入って来ると、
城山羊の会ワールドがいつものペースで展開されます。
適度なエロチックさと、
何かが隠された隠微な感じ、
適度な不条理のスパイス、
現代社会の構造を巧みに捉えたディテールなど、
そのひねった魅力は健在です。

後半の急展開が暴力を梃子にしているという点が、
ちょっと引っかかりはあるところです。
「自己紹介読本」の素晴らしさは、
それがエロスのみで成立した楽しさでした。

今回は最後までその独特の不条理とエロスと暴力が貫徹された、
城山羊の会のクオリティの高い標準作であった、
という印象です。

この世界にしばらく浸れないというのはとても残念ですが、
またの機会を待ちたいと思います。

またいつか素敵なお芝居を見せて下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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唐十郎「腰巻お仙 振り袖火事の巻」(2018年小林七緖演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が外来を担当し、
午後2時以降は石原が担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
腰巻お仙.jpg
流山児事務所の小劇場過去の名作上演の一環として、
唐先生の初期作の「腰巻お仙 振り袖火事の巻」が、
唐組などとは全く肌合いの違う、
小林七緖さんの演出で、
先日早稲田の地下の小劇場で上演されました。

この芝居は1969年の年初に新宿中央公園で無許可上演された事件が、
あまりにも有名ですが、
内容的には佐藤信さんの一連の鼠小僧次郎吉や、
喜劇昭和の時代といった革命演劇にとても近いスタイルで、
ディテールには主人公が耳を切られたり、
少女が軍服や赤い腰巻姿などに変身を繰り返したりと、
如何にも唐先生という部分はあるのですが、
全体の構成はその後の紅テントのお芝居よりも、
その後の黒テントのお芝居に相似している印象です。

唐先生のロマン主義的なスタイルが完成するのは、
矢張り「少女仮面」や「少女都市」くらいの頃からで、
「吸血姫」ともなれば、
もうまごう事なき唐芝居の大作なのですが、
1968年から1969年初頭辺りの作品になると、
黒テントの革命演劇と、
見分けるのは難しい感じの世界観となっています。

今回の芝居の演出は、
それ自体黒テントの芝居に近いスタイルで、
そこに天野天街さんのテイストが、
散りばめられているという感じですが、
このお芝居に関しては、
その後の紅テントのスタイルで上演するよりも、
黒テントスタイルの方が合っている、
という感じが強くしました。

オープニングに幕がバンと落ちて、
インパクトのある場面が現れる呼吸も良いですし、
オリジナルの劇中歌も、
「ある夕方のこと…」というテーマ曲は、
なかなか素敵でした。
曲の感じも状況劇場というより、
林光さんによる黒テントという感じでしたね。

今回の上演は概ね原作戯曲に忠実ですが、
オープニングとエンディングに、
特別出演格の大久保鷹さんと主人公の少女による、
「現在から1969年を再定義する」的なパートが創作で入り、
犬が紙芝居で笛吹童子を解説する、
という入れ事が付け加わっています。
また、初演で四谷シモン演じたおつたの台詞は、
少しアレンジが加えられています。

こうした改変はあまり好みではありませんが、
現代の観客に今回の上演の意味合いを、
理解してもらうという面では、
やむを得ないものかなと感じました。
それほど原作を壊す感じにはなっていなかったのが幸いでした。

キャストもなかなかで、
初演で麿さんが演じたドクターともなると、
さすがに普通に演じては役不足で詰まらないのですが、
主役の少年少女の2人は、
雰囲気のある芝居で素敵でした。
大久保鷹さんの自由な芝居も嬉しいところです。
黒テントだとご町内の三人組に当たる3人の堕胎児役の3人が、
なかなかしっかりと芝居をしていたので、
それで全体はぎゅっと引き締まった感じでした。
今回の功労者だと思います。

そんな訳で結構楽しむことの出来た、
地下小劇場らしいお芝居でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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別役実「森から来たカーニバル」(2018劇壇ガルバ上演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
森の中のカーニバル.jpg
山崎一さんが立ち上げた劇壇ガルバの旗揚げ公演として、
1994年に演劇集団円が俳優座劇場で初演した、
別役実さんの「森から来たカーニバル」が、
山崎さんの演出で上演されています。

これは初演は観ていません。

童話の舞台となるような田舎町が舞台で、
そこでは巨大な像が毎年同じ季節に、
森から町にやって来て、
意図はしていないものの巨大過ぎるので、
必ず多くの人間を踏みつぶして殺してしまいます。
町の人も皆がそのことを知っていて、
象を恐れ殺そうともするのですが、
結局は抗いがたいものとしてそれを受け入れ、
それをカーニバルと呼んで狂騒的な祭りに酔いしれ、
死んで行きます。

別役さんの作品としては、
初期の「スパイものがたり」などに近い雰囲気で、
寓話的な物語がコミカルかつグロテスクに、
歌や生演奏を交えて歌芝居風に表現されています。

ただ、後半は初演では岸田今日子さんが演じた、
老女の1人芝居的雰囲気となり、
若い男女が時空を超えたお茶会を続けて幕が下りるという、
「マッチ売りの少女」的な雰囲気となります。

正直ちょっと前半と後半のバランスが悪いな、
というような印象を持つ戯曲です。

ただ、別役さんの戯曲としては登場人物も多くて、
祝祭的な派手な部分があるので、
そのために今回の上演に選ばれたようです。

今回の上演はとても贅沢でクオリティが高いもので、
小劇場の上演とは思えないキャストも豪華ですし、
衣装や美術、音楽などの舞台効果的な部分にも、
とてもとても手間が掛かっています。

80分という上演時間がとても充実していますし、
細部まで見応えがあって、
一度だけでは勿体ないと思えるくらいです。

山崎さんの演出はケラさん演出の別役作品に近いテイストで、
原作の笑いを活かしてハイテンポで進行させてゆきます。
特に人物の登場のさせ方の間合いが面白いと思いました。
ただ、奇妙で個性的なキャラクターの肉付けと、
笑いの活かし方に関しては、
ケラさんの演出に一日の長があるかな、
というようにも思いました。

本田力さんのカーニバルの男や、
山崎さん本人の演じる牧師などは、
もっともっとヘンテコリンで良いと思うのです。
その辺りにちょっと物足りなさは感じました。

別役さんの戯曲の特徴は、
作品の中で個々の人物が成長したり変化することがなく、
最初から最後まである役割を全うするだけなのですが、
それを観客の側が最初は別の人格のように誤解して、
それが誤解であったと分かるところに、
物語の勘所があり、
上手くゆくとどんでん返しのようなショックを、
観客に与えることになるのです。

その観客に誤解させる、
という部分を理解していないと、
最初から最後まで変化しない人物を、
ただ必死に演じ続けるだけ、
ということになり、
物語が単調に流れてしまうのです。

今回の山崎さんの演出は、
その部分にやや問題があるように感じました。

また、象を恐れていた筈の人々が、
途中で挙って象に殺されたいと願い行動に移すのですが、
その部分の不気味さが、
全体の狂騒的な雰囲気に隠されてしまったようにも感じました。

いずれにしても、
小劇場演劇の英知を結集した素晴らしい上演で、
台本の弱さはありますが、
是非に是非にお薦めしたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように

石原がお送りしました。
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イプセン「民衆の敵」(2018年ジョナサン・マンビィ演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日ですが、
午前中は区民健診の当番日なので診療の予定です。

日曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
民衆の敵.jpg
ノルウェーの劇作家イプセンの「民衆の敵」は、
これまでにも何度も国内で上演されていますが、
今イギリスの演出家の演出で、
堤真一さんの主演で上演されています。

イプセンの生の舞台は、
これまでに「民衆の敵」、「ヘッダ・ガブラー」、「幽霊」、
「人形の家」を観ています。
どれも一筋縄ではいかない戯曲で、
ある種異常で変態的でとてもとても面白いのです。

イプセンは異常な天才で、
極めつきの変態です。

現代のような病んだ時代には、
従って非常にマッチしていて、
最近ではチェホフよりイプセンがお気に入りで、
イプセン劇の上演は、
なるべく足を運ぶようにしています。

この「民衆の敵」も、
社会派台詞劇の代表のように言われ、
水俣病訴訟などを持ち出して批評をされるような方が、
非常に多いのですが、
勿論そうした部分もないことはないのですが、
トータルにはもっと破格で異常な作品で、
社会の正義自体を否定しているような部分もある怪作です。

堤真一演じる主人公の医師は、
自分で町に温泉を見つけてそれがきっかけとなり、
温泉はその町の健康資源の目玉になります。
ところが温泉保養が定着しつつあった時期になって、
主人公は水質検査によって、
温泉が工場の排液で汚染されていることを発見、
それを「民衆の声」という新聞に公表しようとします。

主人公の兄は市長で、
妻の父親は汚染に関わる工場の経営者です。
「民衆の声」の関係者も、
民衆の多数の声こそ正義と主張はしていますが、
その内面は決して表の顔と同じではありません。

市長は最初から汚染のもみ消しを図り、
進歩的な新聞は最初は面白がって、
主人公の正義をもてはやしますが、
実際には主人公の言う通りを実行すると、
温泉に頼る町の経済は破綻し、
民衆も重税にあえぐことになることを知ると、
手のひらを反して主人公を攻撃します。

そして、直接町の住民を前に演説をした主人公は、
自分こそ正義で、
一般の住民はただの馬鹿だと、
身もふたもないことを平然と言い放つので、
その場で主人公は「民衆の敵」であると宣言されてしまいます。

通常常識的なストーリーでは、
主人公の正義は市長のような権力者に迫害されても、
最後は一般の大衆の支持を得て、
正義が実現する、というようになって良い筈ですが、
イプセンは悪魔のようなひねくれものなので、
決してそうはならないのです。

最初は観客も主人公に共鳴し、
温泉の不正をただそうとする主人公の正義に、
共感して舞台を見ているのですが、
主人公があまりに空気の読めない身勝手な人物で、
平然と一般の大衆を馬鹿にしたようなことを言うので、
だんだん違和感を感じるようになります。

つまりはこの演説は観客に向けられているもので、
この芝居は独善的な正義の主人公が、
観客という一般市民を愚弄して馬鹿にする、
というひねくれたお芝居なのです。

主人公は「民衆の敵」となりますが、
皮肉なことにその立場は、
彼を影響力のある一種の権力者に仕立てます。
主人公は職を失い、家も追われる四面楚歌の状態ですが、
それでも奇妙なほどに明るく未来を語り、
最後は誰よりも幸せな家族のようにすら見えるのです。

異様で奇妙で、
そして胸騒ぎのするようなラストです。

あらすじを書いただけでもお分かりのように、
イプセンは今の時代に見事にフィットするような物語を、
ずっと昔に書いているのです。

これが天才の天才たる所以です。

この物語の主人公は正義を主張し、
その信念を曲げずに生きていますが、
それは周囲の軋轢や多くの犠牲を生むことなので、
人間社会の中では、
正義であると同時に迷惑行為でもあります。
温泉の汚染を主張するのは良いとして、
その温泉の効能自体、
元々は彼が広めたものだからです。
彼は自分だけが正しく、
自分に賛同しない全ての人間は馬鹿の能無しだと公言するので、
当然のごとく民衆の嫌われ者になりますが、
それは有名人になることでもあるので、
有名であることが価値を持つ世界では、
その「炎上商法」は決して損にはならないのです。

ねっ、今のネット社会とうり二つのような世界でしょ。
ここにこの物語の現代性があります。

元々の発想としては主人公はキリストなんですよね。
真実を話すことによって、
皆に石を投げられるのですが、
それが大衆の心を映す鏡にもなるのです。
凄い俗物のキリストを用意して、
その受難を描くというのがこの物語の裏テーマです。

このように作品は傑作なのですが、
今回の演出は僕は駄目でした。

何か、幕間の部分でエキストラが群舞みたいなことをして、
その動作でテーマを表現しようとしているのですね。
そういうわざとらしい演出が僕は大嫌いです。
不自然ですし、説明過多で嫌らしいですよね。
「俺は演出しているぞ!」というような態度が俗物根性丸出しで、
イプセンの思想の対極にあると感じました。
こんな演出したら駄目ですよ。
また、舞台を少し奥においていて、
演説の場面でも客席と距離があるのがまた駄目ですよね。
あの場面は直接観客に語りかけるというイメージがないと駄目でしょ。
本当に分かっていないな、と感じました。

キャストはまずますで、
特に主役を演じた堤真一さんが、
抜群に良かったと思います。
この役は堤さんのトリックスター的な部分と、
良くフィットしていますよね。
堤さんにはまた別の演出で、
是非この作品を演じて欲しいと思います。

この作品は少し前に森新太郎さんも演出していて、
未見なのでとても残念に思いました。
絶対もっとよかったですよね。

イプセンはまた是非上演して欲しいと思います。
凄いです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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悪い芝居「メロメロたち」(2018年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当します。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
メロメロたち.jpg
関西で活躍する劇団、悪い芝居の「メロメロたち」を、
池袋のシアターウエストで観て来ました。

この劇団は初見です。

テイストとしては、
「劇団鹿殺し」や「柿喰う客」に似ています。
バンド演奏と演劇のリミックスのようなスタイルで、
やや荒んでいて退廃的で暴力に満ちた、
架空の戦中と戦後における、
音楽に生きた少年少女の姿を綴ります。

舞台は日本が東と西に分かれて、
内戦を続けているという世界で、
東日本出身のはぐれロックバンドが、
西日本で成功を収めるのですが、
そのカリスマボーカリストが、
ファンの少女にライブ中に焼き殺され、
戦後にバンドと少女の再生が描かれます。

破れかぶれのような、
なかなか面白いストーリーだと思うのですが、
バンド演奏の轟音とお芝居のパートが、
あまり綺麗に融合しているという感じではなく、
音楽自体も多くが楽曲の途中で中断されるという構成で、
2つが上手く噛み合わず、
むしろお互いをつぶし合っているように、
個人的には感じました。

それが意図的なものであることは分かるのですが、
矢張り音楽パートと芝居の部分を、
もっと明確に分けて表現した方が、
よりストーリーを深く観客に伝えることが、
出来たのではないかと思いました。
楽曲も悪くないので、
細切れにしか表現されないのは残念に思いました。

日本での内戦という設定は、
そこに何かを込めたかったのかしら、
とは思うのですが、
あまり有効には機能しておらず、
このままなら、別に戦争という設定は、
なくても成立するし、
その方が内容もすっきりするのでは、
というように感じました。

舞台効果としては、
バンドの音以外の要素が弱いと感じました。
少女がライブ中にロックスターを焼き殺す、
というのは相当に衝撃的な場面の筈ですが、
実際には舞台が照明で真っ赤になるだけの処理なので、
これは演劇としてはあまりに詰まらない、
というように思いました。

キャストは主人公の少女を演じた、
you tuberの渡邊みなさんがとても面白く、
ラストの関西弁の独白から歌に入るところは、
とても素敵で他にない個性を感じました。

それだけに、
もっとそこに的を絞って、
盛り上がるような展開にして欲しかったな、
というようには感じました。

まあでも、
僕のような観客は、
あまり対象としていないお芝居だと思うので、
アウェイの感想としてスルーして頂ければと思います。

頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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野田秀樹「贋作 桜の森の満開の下」(2018年NODA・MAP第22回公演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
桜の森の満開の下.jpg
NODA・MAPの第22回公演として、
遊眠社時代の後期に初演された、
「贋作 桜の森の満開の下」が再演されました。

この作品は坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を原作に、
国造りの神話を描いたもので、
「野田版国性爺合戦」と共に、
野田さんの世界が歴史物に近い世界に変化してゆく、
きっかけともなったお芝居です。
坂口安吾作品と共に、
手塚治虫の「火の鳥鳳凰編」の影響が顕著で、
両腕を切り落とされる火の鳥の主人公の仏師と、
耳男とが合体した時に、
この作品の骨組みが誕生したように推察されます。

初演とその2年後の再演では、
毬谷友子さんが客演していて、
基本的には毬谷さんが夜長姫のイメージとなっています。
2001年に新国立劇場で再演されていて、
この時は今回と同じ深津絵里さんが、
夜長姫を演じています。

その後歌舞伎版が作られて上演され、
今回がオリジナルの17年ぶりの再演、
ということになります。

この作品は初演の時から、
遊眠社のメインキャストは出演していないなど、
プロデュース公演に近い感じの作品でした。
ヒロインが客演の毬谷さんですから、
それほど動ける人ではないので、
いつものドタバタとは一線を画していて、
今にして思うと、
NODA・MAP時代を先触れしていたようにも思います。

正邪2つの顔を持つヒロインに、
主人公の異能の男が翻弄されるという筋立ては、
「走れメルス」にも共通していて、
その屈折と鬼女と化したヒロインを殺してしまう、
という瞬間の静寂が、
野田さんの劇作のおそらく根幹にある感情的な本質です。

ただ、この作品の弱点は、
大和朝廷誕生の政治的な物語と、
主人公2人の屈折した恋愛模様とが、
必ずしも一体化して進行していないことで、
明確な対立関係や段取りなしに、
主人公2人が森を逃げて終わりというのが、
何となく物足りなく感じられます。
「走れメルス」では多重世界の崩壊の引き金が、
少女の嘘と下着泥棒の屈折によって引き起こされるので、
その点はがっちりリンクしていたのですが、
この芝居の王朝絵巻は、
耳男と夜長姫の背景にしか過ぎないものになっているからです。
「桜の森」とは何だったのでしょうか?
それが耳男の心の中でしか意味を持っていない、
と言う点が作品を弱くしているように思うのです。

今回の上演は花吹雪の中での鬼女と耳男の対決など、
ビジュアルの美しさは圧倒的に素晴らしかったのですが、
物語の語り口がゴタゴタしていて、
せっかく明晰なストーリーが、
しっかりと観客に届かないきらいがありました。
最初の耳男と名人のやり取りの切り返しの面白さなど、
かつての遊眠社的なメリハリが皆無であったことは、
仕方のないこととは言え残念には感じました

耳男は今回は妻夫木聡さんでしたが、
この役は野田さん以外の役者さんが演じると、
元々分裂症的なので、
一貫した人格として感じられないのが欠点です。
深津絵里さんは勿論抜群ですが、
正直2001年版の方が凄みがあったように思います。
マナコに古田新太さん、オオアマに天海祐希さんと、
とても豪華なキャストですが、
天海さんはさすがにこの役では、
勿体ないと感じました。
秋山菜津子さんのハンニャや門脇麦さんの早寝姫というのも、
とても勿体ない感じで、
もう少し適材適所であったも良かったように感じました。
豪華であれば良いというものではないからです。

そんな訳で個人的にはそれほど乗れなかったのですが、
野田さんの代表作の1つで、
その細部のクオリティの高さを含めて、
一度観ておかないのはとても勿体ないと、
そう言って間違いのないお芝居ではあります。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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宅間孝行「あいあい傘」(タクフェス第6弾) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後は石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
あいあい傘.jpg
タクフェスは宅間孝行さんのプロデュースユニットで、
現在は主に宅間さんが過去の東京セレソンデラックスで上演したお芝居を、
毎年1から2本多彩なキャストで上演する、
というスタイルが確立されています。

開演前には宅間さんやゲストのサイン会、
物販のじゃんけん大会などがあり、
終演後にはオリジナルのテーマ曲を、
キャスト全員が振り付けで踊り、
一部は写メもOKというようなサービスが、
毎回用意されているのがお楽しみです。

セレソンが解散した2012年以降、
上演されたタクフェスの作品はほぼ全て観ているのですが、
あまり感想を書いていないのは、
個人的には乗り切れない作品が多かったためです。

宅間さんの作品は、
シンプルなクライマックスに落とし込むまでの前半が、
いつも人物関係が複雑であまり目立った事件が起こらず、
単調に流れる傾向があるので、
本筋になる前に疲れてしまい、
クリアな頭でクライマックスまで達することが、
難しかったのが実際でした。

いつも年長の役者さんが1人はいて、
宅間さんとの長い絡みがあり、
そこで一種のアドリブ合戦が展開されるのですが、
そこでグズグズになったテンポが、
その後も後をひいてしまって、
メリハリのない舞台になることも難点でした。

ただ、今回の作品は内容もシンプルで、
人物関係もかなり整理されているので観やすく、
今回ゲストのにぎやかしのモト冬樹さんは、
宅間さんとのアドリブの呼吸も良かったですし、
何よりスムースにシリアスに入る呼吸があったので、
物語に素直に入り込むことが出来ました。

宅間さんの役はもろ寅さんというテキ屋で、
こうした芝居は抜群ですから、
安定して楽しむことが出来ます。

クライマックスは素直に泣けましたし、
そこに焦点を当てたセットと夜店の美しい照明も効果的でした。

そんな訳で今回はタクフェス以降の宅間さんの舞台の中では、
最も楽しむことが出来ました。

これからも頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ショーン・オケイシー「銀杯」(森新太郎演出) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
銀杯.jpg
アイルランドの劇作家ショーン・オケイシーが、
1928年に発表した戯曲が、
森新太郎さんの演出により、
今世田谷パブリックシアターで上演されています。

その初日に足を運びました。

森さんは現在、
翻訳劇の演出家としては日本一だと、
個人的には思っています。

原作に忠実で台詞も恣意的なカットをしませんし、
原作の意図を巧みに今の日本の観客に、
伝えるようなレトリックを持っています。
変な読み替え演出はしませんが、
細部には現代的なセンスが光っています。
役者に無理な芝居をさせないのも好印象ですし、
セットや美術、衣装などの水準も、
いつも非常に高いのです。
何より舞台が色彩豊かで美しく、
この点は地味で暗い雰囲気の舞台が多い、
同年代の他の演出家との明らかな違いです。

ただ、作品の選択はかなりマニアックなもので、
「とてもこんな作品は翻訳して上演しても面白くならないよ」
と思えるような日本の観客向きではない作品を、
敢えて挑戦的に取り上げるようなところがあります。

僕は正直、
もう少し一般受けのする作品も、
上演して欲しいな、というようには思うところです。

今回の作品選択も相当マニアックなもので、
ガチガチの社会変革論者でアイルランド人の劇作家が、
第一次大戦の戦後間もない時期に、
そこに英軍として従軍したアイルランド人の若者の悲劇を、
扱った作品です。

日本人として今取り上げる意義は、
当然ある作品ではあるのですが、
内容は暗くて救いがありませんし、
何より時代背景はわかりにくいのに、
本編には説明がありません。
主人公の青年は戦争で下肢の自由を失い、
恋人も友人もすべてをなくしてしまいますが、
作品の中では屈折して恨みをぶつけるだけで、
光を失ったままに幕が下ります。

形式としては歌芝居で、
同年代に活躍したブレヒトに近いスタイルです。

森さんの演出はこの作品のテーマをくみ取りながら、
意図的に華やかさを重視して演出していて、
1幕の元気な主人公の場面は町の人との合唱が楽しく、
2幕の戦場はマペットを文楽スタイルで操る人形劇のスタイルですが、
ここも人形の衣装など色彩があふれています。
3幕の戦後も華やかなパーティーが背景にあり、
場面の明るさが作品の暗さとバランスをとっています。

この地味で重い作品を、
ここまでストレスなく見せきるのは、
森さんならではの技量だと思います。

役者は皆好演で、
暗いだけの主人公に華のある中山優馬さんを配して、
その暗さへの反発を和らげ、
この規模の舞台では珍しいほど、
歌と踊りのアンサンブルに多くの人数を使っているので、
その点も森さんのセンスを感じました。

僕の大学時代の先輩の青山勝さんも出演されていましたが、
山本亨さんとのタッグで、
「ダブリン市民」をそれらしく演じていて味がありました。

トータルには重くて暗くて地味な芝居なので、
一般向けとは言えないのですが、
上演の意義は十分にあったと思いますし、
森新太郎さんならではの演出が、
楽しめる芝居ではあったと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんもよい休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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