So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース「荒れ野」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
荒れ野.jpg
とよはし芸術劇場のプロデュース公演として、
平田満さんと井上加奈子さんの夫婦に、
いぶし銀の役者が集まり、
独特の彫りの深い人間ドラマに定評のある、
桑原裕子さんの作・演出の新作「荒れ野」の東京公演に足を運びました。

これはなかなか見事な作品でちょっと驚きました。

以前観た桑原さんの「痕跡」という作品も、
ミステリー的な失踪劇を深い人間ドラマとして、
見事に着地させていて感心しましたが、
今回も火事のためにある家族が、
昔因縁のあった女性のところに一夜だけ泊まらせてもらう、
というだけの話の中に、
家族のような枠組みの不確かさと、
人生の悲哀のようなものを感じさせて、
その鋭利な刃物のような切り口に、
とても感銘を受けました。

これは今回の上演だけで終わらせては、
もったいない作品だと思いますし、
キャストや演出を変えて、
末永く上演されて欲しい、
一種の古典としての風格がある戯曲だと思います。

テネシー・ウィリアムスに匹敵するような家庭劇で、
こういう地に足の付いた、
完成度が高くかつ観客の肺腑を抉るような攻撃性のある作品は、
これまでの日本の劇作の歴史の中では、
あまり類例がないと思います。

大袈裟に聞こえますか?
いえいえ、決してそうではありません。

舞台は井上加奈子さん演じる独身の中年女性のアパートの一室で、
彼女は長く父親の介護をしていて、結婚をすることが出来ず、
父親が亡くなった後に、
階上の部屋に住む小林勝也さん演じる元教師の老人と、
画家を目指すその教え子の青年(中尾諭介さん)の二人を、
同居人として呼び込み、奇妙な共同生活をしています。
老人と青年とは孫ほどの年の差がありながら、
同性愛的な関係にあるのです。

そこに平田満さんと増子倭文江さん演じる夫婦と、
多田香織さん演じる娘の3人家族が、
傍のショッピングモールの火事で、
自宅が延焼する危険があるために、
一夜の宿を求めて駆け込んで来ます。

平田満さんと井上加奈子さんは昔からの友人で、
男女の関係があったのではないかと、
妻の増子さんは勘ぐっていたのです。

平田さんは7年前に急性冠症候群となり、
心臓バイパス手術をしたのですが、
手術を薦める妻に耳を貸そうとしなかった平田さんが、
最後に手術を決断したきっかけは、
井上さんからの「父が死んだ」というメールでした。
つまり、妻のためではなく、井上さんのために、
平田さんは生きようという決断をしたのではないかと、
妻の増子さんは疑っているのです。
自分は夫のために人生を捧げて来たという自負があるのですが、
夫の心がもし自分の方を向いていないのだとすれば、
自分達が夫婦として家庭を築いて来たことも、
結局無意味なことになってしまいます。

普段ならそんなことは考えもしないのですが、
火事で家が燃えてしまったかも知れず、
その不安の中で、
もし家という形が失われてしまったら、
家族であることすら崩壊してしまうのではないかと、
妻は恐れを感じているのです。

一方で井上さんも、
父親のために人生の大部分を犠牲にしながら、
その父親が死んだ母親のことしか覚えておらず、
自分の存在は無視していたことに深く傷ついていて、
それが死んだ後も父親の気配となって、
そのアパートに染みついています。

翌朝になって火は鎮火し、
平田さんの妻は自分の家がどうなっているのかを見るために、
1人先に家を出るのですが、
井上さんと上の階の奇妙なカップル、
そして平田さんの4人は、
家族であることを捨てて、
別の絆を求めるように、
一緒に同じコタツを囲むのです。

この場合の家族というのは、もっと大きく国家のような共同体も、
同時に指しているように思えるのですが、
火事のような惨事によって、それを構成している枠組みが揺らぐと、
その本質的な不確かさが表面化して、
全ての関係は流動的なものになってしまうのです。
それがおそらく題名になる「荒れ野」ですが、
そこに作者は幾ばくかの希望も、
付加しているようにも思えます。

1時間45分程度の一夜を描いた数場の一幕劇ですが、
構成は非常に巧みに練られていて、
人物の造形も極めて的確に彫り込まれています。
テーマ曲としていしだあゆみの「あなたならどうする」が使われ、
替え歌も含めてそれが何度も登場人物の口をつくのも効果的で、
これは典型的なアメリカ古典戯曲の手法です。
燃えたのかどうか分からない家を、
シュレーディンガーの猫に見立てるなどの蘊蓄も、
登場人物の1人が理系の教師という設定を、
巧みに取り込んでいます。

役者陣も非常に頑張っています。
特に増子倭文江さんと小林勝也さんが良く、
この2人のベテランの演技が、
この作品をワンランク上のものに引き上げていたと思います。

小林勝也さんは昔から変な棒読みの役者さんで、
個人的にはあまり好きではなかったのですが、
今回初めて良かったと思いました。
その得体の知れない薄気味悪さと飄逸さの絶妙なブレンドは、
小林さんにしてなし得た1つの境地であると思います。
増子さんは極めて老練な芝居でした。

この座組で企画であれば、
平田満さんと井上加奈子さんが、
この役を演じることは当然なのですが、
正直2人にフィットしていたとは言いがたい面もあり、
また別のキャストであれば、
違う味わいがあったのではないかとも感じました。
(失礼をお許し下さい)

作者自身による演出は、
その戯曲の完成度と比較すると、
ちょっと疑問に思うところがあります。
部屋にはベランダがあって、
そこのガラス戸を閉じるかどうかで、
空間が変わるという設定になっているのですが、
サッシは実際にはセットにはないので、
ちょっと違和感があります。
これは付けるべきではなかったでしょうか?
また、テーマ曲は1回音効として流した方が、
分かりやすかったように思います。
オープニングの照明のみによる火事の表現も、
蛇足のように感じました。

このように少し不満もあるのですが、
極めて素晴らしい作品であることは確かで、
是非再演を期待したいと思います。
大変感銘を受けました。

最後にこれは蛇足ですが、
僕が観劇した日に最前列に座っていたおじさんが、
ともかく絶えず大きな声を上げて「わはははは」と、
狂言のように笑うので、
集中が切れてつらい思いをしました。
内容を理解はしていて笑っているのですが、
別に笑えるような場面でなくても、
ある種のキャラクター同士の会話のすれ違いなどに、
全て反応して声を上げてしまうので、
時に役者の台詞まで聞き取れなくなるのです。

時々そうした人がいて、
何故ああした行為をするのだろうか、
と不思議にも思っていたのですが、
今回隣で観察してみて、
「独り言」に近いようなものであるのかな、
と感じました。
もう少し医学的な分析は出来そうですが、
失礼に当たるようなので控えます。
意図的な行為ではどうやらなさそうなので、
何に笑おうと個人の勝手で、
非難するべき性質のものではないのですが、
前の列の人の座高が異様に高かったり、
帽子を取ってくれなかったりするのと一緒で、
こうした時にはライブのつらさを思い知るような思いがします。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(7)  コメント(3)