So-net無料ブログ作成

野田秀樹「南へ」 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
南へ.jpg
野田秀樹の新作公演が、
この2月から上演中です。

最近の野田の戯曲は、
NODA・MAPの本公演においては、
天皇制批判とアメリカ批判がその主軸になっていて、
その昔の学生運動の時代の、
黒テントの芝居を見ているかのような錯覚さえ覚えます。

今回の作品もその例に洩れず、
天皇制批判がその基調になっています。

ただ、本気でそうしたテーマを、
野田自身が切実に感じ、
その人生の中で重要視しているのかと言うと、
見ていても何か疑問に思うところがあります。

何と言うのか、
二流の私大の政治学の教授が、
その講義で学生に教えを垂れている、
というような雰囲気があるのです。

つまり、その教授自身、
「天皇制」など飯の種と割り切っているような所があり、
学生の前では重要な振りをしているけれど、
本音は別なのではないか、
と不真面目な学生としては、
そう考えてしまうのです。

世の中には「インテリ」という種族がいます。

ただ、僕が今言う「インテリ」と言うのは、
通常のその言葉の定義とは、
ちょっと違った意味合いです。

僕の言う「インテリ」とは、
国家のような共同体のクビキから離れて、
独力で何処の世界でも生きられる、
と自分で信じていて、
実際にそうした能力のある人間のことです。

人間というのは、
端的に言えば、
「インテリ」とそれ以外に区分けされます。

そして、今の世界は、
概ね「インテリ」に支配され、
「インテリ」が世界を動かしているのです。

たとえば、日本は高級官僚という「インテリ」によって、
辛うじてその国の形を保っている状態ですが、
その「インテリ」は別に日本にいなくても、
生きて行くことが出来るのです。
彼らが今日本にいるのは、
他の場所にいるより、
ここが居心地が良いからで、
それ以外の理由はありません。

従って、もし日本が居心地が悪く、
たとえばChina やAmerica の方が居心地が良ければ、
すぐに彼らはそちらに移動するでしょうし、
そうなれば、日本はすぐに滅んでしまうのです。

海外のニュースなど見ていても、
政情不安定な国からは、
その国の「インテリ」はすぐに逃げ出し、
そして、その国に革命が起こったりすると、
その後で政情が安定してから、
彼らが戻って来るのが、
しばしばニュースになります。

「インテリ」の集まる国は栄え、
「インテリ」の逃げ出す国は滅びます。

多くの人は独裁者を嫌い、
自分は「インテリ」ではない癖に、
「インテリ」を好みます。

しかし、独裁者が滅ぶのは、
彼らが悪いことをしたからと言うより、
彼らが「インテリ」でないからです。
独裁者が独裁者と呼ばれるのは、
彼にとってはその国以外に、
生きる場所はないからです。
一旦権力を失ってしまえば、
自分の居場所がなくなることが、
分かっているからです。
自分の居場所がなくなる不安は、
人間に残酷な行為をさせる原動力になるのです。
つまり、本当は独裁者は、
「インテリ」よりは僕達に近い場所にいるのです。
しかし、「インテリ」ではない多くの人は、
「インテリ」の発言を自分の発言のようにして聞き、
独裁者は自分とは反対の存在と信じています。

長々と前置きをしましたが、
僕の言いたいことは、
野田秀樹は最近変わったのですが、
その理由は彼が「インテリ」になったからだ、
と言うことです。

彼はイギリスで自分の戯曲を上演したように、
日本を離れても、
演劇の世界で生きて行ける、
という確信を得たのだと思うのです。

そして、実際にその通りだと思います。

たとえ世界の多くの国が滅んでも、
彼はその残された世界で、
演劇人として立派に生きて行くことが出来るでしょう。

その自信の表れが、
最近の彼の言動であり、
彼の作品なのだと思います。

よく言われる「個の自立」というのは、
「インテリ」になる、ということです。

ただ、問題は大多数の人間は「インテリ」にはなれない、
という冷厳なる事実です。

高校時代の同級生が、
面白いことを言っていたのを、
僕はよく思い出します。

極真カラテの大山倍達が人気を集めていた頃なのですが、
彼は人格者で決して怒りを露にしない、
と何処かの記事に書いてあったのです。
この記事を見てその同級生は言いました。
「そんなの当たり前じゃん。
何かあったら、こいつを一撃で殺せる、
という確信があるんだから、
そんな相手に何を言われたって、
腹が立つ訳ないよ」

「インテリ」というのも、
そうした存在なのです。

「インテリ」は平然と、
この社会を無にするようなことを言えるのです。

それはその知性が優れているからだ、
という言い方も出来ますが、
裏を返せば、社会が滅んだって、
俺は何処でも生きて行ける、
という自信があるからなのです。

「インテリ」は「インテリ」になれない、
多くの人間の代弁は、
決して出来ないのですが、
実際には代弁的な行為をしていて、
その行為や言動には力があり、
そうした力でこの世界は概ね動いているのです。

ひょっとしたら、こうした矛盾こそ、
真に人間が集団としては幸福になれない原因なのではないか、
と最近思うことがありますが、
「インテリ」にはなれない僕の僻みが、
そう考えさせているだけなのかも知れません。

最後に公演の感想ですが、
思ったほどは悪くありませんでした。
天皇制批判自体は安っぽいのですが、
ラストは結構深い部分に、
叙情的に降りて行きます。
蒼井優は嘘吐き少女という、
如何にも野田好みのキャラですが、
遊眠社時代の竹下明子の方が、
数段上手くこなしたと思います。
多分再登板はないのではないでしょうか。
妻夫木聡は上手くなったと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(27)  コメント(3)  トラックバック(0) 

nice! 27

コメント 3

ryo

診察所所長さま

はじめまして、ryoといいます。
昨日「南へ」を観に行ってネットを見ていたら、偶然こちらへ流れ着きました。
インテリ論、とても興味深く読ませていただきました。
ただ、少し疑問に思うところがあるので未熟ながらコメントさせていただきます。
恥ずかしながら野田秀樹はおろか舞台も普段まったくといってよいほど見ないような人間なので、その旨ご承知の上読んでいただければ幸いです。

「インテリ」という言葉は確かに社会のひとつの構造を説明するのに適当ではないかと思います。上述の通り野田秀樹をフォローしてきたわけではないので彼の経時的な変化についてはわかりませんが、確かにあの批評性とエンターテイメントの塩梅などは一歩引いた視点なしにはとうてい実現できないだろうし、インテリという言葉と通じるものがあります。

ただ、石原さんはインテリの持つ性質の一面しか説明してらっしゃらないように感じます。もう一面は責任感です。インテリは自らをインテリと自認するがゆえに、そうでない大半の人々に対して責任感を感じるでしょう。使命感、あるいはエリート意識といってもいいかもしれません。
自らの能力をもってすればどこでも生きていけると信じる一方、いやむしろそうであるがゆえに、自分の属するコミュニティーに対して自分が果たす役割を切実に感じ、そこから逃げ出すことをよしとしないという心性を多くのエリートは持っていると思います。
大衆の啓蒙、と呼ぶとイデオロギッシュですが、そこに伴う感情はときに大衆のそれ以上に切実であるとおもいます。

さて、野田秀樹に戻りますが、南へ にはそんな切実さがあるように感じました。大衆と違った目線であるにしろ、彼は扱っているテーマを「自分自身の問題」と捉えていたように思います。(石原さんの文面から推測するに、かつては大衆の目線でそれを感じていたのかもしれませんが)
それは、飯のタネ、というには重すぎて、がんばっても飲み込んでものどに詰まる小骨のようなアンビバレンスはその切実さに起因するようにおもいました。(それもテクニックだ、と言われたら否定できる自信はありませんが笑)

野田演劇がイギリスでも受ける、という事実は彼のテーマがもはや日本人という枠を超えて普遍的な大衆に共鳴するに至ったのだ、といえるし確かにそうなのだろうと思います。しかしそれは直ちに彼が日本を必要としなくなるということを示さないように思います。あくまでそのテーマは「日本」から広がった「世界」であるし、「日本人」の先にある「人間」であるし、そうであり続けるのだろうと思います。

以上、ツレヅレナルママニ書いてしまいましたが、要するに僕は昨日初めて見た野田秀樹がとても好きで、是非これからも見たいと思った、ということですね笑

お邪魔しました。





by ryo (2011-03-31 09:31) 

fujiki

ryo さんへ
コメントありがとうございます。
ryoさんにはフィットする作品で良かったですね。
僕もラストの叙情的な感じは好きです。
野田作品は僕は私的な世界をウジウジと描くものが、
本領なのではないかと思っていて、
最近の格好を付けている感じが、
何となく抵抗があるのです。
ただ、天才だとは思います。
自分の作品をイギリスで上演して、
イギリスのキャストに混じって、
自分も英語で舞台に立つのですから、
それはもう前人未到だと思います。
by fujiki (2011-03-31 21:34) 

ryo

>野田作品は僕は私的な世界をウジウジと描くものが、
>本領なのではないかと思っていて、

あ、なるほど。確かに今回の作品はそういう感じではなかったですね。
その野田秀樹も見てみたい、といってももう見れないかもしれませんね。
いずれにしろ今後も是非注目していきたいと思います。
おじゃましました。
by ryo (2011-04-01 11:31) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0