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「サスペリア」(2018年ルカ・グァダニーノ監督版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
サスペリア.jpg
「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督が、
何と1977年のダリオ・アルジェントのホラークラシック
「サスペリア」をリクリエーション版として再映画化しました。

その日本公開の初日に足を運びました。

「サスペリア」は日本ロードショー公開時に、
最初に中学時代を過ごした水戸の小さな映画館で観て、
それから渋谷のパルコにあった映画館で、
「サーカム・サウンド」という特殊音響版を観ました。

サーカム・サウンドというのは、
要するに5チャンネルくらいのサラウンドのことで、
劇場に複数のスピーカーを特設して、
音効と効果音を大音響で流すというものでした。

当時は結構話題になりましたが、
実際にはノイズのような音が大きいだけ、
という印象のものでした。
水戸の映画館で普通の2チャンネルで観た方が、
却って作品のサスペンスは素直に感じられたように記憶しています。

「決してひとりでは見ないで下さい」
という宣伝コピーが非常に有名で、
かなりのスマッシュヒットとなりました。

アメリカ映画にはない独特のムードがあり、
こけおどしが多くて内容は意味不明のところもありましたが、
強烈な色彩と音効には魅了されました。
秘密の部屋の扉が、すっと開く辺りのワクワク感は、
古典的な怪奇映画の技術に、
裏打ちされていることを感じさせました。

この時点で僕にとってダリオ・アルジェントは謎の監督であったのですが、
実は戦後のイタリア怪奇映画には、
ジャーロという独特の猟奇残酷映画の系譜があり、
その後ビデオの時代となって多くのジャーロが、
ソフト化されるようになると、
その全貌が徐々に明らかになっていったのです。

「サスペリア」は日本においては、
イタリア怪奇映画の後にも先にも唯一のヒット作で、
魔女を扱った怪奇映画の、
数少ない成功作でもあります。

魔女物というのは、
古くから欧米では怪奇映画の定番の1つなのですが、
裸の女性が黒ミサで踊るような、
要するにエロチックな描写が売り物なので、
内容はチープで他愛のないことが殆どです。
唯一アルジェントの師匠とも言えるマリオ・バーバが、
1960年に制作した「血塗られた墓標」が、
格調高い魔女物映画として知られていますが、
この作品は吸血鬼映画のバリエーションで、
典型的な魔女物ではありませんでした。

「サスペリア」の新しさは、
この古めかしい魔女物怪奇映画を、
少女が集うバレエ学校を舞台にして、
リクリエーションしたことにあって、
定番の黒ミサの場面はなく、
当時としては全く新しい異様な世界を、
作り上げたことにあったのです。

アルジェント監督は超自然を扱った怪奇映画が、
実はあまり得意ではなく、
この映画は彼のキャリアの中で、
超自然を扱って唯一成功した作品だと思います。

さて、その「サスペリア」のリメイクである本作ですが、
舞台はオリジナル公開の1977年の、
まだ東西に分断されたベルリンに設定され、
152分というホラー映画とは思えない長尺となっています。

主人公の少女の名前がスージー・バニオンであったり、
彼女がそこで遭遇する事件のアウトライン自体は、
オリジナルとほぼ一致しているのですが、
原作のバレエ学校はピナ・バウシュの舞踊団を明らかにモデルにした、
モダン・ダンスのカンパニーに変更され、
東西に分断されたベルリンの風景や、
ドイツ赤軍によるハイジャック事件が背景として描かれ、
ホラー以外の要素がかなり大きな作品になっています。
カウンセラーのクレンペラー博士という、
オリジナルには登場しない人物が、
もう1人の主役として活躍し、
むしろ全体の狂言回しとなっています。

こういう得体の知れない謎めいた映画が、
僕は基本的には嫌いではないので、
物語の中段までは結構ワクワクしながら観ていました。

全体のタッチはアルジェントではなく、
ロマン・ポランスキーに似ていますよね。
前半でスージーが悪夢を見るところなど、
「ローズマリーの赤ちゃん」や「マクベス」の、
悪夢の場面にとても良く似ています。

僕はポランスキーも大好きなので、
ははあ、要するにこれは、
アルジェントのポランスキー風リクリエーションなのね、
というように思ったのですが、
後半からクライマックスに至って、
その僕の期待はかなり裏切られました。

クライマックスは裸の女性が乱舞する黒ミサになるのですが、
これが何の創意もない、
昔の魔女物の再現なので、
とてもとても落胆しました。

前述のようにオリジナルの「サスペリア」の創意は、
魔女物の黒ミサをリニューアルした点にあったと思っているので、
「これをやったら意味がないじゃん」
と思ったのです。

この作品はトータルに「変な映画」ではあるのですが、
怖かったりドキドキしたりはまるでしないですよね。
ポランスキー作品も藝術性や変態性、過剰さに満ちていながら、
その根っこのところでは、
しっかりとホラー映画にもなっています。
そのポイントは何かと言えば、
常に主人公が「恐怖している」というところではないかと思います。

その一方でこの映画では、
主人公2人は最初から淡々としていて、
何かに恐怖するという感じがなく、
クライマックスに至っては誰も恐怖を感じる主体がなく、
ただ、血みどろの場面が様式的に繰り広げられるだけ、
という趣向になってしまっています。

これで本当に良いのでしょうか?

また、意味ありげなガジェットや社会背景が、
色々と散りばめられているのですから、
それがもう少し連鎖して、
予想外のつながりや風景のような物が見えて来てもいいでしょ、
そうしたものが何もありませんよね。
それにもガッカリしました。

何かがナチスの暗喩であるとか、
女性の解放がどうたらとか、
フリーメースンがどうしたとか、
そうした蘊蓄を読み取るだけで映画が楽しめるという方であれば、
それで良いのかも知れませんが、
僕はリクリエーションされた新しい感覚のホラーが観たかったので、
この作品にはとてもガッカリしました。

役者はティルダ・スウィントンの怪演がもの凄くて、
これは確かに一見の価値があります。
1人3役は全く分かりませんでしたが、
あそこまでするなら、
何処かでベリベリとメイクを剥がして、
正体を見せて欲しかったですよね。
それでなければ、あそこまで凝った趣向に何の意味があったのか、
はなはだ疑問に感じました。

そんな訳でとても楽しみにしていたのですが、
観終わってガッカリして、
寒空の中次の仕事に向かったのでした。

鬼が出るか蛇が出るかと思って見ていたら、
結局何も出て来ませんでした、
という感じの映画でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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