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野田秀樹「贋作 桜の森の満開の下」(2018年NODA・MAP第22回公演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
桜の森の満開の下.jpg
NODA・MAPの第22回公演として、
遊眠社時代の後期に初演された、
「贋作 桜の森の満開の下」が再演されました。

この作品は坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を原作に、
国造りの神話を描いたもので、
「野田版国性爺合戦」と共に、
野田さんの世界が歴史物に近い世界に変化してゆく、
きっかけともなったお芝居です。
坂口安吾作品と共に、
手塚治虫の「火の鳥鳳凰編」の影響が顕著で、
両腕を切り落とされる火の鳥の主人公の仏師と、
耳男とが合体した時に、
この作品の骨組みが誕生したように推察されます。

初演とその2年後の再演では、
毬谷友子さんが客演していて、
基本的には毬谷さんが夜長姫のイメージとなっています。
2001年に新国立劇場で再演されていて、
この時は今回と同じ深津絵里さんが、
夜長姫を演じています。

その後歌舞伎版が作られて上演され、
今回がオリジナルの17年ぶりの再演、
ということになります。

この作品は初演の時から、
遊眠社のメインキャストは出演していないなど、
プロデュース公演に近い感じの作品でした。
ヒロインが客演の毬谷さんですから、
それほど動ける人ではないので、
いつものドタバタとは一線を画していて、
今にして思うと、
NODA・MAP時代を先触れしていたようにも思います。

正邪2つの顔を持つヒロインに、
主人公の異能の男が翻弄されるという筋立ては、
「走れメルス」にも共通していて、
その屈折と鬼女と化したヒロインを殺してしまう、
という瞬間の静寂が、
野田さんの劇作のおそらく根幹にある感情的な本質です。

ただ、この作品の弱点は、
大和朝廷誕生の政治的な物語と、
主人公2人の屈折した恋愛模様とが、
必ずしも一体化して進行していないことで、
明確な対立関係や段取りなしに、
主人公2人が森を逃げて終わりというのが、
何となく物足りなく感じられます。
「走れメルス」では多重世界の崩壊の引き金が、
少女の嘘と下着泥棒の屈折によって引き起こされるので、
その点はがっちりリンクしていたのですが、
この芝居の王朝絵巻は、
耳男と夜長姫の背景にしか過ぎないものになっているからです。
「桜の森」とは何だったのでしょうか?
それが耳男の心の中でしか意味を持っていない、
と言う点が作品を弱くしているように思うのです。

今回の上演は花吹雪の中での鬼女と耳男の対決など、
ビジュアルの美しさは圧倒的に素晴らしかったのですが、
物語の語り口がゴタゴタしていて、
せっかく明晰なストーリーが、
しっかりと観客に届かないきらいがありました。
最初の耳男と名人のやり取りの切り返しの面白さなど、
かつての遊眠社的なメリハリが皆無であったことは、
仕方のないこととは言え残念には感じました

耳男は今回は妻夫木聡さんでしたが、
この役は野田さん以外の役者さんが演じると、
元々分裂症的なので、
一貫した人格として感じられないのが欠点です。
深津絵里さんは勿論抜群ですが、
正直2001年版の方が凄みがあったように思います。
マナコに古田新太さん、オオアマに天海祐希さんと、
とても豪華なキャストですが、
天海さんはさすがにこの役では、
勿体ないと感じました。
秋山菜津子さんのハンニャや門脇麦さんの早寝姫というのも、
とても勿体ない感じで、
もう少し適材適所であったも良かったように感じました。
豪華であれば良いというものではないからです。

そんな訳で個人的にはそれほど乗れなかったのですが、
野田さんの代表作の1つで、
その細部のクオリティの高さを含めて、
一度観ておかないのはとても勿体ないと、
そう言って間違いのないお芝居ではあります。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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宅間孝行「あいあい傘」(タクフェス第6弾) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後は石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
あいあい傘.jpg
タクフェスは宅間孝行さんのプロデュースユニットで、
現在は主に宅間さんが過去の東京セレソンデラックスで上演したお芝居を、
毎年1から2本多彩なキャストで上演する、
というスタイルが確立されています。

開演前には宅間さんやゲストのサイン会、
物販のじゃんけん大会などがあり、
終演後にはオリジナルのテーマ曲を、
キャスト全員が振り付けで踊り、
一部は写メもOKというようなサービスが、
毎回用意されているのがお楽しみです。

セレソンが解散した2012年以降、
上演されたタクフェスの作品はほぼ全て観ているのですが、
あまり感想を書いていないのは、
個人的には乗り切れない作品が多かったためです。

宅間さんの作品は、
シンプルなクライマックスに落とし込むまでの前半が、
いつも人物関係が複雑であまり目立った事件が起こらず、
単調に流れる傾向があるので、
本筋になる前に疲れてしまい、
クリアな頭でクライマックスまで達することが、
難しかったのが実際でした。

いつも年長の役者さんが1人はいて、
宅間さんとの長い絡みがあり、
そこで一種のアドリブ合戦が展開されるのですが、
そこでグズグズになったテンポが、
その後も後をひいてしまって、
メリハリのない舞台になることも難点でした。

ただ、今回の作品は内容もシンプルで、
人物関係もかなり整理されているので観やすく、
今回ゲストのにぎやかしのモト冬樹さんは、
宅間さんとのアドリブの呼吸も良かったですし、
何よりスムースにシリアスに入る呼吸があったので、
物語に素直に入り込むことが出来ました。

宅間さんの役はもろ寅さんというテキ屋で、
こうした芝居は抜群ですから、
安定して楽しむことが出来ます。

クライマックスは素直に泣けましたし、
そこに焦点を当てたセットと夜店の美しい照明も効果的でした。

そんな訳で今回はタクフェス以降の宅間さんの舞台の中では、
最も楽しむことが出来ました。

これからも頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ショーン・オケイシー「銀杯」(森新太郎演出) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
銀杯.jpg
アイルランドの劇作家ショーン・オケイシーが、
1928年に発表した戯曲が、
森新太郎さんの演出により、
今世田谷パブリックシアターで上演されています。

その初日に足を運びました。

森さんは現在、
翻訳劇の演出家としては日本一だと、
個人的には思っています。

原作に忠実で台詞も恣意的なカットをしませんし、
原作の意図を巧みに今の日本の観客に、
伝えるようなレトリックを持っています。
変な読み替え演出はしませんが、
細部には現代的なセンスが光っています。
役者に無理な芝居をさせないのも好印象ですし、
セットや美術、衣装などの水準も、
いつも非常に高いのです。
何より舞台が色彩豊かで美しく、
この点は地味で暗い雰囲気の舞台が多い、
同年代の他の演出家との明らかな違いです。

ただ、作品の選択はかなりマニアックなもので、
「とてもこんな作品は翻訳して上演しても面白くならないよ」
と思えるような日本の観客向きではない作品を、
敢えて挑戦的に取り上げるようなところがあります。

僕は正直、
もう少し一般受けのする作品も、
上演して欲しいな、というようには思うところです。

今回の作品選択も相当マニアックなもので、
ガチガチの社会変革論者でアイルランド人の劇作家が、
第一次大戦の戦後間もない時期に、
そこに英軍として従軍したアイルランド人の若者の悲劇を、
扱った作品です。

日本人として今取り上げる意義は、
当然ある作品ではあるのですが、
内容は暗くて救いがありませんし、
何より時代背景はわかりにくいのに、
本編には説明がありません。
主人公の青年は戦争で下肢の自由を失い、
恋人も友人もすべてをなくしてしまいますが、
作品の中では屈折して恨みをぶつけるだけで、
光を失ったままに幕が下ります。

形式としては歌芝居で、
同年代に活躍したブレヒトに近いスタイルです。

森さんの演出はこの作品のテーマをくみ取りながら、
意図的に華やかさを重視して演出していて、
1幕の元気な主人公の場面は町の人との合唱が楽しく、
2幕の戦場はマペットを文楽スタイルで操る人形劇のスタイルですが、
ここも人形の衣装など色彩があふれています。
3幕の戦後も華やかなパーティーが背景にあり、
場面の明るさが作品の暗さとバランスをとっています。

この地味で重い作品を、
ここまでストレスなく見せきるのは、
森さんならではの技量だと思います。

役者は皆好演で、
暗いだけの主人公に華のある中山優馬さんを配して、
その暗さへの反発を和らげ、
この規模の舞台では珍しいほど、
歌と踊りのアンサンブルに多くの人数を使っているので、
その点も森さんのセンスを感じました。

僕の大学時代の先輩の青山勝さんも出演されていましたが、
山本亨さんとのタッグで、
「ダブリン市民」をそれらしく演じていて味がありました。

トータルには重くて暗くて地味な芝居なので、
一般向けとは言えないのですが、
上演の意義は十分にあったと思いますし、
森新太郎さんならではの演出が、
楽しめる芝居ではあったと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんもよい休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「ゴキブリコンビナートの見世物ナイト」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
見世物ナイト.jpg
日本最後のアングラ劇団ゴキブリコンビナートは、
日本最後の見世物小屋興行も、
同時に委託され行っているのですが、
その前夜祭的な企画として、
阿佐ヶ谷ロフトAで「見世物ナイト」と題する公演が、
10月28日に一夜限りで行われました。

こうしたものが恥ずかしながら大好物なので、
頑張って出掛けて来ました。

内容は7時開演の9時半頃終演で、
まず障碍者バンドのスーパー猛毒ちんどんのギグが、
30分ほどあり、
その後で見世物小屋とほぼ同じ演目が、
以前花園神社で観た時より、
じっくりと時間を取って上演されます。

まず鼻と口を鎖で繋ぐ小ネタがあって、
強靱な身体を持つ原人の荒技があり、
狂ったOLが皮膚にホチキスを刺しまくる芸があり、
Drエクアドルさんが串刺しの名人として登場して、
あっと言う間に長い鉄串で頬を貫通させます。
トリはお馴染みゲジゲジみたいな虫が大好物のヤモリ女で、
言うことを聞かずにいつもの3倍は暴れまくり、
美しい段取りで生きた虫を食べまくります。

もう1つエクアドルさんの新作芸として、
細いゴムのカテーテルを、
素っ裸になって尿道に差し込むというものがあったのですが、
おそらく膀胱までは挿入して、
男の潮吹きのようなものをお見せになるつもりであったようですが、
10分近く悪戦苦闘するも挿入は出来ず、
残念な結果に終わっていました。

多分前立腺に引っかかったのではないかと思います。
エクアドルさんもそうしたお年にさしかかったのでしょうが、
緊張すると前立腺が収縮して尿道が閉まり、
そこでカテーテルが跳ね返されてしまうのです。
医療者なら誰でも経験のあるところです。
舞台に上がってお手伝いをしてあげたくなったのですが、
勿論思い直して何もせず見守っていました。

その後、D-Stageという、
BMIが35以上はありそうな体格の良い女性3人組の、
バーレスクがあって、
その後にゴキブリコンビナートのミニミュージカルがあり、
ラストはエクアドルさんを含む3人が、
串刺しで繋がる「団子三兄弟」で締めくくられます。

盛りだくさんの内容で、
変化に富んだ構成も良く、
なかなか楽しめました。
演劇ファンとしては、
こうしたイベントも良いのですが、
もっと演劇に傾斜した過激で前衛的な舞台も、
また観たいと思います。

そうした期待の持てる現役の劇団は、
もうゴキブリコンビナート以外には存在しないからです。

それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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KERA・MAP「修道女たち」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
朝から東京国立博物館の特別展を覗いて、
今戻って来たところです。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ケラ修道女たち.jpg
ケラさんのナイロン100℃とは別の企画公演、
KERA・MAPの第8回公演として、
6人の個性的な女優さんが、
架空の宗教の修道女を演じる新作公演に足を運びました。

ケラさんは多くのスタイルの芝居を書いていますが、
今回の作品はかなりシリアスに寄ったもので、
ナイロン100℃が上演した「消失」辺りに似たスタイルです。

ユニヴァーサル映画の、
フランシュタインやドラキュラものの舞台となっているような、
ヨーロッパらしき中世の田舎町で、
キリスト教に似た現地では異端の宗教の修道女達が、
迫害され命を狙われています。
葡萄酒に入れられた毒物のために、
47人の修道女のうち43人が殺されたところから、
物語は始まり、
何故か入信を希望した母娘の2人を含む6人の修道女に、
修道女希望の村娘と、
村の男が絡み、
雪に閉ざされた教会の中で、
死の間際の人間ドラマが展開されます。

例によってケラさんがこの作品の、
何処に面白さを抱いているのか、
観客に何を感じ取ってもらいたいのか、
なかなか図りがたいところもあるのですが、
舞台装置、音響、美術、映像といった、
舞台効果のクオリティは文句なく高く、
役者さんの芝居もアンサンブルを含めて抜群なので、
今回も有無を言わさず見せられてしまう、
という感じのお芝居です。

特にオープニングのプロジェクションマッピングと、
舞台セットのディテールの完成度は、
ケラさんの多くの舞台の中でも、
特筆すべきレベルのものであったと思います。

物語自体はほぼひねりのないもので、
悲劇的な状況が説明されるだけで、
その原因も背景も明らかにはされません。
ラストにはある種の救いが用意されているのですが、
画竜点睛を欠くという感じがしないでもありません。
ただ、舞台効果はなかなかで、
ちょっとほっとするような気分にもなりますから、
構成としてはこれで良いのだと思います。

ケラさんの作品としては、
新しい路線の習作的な感じものので、
これで完成されているということではないのだと思います。
これはこれとして、まだ今後の発展型を期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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カミュ「誤解」(新国立劇場レパートリー) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
カミュ誤解.jpg
新国立劇場の演劇のレパートリーとして、
カミュの「誤解」が上演されています。
その舞台に足を運びました。

これはちょっと困りました。

文学作品としては確かに名作とは思うのです。
ただ、その作品の書かれた時代背景というものもありますし、
今まともに上演して、
面白いと思える作品にするのは、
非常に難しいという感じがします。

そして、結果として、
面白い舞台にはなっていませんでした。

内容はある暗い国の宿屋に母親と娘がいて、
明るい別の国へ行く旅費を貯めるために、
宿泊客を殺して金を奪うことを繰り返しているのですが、
ある時殺してしまった青年は、
実は20年前に生き別れた娘の兄で母親の息子だったのです。
それを知って母親は自分も自死しますが、
生き残った娘は青年の妻に呪いの言葉を投げかけ、
何処かに去って行きます。
もう1人何も言わない召使いの老人が登場するのですが、
ラストで救いを求める青年の妻に対して、
一言「駄目だ!」と言い放ちます。
それでお終い。

ストーリーは非常に古典的な因縁話です。
日本であれば歌舞伎を思い出しますし、
鬼子母神のお話なども想起されます。
欧米ではギリシャ悲劇を連想するところで、
知らないで父親を殺し、母親と寝る、
というような悲劇の焼き直しです。
最後に一言しか発しない老召使いは、
勿論神様の比喩になっています。

ただ、勿論カミュがこの作品を戦時中に執筆した意味は、
ギリシャ悲劇そのものがやりたかったのではなく、
暗い国で登場人物が皆、
それぞれにやり方で必死に生き、
幸福を求めていながら、
それが全て最悪の結果に至る、
という現代に通底する不毛さを、
そうした構造で浮かび上がらせたかったのだと思います。

現在でも勿論、
そうした不条理は形を変えて、
今の人間を苦しめているとは思います。
ただ、それはおそらく、
この物語に描かれているような形ではないので、
この作品を現代に響く物にすることは、
そうたやすい作業ではないように思います。

そこで演出ということになるのですが、
個人的には落第点と感じました。

この新国立劇場の小劇場は、
キャパの割に舞台は大きくて、
今回はそれを大きな戸板を並べた素舞台にしています。
そこに緞帳のようにも見え、巨大な船の帆のようにも見える、
大きな白い布を装置として配して、
ある時はそれが部屋の壁になり、
ある時は翻って海を表現します。
装置はそれ以外に椅子とベッドがあるだけです。
原作は3幕でそれも複数の場に分かれていますが、
この上演では布の装置と照明の変化を付けるだけで、
幕間はなく連続して上演しています。

物語が抽象的なので舞台を抽象化した、
という意図は分かります。

しかし、これでは全体があまりに単調に流れてしまいますし、
原作では被害者を海に沈めるような場面は描かれておらず、
登場人物が部屋を去るだけであるのに、
この演出では布が翻り、
青い照明が海を表現して、
そこに人物が去って行く、という描かれ方をしているので、
逆に何が起こったのかが分かりません。
青年も母親も娘も、
同じように去って行くので、
その違いが分からないというのが、
この演出の最大の欠点です。

そもそもこうした抽象的な物語であるからこそ、
舞台装置はリアルで即物的な方が、
その効果を挙げるには有効なのではないでしょうか?

素舞台で朗々と登場人物が恨み節の独白を続けるのでは、
ギリシャ悲劇と何ら変わらないことになってしまいます。
抽象を具象にしたのが作品の本質なのに、
それを抽象に戻しては意味がないのではないでしょうか?

典型的な頭でっかちの駄目演出と感じました。

役者さんの演技も、
原田美枝子さんにしても、
小島聖さんにしても、
もっとリアルで肉感的な芝居の出来る人なのに、
変な絶叫を交えた、
ギリシャ悲劇もどきの演技をさせて、
その個性を奪っている感じがしたのが、
これも演出の凡庸さを示していると思います。

思えばこうした欧米の前衛劇を、
鮮やかに日本の土壌に移し替えたのが別役実さんで、
彼の「病気」という作品では、
この「誤解」と全く同じように、
最後に唐突に神が出現して、
主人公を一言罵倒して終わり、
というラストに至ります。

この作品を観て思うことは、
確かにお勉強としては、
こうした作品を上演することにも、
一定の学術的意味があると思いますが、
その意味するところを現代の観客に伝えるには、
別役さんの芝居を上演した方が、
100倍良く伝わるように感じました。

カミュの原作を深く知ることが出来たのは良かったのですが、
観劇自体は残念ながら時間の無駄でした。
関係各位には失礼な言い方をお許し頂きたいのですが、
これが正直な感想です。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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唐十郎「黄金バット~幻想教師出現~」(唐組・第62回公演) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
黄金バット.jpg
唐組の第62回公演として、
状況劇場の終わり近くの1981年に初演された戯曲が、
唐先生自身の関わる舞台としては、
37年ぶりに再演されました。

初演の時は高校生で、
神保町の書泉グランデでポスターを見て、
観に行こうかどうしようかと、
迷ったことを覚えています。
でも結局は行きませんでした。
僕の状況劇場の初体験はその翌年の「二都物語」の再演です。

2014年に初期の唐組のメンバーが多く在籍する劇団、
オルガン・ヴィトーでテント芝居として上演されていて、
僕はその時に一度観ています。
その時の舞台は原作をかなり改変していて、
セットや美術も貧相なものでしたが、
原作の持つかなり特異でダークな雰囲気は、
しっかりと感じることが出来ました。

この芝居は唐先生の多くの戯曲の中でも、
そのグロテスクさや暗い情念、
ヒロインの造形の複雑な危うさのような物で際立っています。

代表作とは言えないのですが、
ある種の爛熟味というのか、
状況劇場の後半、非常に内省的な時期の、
他にはない暗い魅力があるのです。

今回の唐組による上演は、
久保井研さんと唐先生のコラボによる演出が、
原作の戯曲をオリジナル通りに、
繊細に立ち上がらせているのが素晴らしく、
舞台装置も美術も音効も、
全体にやや小粒な感じは否めないのですが、
完成度が高く原作に忠実に再現されていて、
アングラの精髄を感じることが出来ました。

今回は唐組としては非常に舞台も大仕掛けで、
ラストには外のポールを使った宙乗りがあり、
小ぶりながらモグラタンクもしっかりと登場します。
屋体崩しのタイミングも、
小気味よいほどの素晴らしさです。
多分唐先生の舞台でこうした宙乗りなどの仕掛けが登場するのは、
30年以上ぶりだと思います。
これにはとても感動しました。

役者陣は、勿論ヒロインの藤井由紀さんを含めて、
唐組の生え抜きが頑張っていましたし、
客演も内野智さんに月船さららさんといぶし銀のセンスです。
特に狂気の女教師を演じた、
月船さんの怪演が素晴らしく、
この舞台をワンランク上のものにしていました。
また、初演では唐先生自身が演じたかまいたち役の岡田悟一さんが、
熟練した唐芝居独自の悪党を、
惚れ惚れとする質感で演じていました。
こちらも拍手喝采の出来映えです。

客席はかなりシルバー度の高いものでしたが、
アングラ芝居の精髄を蘇らせて後世に伝えるような希有の舞台で、
シルバー世代に独占させておくのは勿体ないと思います。
是非幅広い世代の皆さんに観て頂きたいですし、
「これぞアングラ!」というある種の演劇的奇跡を、
その目に焼き付けて頂きたいと思います。

昔を知る者としては、
全体にちょっと小粒ですけれど、
でも素晴らしいです。

アングラ好きの方には必見です。
楽しいですよ。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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前川知大「ゲゲゲの先生へ」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ゲゲゲの先生へ.jpg
イキウメの前川知大さんと、
佐々木蔵之介さんがタッグを組んで、
水木しげるさんの世界に想を得た新作舞台が、
今池袋の芸術劇場で上演されています。

これは前川さんらしい奇想が活きた舞台で、
舞台効果もまずまずで面白く鑑賞しました。

ただ、平成60年という舞台の設定と、
そこに展開される安っぽい現代社会批判のようなものが、
何か脳天気過ぎる感じがして、
その点はかなり不満でした。
もっとも、今の演劇作品の大半は、
そうした世界観を共有しているようです。
何となく、芝居を観るのもうんざりする今日この頃です。

以下ネタバレを含む感想です。
ただ、結構踏み込んだ内容が、
特設サイトなどでは記載をされていて、
格別それを超えた意外な展開などはないので、
内容は知った上で鑑賞しても、
そう大きな問題はなさそうです。

舞台は平成60年で、
子供が生まれなくなって日本の人口は激減し、
人間は殆ど都市に住んで、
田舎は自然の支配する世界となっています。
しかも都会で生まれた子供は、
魂のない「フガフガ病」となってしまいます。
都市は怪しげな市長に支配され、
一般住民は管理されて貧しい暮らしをしています。

主人公は佐々木蔵之介さん演じる根津で、
彼は半妖怪のかつてのねずみ男です。
そこに逃げてきた市長の娘と青年のカップルに、
久しぶりに眠りを覚まされた主人公は、
自分の生い立ちを思い出して懐かしみ、
崩壊しつつある人間社会に、
久しぶりに介入することになるのです。

水木しげるさんの世界を再現するのに、
主人公にねずみ男を持ってくる、
という辺りが前川さんらしい発想です。
妖怪というのは人間が気配を感じる世界でのみ存在出来る、
という哲学的な定義も前川さんならでは、
という気がします。
妖怪は人間とは別の存在ですが、
人間がその存在を感じなくなると、
その存在自体も消滅してしまうのです。

儚げに登場する妖怪を、
白石加代子さんや松雪泰子さんが、
それらしく情緒たっぷりに演じるのも魅力です。

ただ、この作品は設定を平成60年に設定していて、
勿論平成はもう31年で終わることが確定しているので、
分かった上での設定ではあるのですが、
出生数が激減して田舎は存在しなくなっても、
そのまま平成60年まで日本が存続している、
というある種脳天気な発想が信じがたくて、
そんな訳がないじゃん、と脱力する気分になります。

平成60年になっても一部の権力者が国民を搾取し管理していて、
その世界が成り立っているという考えそのものが、
僕にはとてもナンセンスに思えますし、
原因不明の「フガフガ病」の治療のために、
悪い病院の院長が、
生きた赤児に人体実験をして殺してしまい、
その母親の怨霊が怪物となって暴れ回る、
というような発想の貧困さはどうでしょうか?
僕は医療者の端くれなので、
こうした「権力にこびた悪い医者像」のようなものには、
その薄っぺらさに本当にうんざりしてしまいます。

こうした薄っぺらな未来を想像するのは、
本当にあり得る未来の悲惨さから、
目を背けたいという願望がその主な原因と思いますが、
こうした結果になるのであれば、
未来を舞台にするのは止めて欲しい、
というのが正直な感想です。

前川さんは「太陽」などの諸作で、
想像力を駆使した「あり得ない、しかしリアルな未来」を、
幾つもこれまで創造してきた作家ですが、
その名手をしてこんな結果になるのですから、
真の絶望というものは、
創造力すら腐らせてしまうものなのかも知れません。

この作品には「ゲゲゲの鬼太郎」は出て来ず、
その存在について主人公が一言触れるだけですが、
せっかくですから鬼太郎の未来のようなものも、
表現して欲しかったな、とは思いました。

今回は前川さんの作品としては見やすいお芝居で、
半妖怪と妖怪や精霊の佇まいのようなものが、
手練れの役者さんによって、
なかなか情緒的かつ魅力的に描かれていて、
その点はこれまでの前川作品にない良さを感じました。

内容には不満もあるのですが、
前川さんらしいちょっとひねった妖怪譚として、
一見の価値はある舞台に仕上がっていたと思います。

それでは今日はこのくらいで、

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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劇団チョコレートケーキ「ドキュメンタリー」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ドキュメンタリー.jpg
社会派の作風で緻密な舞台を上演し続けている、
劇団チョコレートケーキの新作公演が、
本日まで下北沢の楽園で上演されています。

これは11月に「遺産」という公演が予定されていて、
その2つの作品が交互に影響し合う、
という構成になっているようです。

この「ドキュメンタリー」は、
薬害エイズ事件を扱ったもので、
上演時間は85分ほど、
チョコレートケーキの劇団員である、
西尾友樹さん、浅井伸治さん、岡本篤さんによる、
3人芝居のスタイルです。

西尾さんが狂言回し的にフリーのジャーナリストを演じ、
浅井伸治さんがミドリ十字(劇中ではグリーン製薬)のMRを、
岡本篤さんがかつてミドリ十字に関わっていた小児科医を演じます。

メインはその小児科医の懺悔のような告白にあり、
観客と共に残りの2人のキャストは、
その話を聞く、というスタイルのシンプルな会話劇です。

これは僕も医者で、薬害エイズの時は医学部の学生でしたし、
ちょっと弱ったなあ、という感じの作品でした。

あまりに一部の情報に振り廻され過ぎではないかしら。

以下ネタバレを含む感想です。
鑑賞予定の方は鑑賞後にお読み下さい。

これは要するに731部隊の主力メンバーであった医者が、
ミドリ十字という会社を作ったので、
人体実験を平然と行うような体質が、
そこに脈々と生きていて、
それが薬害エイズ事件を生んだのだ、
そうした体質を改めなければ、
日本の医療に明日はない、
というようなお話です。

劇中ではミドリ十字の創業者である内藤良一氏(劇中では内田紘一)の、
部下であった医師を岡本さんが演じ、
その内幕を赤裸々に告白するという趣向になっています。

この医者のモデルになった人物が、
おそらくはいたのだと思われますが、
今の時点ではよく分かりません。
「ミドリ十字と731部隊」という本が参考になっているようなので、
古本で取り寄せることにしました。
ただ、まだ届いていないので未読です。

しかし、高齢の小児科医の戯れ言としても、
その台詞はあまりに酷くて、たとえば、
「小児科の開業医など、ほとんど風邪の子供しか診ないので、
楽な仕事だが、たまに診断に困るような患者がいて、
その時は解剖して内臓を見ればすぐ分かるのに、
という誘惑に駆られる(記憶違いはあるかも知れません)」
というような意味の台詞があり、
唖然とするような感じがありました。

こんなことをもし本気で発言した医者があるとすれば、
それはもう頭がおかしいだけなので、
そんな人の話をまともに聞くこと自体に、
何の意味もない、という気がします。

731部隊と薬害エイズを結びつけることに、
そもそも無理があると思うのです。
人間は急にこの世に出現するような存在ではないのですから、
こうしたことを言えば、
何だって関連のあることになってしまいます。
しかし、そうした考え方はあまりに強引ではないでしょうか。
日本の現代史をそうして単純化することは、
とても危険なことであるように思います。

薬害エイズ事件の時はもう医療には関わっていたので、
この問題についても当時の空気のようなものは知っています。
個人的には厚労省(当時は厚生省)と医師、製薬会社とが、
患者さんの生命に関わる意思決定を、
協力して行うということの難しさ、
非人間的な悪意というようなものではなく、
ことなかれ主義や無責任体質のようなものが、
その大きな部分を占めていたように、
個人的には思います。

今回の作品はあくまで次回作へのプロローグとしての側面が大きく、
731部隊の告発という意味合いが大きいのだと思いますから、
それはそれで良いと思いますが、
また是非別個の取材の元に、
出来れば「普通の」医者の意見なども聞いて頂いて、
「今の医療の問題」を、
ドラマとして取り上げて欲しいと思いました。

多分作り手の方やその情報源に、
少し偏りや誤解があるのだと思いますが、
医者という人種には多くの問題があるとは思いますが、
決してこのドラマに描かれているような性質のものでは、
それはないような気がするからです。

頑張って下さい。
応援しています。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ほりぶん 第6回公演「牛久沼3」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ほりぶん牛久沼3.jpg
ナカゴーの怪人鎌田順也さんの別ユニット、
ほりぶんの第6回公演として、
「牛久沼3」が本日まで上演されています。

ほりぶんはワンピース姿の女性しか登場しない、
というお芝居を上演し続けていますが、
はえぎわの怪女優川上友里さんがメインで、
周囲も大暴れ上等の肉体派の皆さんが揃っているので、
ある意味ナカゴーよりラディカルでシュールな世界が展開されます。

今回の作品は2017年に第4回公演として上演された、
「牛久沼」のシリーズ第3作で、
前作は牛久沼の最後のウナギを釣り上げた親子が、
それぞれの理由でウナギを求める女性達と、
壮絶なウナギ争奪戦を繰り広げるというお話でした。

今回の続編は第1作から3年後という設定で、
今度は母親のために子供が1人で、
もう絶対にいないと思われていたウナギを釣り上げるのですが、
同じように因縁のある女性達が次々と出現して、
再び仁義なきウナギ争奪戦が繰り広げられます。

今回のメインは最強の敵と称される、
ナイロン100℃の菊池明明さん演じる「疲れ知らずさん」で、
もう妖怪と言って良いような怪演で、
大バトルが何もない素舞台で展開されるのです。

当日渡される資料には、
何とまだ上演すら未定の「牛久沼4」まで網羅した、
あらすじ集が付いていて、
鎌田さんの独特の拘りが感じられます。

本当に子供の空想のように、
牛久沼の世界が拡大されて行く様が面白く、
是非末永い上演を期待したいと思いました。

さて、鎌田さんの劇作は、
そのシュールで奔放な想像力はそのままに、
最近の作品ではドラマの部分で成熟度が増しています。
今回の作品でも、
主人公となった文子という娘が、
追っ手が迫っているにもかかわらず、
絶対に走らないという母親との約束を守り、
そのために却って危機に陥るも、
最後にはトラウマを克服して走り出す、
というドラマとしての縦筋が明確にあり、
母親との対話が練り上げられていることで、
その部分の説得力が増している、
と言う点が大きな特徴です。

こうしたドラマに説得力があり、
かつしっかりと笑いの要素もそこに散りばめられている、
と言う点に劇作としての成熟があり、
鎌田さんの世界が、
新たなステージに昇りつつあることが感じられました。

キャストのエネルギー全開の大暴れはいつも通りでしたが、
今回はやや粘着でウェットな芝居の人が多く、
やや腹にもたれる感じがあったのと、
あまりに体当たりで皆さん傷だらけなのが痛々しく、
特に菊池明明さんはそのとぼけたキャラが、
個人的には大好きであったので、
今回の捨て身の妖怪演技は、
さすがにちょっとなあ、と、
これも痛々しい感じを覚えてしまいました。

もう少し女優さんの美しさもいかした、
素敵な感じもあると良かったですね。
肉体派ばかりでは少しきついな、と感じました。

たとえばですが、
菊池さんは前半はもっと乙女チックに登場して、
後半で妖怪化しても良かったのではないでしょうか?

いずれにしても、
鎌田さん以外ではなし得ない唯一無二のお芝居で、
初見の方なら呆然自失を約束する怪作です。
是非体力を付けてご覧下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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