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1997年の桂枝雀 [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は休みで今起きたところです。
WOWWOWで、ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」を、
朝からやっていたのを見逃しました。

こうしたちょっとしたことで、
朝からやる気がそげます。
修行が足りませんね。

今日はちょっと落語の話です。
最近意外に立川談志がテレビに出ていますね。
先日テレビでインタビューを受けている、
談志師匠の顔を見ながら、
ふと1999年に亡くなった、
二代目桂枝雀のことを思い出しました。

僕はそれほど気合の入った落語ファンではありませんが、
1996年から1997年にかけては、
結構落語に凝り、
談志と枝雀の独演会にも何度か足を運びました。

丁度二人とも調子が悪く悩んでいた時期で、
その苦悩を客席にぶつける姿が、
とても印象に残っています。

談志師匠はビデオで見た「らくだ」がとても気になっていて、
「らくだ」が生で聞けるまでは通おうと決めて、
4度目の正直くらいで聞くことが出来ました。
ただ、きちんとラストまではやってくれませんでしたけれど。

今はどうなのか分かりませんが、
その頃の談志師匠は、
マイクを使っているにも関わらず、
辛うじて聞こえるかどうか、
というくらいの小さい声で語るんですね。
それがポリシーなのか、
それとも肉体的な原因なのかは分かりませんでした。
でも、自分はもうこれを最後の落語にするつもりだ、
と何度も言っていて、
客にどの水準のものを求めているのか、
と問い掛けるんですね。
ふーん、師匠は観客を信じているんだ、
とそのことが、
何か切なく感じられたことをよく覚えています。

何故切なく感じたかと言えば、
何度か足を運んだ独演会の客層が、
演者の高い期待に応えられるものとは、
僕には到底思えなかったからです。

独演会というのは、
殆ど自由席で、
並んで席取りをするのですが、
常連のおじさんが何人かいて、
決まって仲間10人分くらいの席を、
1人で荷物を置いて取ってしまうんです。
お酒の臭いがぷんぷんするし、
まじめに噺を聞いているとも思えませんでした。
その人達に対して、
高座から真剣に藝術的問い掛けをしている訳です。
もし声を掛けられたら、
そんなことをしても無駄だ、
と教えて上げたかったです。
その談志師匠は今も現役なんですね。

そして、枝雀師匠です。
1997年の2月に、
新宿のアイランドホールで独演会がありました。
連続もので2回目が4月。
3回目は、多分開かれなかったと思います。

オープニングから悩んで現れましてね。
「落語とは何だろう」、
と師匠の方から客席に問い掛けるんです。
問い掛けられても困りますよね。
こちらは無防備に聞きに来ただけなんですから。
それから落語の構成要素を、
一々説明するんです。
「これだけあれば、それで落語ですか」とか言いながら。
ね、変でしょう。
それから、手抜き落語の可能性について論じるんです。
何処まで手を抜けば、それは落語でなくなるのか。
それだけで、25分です。
それから前座のやる噺だと断って、
「牛褒め」という噺を5分間。
それで休憩です。
本人の独演会なんですよ。
ね、尋常じゃないでしょう。
休憩後、今度は落語の技法を説明するんです。
それもネガティブに。
「こんなんで、そばを食べてる振りをするんですよ。ひどいでしょう」、
とかと言うんです。
実演しながら、一々否定していくんです。
そして、最後に「義眼」という軽い噺をしておしまい。
1997年2月7日のことでした。

師匠も観客に期待を掛けていたんですね。
ひどく自分の藝について悩んでいて、
観客に何かをもらいたかったと思うんです。
でも、師匠の期待には、
僕を含めて応えることは出来なかったですね。

命懸けの藝は、
命懸けで聞かないといけない場合もある。
僕はそのことをその日感じた気がします。
悩んでいた二人の名人がいて、
一人は亡くなり、一人は生きている。
不思議ですね。

今日はちょっと趣向を変えて、
落語の話でした。

それでは皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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