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プッチーニ「トゥーランドット」(オペラ夏の祭典2019ー20) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも中村医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
トゥーランドット.jpg
2020年に向けたプロジェクトの一環として、
新国立劇場と東京文化会館、
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールと札幌文化芸術劇場がタッグを組み、
大野和士さんが取りまとめに当たった、
「オペラ夏の祭典2019-20」の第一回公演として、
プッチーニの「トゥーランドット」が、
東京文化会館と新国立劇場で上演されました。
提携する地方公演も行われます。

大野和士さんの指揮で、
演出はバルセロナ・オリンピックの開会式を手掛けた、
スペインのアレックス・オリエ、
オケは大野さんが音楽監督を務めているバルセロナ交響楽団、
合唱には新国立劇場合唱団に加えて、
藤原歌劇団やびわ湖ホールアンサンブルも加わるという、
大規模な「混成」チームです。

上演される「トゥーランドット」は、
プッチーニの最後のオペラで、
そのラストは未完のままでプッチーニは亡くなり、
ラストの部分のみ他の作曲家による補作で完成した、
という特殊な作品です。

台本自体はもう出来上がっていたので、
基本的には内容には変わりはない筈なのですが、
音楽は補作の部分は明らかにタッチが違うので違和感があり、
内容的にもカラフを愛するリューが、
自らカラフを守るために命を絶っているのに、
そのすぐ後にはリューを死に追い込んだトゥーランドットと、
カラフが結婚してめでたしということになるので、
おとぎ話とは言えあまりに「愛」をないがしろにしたような展開に、
「そりゃないだろう」という気分になるのです。

もともと騙しあいの末に王女と結婚して終わり、
というようなお話はおとぎ話の定番ではあるので、
それをどうこう言っても仕方がないのですが、
この物語ではカラフを慕う奴隷の女性が、
彼を守るために命を絶つ、
という部分に哀切な盛り上がりがあるので、
単純に家来が高貴な主人のために身を犠牲にする、
という枠組みからはみ出してしまい、
三角関係のメロドラマ的要素が入ってしまうので、
ややこしいことになってしまっているのです。

その意味では現代の価値観とはそぐわない作品です。

それでもこの未完成の上、
現代の価値観とは相いれない作品が、
今でも盛んに上演されているのは、
音楽の完成度がともかく素晴らしいからです。
プッチーニの全作品の中で最もスケールが大きく、
何処を切り取っても傑作と言える素晴らしい音楽です。
特に2つのアリアを歌って絶命するリューの最後の部分は、
これまでに書かれたあらゆる音楽の中で、
最も感情を哀切に強く揺さぶるものの1つと言って、
過言ではありません。

その後のあらゆる映画音楽やミュージカルで、
この作品の影響を受けていないものは1つもありません。

そんな訳で素晴らしい「トゥーランドット」なのですが、
現代に上演する場合には、
矛盾するラストをどう処理するか、
という大問題が常にあるのです。

今回の演出は、
今の価値観で作品を読み直す、という、
個人的にはあまり好きではない種類のもので、
「リューが目の前で死んだのに、トゥーランドットが結婚出来る訳がないだろう」
という考えから、
音楽はそのままにして、
ラストいきなりトゥーランドットが、
リューが自死した懐剣で、
自分も喉笛を搔き切って終わります。

駄目だよね、こんなことしちゃ。

この演出家は黒い壁がそそり立つ、
近未来みたいなセットを組んで、
絢爛豪華で色彩豊かな筈の物語を、
単色に染め上げてしまっています。
日本の観客のためにアニメのビジュアルも取り入れた、
とパンフレットには書かれていて、
攻殻機動隊的なトゥーランドットになっているのですが、
このおとぎ話は本来、
オペラ世界旅行的な性質のものなので、
もっと色彩感にあふれた古代の中国が、
再現されるのがやはり必要ではないかと思います。

比較的前方の席で観ると、
人物の動きや感情表現も、
まずまず工夫されていることが分かるのですが、
少し遠くの席から観ると、
誰が何処で歌っているのやら、
皆同じような暗い衣装なのでまるで分かりません。

これでは大劇場の演出としては落第ではないでしょうか?

音楽はなかなか迫力があり、
大野さんも緩急織り交ぜこの巨大な作品を、
壮麗にまとめていました。
歌手陣は理想的なトゥーランドットのテオリンが素晴らしく、
カラフのイリンカイも美声ですし、
リューの中村恵理さんも良かったと思います。

大野さんはいつもそうですが、
中村恵理さんクラスの歌手の方に、
細かく演出するのが得意ですよね。
あのアリアの感じというのは、
大野さんの美学であり完成度であると感じました。
その一方で大野さんは大物歌手のあしらいはそう上手くないというか、
ギクシャクすることが多いような印象があります。
今回はでも、皆気持ち良さそうに歌っていて、
アンサンブルもなかなかでした。

そんな訳で音楽的には満足の出来る「トゥーランドット」でしたが、
演出や作品のとらえ方には疑問が残りました。

ただ、大野さんとしては、
著明な演出家のオリエさんに、
日本で演出してもらう、ということ自体に、
意義を感じているようで、
戦略的にはおそらくそれで正しいのだろうな、
というようには感じました。

個人的には、
この「トゥーランドット」のラストの矛盾を解消するには、
群衆の心理の劇として見ることが、
唯一の解決策のように思います。

この作品は合唱が大きなパートを占めていて、
プッチーニの合唱というのは、
概ね情景描写としてあるのみ、
ということが多いのですが、
この作品の民衆の合唱は、
「殺せ!殺せ!」みたいに他人の死をもてあそんだり、
逆に気の毒がったり、権威を妄信したり、
恐れたり糾弾したりと、
1つの感情を持つ主体のように表現されています。

そして、このドラマを一言で表現するなら、
「無知で残酷な民衆が無償の愛の尊さに目覚める物語」
とまとめることが出来ます。

こう考えれば、トゥーランドットもカラフも、
ただの民衆の背景であるに過ぎないので、
2人が結婚することの感情的な辻褄合わせは、
特に必要はないのです。
民衆の残酷な心を作ったのは権力装置や環境の過酷さであっても、
ドラマの本質は権力装置の感情にはないので、
高らかに愛を歌い上げる大団円と、
何ら矛盾はしないものなのです。

今後民衆の心の動きに主眼をおいた、
新たな「トゥーランドット」の誕生にも期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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