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ロマン・ポランスキーのこと [映画]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は休みなので趣味の話です。

映画は中学から高校時代が一番入れ込んでいて、
名画座にも通い詰めましたが、
最近はWOWWOWで観るのがもっぱらで、
滅多に映画館には行きません。
一番最近映画館で観たのは、
「崖の上のポニョ」です。

一番好きな映画監督は、
ロマン・ポランスキーです。

最初に観たのが「マクベス」。
小学校の時に映画館で観ました。
これはねえ、とても小学生が観るような映画ではないですね。
シェイクスピアの原作を、
極めて生々しく、グロテスクで凄惨な、
地獄絵巻のように映像化した作品です。
でも、強烈に印象に残っていて、
大学生の時にシネマテークみたいな小さな名画座で、
再見しました。
子供の頃に強烈な印象を持った映画を、
後で観直すとそれほどでもなくてがっかりすることは、
良くあることです。
でも、大学生の時に観ても、
矢張り強烈でしたね。
これは稀有のことです。
それ以降、「マクベス」の物語は、
僕の中では普遍的なあらゆる物語の、
原型のように感じられます。

「マクベス」の舞台は、
TPTでルヴォーが演出したものとか、
何度か観ました。
ヴェルディがオペラ化したものとか、
翻案して映画にした黒澤明の「蜘蛛の巣城」とかも観ましたが、
矢張りどう考えても、
ポランスキーの「マクベス」が一番です。

ポランスキーの映画の中では、
ひどく無雑作に人が死にます。
それでいてその場面が極めて印象的に美しく、
装飾的なのに肌触りはリアルです。
「死ぬ瞬間とは間違いなくこうしたものだろう」、
という感じがするのです。

どうしてこんなことが出来るのだろう、
と常々考えていて、
自伝的な部分の含まれた「戦場のピアニスト」を観て、
合点がいきました。
少年の目で見た地獄が、
彼の心に刻印されていたのです。

ポランスキーはポーランド系ユダヤ人の映画監督で、
ポーランドの映画学校時代の短編から注目を集め、
1962年のポーランド映画、「水の中のナイフ」で、
一躍注目を集めます。
この映画は僕は高校時代に、
「ポーランド映画特集」で、
ワイダの「地下水道」などと一緒に観ました。
一種の心理サスペンスで、
殆ど事件らしい事件は起こらないのに、
異様な緊張感が持続する、
稀有な才能を感じさせる作品です。
題名の通り、よく切れるナイフの肌触りですね。
この映画の成功でイギリスに招かれ、
「反撥」と「袋小路」を撮ります。
この2本はビデオで見ました。
次もイギリス映画の「吸血鬼」。
初めてのカラー作品で、
当時流行していた怪奇映画のパロディです。
これはテレビでカットされたものを観て、
後日レーザーディスク(懐かしいですね)で、
完全版を観ました。
この映画にはポランスキー自身が出演していて、
共演した美人女優の、
シャロン・テートと映画の撮影後に結婚します。
この映画のシャロン・テートは、
この世のものとは思えないほどに美しく、
かつ紙で作られた人形のように儚げです。
ご存知のように、
このシャロン・テートはマンソンファミリーによって、
惨殺されました。

これら3本のユニークでグロテスクな映画を撮ってから、
アメリカに招かれ、
「ローズマリーの赤ちゃん」を撮ります。
原作は当時刊行されたアイラ・レヴィンの小説です。
妊婦の心理的な不安と、
悪魔崇拝というオカルトを結び付けた、
アイデアの光るサスペンスで、
ベストセラーになりました。
映画のプロデューサーはウィリアム・キャッスル。
知る人ぞ知る「きわもの映画」の巨匠で、
このことから、
それほど高級な映画にするつもりの、
企画ではなかったことが分かります。
僕はカットされたテレビで最初に観て、
それから完全版をレーザーディスクで再見しました。

ご存知のようにこの映画は、
興行的にもヒットして評価も高く、
ポランスキーの出世作になりました。

この映画のポイントは、
原作をほぼ100パーセント、
そのまま映像化していることです。
セリフも可能な限り原作のそのものを使っています。
原作の章割の通りに映像は展開し、
設定の省略もなければ、
改変も殆どありません。
当たり前のことのようで、
普通絶対にこうしたことはありません。
活字と映像は表現の質がまるで違うので、
「映像」に合った設定や展開に、
原作を変更してシナリオ化するのが、
映画というものの基本的セオリーだからです。
とりわけこの作品の原作は、
じわじわ主人公の不安を盛り上げていくタイプの、
心理的サスペンスで、
最後まで表面的には大した事件が起こりません。
「あの人が死んだのも、
悪魔のせいじゃないかしら。恐いわ」、
みたいな繰り返しなのです。
恐怖の主体は、
派手な外界の出来事の中にあるのではなく、
主人公の心の中にあるのです。

こんなものをそのまま映像化して、
面白いでしょうか?
普通の頭の人はそうは考えません。
普通の脚本家だったら、
悪魔が現れて猟奇的に殺人を犯すような、
派手な場面を入れるでしょう。

ところが、ポランスキーはそうはしませんでした。
映画用の台本を書いたのも、
ポランスキー自身です。
そこに彼の並々ならぬ自信と決意のほどが見て取れます。

そして、皆さんもご覧になれば分かるように、
紛うことなき傑作が生まれたのです。

これは「オカルト映画」と呼ぶのが憚られるような、
極めてハイブローな作品です。
初めてニューヨークで夫と2人暮らしを始めた、
新婚のローズマリーは、
夫以外に頼るものがなく、
「異邦人の孤独」を抱えています。
ポランスキーは移民としての自分の孤独感を、
この女主人公に当て嵌めたのです。
従って、ラスト前のぎりぎりまで、
悪魔など、この主人公の妄想なのではないか、
という余地を残しながら、
ストーリーは展開します。
この映画の主題は孤独なのです。
その切なさが、観るものの心を締め付けます。

ポランスキーの作家としてのピークは、
「ローズマリーの赤ちゃん」から、
「マクベス」そして、「チャイナタウン」の3本でしょう。
その間に妻の惨殺事件が挟まるのが、
人生の悲劇と芸術との皮肉な関係を感じさせます。

「チャイナタウン」のあと、
「テナント」というこれも壮絶な作品を作り、
精神の均衡が危ういのでは、
と言う危惧を感じさせますが、
案の定少女をレイプした容疑で取り調べを受け、
その危機を脱した後の「テス」以降の作品では、
残念ながら冴え渡る感性の煌きは戻ることはありませんでした。
(勿論まだポランスキーは現役ですが、
僕の中では過去形なのです)

実は僕の女神のナタリー・デセイと、
ポランスキーとの間には接点があります。
ポランスキーは何度かオペラの演出をしていて、
1992年にデセイ様の出世作の1つとなった、
パリオペラ座版の「ホフマン物語」を演出しているのです。
ポランスキーとデセイ様がどんな話をしたのかな、
何て思うと、何も僕のために接点を持ってくれた訳でもないのですが、
ちょっと不思議な気分になります。

今日は僕の好きな映画の話でした。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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