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日本のアングラ(その9) [フィクション]

アングラ女優とは何か、
というのは答えるのが難しい問いだ。

アングラ演劇自体が種々雑多な集合体であるのと同様に、
そこで活躍する舞台の華である主演女優も、
単一な存在ではないからだ。

しかし、僕は何度も、加奈子は稀代のアングラ女優だ、
という表現を用いたのだから、
そのことの責任は取らなければいけない。

「アポトーシス2007」における加奈子の演技はどのようなもので、
そのどのような点が、
僕が彼女を希代のアングラ女優と呼ぶ根拠であったのかを、
ここでつまびらかにしておきたいと思う。

アングラ四天王と言えば、
唐先生の状況劇場、
寺山修司の天井桟敷、
鈴木忠志の早稲田小劇場、
そして69/71黒色テント、ということになるのだけれど、
それぞれに劇団を代表する女優がいて、
その魅力が劇団の魅力の少なからぬ部分を占めていた。

状況劇場のヒロインは勿論李礼仙で、
今では大鶴義丹の母親と言う方が分かりが早いかも知れない。
彼女の演技は独特の強靭でハスキーな声と、
女豹のような肢体がその特徴で、
自由度の高い演技でテントの舞台を駆け廻り、
水や血などを散々に浴びても、
揺らぐことはなかった。

李礼仙の凛とした立ち姿と、
柄の悪い男装の麗人めいた雰囲気、
水や泥に塗れ、血を流し流され、
大久保鷹や麿赤児を始めとする怪優達と、
斬った張ったを繰り返すその艶姿は、
アングラ女優の1つの典型として、
当時の演劇人の憧れの的であったことは間違いがない。

多くの「小李礼仙」が当時は沢山生まれ、
今でも唐先生の芝居を上演している劇団の、
主役女優の台詞廻しには、
「李礼仙節」が残っている。
しかし、李礼仙的な芝居は現実にはもう滅んでいるのだ。
そんなものを今の小劇場の舞台で披露すれば、
観客の失笑を買うのが関の山だ。

寺山修司の天井桟敷には、
新高恵子というヒロインがいて、
それ以外に何人かの畸形の演技を得意とする女優がいた。

新高恵子は元ピンク映画のスターで、
如何にも寺山好みの容姿の女神だ。
天井桟敷の中期以降の公演では、
彼女はSMの女王様的な演技を披露した。
その李礼仙とはまた別種の声帯のハスキーな声は、
天井桟敷の芝居になくてはならない音響だった。

彼女は朗読が上手く、
天井桟敷のラストに付き物の、
劇全体を俯瞰するような長台詞は、
彼女ならではのものだった。

しかし、アングラ女優としての彼女は、
あまり特別な技量を持っていた、と言う訳ではない。

何人かの畸形の肉体演技を得意とした女優の方が、
アングラ女優というスタンスでは代表かも知れない。

こうした演技は、
寺山芝居を継承すると称する劇団や、
アングラ的な肉体演技を取りいれている、
一部の劇団において現在でも見ることが出来るが、
そのレベルは稚拙で、
かつて肉体の求道者のような輝きは、
全く見ることが出来ない。

黒色テントのヒロインは新井純で、
彼女は器用な役者で歌も演技も上手く、
男役も女役も演じることが出来た。
そのしっとりとした情感は、
ブレヒトの歌芝居のような黒色テントの舞台の中で、
仄かに特別のスポットが当たる感じがあった。

僕が明瞭に覚えているのは、
佐藤信の傑作「阿部定の犬」の中で、
新井純扮する阿部定が、
斉藤晴彦扮する謎の街頭写真師を、
愛人の切り取ったペニスが変貌した拳銃で、
撃ち殺す時の艶姿で、
性と権力と革命とが一体となったその象徴的な姿は、
とても並みのまともな女優に演じられるものではなく、
極めてまっとうそうで、
新劇の舞台で杉村春子と一緒に芝居をしても、
全く違和感がなさそうな芸質でありながら、
彼女こそがアングラだと、
心底思えた瞬間だった。

早稲田小劇場のヒロインと言えば、
アングラ女優の名をほしいままにした白石加代子で、
そのとても主演女優というイメージからは程遠い、
ずんぐりむっくりとした容姿と、
そこからは想像も付かないような、
尋常ならざる集中力、
その畸形的な肉体の凄味と、
殆ど口を開けずに、
弾丸のように発せられる鋭い声の迫力は、
彼女こそアングラ女優と、
観る者を即座に納得させるような説得力があった。

この鈴木忠志が考案したと思われる、
独特の発声法と、
身体の多くの部分を、
殆ど空間的には動かすことなく、
全身に力を漲らせる身体演技は、
間違いなく1つのアングラ演技の典型として、
その後の演劇界に少なからぬ影響を与えた。

しかし、稀代のアングラ女優白石加代子は、
鈴木忠志の元を去った後には、
そのアングラ演技の輝きの全てを捨て、
極めてノーマルで、
「アングラ的には」退屈な、
1人の等身大の女優になった。

1980年代における山崎哲率いる「転位21」は、
別役実と唐先生をミックスした劇世界を、
鈴木忠志の演出理論で舞台化するという、
アングラパッチワークのような芝居で、
アングラ低迷期のこの時代において、
マニアの渇望を満たす存在であった。

ただ、男優では藤井びんと木之内頼仁が、
鈴木忠志的な肉体演技を具現していたが、
女優ではあまりそうした技量を持つ役者がおらず、
ヒロインを多く務めた栗山みちは、
甲高い天性の個性的な声で、
叩き付けるように棒読みの台詞を喋るという、
孤高のアングラヒロインだった。

つまり、アングラ女優の条件は、
何物にも染まらない個性を持ち、
周囲に埋もれない強靭な声と、
アングラ芝居の怪優達の狂騒的な芝居の中でも、
観客の注視を吸引し続ける畸形の肉体を持っている、
というところにあるのだ。

それでは、加奈子はどうだったのか。

彼女は若き日の新高恵子や高橋ひとみを抜擢した時の、
寺山修司好みの「少女」の容姿を持っていた。
その立ち姿は女王様として舞台の天辺に立った、
新高恵子を彷彿とさせ、
周囲で何があっても、
微動だにしない強さを持っていた。
台詞や段取りを忘れることは皆無ではなかったが、
そうしたことがあっても、
台詞を言い直すようなことは、
絶対にしなかった。

声は決して強くはなく、
声量もさほどなかった。
しかし、その声は口を殆ど開かない発声法で、
鋭く遠くまで届いて、
他の役者の声と混ざり合うことはなかった。
あそこまで人工的な響きではなかったが、
その声は栗山みちにちょっと似ていた。

何度も書いたその肉体の特徴は、
彼女の最大の武器で、
それはある種の業のように、
彼女の心身を苛むものでもあった。

彼女はそれを最大限に利用した。

観客は微妙な体の傾け方の違いで、
別人のように変貌する彼女の姿に驚いた。
それだけではなく、
台詞を喋っている少女が、
内なる母親に操られ、
「女」に変貌する瞬間や、
母の肉体に少女が宿り、
1つの肉体の中で、
2つの異なる魂が、
葛藤し争うという心理的な世界が、
実際に肉体の変化として、
加奈子の姿の中で具現化されることを目撃した。

僕は加奈子を演出した時、
彼女の肉体の秘密を、
殊更に舞台に使用しようとはしなかった。
そのことについて、
加奈子と話をすることもしなかった。

それは何と言うのか、
彼女の心の中の、
極めて繊細でプライベートな部分に、
触れることのような気がしたからだ。

しかし、僕の後で加奈子を演出した西谷は、
最初からバシバシと加奈子の肉体を武器として使用した。

旗揚げ公演では仮面の畸形の少女は、
仮面を外すことで凄みのある「女」に変貌した。

続く第2回公演の、
「崩壊への序章その2ー地下世界からの呼び声」では、
地下の暗黒世界の女王となった加奈子は、
その体内に出現した怪物に次第にその心身を侵され、
観客の目の前で、
何のギミックもなしに、
肉体演技のみでその怪物への変化を表現した。

1988年の第3回公演、
「崩壊への序章完結編ー闇の復権」では、
半身を怪物に侵された闇の女王を表現するため、
加奈子は自分の半身をドーランで青く塗った。
通常はただの色物になるので、
こうした演出を役者は好まない。
しかし、それは実際はギミックに演技が負けるのが怖いことの、
裏返しでもあるのだ。
加奈子は演出の無理押しを平然と受け止め、
それを堂々と演技で押し返した。

しかし、そうした自分の身を切るような演技の中で、
彼女は徐徐にその精神の均衡を乱していたのだ。

そのことに僕は、
本当に手遅れになってから漸く気付いた。
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まこ

懐かしさに 老後の楽しみに取っておいた当時のチラシを出してきて眺めました。
開場を待って並んでいると 剃髪し全身白く塗った男や、着物姿の 妖しげな女がやって来て 誰が客で 役者なのか、どこからが日常で 芝居なのか 見世物小屋 覗きたいのに 怖いような 怖じ気づき まんまとやられたことを思い出しました。
能面は、橋掛かりを舞台に向かう右側は妄執を秘め 仏の加護により成仏し袖へ帰っていく左側は 安らかな表情に作られていますね。
なのに 加奈子さん・・・。
by まこ (2015-03-25 23:33) 

fujiki

まこさんへ
コメントありがとうございます。
今も演劇はそれなりに盛んですが、
アングラはほぼ絶滅したように思います。
これからもお読み頂ければ幸いです。
by fujiki (2015-03-26 08:11) 

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