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柴幸男「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」(フェスティバル/トーキョー17) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の記事も演劇の話題です。

それがこちら。
わたしが悲しくないのはあなたが遠いから.jpg
ままごとの柴幸男さんが、
今年のフェスティバル/トーキョー17の一環として、
東京芸術劇場の地下の隣り合った2つの小劇場で、
同時に一連の作品を上演する、
という興味深い企画を行っています。
上演は本日までの予定です。

ままごとは何と言っても「わが星」が素晴らしく、
小演劇史上に燦然と輝く大傑作で、
今年リクリエートされた「わたしの星」も、
感動的な傑作で感銘を受けましたので、
これはままごとの作品は全て傑作なのではないかしら、
と思って今回も急遽観ることにしました。

企画も興味深くて、
震災のような、
その場にいない人にとっては「遠くにある悲劇」をテーマに、
観客は同時には観ることが出来ない、
隣り合った2つの劇場で、
同じモチーフの芝居を同時に上演し、
それが所々でリンクする、
というこれまでにない発想の公演です。

僕はイースト版を最初に観て、
それから別の日にウエスト版を観ました。

率直な感想は、
「今回は準備不足」というもので、
無理して両方行くこともなかった、
というのが正直なところでした。

また練り上げての上演を期待したいな、
というように思う一方で、
この発想はもっと別の形で活かすべきで、
今回は失敗と捉えた方が良いのでは、
というようにも感じました。

当たり前のことかも知れませんが、
ままごともいつも面白い、
という訳ではなかったようです。

以下ネタバレを含む感想です。
上演は本日までですので、
本日観劇予定の方は、
終了後にお読み下さい。

東京芸術劇場の地下には、
隣り合ったほぼ同じ大きさの劇場が2つ並んでいて、
一方がシアターイーストでもう一方がシアターウエストです。
両方とも小さな箱の割には、
無機的な感じがして、
新国立劇場の小劇場と同じように、
客席と舞台が一体感を持つことが、
難しいような印象をいつも持っています。
この劇場で観た芝居は、
概ね地味で面白くない、ということが多いのです。

今回は同時上演ということで、
2つの劇場の入り口に、
仮説の空港の入場ゲートのようなものが、
設けられています。
イーストウイングとウエストウイング、
ということのようです。

それはそれで良いのですが、
安っぽいベニヤの工作みたいなセットなので、
ちょっとガッカリします。

両方の劇場ともシンプルなセットで、
1時間15分程度の3幕に分かれた、
ほぼ同一のストーリーが展開されます。
ただ、演出は両者で異なっていて、
シンプルなセットも、
イースト版は背景がスクリーンになっていて、
映像を映すという趣向の一方で、
ウエスト版は客席に前後から挟み込まれた、
中央の横長ステージになっていて、
そのため横移動が多く、映像は使われません。

イーストでは東子(トーコ)さんという女性が主人公で、
ウエストでは西子(セイコ)さんという女性が主人公となり、
東子さんは標準語を話し、
西子さんは関西弁です。

どちらの設定でも、
生まれた時から自分の隣に、
合わせ鏡のような女の子がいて、
その子との距離が、
次第に離れて行く、
という趣向になっています。

そして相手の側に次々と悲劇が起こり、
それは震災であったり、テロであったりします。

主人公はそれを否定しようとしたり、
過去にさかのぼってそれを止めようとしたり、
遠くで起こったことだからと無関心を装ったりもするのですが、
そのどれでもない別の答えを探して、
生まれることを繰り返す、
という物語です。

戯曲はかなり観念的で、
言葉で説明する部分が多く、
児童劇的なスタイルを取ったり、
お説教じみた部分も多いのが、
個人的にはかなり退屈でした。

言わんとすることが良く分かりますし、
遠い世界で起こった悲劇にどう向き合うべきか、
というのは、極めて今日的なテーマであると思います。
如何にも柴さんらしい、
純粋で真っ直ぐな考え方だなあ、という風には思います。
同感もします。

ただ、それをそのまま芝居にするのは、
あまり効果的なことではないように感じました。
どちらかと言えば、
トークショーで観客と語り合ったり、
テレビ番組にしたり、
講演会のテーマにする方が合っているようなテーマです。

要するに演劇にはテーマ自体があまり向いていないし、
咀嚼をされていないし、演劇化されていないように感じたのです。

素の舞台でダブダブの衣装を着た女優さんに、
「その時遠くの世界で海が燃えました」
みたいなことを言われて、
それで何を感じないといけないのでしょうか?

悪く言えばとても独りよがりな世界を感じました。

劇場の横にドアがあって、
そこを開くとその向こうにもう1つの劇場がある、
という趣向なのですが、
実際には別に2つの劇場を直線的に繋ぐ道はないので、
音を飛ばしてそれらしく見せているだけです。

当日の話題などを幕間で役者さんが通路越しに話し合って、
「ほら、つながってるでしょ」みたいなことをするのですが、
それがどうした、というくらいにしか感じませんし、
観客に呼びかけて、客いじりをするようなことに、
あまり慣れている役者さん達ではないので、
とても反応が良いとは言えない観客相手に、
空しく呼びかけ進行するのも何か白々しい感じです。

「そちらは順調に進んでいますか?」
「順調です」
「良かった。こっちも順調です」
みたいなことを何度かやるのですが、
順調であることを確認してどうするのでしょうか?
見えない世界で悲劇が起こっている、
というお芝居なのですから、
順調でなくならないと、
やる意味がないのではないでしょうか?

実際に劇中で何度か東西の役者さんが入れ替わって登場するのですが、
それがとても効果的、ということもありませんでした。

柴さんの演出はいつも感心して観ていたのですが、
今回は台湾のスタッフが音楽と衣装を担当していて、
それも作品世界にマッチしていないように感じました。
ダブダブの色気の欠片もないような抽象的な衣装は、
とてもつまらなく舞台の単調さを増していましたし、
いつもなら音楽はとても舞台に合っていて、
クライマックスでは情緒的な盛り上がりを見せるのですが、
今回は予め作曲された音楽を、
「使わなければいけなかった」ということのようで、
音楽が舞台の流れを消すという、
嫌な感じになっていました。
音楽を舞台に合わせてつけ直すだけでも、
作品の印象はかなり変わるのではないかと思います。
長い紙を広げて波を表現したりするのも、
野田秀樹演出と似すぎていて興ざめでした。

総じて練り上げが不足していて、
中途半端な舞台でした。
せっかくの面白い企画であり上演だったと思うので、
こうした結果になったことは非常に残念に感じました。

勿論これは個人的な感想ですので、
面白いとお感じになった方もいるかと思います。
色々な感想があるということで、
ご容赦を頂ければ幸いです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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前川知大「関数ドミノ」(2017年寺十吾演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

昨日は変な夢を見ました。

加藤浩次さんが、
朝の情報番組の傍ら弁護士をしている事務所で、
何故か僕はバイトをしているのですが、
そこで変なおじさんに、
悪徳政治家にパワハラをされていると弁護を頼まれ、
僕は素人なので加藤さんにお願いすると、
着手金は200万だけどお前ならまけてやる、と言われ、
お願いするのですが、
良く考えてみると自分が弁護を依頼している訳でもないのに、
何故僕がお金を出さなければいけないのだろう、
とはたとそのことに気づいて、
加藤さんに連絡を取るのですが繋がらない、
という夢です。
困りました。

今日は日曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
関数ドミノ.jpg
イキウメの前川知大さんが、
2005年にイキウメで初演し、
2009年と2014年に再演された「関数ドミノ」が、
今回ナベプロの主催で寺十吾さんの演出により再演されました。

キャストは若手中心ですが、
瀬戸康史さん、柄本時生さん、勝村政信さんと、
なかなかの曲者演技派が揃っています。

「関数ドミノ」は2009年版を初めて観て、
とても感銘を受けましたし、
かなり衝撃的でした。

内容も演出スタイルも、
新しい芝居だと興奮したのです。

それからイキウメのお芝居はほぼ全部観ていますが、
正直2009年の「関数ドミノ」を超えるものはないと感じています。
もちろん初物の新鮮さあってのことかも知れません。

2014年の再演もその意味でとても期待したのですが、
前川さんは前回の脚本に大きく手を入れていて、
演出も大幅に変えていたのですが、
それが個人的には「改悪」としか思えず、
最初から「違う違う、こんなんじゃ台無しじゃないか!」
と叫びだしたい気分になりました。
勿論元々前川さんが書かれたものですから、
僕が文句を言う筋合いはないのですが、
それでも2009年に観た時の新鮮な衝撃が、
汚されたように感じたのです。
これだけ大きく変更してしまうのなら、
全くの新作を書けば良いのに、
と正直を言えば思いました。

今回の企画上演では、
前川さん自身が2009年版を使用する、
とチラシにも書かれています。
それから寺十吾さんの前川作品の演出にも興味があり、
期待をして観に出掛けました。

観終わった後の感想としては、
この作品の持つ力を、
再認識させるような公演には充分なっていたと思います。

これはワンアイデアの作品なのですが、
ラストのある秘密が明らかになる瞬間の破壊力が素晴らしくて、
ほぼ予想の付くような筋書きではあるのですが、
単なるどんでん返しではなく、
今の世の中に生きる多くの人間が持っている病理のようなものを、
演劇的に露わに視覚化している、
という点が何より素晴らしいのです。

2009年版のラストで、
自分の人生が思い通りにならないことを、
全て他人のせいにしていた主人公が、
その拠り所を失って、
舞台上で途方に暮れる姿が非常に印象的でしたし、
「散歩する侵略者」のラストにも通底する感じがありました。

2014年版では話を複層的に複雑化していて、
原案のシンプルさが失われていたのが最低でした。

今回の寺十吾さんの演出では、
イキウメの舞台が、
いつもやや無機的でスタイリッシュな感じなのに対して、
ややレトロで昭和趣味のセットを作り、
舞台奥に壊れた半透明の車と、
風力発電のプロペラの列を配して、
それがラスト途方に暮れる主人公の背後に浮かび上がると、
ある種の「負の力」が世界に波及して破滅の引き金を引くような、
サイバーパンク的な終末観を演出して効果的でした。
これはただ、前川さんの戯曲の、
本来のラストの意味合いとは、
ちょっと違うようにも思いました。

何より真相が明らかになる場面を、
仰々しいくらいにメリハリを付けて盛り上げてくれましたし、
「ドミノ」の部屋の盗聴をする場面などは、
部屋を左右に置いて、
非常にわかりやすく演出していました。

寺十吾さんの演出意図は、
アングラ的素養をベースに置きながら、
戯曲の構造をわかりやすく提示することに重点を置き、
オープニングとラストにだけ、
戯曲の世界観にないものを付加する、
という構想で、
これは蜷川幸雄さんの演出に非常に近いものではないかと思いました。

多くの演出家が蜷川さんの仕事を、
引き継ぎ乗り越えるような試みを、
少しずつされていますが、
僕はアングラの素養を持ち、
それをスペクタクル化する技量をもっている、
という意味で、
寺十吾さんこそ、
蜷川幸雄に近い演出家ではないか、
という感じを今回持ちました。

イキウメは最近は個性的な役者さんも、
育って来てはいるのですが、
演技にはやや平坦な印象があり、
役柄にも無理を感じることも多いのですが、
今回はプロデュースとあって、
その役柄に違和感のないメンバーで固められていて、
作品世界にすんなりと入ることが出来ましたし、
皆なかなかの熱演でした。

主人公の瀬戸康史さんは、
最近病的な感じを少し出し過ぎかな、
というようには感じますが、
主役にふさわしい熱演でしたし、
勝村政信さんがさすがの風格で作品を締めてくれました。
持病を持って苦悩する山田悠介さんも、
とても良かったと思います。

そんな訳で当たり前のことですが、
戯曲が良く演出が良く役者が良ければ、
芝居が良くなるのは当たり前であることを、
改めて認識させてくれた上演で、
寺十吾さんにはこれからも、
小劇場の不幸に埋もれた名作の復活を、
是非お願いしたいと思います。

今日はもう1本演劇の話題が続きます。
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日本のラジオ「カーテン」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が外来を担当し、
午後2時以降は石原が担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
カーテン.jpg
「日本のラジオ」という劇団の新作「カーテン」を、
三鷹市芸術文化センター星のホールで観劇しました。
この劇場で毎年企画されている、
注目の若手劇団シリーズの1本です。

これは正直に言うと物凄く詰まらなくて、
最近久しぶりに「しまった。時間を完全に無駄にした!」
という絶望感と敗北感に苛まれることになりました。

上演中にそんな感想を書くのは失礼なので、
書かなかったのですが、
もう公演は終わっていますので、
率直な感想を書きたいと思います。

以下ほぼ全て悪口ですので、
この劇団がお好きな方や、
この公演を見られて気に入ったというような方は、
ご不快に思われたら申し訳ありません。
色々な感想があるということで、
ご容赦頂ければ幸いです。

お芝居の内容は結構意欲的なもので、
沖縄をモチーフにした架空の島が舞台となっています。
そこでは本土から独立しようとする過激派がいて、
その集団が島の劇場を占拠して、
収監されている同志の解放を要求する事件を起こします。

観客には予めその事件に関する、
パンフレットを兼ねた詳細な資料が配布されていて、
事件は4日目に軍の特殊部隊の突入により終結し、
テロリストは全員射殺、
人質のうち33名も窒息死した、
という経過が書かれています。

劇場は素舞台の側が仮設の客席となっていて、
観客は裏手から誘導されて、
通常の舞台上に座ります。
観客の目の前には舞台と客席を分ける緞帳が下がっています。

緞帳が開くと、
客席を見下ろす格好になり、
何の装飾もない客席のあちこちに、
布の頭巾を被せられた役者さんが腰を下ろしていて、
2人のテロリスト役の役者さんが、
自分達の主張の記録動画を撮っているところが見え、
そこから物語が始まります。

確かにその一瞬はなかなか刺激的で面白いのです。

客席から舞台を見上げる代わりに、
客席という舞台を見下ろすという恰好になりますし、
客席をそのまま舞台装置にする、
という発想も斬新です。
そこに頭巾で顔を隠した役者さんが、
ズラリと並んでいるのも異様な感じがします。

ただ、1時間半の上演時間中、
舞台(実際には客席)の風景には、
全く変化が見られず、
役者さんが自分達のパートでは頭巾を脱ぎ、
自分達のパートが終わると頭巾を被って、
不特定の人質に代わる、
という繰り返しが、
延々と続くだけです。

リアルにそこを劇場として見せたいのかと思うと、
必ずしもそうではなく、
テロリストの持っている銃や爆弾も、
簡素な小道具と見えるものになっていますし、
結果として生き残った人質という設定かと思いますが、
人質役の役者さんが、
もう事件が終わった後の時制から、
過去を振り返るような独白をセリフに挟んだりもしています。

パンフレットに書かれている事件の経過のうち、
占拠事件の翌日から舞台はスタートし、
軍の特殊部隊が突入する寸前で、
物語は終了します。

つまり、基本的に劇的なことや大きく状況が動くという場面については、
舞台上では描かれず、
テロリストと人質との、
ある種淡々とした「日常」の部分のみが描かれます。

これはまあ、平田オリザさんや岩松了さんの劇作に、
基本的には近いスタイルのものだと思います。
また素材自体で言えば、
TRASHMASTERSや劇団チョコレートケーキ辺りに、
近いという印象です。

ただ、平田さんや岩松さんの劇作であれば、
客席と舞台を入れ替えるというような無理はせず、
オーソドックスに安心出来るような舞台を作り、
展開されるドラマ自体に観客の意識を集中させたと思いますし、
人物描写はもっと繊細かつ緻密に紡がれて、
舞台上で実際には描かれない部分にも、
もっと魅力があったのではないかと思います。

一方でTRASHMASTERSであれば、
言葉の暴力を含めて暴力的な闘争はもっと凄味を持って描かれ、
強烈なテンションに貫かれた作品になったと思いますし、
劇団チョコレートケーキであれば、
人物のディテールはもっとリアルに磨かれ、
重厚でリアルな作品となったのではないかと思います。

ただ、劇作自体は、
やや平凡でパンチの効かないものではあっても、
そう悪くはなかったと思うのです。

この芝居がたとえばスズナリ辺りで、
オーソドックスな演出で上演されれば、
「あまり面白くはないけど、まあこんなものかな」
というくらいの感想だったと思います。

問題は演出です。

この作品で客席と舞台を逆転させた意味は何処にあるのでしょうか?

観客は簡易の椅子でとても居心地は悪く、
客席から舞台の距離も不必要に遠くなっています。
舞台面に全編全く変化がなく、
音効効果や照明効果も全くないので、
とても単調で退屈を感じます。

確かに緞帳が上がった瞬間はインパクトがありますが、
そんなものは数秒で終わる性質のものです。

たとえば観客を人質に見立てるというような、
明確な意図があればそれでも良いですし、
通常の舞台と客席では得られない臨場感を、
感じさせるような作品であれば、
それはそれで良いと思うのですが、
前述のように設定はリアルではなく、
平田オリザさんのスタイルに近いような台詞劇なので、
観客は無理をして舞台に意識を合わせるような気分になり、
無用に集中して舞台を見ないといけない羽目に陥ります。

これはいくら何でも観客に失礼ではないでしょうか?

せっかく設備の整った劇場に招聘されての公演なのですから、
ワンアイデアで押し切るのではなく、
もう少し手間と時間とお金を掛けて、
演出に変化を付けるべきではなかったのでしょうか?

パンフレット自体は出来の良いもので、
背景の説明は全てそこで済ませて、
そこにない余白の部分を演劇化する、
という趣向は良いと思うのです。
しかし、そうした発想であれば、
舞台自体はもっとオーソドックスな作りにした方が、
間違いなく良かったと思います。

その一方でもっと滅茶苦茶で前衛的な舞台にしたいのであれば、
ディテールを固める必要などあまりなかったと思いますし、
もっと過激で押して欲しかったと思います。
客席と舞台を反転させるという仕掛けを最初にしておきながら、
その後は1時間半、
ただおとなしく居心地の悪い椅子に座って、
平田オリザさん的舞台を見続けるだけ、
というのはいくら何でもおかしいと思うのです。

これでは、
単純に舞台予算を削減するための演出と言われても、
仕方がないもののように思いました。

今回の芝居で舞台と客席の交換、
という趣向を外してしまうと、
音効も照明もなくセットもない素舞台での芝居、
ということになり、
それは余程の覚悟がなければ、
手抜き以外の何物でもないからです。

劇団のサイトを見ると、
あまり劇場では公演は行わず、
音効や照明も極力使用しない、
と書かれているので、
いつもの通りだったのかも知れません。
今回の芝居でも、
たとえば施設の通路や中庭での公演であれば、
これでも良かったと思いますが、
通常の設備のある劇場を使用してお金を取っておいて、
この使い方は有り得ないように思うのです。

役者の肉体さえあれば何処でも芝居は成立する、
まあそれは確かにそうでしょう、
しかし、今回の芝居に登場した肉体に、
そうした覚悟や凄味はなかったように思います。
何も装飾のない芝居を成立させてお金を取ることは、
一部の天才のなし得る境地で、
そうしたことは滅多にはないからこそ、
多くの劇団は照明や音効やセットに頼るのではないでしょうか?

僕は最低でも同じ劇団の芝居は、
2回から3回は観に行くようにしているのですが、
さすがにこれだけ辛い経験をすると、
もう一度見る元気は、
なかなか起こって来ないのが実際です。

ただ、その一方で僕はデタラメな芝居、
観客を置き去りにしたような芝居も嫌いではなく、
以前にも「なんだこれはひどいな」と思って、
意外にそうした劇団がその後急成長、
というようなことも何度も経験しているので
(僕にとってはケラさんの芝居もそうでした)、
次はビックリ素晴らしい芝居、
というようなこともないとは言えないと思うのです。

おそらくはこの劇団の皆さんにも、
皆さんなりの狙いがあり、
意地があるのだと思うので、
今後の活躍を期待したいと思います。

頑張って下さい。

ただ、最後に1つだけ言いたいことは、
詰まらないお芝居ほど多くの娯楽の中で苦痛なものはなく、
一度そうした芝居を見てしまうと、
お芝居や演劇というもの自体が、
その後一生嫌いになってしまうことがあり、
そうした芝居嫌いの人を僕自身沢山知っているので、
これが地下の小劇場や、
余程の好き者しか行かないような場所での公演であれば良いのですが、
今回のような、
公的な劇場で若手の良いお芝居を集めました、
というような企画の場合には、
演じる側も、
観客の中にはお芝居を見るのが初めてという人もいて、
そうした観客にとっては、
この機会が一期一会で、
この芝居が面白いかどうかが、
その後の演劇に対する姿勢を決定することもある、
ということは是非念頭において欲しいと思うのです。
要するに何にせよTPOということはあるのではないか、
というのが僕の唯一言いたかったことです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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高リン食による老化のメカニズム [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は金曜日でクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療などには廻る予定です。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
リンによる老化のメカニズム.jpg
今年のScientific Reports誌に掲載された、
高リン食による老化のメカニズムを、
ネズミの実験で検証した論文です。
慶應義塾大学の宮本健史先生らのグループによる研究です。

最近老化のメカニズムとの関連で注目されているのが、
血液のリン濃度と老化の進行との関連です。

リンはカルシウムに次いで身体に多いミネラルで、
その多くは骨の構成成分としてカルシウムと共に存在しています。
身体には副甲状腺ホルモンと言って、
血液のカルシウムを上昇させてリンを低下させる、
という役割を持つホルモンがあり、
このためカルシウムとリンの比率(カルシウム・リン積として表現される)は、
ほぼ一定に維持されるような仕組みになっています。

これ以外に血液のリン濃度が上昇した時に、
リンを単独で低下させる物質として、
FGF23という物質が高リン食で増加することも、
最近分かって来ています。

さて、カルシウム・リン積が増加すると、
血管の壁や皮下などに石灰化が起こることは分かっていましたが、
老化とリンとに関連があるとの知見が広まったのは、
抗老化遺伝子として同定されたKlotho遺伝子が欠損して、
全身の老化や動脈硬化が急激に進行しているネズミでは、
血液のリン濃度が著明に増加していて、
血液のリン濃度を正常化すると、
老化の促進の多くが抑制される、
という研究結果が発表されてからです。

どうやらリンを適切に身体から排泄するシステムが壊れ、
過剰なリンが身体にたまると、
それが老化を促進する大きな因子となることは、
ほぼ間違いがなさそうなのです。

しかし、リンと老化との間にどのような関連があり、
それがKlotho遺伝子とどのような関連を持っているのか、
といった詳細はまだ不明のままなのです。

今回の論文はそのミッシングリンクにメスを入れたもので、
Enpp1という遺伝子が、
そこを介在しているのではないか、という結果になっています。

動脈硬化などで起こる身体の病的な石灰化は、
老化現象の大きなシグナルの1つですが、
この石灰化はカルシウムと無機リンから形成されたハイドロキシアパタイトが、
コラーゲン繊維に沈着することにより起こります。
一方でその石灰化を抑制しているのがピロリン酸という物質で、
その産生を促進するのがEnpp1という酵素です。

ピロリン酸はリン酸が2つ結合した化合物です。
それが行き過ぎた骨化を抑制するようなスイッチの働きをしているのです。
リンが過剰になると異所性石灰化が起こり易くなり、
それを同じリンの化合物が止める働きをして、
身体のバランスを保っているのです。

このEnpp1遺伝子が欠損すると、
正常な骨の石灰化が起こらなくなります。
人間の遺伝性低リン性骨軟化症という病気がありますが、
この病気ではEnpp1遺伝子が正常に働かないような変異があることが、
確認をされています。

上記論文の著者らは、
Klotho遺伝子による老化の抑制が、
一部はEnpp1を介しているのではないかとの推測の元に、
Enpp1遺伝子が欠損しているネズミに高リン食の負荷を行ない、
その全身に与える影響を、
Enpp1が通常に機能しているネズミと比較検証しています。

その結果…

Enpp1遺伝子が欠損しているネズミに、
高リン食の負荷を行なうと、
Klotho遺伝子が欠損しているネズミと非常に似通った、
加齢が促進されたような変化が起こり、
異所性の石灰化は促進されて、
動脈硬化や骨粗鬆症が進行、
寿命も短縮してしまいます。

ややトリッキーですが、
Enpp1遺伝子の欠損ではなく、
別の遺伝子の欠損による骨軟化症のモデル動物のネズミで、
同様の高リン食負荷を行なっても、
老化の進行に結び付くような変化は見られませんでした。

ここでEnpp1遺伝子の欠損による変化をみてみると、
高リン食の負荷により、
リンを下げる働きを持つFGF23と、
リンを取り込んで正常な骨を作る活性型ビタミンD(1,25OH2D3)が、
共に過剰に産生されて、
これはKlotho遺伝子の活性低下に伴うものの可能性が高い、
という結果になっています。

こちらをご覧下さい。
高リン食への対応正常.jpg
これはEnpp1が正常に働いている場合の、
生体内でのリンの調整メカニズムを示しています。

余分なリンを身体から排泄する仕組みの主体は、
FGF23というホルモンにあります。
血液の無機リン濃度が上昇すると、
骨細胞からFGF23が産生されます。
このFGF23 は腎臓にある受容体に結合しますが、
そこではEnpp1で刺激されるKlothoが受容体とリンクしていて、
これがCyp27という酵素を抑制し、
ビタミンDの活性化を阻害するので活性型ビタミンDは低下、
消化管からのリンの吸収が抑えられて、
リンの上昇にストップが掛かります。
FGF23は尿細管からのリンの再吸収も抑制しますから、
その2つの働きにより、
リンは排泄されて定常状態に戻るのです。

それでは次を御覧ください。
高リン食への対応異常.jpg
これはEnpp1が何等かの原因で働かない場合の、
高リン血症時の身体の働きを見たものです。

リン濃度の上昇により、
骨からはFGF23が産生されますが、
Enpp1の働きがなくなることで、
Klothoの活性が落ち、
Cyp27の抑制もされないために。
活性型ビタミンDが過剰に産生されてしまいます。
このビタミンDがリンの吸収を促進するので、
リンの過剰は悪循環に陥るということになります。

このリンが過剰である状態での活性型ビタミンDの過剰産生が、
異所性の石灰化に結び付き、
老化促進の要因にもなっているのではないか、
という仮説です。

今回の結果は1種類の特殊な実験動物でのものなので、
それが人間でも当て嵌まることであるのかどうかは、
現時点では何とも言えません。
他の矢張りEnpp1が欠損したモデル動物では、
高リン食でも異所性石灰化は見られなかった、
というような報告もあり、
今後より詳細な検証が必要であるように思います。

いずれにしても、
リンが生体内で過剰に存在するかどうかで、
石灰化に関わる身体の仕組みが変化し、
それが老化に結び付いているという知見は興味深く、
老化とリンとの関連は、
これからも大きなトピックであることは、
間違いがないと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍発売中です。
よろしくお願いします。

誰も教えてくれなかった くすりの始め方・やめ方: ガイドラインと文献と臨床知に学ぶ

誰も教えてくれなかった くすりの始め方・やめ方: ガイドラインと文献と臨床知に学ぶ

  • 作者: 石原藤樹
  • 出版社/メーカー: 総合医学社
  • 発売日: 2016/10/28
  • メディア: 単行本


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抗凝固剤の使用と血尿との関連について [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
抗凝固剤と血尿との関連について.jpg
今年のJAMA誌に掲載された、
抗凝固剤の有害事象としての血尿のリスクについての論文です。

アスピリンなどの抗血小板剤や、
ワルファリン、ダビガトランなどの抗凝固剤は、
心血管疾患の予防薬として、
また心房細動による脳梗塞の予防や、
静脈血栓症に伴う肺塞栓症の予防薬として、
幅広く使用され、
その有用性が確認されている薬剤です。

その副作用として最も多いのが、
胃潰瘍や脳出血などの出血系の合併症です。

このうち、
消化管出血や脳出血については、
そのリスクはよく調べられていてデータも多いのですが、
その頻度が少なく比較的軽症に留まる場合が多い、
という判断からか、
あまり触れられることがないのが血尿などの泌尿器科系の出血です。

ただ、実際には血尿が止まらずに入院に至るというケースもあり、
抗凝固剤を中止せざるを得ないケースも、
実際には相当数あると思われます。

今回の研究はカナダのオンタリオ州において、
66歳以上の全人口を対象とした非常に大規模なもので、
2518064名が対象となり、
そのうちの808897名が何等かの抗血小板剤か抗凝固剤を使用していました。
これは1回でもそうした処方が出た人はカウントされています。
観察期間の中央値は7.3年です。

全く抗血小板剤や抗凝固剤を使用していない場合の、
血尿に伴う救急受診と入院、
そして泌尿器科的処置を併せた頻度は、
年間1000人当たり80.17件であったのに対して、
こうした薬を一回でも使用している場合には、
年間1000人当たり123.95件と有意に増加していました。

未使用の場合と比較して、
アスピリンなどの抗血小板剤のリスクは、
1.31倍(95%CI; 1.29から1.33)、
ワルファリンやダビガトランなどの抗凝固剤のリスクは、
1.55倍(95%CI; 1.52から1.59)、
両者を併用した倍は格段に高く、
10.48倍(95%CI; 8.16から13.45)となっていました。

こうした薬剤未使用の場合と比較して、
1種類でも使用していると、
その後半年に膀胱癌と診断されるリスクは、
1.85倍(95%CI: 1.79から1.92)有意に高くなっていました。

このように、
抗血小板剤や抗凝固剤の使用により、
他の出血系のリスクと同様、
血尿による入院などのリスクが増加することは間違いがなく、
それは特に2種類以上の薬の併用で顕著となっています。
膀胱癌の増加は、
薬が癌を誘発したのではなく、
血尿よりその二次検査が行われるので、
そのために見かけ上診断が増加したものと想定されます。

比較的軽症例が多いので、
やや軽視されがちですが、
抗血小板剤や抗凝固剤が、
泌尿器科系の出血リスクを増すことも間違いはなく、
そうした薬の使用時には、
血尿の有無にも注意を払う必要があるのだと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

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