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唐十郎「吸血姫」(唐組・第61回公演) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも、
石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
吸血姫.jpg
唐組の30周年記念公演として、
状況劇場で1971年に初演され、
唐先生の全ての劇作の中でも、
代表作と言って過言でない作品の1つ、
「吸血姫」が唐組では初めて再演されました。

僕にとってこの作品は、
唐先生の作品の中でも最も愛着のある1本です。

勿論初演は観ていませんが、
最初に観たのは1982年頃にシェイクスピアシアターで上演されたもので、
その後大学時代に僕自身が演出をして
(許可は得ていません。すいません)、
大学劇団の本公演として上演しました。
その後新宿梁山泊が初演のキャストの大久保鷹さんを迎えて、
地下の劇団アトリエと花園神社のテントで上演した舞台を観ています。
唐ゼミでも上演されましたが、
これはさすがにもういいかな、
と思って行きませんでした。

今回の上演は期待もしましたが、
今の唐組の役者さんで、
果たしてあの芝居を上演出来るのだろうか、
唐先生の花形を久保井研さんがやるとして、
悪役の両輪である麿赤児さんの袋小路と、
大久保鷹さんの川島浪速を、
誰が出来るのだろうかと思っていたのですが、
実際に幕が開いてみると、
袋小路浩三を大鶴佐助さん、
ヒロインの海之ほおずきを大鶴美仁音さん、
川島浪速を久保井さんという座組になっていて、
なるほど唐先生の血脈を、
堂々と押し出す作戦かと、
言われてみればこれしかないなと、
納得の行くものがあったのです。

これで舞台が詰まらなければ話にならないのですが、
上演された舞台はキャストも演出も、
僕がこれまで経験した「吸血姫」の上演の中では、
間違いなくベストの出来映えで、
アングラ演劇というものの1つの典型であり、
今なお最高到達点でもある、
2幕の後半と3幕の怒濤のラストが、
今の観客にその真価が伝わるように、
ある意味初演以降で初めて再現されたことは、
ちょっと感涙さえ覚えたのです。

この作品は勿論、
1971年という時代性と切り離しては、
その面白さが伝わらない部分があり、
初演のキャストでなければ伝わらない部分もあるので、
その限界は当然あるのですが、
そうした点を考えると、
今回の上演は今望みうる最高のものと言って、
間違いはないように思います。

この作品は僕も演出までしているので熟知しているのですが、
通常の上演で頭を悩ますような勘所が幾つかあるのです。
その第一は2幕の風呂屋の上げ板の処理で、
これがどういう位置関係で出て来るのか、
どうやって引っ込むのか、
その点が何度戯曲を読んでもよく分かりません。
それから、3幕でさと子の人形と本人が、
鏡が回転すると交互に客席に向かう、
という部分があるのですが、
一体どういう位置関係と動きになっているのか、
これも良く分からないのです。

この2つの点に、
今回の上演では鮮やかな正解を提示していて、
なるほどそうかと、
特に回転する鏡については、
その場で拍手をしたい思いに囚われました。

今回の舞台の成功の一番は、
ヒロインを鮮やかに演じた美仁音さんと、
袋小路という元々麿赤児さんへの当て役で難役を、
格闘するように演じた佐助さんの熱演にあって、
唐先生の血脈が、
このようにして今回大輪の花を咲かせたということが、
昔からのファンにとっては、
とても嬉しく感動的なことだったのです。

上演時間は2時間半で、
3幕劇の2幕と3幕をそのまま繋げて、
1回の幕間で上演しています。
ノーカットでありながらこの尺に納めているのは、
人力車の登場など、
要所を鮮やかなカッティングで、
緩みなく展開させているからで、
今回の久保井さんの演出は、
いつも以上に冴え渡っていたと思います。
唯一の不満はいつの上演においても、
原作に書かれている「幌付きトラック」が登場しないことで、
これは一時期状況劇場のどさ回りに使用していたものだと思われますが、
一度くらいは本物のトラックが舞台にあり、
それが原作のト書き通りに、
テントの外へと出て行くというラストを、
観てみたいという思いはいつもあるのです。

そんな訳で終わるのが勿体ないくらいの上演で、
アングラ演劇の真価を、
感じることも出来る極めつけの舞台でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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岩松了「市ヶ尾の坂ー伝説の虹の三兄弟」(2018年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
市ヶ尾の坂.jpg
1992年に竹中直人の会で初演され、
当時から非常に世評の高かった、
岩松了さんの代表作の1つ「市ヶ尾の坂」が、
何と26年ぶりに再演されました。

その間別の演出家による再演はありましたが、
岩松さん自身の演出による再演は今回が初めてです。

これは凄い芝居なんですよね。

岩松さんの劇作は、
何気ない日常会話だけを淡々と連ねながら、
そこに別個の感情や心理を、
見えないように忍ばせて物語りが進行し、
それがラストになって急に目に見える形に浮上して、
観客に衝撃を与えるという構成が特徴です。

それが結構急な暴力であったり、
事件であったりする作品もあるのですが、
この「市ヶ尾の坂」では本当に最後まで、
劇的と称されるようなことは何も起こらず、
物語にちりばめられた謎が、
明らかになるようなことも何もありません。

それじゃ日常と同じで、
何も面白いことはないじゃないか、
と思われると思いますし、
凡百の劇作家が描けば、
そうなってしまうと思うのですが、
そこがそうはならないのが、
岩松さんの天才たる所以です。

この作品はラストが凄いんですよね。
それも、階段を女性が1人降りてくる、
というただそれだけのことなんです。
本当にそれだけなのに、
それがとてつもなく衝撃的で戦慄的で、
何か物凄いものを見た、
という気分にさせてくれます。
これは本当に見事なラストだと思いますし、
ちょっと演劇史の中でも、
あまり類例のないような場面ではないかと思います。

真面目にこのラストを見るだけで、
この作品を観る値打ちは充分にあると思います。

ただ、今回の再演に関しては、
台本が竹中直人の会に対するかなりあて書き的なものなので、
その点に違和感を感じる部分はありました。

初演の3兄弟は竹中直人、田口トモロヲ、温水洋一という、
極めて濃いおじさんメンバーですから、
26年前で皆さん若いとは言え、
それでもイメージ的には得体の知れないおじさん三兄弟であったのですが、
今回はそれを大森南朋、三浦貴大、森優作という、
とてもすっきりしたメンバーで演じていて、
特に幼児性のあるような三男のイメージが、
本当の少年のようなイメージに置き換わっているので、
全体のムードはかなり初演とは異なるものになっています。

それは岩松さんの狙いでもあるので、
それはそれで良いと思うのですが、
大森南朋さんの芝居は、
明らかに竹中直人さんが透けて見えるようで違和感がありますし、
四角い顔のお手伝いさんというのは、
これはもう初演の片桐はいりさんへの当て書きそのものですから、
それを他の女優さんが演じるのは、
それが手練れの池津祥子さんであったとしても、
かなり無理があるようには感じました。

まあでも現代小劇場を代表する素晴らしい戯曲であることは、
これはもう間違いがありませんし、
岩松さんの演出も普段より少し演出を華やかにしながらも、
前半は敢えて退屈さを出して観客の眠りを誘いつつ、
ラストでそれを後悔させる凄味を見せる、
ある種の意地悪さがさすがですし、
岩松さんの演出に載った麻生久美子さんの芝居が、
また格別に素晴らしくて、
これも惚れ惚れするような気分になったのです。

いずれにしても岩松さんの代表作が、
今回本人の演出で再演されたことは、
この上もなく貴重な機会で、
これはもう小劇場演劇がお好きな方であれば、
「これを見ずに死ねるか」と言っても、
決して大袈裟ではないのです。

皆さんも是非。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

(追記)
この舞台の3場の終わりに流れるレコードの曲名を、
どなたかご存知はないでしょうか?
あのチークダンスを踊る奴です。
これは唐先生の「二都物語」のオープニングに流れたんですよね。
気になって気になって仕方がありません。

(再追記; 平成30年5月31日午前6時)
曲が気になったのと、
初見でよく分からないところがあったので、
無理をしてもう一度観に行きました。
パンフレットに岩松さんの記載があって、
曲はスタイリスティックスの「From the mountain」と判明しました。
唐先生はこの前奏だけを、
リピートで使っていました。
芝居はより練れていて、
掛け値なしに素晴らしいものでした。
坂の上と下で時間が移動していたり、
家の2階が無意識の欲望を解放していたり、
この作品は唐先生的なところもあります。
坂の上と下とを象徴的に使うのは、
「秘密の花園」と「海の牙」でありましたよね。
松葉杖は僕には「ジョン・シルバー」
のオマージュであるようにも感じられました。
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マクドナー「ハングマン」(長塚圭史演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ハングマン.jpg
今年脚本と監督に当たった映画「スリービルボード」が日本公開され、
高い評価を得たマーティン・マクドナーの、
今のところ劇作としての最新作で、
2015年にイギリスで初演された「ハングマン」が、
今世田谷のパブリックシアターで上演されています。

これはイギリスで死刑制度が廃止された、
1960年代が舞台となっていて、
当時有名な絞首刑執行人で引退後にパブを経営している、
ハリーという男が主人公です。
彼は廃止された死刑に関わる自分の仕事に、
それなりにプライドを持っていたのですが、
死刑制度廃止の日に意地悪な新聞記者に取材を受け、
冤罪の男の死刑を執行したのではないかと
疑いを掛けられたことで心穏やかではありません。
その同じ日にロンドンから来たという、
謎めいた男が初めてパブを訪れ、
自分がかつての冤罪が疑われている事件の、
真犯人であるかのような話を始めるので、
パブには不穏が空気が流れます。
翌日ハリーの1人娘が謎の男を話をした後で、
忽然と姿を消します。
男が連れ去ったのでしょうか?
翌日のパブの夜に再び男が現れた時、
疑惑は沸点に達して暴力の連鎖が始まります。

如何にもマクドナーという作劇で、
「スリービルボード」を観られた方なら、
同じ構造と匂いとをお感じになると思います。
中段はやや散漫な印象もして、
物語がどう転がるのか予測の付かないところがあるのですが、
ラストになってみると、
見事にシンメトリックな構造が浮上して、
マクドナーらしいブラックなひねりもあり、
観終わって時間が経つ毎に、
じわじわと味わいの広がる辺りがさすがです。

以下ネタバレを含む感想です。

これはオープニングでまず1963年の、
ヘネシーという男の絞首刑の様子が描かれます
ヘネシーは無罪を訴えるのですが、
主人公のハリーはそんなことには聞く耳を持ちません。
時は死刑が廃止された1965年に移り、
パブに現れた謎の男は、
自分が冤罪の真犯人であるかの如くほのめかし、
ハリーの娘を連れ去ります。
娘が男にさらわれたことを確信したハリーは、
翌日パブを訪れた男を、
リンチに掛けて首を吊し、
勢いで殺してしまうのですが、
そこにさらわれた筈のハリーの娘が元気に現れます。
謎の男の悪事というのは、ただのはったりだったのです。
一気に醒めたパブの客達は、
ハリーに協力してリンチに荷担したにも関わらず、
ハリー1人に責任を押しつけて姿を消します。
残ったのは変わり者の以前からのハリーの絞首人時代の手下の男で、
2人で男の死体の処理の算段を、
何か懐かしそうにするところで物語は終わります。

要するに最初に国家権力による、
冤罪の絞首刑が描かれ、
次に全く同じ冤罪の絞首刑が、
今度は民衆の自由意志により行われる様が描かれます。
国家権力による絞首刑は、
段取り良く10分くらいで終わり、
その一方で民衆による絞首刑は2時間が費やされます。
殆どの民衆はその責任を取らず、
全てがハリーとその部下1人に押しつけられるのは、
死刑が廃止されても変わることはなかったのです。

マクドナーらしい皮肉で深い死刑論だと思います。

このように構造的にはとても高いレベルで完成されているのに、
悪ふざけとも思えるような脇筋と、
緊張を巧みに崩すブラックな笑いや、
規格外れのろくでなし揃いの登場人物の造形などで、
そのバランスが常に脅かされるのが、
これもマクドナーの作品の魅力です。

この芝居はイギリスのパブの雰囲気が重要で、
英語のだじゃれのような台詞が多いので、
日本での翻訳上演は、
かなりハードルが高いのが実際です。

長塚圭史さんの演出は、
いつもながら感度の高い繊細で完成度の高いもので、
マクドナーの脱力的な部分は上手く残しながら、
観客に芝居の構造とテーマを、
伝えることに尽力した、
見応えのあるものでした。

セットの造形と美術は特に素晴らしいものだったと思います。
その一方でドタバタや暴力の部分は、
やや抑制的で破天荒さには欠けていたように思います。

今回はおそらくこの作品の日本初演ということもあって、
長塚さんとしては楷書での演出を心がけたのだと思うのですが、
次回は是非もっと羽目を外した感じの上演も、
試みて欲しいなと思いました。

この作品の魅力は単一ではないからです。

キャストは脇まで実力派が揃っていて、
ちょっと贅沢すぎるくらいのメンバーです。
主役のハリーを演じたのは田中哲司さんは、
すっかり最近は座長役者の風格がありますし、
その妻に秋山菜津子さん、娘に富田望生さん、
子分に宮崎吐夢さんとセンスの光る座組です。
要の謎の男を演じた大東駿介さんは、
なかなかの熱演ではあったのですが、
この役にはもっと初見での異様さが、
欲しかったと感じました。

正直マクドナー作品として、
代表作とは言えないと思いますし、
細部の処理には不満もあるのですが、
この面白い作品の日本初演としては、
その真価を充分に感じさせる優れた上演だと思います。

ご興味のある方は是非。
時間があればもう一回観たいのですが、
どうも無理なようです。
皆さんが代わりに観て頂ければと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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城山羊の会「自己紹介読本」(2018年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日までクリニックはゴールデンウィークの休診です。
明日からは通常通りの診療になります。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
自己紹介読本3.jpg
2016年の小劇場演劇で一番のお気に入りだった、
城山羊の会の「自己紹介読本」が、
三軒茶屋のシアタートラムに場所を移して、
4月の半ばに再演されました。

これについてはまずこちらをご覧下さい。
自己紹介読本2.jpg
チラシの裏面の一部ですが、
初演の時に書いたブログ記事の一部を、
今回引用して頂きました。

これまで演劇関係の記事で、
こうして使って頂けたのは初めてで、
とてもとても嬉しくて、
しばらくニヤニヤしてしまいました。

その縁で今回はご招待して頂いたので、
買ってあったチケットを妻用にして、
2人で今回の再演に出掛けました。

今回の再演は、
劇場は初演時よりかなり大きくなっていますが、
キャストは全く同じで、
ただの自己紹介から始まって、
予測不可能な展開を見せ、
ラストは異次元に観客をいざなってくれるのですが、
それでいて観終わって良く考えてみると、
オープニングに既に全てが終わっていたことが、
明らかになるという、
極めて技巧的で完成度の高い作品です。

それでいて、
全体のイメージは洒脱で軽く、
一種の艶笑奇談にもなっているという、
小劇場史上唯一無二の傑作なのです。

初演はもっと小空間で、
バックステージのかすかな声が漏れ聞こえて来るなど、
小空間ならではの趣向もあったので、
その点では今回は物足りなさも感じましたが、
その一方で今回はセットなど、
よりリアルな距離感で構築されていて、
この作品のまた別個の魅力が、
明らかになったと感じました。

次回の城山羊の会は、
また新作になるようですが、
楽しみに待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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月刊「根本宗子」第15号「紛れもなく私が真ん中の日」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は連休でクリニックは休診です。

祝日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ねもしゅー15号.jpg
小劇場マインドの塊のような根本宗子さんが、
今年初めての純然の新作公演を、
今浅草の九劇で上演中です。

「紛れもなく私が真ん中の日」と題されたこの新作は、
オーディションで選ばれた21人の女優さんが、
極めて緻密かつ奔放に演じる群像劇で、
根本さん自身は出演せず、
戯曲と演出に専念しています。

これは僕が観た根本さんの作品の中では、
間違いなく最も素晴らしい一本で、
小劇場の歴史に残ると言っても、
決して大袈裟ではないと思います。

見逃すと絶対に後悔するレベルのお芝居で、
ほぼ再演は不可能だと思いますし、
仮にしたとしても今回のようなフレッシュさは、
失われてしまうと思います。

掛け値なしの傑作ですので、
僕のことを信じて頂けるなら、
何を置いても是非劇場にお急ぎ下さい。
勿論好みというものはありますから、
全ての方が同じように感動するかは分かりませんが、
このお芝居が本当の本物であることだけは、
全ての方が感じて頂けると信じています。

以下内容に少し踏み込みます。
大きなネタバレはしませんが、
先入観なく鑑賞したい方は、
観終わった後にお読み下さい。

開場からポップな装飾のお屋敷と思しきような場所で、
10人以上の子供なのか少女なのか大人なのか、
良く分からないような女優さん達が、
思い思いに遊んでいる姿は、
何だかあまりに雑然としていて、
とても面白いお芝居になりそうには思えないのですが、
ところがどうしてどうして、
そこから緻密な群像劇が立ち上がると、
意外にも膨らみを持った物語は、
感動的なエンディングまで一気呵成に走り抜けます。

21人のキャストを過不足なく描き分けるだけでも超人的ですが、
物語が中段にさしかかる時には、
その全員が何か僕達の記憶の中に生きているような気分になり、
僕達の記憶の一部に入り込んでくるような錯覚に陥るのです。

そして感動的なラストでは、
根本さんの定番の趣向である、
過去の自分が現在の自分に呼びかけるという構図が、
より切実さを持って描かれ、
観客の誰もが一緒に同じことを呼びかけているような、
そんな錯覚にすら陥るのです。

切なく感動的で、
素晴らしいラストだったと思います。

中学生の「真ん中を目指す」というやり取りの中に、
大人の社会の縮図のようなものを描くという手法は、
昨年の三谷幸喜さんの「子供の事情」が意識されているように思います。
ただ、その風景が更に相対化されるという点では、
この作品は三谷さんの作品の更に上を行っていると思いますし、
そのいじめや格差、自意識過剰におぼれた世界へのシニカルな視線は、
より鋭く深い洞察に満ちていると思います。

更に僕がこの作品を好きなのは、
この作品が純然たる小劇場演劇のスタイルを守っていて、
かつてのアングラに通底する、
美意識をまた持っていると言う点にあります。
キャストのある種の異様さは、
寺山修司の見世物演劇を彷彿とさせる部分がありますし、
テンションの高い一人語りの呼吸は、
唐先生のテント芝居に繋がる息づかいを感じさせます。

つまり、根本さんの芝居は、
紛れもなく現在の芝居であり、
そこで語られる言葉は、
この社会の肉を斬り、
血を迸らせるところから発せられるものですが、
それでいて彼女の演劇DNAは、
深い部分でアングラの地下水脈に繋がっているのです。

役者を調教する演出も冴え渡っていて、
セット構成も、
対角線に倒れた柱が、
時間という断層を切り裂くというアイデアなど、
随所に天才を見せつけています。

唯一僕が不満なのは、
今のお芝居の常で説明過多なところで、
エリート少女の没落を、
侍女の台詞で説明してしまうのですが、
これは台詞自体不自然ですし、
暗示にとどめる程度で良かったように思いました。
ただ、これは昔の難解芝居好きの、
悪い癖かも知れません。
あまり明快に説明されると逆に醒めてしまうのです。
しかし、それを割り引いても、
この部分は流れが悪かったと思います。

ただ、そうした些細な瑕など問題にならないテンションで、
これだけ充実した内容が、
1時間半に濃縮されているのが素晴らしく、
これを観ると、
2時間を超えるダラダラ芝居の多くが、
ただの馬鹿の繰り言のようにしか感じられないのです。

ともかく、「観て!」としか言えない傑作で、
強く強くお薦めしたいと思います。

真面目に凄いですよ。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「ヘッダ・ガブラー」(2018年栗山民也演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ヘッダ・ガブラー.jpg
イプセンの名作「ヘッダ・ガブラー」が、
シス・カンパニーの賑々しいキャストと、
栗山民也さんの地味で暗い演出で上演されています。

イプセンは19世紀としては異様な感性を持った、
とても魅力的な劇作家ですが、
日本では「人形の家」が新劇の黎明期に取り上げられ、
自立する女性のシンボルのように、
その主人公が描かれたために、
お行儀の良いお芝居のように、
誤解されている感があります。

この「人形の家」からして、
実際にはかなりグロテスクで奇怪な作品で、
男女のドロドロとした愛憎が表現されているのですが、
今回上演されている「ヘッダ・ガブラー」は、
より複雑で変態的で奇怪で魅力的な作品です。

主人公のヘッダは高名な将軍の娘で社交界の花形でしたが、
平凡な学者を夫に選んでしまいます。
しかしそこにかつて自分が見限った若い学者が、
献身的な女性の助けで立ち直って現れます。

ヘッダは自分の選択が誤りであったことに苦悩し、
それを認めることを拒否して、
異様な妨害でかつての恋人を破滅させ、
自分も破滅への道を辿ります。

この物語の魅力は、
何と言っても主人公のヘッダの複雑な人格にあって、
特に自分がもたらした若い学者の死に様に、
自分の美意識に適うものがないことに絶望する、
という辺りの審美的な感覚に、
イプセンの天才を見る思いがあります。

キャストは主人公のヘッダを演じた寺島しのぶさんが、
時々朗読調になるのが難点ですが、
なかなかの座長芝居を見せてくれました。
美しくも尊大にも哀れにも見えるという、
その振幅の大きな差が魅力です。

夫役の小日向文世さんは、
その資質を活かした余裕のある快演で、
話のキーになる判事役の段田安則さんも、
なかなか渋く安定感のある芝居を見せてくれました。

そんな訳でなかなか充実した舞台だったのですが、
感心しなかったのが演出です。

栗山さんの演出は僕とは相性が悪くて、
良い時もあるのですが、
僕の観た多く舞台は鵜山仁さんほどではないですが、
地味で暗くて単調でイライラすることが多いのです。

残念ながら今回の舞台もそうでした。

比較的リアリズムの装置ですが、
高さが大きく引き延ばされていて、
単色の書き割りがただ上に伸びている、
という感じなので、
舞台に密度がなく安っぽい印象になってしまっています。
引っ越し公演の安手のオペラの舞台のようです。
これはもっとお金を掛けて細部の装飾などを、
緻密に再現するか、
そうでなければ舞台自体はもっと抽象化して、
個別の家具などで重みを演出するか、
どちらかにするべきではなかったでしょうか?
また、舞台の正面に階段があって、
その先が庭という体になって役者の出入りに使われているのですが、
そこのみがリアルな舞台から外れていて、
これも統一感がなく如何なものかと思いました。

照明も全体に暗くて、
特に舞台の最初を暗くするのは、
コクーンくらいの広さの劇場では、
遠くの観客に不親切なだけで、
大して効果はないので止めて欲しいと思いました。

舞台の中央に大きな鏡があり、
オープニングとラストにのみ、
その背後にヘッダの姿が浮かび上がります。

これも安手のオペラなどによくある趣向ですが、
ラストにヘッダがこめかみを銃で撃ち抜くのを、
イメージとして見せるのは、
駄目演出だと思いました。

その前にヘッダの陰謀で若い学者が死に、
その最後がヘッダの美意識に適うものであったかが、
台詞で議論され、
こめかみから心臓、そして陰部への暴発と、
幻想はめまぐるしく事実に打ち砕かれるのですが、
最後のヘッダの部分はこの死と呼応しているので、
それは言葉で語られるべきで、
実際に舞台に現れるべきではないと思います。
出すとしてももっと抽象的なイメージとして、
表現するべきではなかったでしょうか?

カーテンコールでは死んだ直後のヘッダが、
余韻を感じる間もなく、
すぐに舞台に出て来るのですが、
これもセンスがないと感じました。
ここは一呼吸置いて、
観客に主人公が死んだことを、
反芻してもらう必要があるからです。

今回の演出は、
申し訳ないのですがそんな感じで、
最初から最後まで駄目でした。

イプセンには他にも変態戯曲が沢山あり、
日本では殆ど上演されないものも多いので、
これからもイプセン劇の上演には、
なるべく足を運びたいと思っています。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ナイロン100℃「百年の秘密」(2018年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。

今日はこちら。
100年の秘密.jpg
今や現在を代表する小劇場と言って良い、
ナイロン100℃の25周年記念公演として、
2012年に初演された「百年の秘密」が再演されています。

これは初演版も観ていますが、
ケラとしてはかなりシリアスに振れた、
ワイルダーの「わが町」を思わせる大作で、
翻訳劇のパロディ的なところもあるのですが、
なかなか完成度の高い作品でした。

それをほぼ主要キャストは初演版のままに、
今回再演しています。

特に新しいことはしていないと思うのですが、
最初から最後まで抜群の安定感と完成度で、
今望みうる最高品質の小劇場芝居であることは間違いありません。

キャストは犬山イヌコ、峰村リエ、大倉孝二、萩原聖人の4人が抜群で、
初演の時は女性教師への少年期の破れた愛を引きずって、
悲劇的な結末に至る萩原聖人さんの物語に、
最も惹かれたのですが、
今回は「エデンの東」ばりの屈折した男ぶりの、
大倉孝二さんの芝居に一番感心しました。

峰村リエさんは個人的には、
一番好きと言っても良い女優さんですが、
今回の役柄は小児期の屈折が、
あまり大人になって以降に反映されていないような気がして、
初演の時と同様、
今回も釈然としない思いがありました。

個人的にはケラさんのこの系譜の作品としては、
「祈りと怪物」が最も好きで、
マジックリアリズム的な要素が、
もう少しあった方がよりケラさんの資質には、
合っているのではないかと思いますが、
この作品もアメリカ戯曲のパロディのようでありながら、
翻訳劇の名作に引けを取らない新たな世界を獲得していて、
ここまで優れた偽作的世界というのは、
三島由紀夫以来という表現をしても、
決して大袈裟ではないような思いもあったのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「PHOTOGRAPH51(フォトグラフ51)」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は色々あって遅い更新になりました。
午後の診療の合間に書いています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
フォトグラフ51.jpg
アメリカ人の劇作家により2008年に発表され、
2015年にイギリスで、
ニコール・キッドマン主演で初演されて、
大きな話題となった舞台が、
今板谷由夏さんの主演で上演されています。

何か批評家的な方が酷評をされていたので、
ああ、いつもの外国人演出家の失敗作という感じなのかな、
日本語のニュアンスが分からない変梃演出になってしまったのかな、
とあまり期待をしないで足を運んだのですが、
予想に反して非常に素晴らしい舞台で、
勿論物足りないところや、
日本語のニュアンスがぎくしゃくしたところはあるのですが、
知的で繊細で陰影に富んだ、
滋味のある素晴らしい戯曲だと思いましたし、
演出も的確かつ繊細でなかなかの技量です。
役者さんも皆頑張っていたと思います。
日本人の劇作家には、
はぼ書くことが出来ないタイプの戯曲で、
それだけでも日本で上演する値打ちはあったと思いました。

「取り返しのつかない過去」の象徴として、
シェイクスピアの「冬物語」が重要な役割で登場するのですが、
その批評家らしき方は、
引用がマッチしていない、と批判されていたのですが、
そんなことは全くないと思いますし、
それ以外は科学用語で埋め尽くされた台詞の中で、
叙情的な場面としてしっかり機能していましたし、
その深みのある対比にも感銘を受けたので、
まあ、感じ方は様々だなあ、と改めて思いました。

これは科学の歴史に興味のある方ならどなたもご存じの、
ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見にまつわる、
女性研究者のデータの不正入手スキャンダルを、
ほぼ史実に則って描いた作品です。

X線による物質の構造解析のエキスパートであった、
女性研究者ロザリンド・フランクリンの撮った、
遺伝子の構造に関わる画像とデータを、
ワトソンとクリックが「不正に」入手して、
それを元にして二重らせん構造の発見という業績に結び付きます。
ロザリンドはその発見に重要な貢献を、
彼女の意志とは無関係に、
科学の歴史においてはしているのですが、
その貢献は全く評価されることなく、
自身は研究による放射線被曝の影響も疑われる、
卵巣癌のために37歳で生涯を閉じます。

非常にドラマチックで陰影に富んだ実話で、
ワトソン博士がまあ悪役という感じにはなるのですが、
彼のこともギラギラとした出世欲が、
決して否定的にばかり描かれてはいませんし、
主人公のロザリンドも悲劇のヒロインという扱いではなく、
その他人を容易に寄せ付けず、
周囲に反感ばかりを募らせる人格も描きながら、
それでも魅力的な1人の女性として、
複雑な性格を合わせ鏡のように描いていました。

物語は主人公のロザリンドが、
研究のパートナーでもあり異性の上司でもある、
ウィルキンズ博士と、
お互いにひかれ合う気持ちはありながら、
仕事のパートナーとしても、
個人的な関係としても、
結果的に良い関係を持つことが出来ず、
何ら実際的な交流を持つことなく人生の別れを迎える、
という2人の関係を縦軸として、
ノーベル賞に向けて仁義なき競争に明け暮れる、
研究という修羅場がリアルに描かれます。

僕も以前は大学で研究をしていて、
留学した先輩などから、
ノーベル賞に向け最先端の研究者が、
何でもありの激しい競争に身をおいている様は、
聞いて知ってはいたので、
かなりリアルにその辺りのやり取りが、
説得力を持って描かれていることに感心しました。

こうした点はただ、
知らない人には分かりにくいかも知れません。

戯曲の言葉はかなりの翻訳調の文体で、
最初は確かにそのことに違和感があるのですが、
耳慣れて来ると、
文学的なニュアンスを大切にするために、
敢えてそうした手法をの取ったのだと理解出来ました。
こうした戯曲の言葉は、
必ずしも自然な口語の方が良いという訳ではなく、
より詩的なニュアンスが必要なのです。

演出は非常に繊細で質の高いものでした。
シンプルなセットですが、
研究機器や構造モデルなどの小道具はリアルなものを用意して、
場の変化が巧みに表現されていましたし、
主人公の他者に対して固く閉ざされた心の一番奥のところに、
幼少期の両親と登った登山の情景と、
自然の形に対する憧憬、
更にはそこに親への切ないくらいの情愛が、
潜んでいるのですが、
抽象的な舞台がその情景を、
これも巧みに具現化していました。
抑制的な表現ですが、
後半の「冬物語」の部分には、
静かな感動があったと思います。

キャストもなかなか頑張っていました。
初演のロザリンドがニコール・キッドマンですから、
これはさぞかし「氷の女」の風情で素晴らしかったろう、
登場するだけで舞台の空気は一変しただろう、
などと誰でも考えてしまうので、
板谷由夏さんもさぞかしプレッシャーだったろうと思いますが、
なかなかどうして、
キッドマンとは全く違う形で、
彼女なりのロザリンド像を造形していて見応えがありました。
支える男性キャストも、
役を掘り下げて芝居をしていることが分かるので、
技巧的には差はあっても、
良いアンサンブルを奏でていたと思います。

そんな訳で翻訳劇の舞台としては、
今年最も感心した1本で、
題材が特殊なので入り込めない方もいると思うのですが、
個人的にはとても楽しめる舞台でした。

お薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「悪人」(台本・演出合津直枝) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

朝からレセプト作業をしていて、
午後は上野の「ローエングリン」に参戦する予定です。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
悪人.jpg
吉田修一さん原作の「悪人」を、
合津直枝さんが朗読形式に近い2人芝居に構成し、
美波さんと中村蒼さんが出演した舞台に足を運びました。

「悪人」は原作も読みましたし、
2010年の映画版も観ました。

原作は群像劇のような色彩が強くて、
映画ではヒロインとなっている、
深津絵里さんが演じる光代は、
原作では半ばくらいにようやく登場します。

ただ、映画版はそれを妻夫木聡さん演じる祐一と、
深津絵里さんの逃避行にかなり絞って描いていて、
映画としてはそれが成功していたと思います。

原作を読んだ時は全くそうは思いませんでしたが、
映画を観た時にはつかこうへいの「熱海殺人事件」との相似を感じました。

また深津絵里さんが抜群だったので、
印象としては他が消えてしまったという感じがありました。

今回の舞台は美波さんが光代を演じ、
中村蒼さんが祐一を演じる2人芝居で、
背後にモニュメント的なセメントの塔がある以外は、
セットは何もなく、
光代と祐一の出会いから物語は始まって、
祐一の独白として殺人の顛末は語られ、
ラストは他の関係者が祐一と光代に宛てた手紙を、
交互に読むという形で終わります。

その手紙の中に、
「あの人は悪人だったんですよね」
という原作でも映画でも決めになる台詞が入り、
映画ではカットされていた、
光代がバスジャックされるバスに直前で乗らなかった、
という話や、
祐一が付き合った風俗嬢に、
お弁当を作る話などが入っています。

中村蒼さんは原作に合ったビジュアルと雰囲気で、
映画の妻夫木さんより祐一という役には、
合っているという感じがしました。
ただ、抑えた芝居で終わってしまうので、
もっと演劇的な見せ場があると良かったのに、
と言うようには感じました。

一方の美波さんは情緒的な熱演で、
なかなか良い芝居だったと思います。
ただ、正直魅力という意味では、
映画の深津絵里さんにはかないませんでした。

演出はシンプルな「文学と演劇の間くらいの舞台」
という趣向だと思うので、
その意味では悪くなかったと思います。

ただ、この物語は充分「熱海殺人事件」として成立するので、
もっと爆発的な感じがあっても良いし、
もっと演劇に大きく振れても良かったのではないか、
というように感じました。

祐一が光代の首を絞めるところで、
もっと大々的に泣かせの長台詞を入れて、
最後絶叫調になって音効をガンガン盛り上げても、
おかしくはないと思いますし、
そこまでしなくても、
もっと演劇にして欲しかったな、
というのが正直な思いでした。

これは2人芝居のシリーズのようですが、
ちょっとタレントさんのお稽古的な感じになっていて、
それを超えようという熱意を、
あまり感じない企画であることは少し残念でした。

ただ、原作はリスペクトされていて、
変な改変などはないので、
その意味では原作のファンには、
嫌な思いはさせずに、
思い出を反芻出来るような作品にはなっていたと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごしください。

石原がお送りしました。
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劇団☆新感線「修羅天魔~髑髏城の七人 Season極」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が診療を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
修羅天魔.jpg
晴海市場前のIHIステージアラウンド東京で、
劇団☆新幹線の新作公演に足を運びました。

昨年から1年以上にわたって、
「髑髏城の七人」の複数のバージョンが、
多彩なキャストで上演されていますが、
花、鳥、風、月という4つのパターンが終了した後で、
「極」として新たにほぼ新作と言って良い作品が作られ、
今上演が行われています。

この「極」の後は、
これも旧作の「メタルマクベス」がまた、
幾つかのパターンで上演を繰り返すことになるようです。

この客席が回転するというキャパ2000人の大劇場は、
通常にはない広角の舞台と、
舞台を横にスライドさせる代わりに、
客席が動くことによって、
スムースな舞台転換が可能となる点に特徴があります。

ただ、キャパの割にかなり舞台は遠い感じとなって、
臨場感は乏しくなってしまうことと、
舞台の奥行があまり取れないので、
平面的な印象になってしまうという、
欠点もまたあるように思います。

今回で開幕以来5つ目の演出となり、
僕はそのうちの「花」と「風」と「極」という、
3パターンを観たことになりますが、
基本的な舞台セットの構造は、
変わっていなかったので、
今のところ集客は好調のようですが、
お客さんが一巡してからどのくらい戻って来るのかは、
ちょっと微妙な感じもします。

今回の舞台は天海祐希さんと古田新太さんの、
がっぷり4つの共演が売り物で、
天海祐希さんの堂々たる座長芝居などは、
矢張り素晴らしいとは思うのですが、
正直2人以外のキャストは大分小粒な感じは否めません。
かつての新感線は毎回オールスターキャスト、
という感じが売りであったのですが、
今回のようにバージョンを変えつつのロングラン、
ということになると、
公演毎に集客の目玉となるキャストを揃え、
それがあまり重ならないように調整するので、
どうしても層は薄い感じの座組になるのが苦しいところです。

この「髑髏城の七人」は面白い芝居だと思いますが、
ここまで沢山のパターンが上演されると、
もう何が何やら分からないという感じもあります。

基本的にはシリアスな物語構造なのですが、
敵の天魔王は強そうなのに、
その部下はおバカなキャラばかりというのが、
いつもどうも違和感があります。
徳川と天魔王の部隊の激突、
というような趣向にしては、
それぞれの人数は10人もいないくらいなので、
この劇場を埋めるという感じにはならず、
どうしても隙間風が吹くような戦闘シーンになる、
というのが切ないところです。

一度くらいは100人超くらいのエキストラを使って、
大々的な活劇を見せて欲しいと思いますが、
無理なのでしょうか。

さて、今回の「修羅天魔」は天海祐希の極楽大夫が主役で、
剣の活劇ではなく銃の名手であるという点や、
天魔王が信長の影武者であるだけではなく、
信長自身かも知れないということから、
本能寺以前の場面もあるという点、
ラストに天魔王が家康の本陣に斬り込む、
という場面が用意されている点などが、
これまでのシリーズとはだいぶ様相を異にしていて、
ストーリーもよりシリアスになっています。

従って、これはこれで面白いのですが、
シリアスさが前面に立つ分、
本物の信長かも知れない天魔王の部下が、
コミカルなおバカキャラ揃い、
というのがバランスを欠いていました。

極楽大夫が遠方から銃で天魔王を狙う場面を、
非常に広角の横長に見せる趣向など、
回転劇場ならではの面白い趣向もありましたが、
総じて消化不良の部分も多く、
この作品の決定版というより、
1つの変奏曲という感じの作品になっていました。

劇団☆新幹線の奮闘には本当に頭が下がりますが、
この劇場を使い続けることが本当に新感線にとって良いことなのか、
ただ疲弊してしまうだけではないのか、
ちょっと危惧を覚えるような思いもあったのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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