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伊藤計劃「ハーモニー」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。
今日も遅い更新になってしまいました。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ハーモニー.jpg
34歳で癌のために亡くなったSF作家、
伊藤計劃さんの作品を、
遅ればせながらまとめ読みしました。

完成された長編は2編のみで、
「虐殺器官」とこの「ハーモニー」です。

僕は「虐殺器官」の方は、
あまり乗らなくて、かなりしんどい思いで読了したのですが、
この「ハーモニー」はなかなか面白くて感銘を受けました。

健康がテクノロジーで管理された世界で、
何故か突然に集団自殺事件が起こるというストーリーが魅力的で、
「人間の意識そのものが悪である」というテーマも斬新です。

医療ネタの一種でもありますし、
僕の大好物の話です。

「虐殺器官」の方は、
「虐殺言語」という、
内戦や民族紛争、
それに伴う集団殺戮を自動的に生じさせるような、
言語の体系がある、という話で、
それはそれで面白いのですが、
シリアの内戦やISの脅威などの今の世の中を見ると、
そうした「暴力」の説明には、
それはなっていないので、
その意味で違和感をもってしまうのです。
その一方「ハーモニー」のの、
「自我の誕生こそ不幸の本質で生命の正統な進化を脅かす」
という主張は、
今の社会においても、古びてはいないと思うのです。

この両作品において、
ラストでは「究極の未来」が実現してしまうので、
その辺りの構想力は面白いなあ、
と思います。

いずれにしても、
「人間がテクノロジーの粋を集めて建造した、
100%安全なユートピアに、
何故か自殺やシリアルキラーが横行する」
というのは僕が非常に魅力を感じる筋立てで、
何かこうした方向で新しい物をひねり出せないかと、
日々頭をひねっているところなのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

品田遊「止まりだしたら走らない」 [小説]

こんにちは。
石原藤樹です。

今日から診療所は夏季の休診になります。
今日はこれから奈良に行く予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
止まりだしたら走らない.jpg
ツィッターで有名なダヴィンチ・恐山さんが、
別名で書いた処女小説です。

これはある方が、
後半にどんでん返しのある、
素晴らしく技巧的な小説、
のように褒めていたので、
叙述トリックには目がない方なので、
読んでみたのです。

中央線沿線を舞台にした、
人生スケッチ的な短編が続き、
それと並行して、
2人の大学生が高尾山に向かう、
もう1つの物語が挟み込まれます。

短編には面白いものもあり、
昔SFを読んでいた者としては、
筒井康隆さんや星新一さんの諸作を、
思わせるものがあるのが、
微笑ましい感じがします。

それと並行する物語の方は、
何か謎めいた感じはするのですが、
的が絞れそうで絞れません。

もう少しで終わりというところまで読み進めましたが、
天地がひっくり返るような大どんでん返しが、
待っているようには到底思えません。

これでどうなのかしら、
と思ったところで、
おや、という感じの小ネタがあり、
脇筋の方にちょっと捻りが入ります。

これが何とかして、
外の短編の世界とも結び付き、
驚天動地の結末に結び付くことを期待したのですが、
実際にはそうしたことはなく、
脇筋自体も無難な終わり方をして、
全編の終了となってしまいました。

才気は確かに感じるのですが、
短編の方にも出来不出来の差が激しく、
それほどバランスの良い感じにはなっていません。
そして、どんでん返しらしきものについても、
ミステリーでは定番の古いネタなので、
新味は全くありませんでした。

最初に読んだ絶賛の批評は、
読み返すと何となく宣伝の匂いがしました。

amazonの書評も絶賛のみでした。

どうも最近の読書事情はそうしたもののようですね。

それではそろそろ出掛けます。

お仕事の方は頑張って下さい。
お休みの方は良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

中村文則集成(その1) [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日まで診療所は休診です。

休みの日は趣味の話題です。

最近中村文則さんの作品をまとめ読みしているので、
その作品を僕なりにご紹介します。

中村さんは芥川賞や大江健三郎賞、
野間文芸新人賞などを立て続けに受賞した、
新進気鋭の若手作家で、
ノワール(暗黒小説)としてはアメリカでも評価されています。

最近の作品の評価については、
色々な考えがあり、
また緻密な描写のものと、
良く言えば軽いタッチの、
通俗味に傾斜した作品とがあり、
その質にはかなりの差があります。

僕が自信を持ってお勧め出来るのは、
海外での評価も高い暗黒小説の「掏摸」と、
芥川賞を受賞した「土の中の子供」で、
初期作の「銃」と「遮光」も密度の高い力作ですが、
ラストの処理には疑問が残ります。

今日は初期作品を概説します。

①「銃」
銃.jpg
新潮新人賞を受賞した、
中村さんのデビュー作で、
破滅願望のある大学生が、
曰くのある拳銃を拾ったことから、
狂気へと傾斜する様が、
説得力を持った筆致で描かれます。

呪われた刀を拾った主人公が、
刀に支配されて人斬りになるような話は、
歴史物などで昔からあり、
それを換骨奪胎したような物語なのですが、
その主人公の破滅への軌跡が、
出鱈目で一貫性のない心理でありながら、
かなりの説得力を持っていて、
初出時に批判を受けて修正されたという、
かなり読みづらいオープニングを抜けると、
後は一気呵成に読むことが出来ます。

銃を撃ってしまえば、
捕まることはほぼ間違いがないのですし、
わざわざ普段から持ち歩いていれば、
見付かるリスクも高いのは明らかなのですが、
一面ではそう分かっていながら、
悪い方へ悪い方へと向かう心理が、
あまり作為的な感じではなく、
奇妙な歪みを持って続くのが心地良いのです。

ただ、主人公は衝動的で暴力的なので、
お友達には絶対になりたくないタイプです。

文章は決して上手くはないと思うのですが、
山場の張り方が上手くて、
拳銃の試し撃ちをするところと、
最初に人間を撃とうとするシークエンスは、
見事なタッチだと思いました。

矢張りしっくり来ないのは唐突なラストで、
これはないのじゃないか、
という感じで脱力を覚えることは確かです。

②「遮光」
遮光.jpg
野間文芸新人賞を取った第2作で、
基本的には処女作と同じ、
1つのものに執着する主人公の狂気への道程を、
執拗なタッチで描いた作品です。

ただ、主人公の造形はより深く描かれていて、
その狂気の描写を含めて、
間違いなく処女作より進化した作品になっています。

象徴的な白いワゴンの禍々しさを含めて、
ディテールも非常に磨かれています。

サイコスリラー的な感じもあり、
クックの異常心理小説に近い雰囲気もあります。
通常日本のこうした小説では、
脇役はあまり壊れていないことが多いのですが、
この作品では歪なキャラが周囲を固めていて、
その辺りもアメリカの犯罪小説に近い感覚なのです。
後年アメリカのミステリー界で、
彼の作品が評価されたのは、なるほどと思います。

性格の壊れ方にも、
母胎回帰的なウェットさがなく、
要するにマザコン的ではなく、
頭の中でウジウジと悩むより、
行動で壊れて行く感じなので、
日本的なドロドロを読み慣れていると新鮮に感じるのです。

ただ、中心となる主人公の、
死んだ恋人への異常心理については、
あまり説得力を持って感じられず、
取って付けたような印象があります。

また、ラストの暴力的なカタストロフは、
処女作と同様、かなり唐突で違和感があります。

ラストさえ変わっていれば、
強くお勧め出来る作品なのですが、
その点が個人的には惜しまれます。

③「悪意の手記」
悪意の手記.jpg
これは年代的には3作目の長編ですが、
これまでの2作品とは趣を異にしていて、
私小説では定番の手記の設定を取り、
難病で死に掛けた主人公が、
生死に対する屈折した心情の元に、
友人を殺してしまい、
その罪の意識と相対する、
という、今時どうしちゃったの、
というような作品です。

3つの手記からなる構成は、
太宰治の「人間失格」を彷彿とさせ、
ドストエフスキーの「罪と罰」や「地下室の手記」、
三島由紀夫の「仮面の告白」を思わせる部分もあります。

作者としてはこうした作品を書く事に、
意義があったのだと思いますが、
読む側としては平板で退屈で、
最後まで行き着くのに苦労しました。

ちなみに、
主人公が罹患する難病は、
初出時にはTTP(血栓性血小板減少性紫斑病)であったのですが、
実在の病名を使用することは問題があったようで、
文庫版ではTRP(血栓性血小板縮減性肥大紫斑病)
という架空のものに書き改められています。

医療知識はない作者だと思うので、
仕方のないことですが、
この架空の病名のセンスのなさは、
恥ずかしい感じがします。
ヘモグロビンの基準値がmg/dlになっているなど、
他にも誤りは所々に残っています。

④「土の中の子供」
土の中の子供.jpg
作者4作目のこの作品は、
芥川賞受賞作です。

これは「銃」、「遮光」の流れを、
より推し進めたような作品で、
主人公が前の2作品では抗うことなく放置していた、
過去のトラウマに真正面から向き合い、
それを克服する姿を、
感動的に描いています。

ややお行儀の良い、優等生的な作品ではあるのですが、
ダークで自滅的で暴力的な部分は、
しっかり残っていますし、
その上で前2作のような破滅的なラストではなく、
曙光の垣間見えるような終わりにしている点に、
作者の成長を見る思いがします。

この中編から短い長編くらいのボリュームの作品には、
およそ無駄な描写や展開というものがなく、
全ては計算されてそこにある、という気がしますし、
クライマックスの主人公が死に最接近するパートの、
盛り上げ方も凡手ではありません。

芥川賞に相応しい質感の作品だと思いますし、
初期の作者の代表作であることは間違いがありません。

これはお勧めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

桜庭一樹「私の男」 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
雨なので駒沢公園へは行けず、
朝食を摂って、今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
私の男.jpg
今まとめ読みしている桜庭一樹さんの、
直木賞受賞作で、
つい先日映画化もされた作品です。

昨日ご紹介した「赤朽葉家の伝説」とはうって変わって、
1人の男と1人の女の、
社会性無視の本当に滅茶苦茶な性愛を、
川端康成的な文体で、
妙に格調高く綴った、
ある種の怪作です。

いつもの桜庭さんの得意技ですが、
これもともかくオープニングが素晴らしくて、
詩的で格調が高いのに、
官能小説めいた胡散臭さも散りばめられていて、
一気に作品の世界に惹き付けられます。

それが視点を変えながら、
進むにつれて時間を遡る、
という構成になっていて、
24歳の主人公の女性が、
どんどん若くなって最後は小学生になります。

一種の連作短編のように読むのが適切なのかも知れませんが、
進むに連れて、
もう既に分かっていることを確認するような作業になるので、
徐々に興味が薄れて来て、
ラストはさすがに一ひねりあるのだろう、
と少し期待して読み進むと、
何のひねりもなく終わってしまうので驚きます。

これで本当に良いのでしょうか?

まあ、絶賛される方もいるので、
良いのかも知れません。

主人公の女性が24歳の第1章で、
ほぼ全ての伏線が張られているので、
充分全体の構成を吟味した上で、
書き進められたのが分かるのですが、
その割には第2章で幽霊が出たりして、
リアルさから距離を取るのかと思いの外、
幽霊のパートはそこだけで終わってしまうので、
何だかなあ、という気分になります。
その後も主人公の男女の本当の関係を、
第4章で割ってしまったりと、
わざわざ先を読む興味を減弱されるような、
逆回転の構成には疑問が残ります。

ただ、構成の下手糞な純文学として捉えれば、
これでありなのかも知れません。
志賀直哉の「暗夜行路」だって構成は目茶苦茶ですが、
オープニングを読むだけで名作ですし、
島尾敏雄の「死の刺」も、
起承転結など欠片もありませんが、
狂気の妻の情念だけで、
名作となっているからです。

この作品に描かれている執拗な情念も、
昔からある、別に目新しい素材ではないのですが、
それがここまでねちっこく描出されたことは、
おそらく日本文学史上初めてのことだと思うからです。

とても万人向けではありませんが、
良い人ぶった「赤朽葉家の伝説」よりも、
僕は桜庭さんらしくて面白く読みました。
でも、後半は結構苦痛になります。

以下ネタばれを含む感想です。
必ず読了後にお読み下さい。

母親に心理的な虐待を受けて育った男が、
親戚の年上の女性と、
まだ高校生の時に一夜限りの情事で生んだ自分の娘を、
震災孤児として自分の養女にもらいうけ、
9歳の初潮の時から、
お母さんと呼びながら凌辱することを繰り返します。
そのまま客観的に見れば娘への性的虐待なのですが、
女の方が男を虜にする魔性のようにも見え、
また「血」というものに対する、
人間の反逆のようにも思えます。
この2人が一旦出逢ってしまえば、
こうした愛欲の海に沈み、
人間であることを止めてしまうのが、
抗いようのない宿命であるかのようです。
女は2人の秘密を知り、
引き離そうとした世間の大人を殺し、
北の果ての街から東京まで逃げるのですが、
追って来た警察官を今度は男が殺します。
死んだ男が腐って行く部屋の中でも、
2人は愛し合い月日を過ごすのですが、
女が24歳で結婚すると、
男は姿を消します。

この物語を結婚式の直前から語り起こし、
視点を変えながら徐々に時間を遡って、
最後は女が9歳の時の2人の出逢いで終わります。

川端康成を思わせるような、
格調のある、それでいて何処か胡散臭さもある、
オープニングの描写からの展開が絶妙で、
北の海の情景描写がまた美しく卓越しています。
その一方、2人の絡みはひたすらねちっこく、
作品の半分は濡れ場ではないか、
と思えるほどのボリューム感です。
それも唾液を何度も相手の口に落として喜んだりするので、
僕にはちょっと苦手のジャンルです。
正直官能的というより、
時々生理的に気分が悪くなります。

プロットは緻密に構成されているのですが、
結婚式から時間を遡るという構成は、
前述のようにその効果は甚だ疑問です。

ただ、桜庭さんの初期の代表作の1つとされる、
「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」でも、
最初にバラバラ事件の被害者を明示してしまう、
と言う構成が、
とても効果的とは思えなかったので、
桜庭さんと僕の感覚が、
合わないだけの話なのかも知れません。

また、犯罪事件についてのディテールも、
被害者の遺品のカメラのフィルムが、
大事な証拠の筈なのに現像されないなど、
細部がかなり杜撰に出来ていて、
犯罪物語としての側面には、
あまり力の入っていない作品になっています。

いずれにしてもかなり奇怪な作品で、
一種の官能小説を書こうとしたのか、
真面目に純文学をしようとしたのか、
ある種の悪ふざけなのか、
いささか判然としないところがあるのですが、
前半の凄みだけでも、
読む価値はある1作だとは思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

  • 作者: 石原藤樹
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2014/05/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)





桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日の2本目の記事は、
土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
赤朽葉家の伝説.jpg
最近まとめ読みしている、
桜庭一樹さんの代表作の1つ「赤朽葉家の伝説」です。

これは2006年に刊行された作品で、
評判になったので、
発刊当時もちょっと気にはなったのですが、
マルケスの「百年の孤独」をモロにパクったように感じたので、
あまり読もうという気が起きませんでした。

ただ、最近意外にそうでもないのかな、
と思ったので、
読んでみることにしました。

読後の感想としては、
確かにマルケスの「百年の孤独」や、
アジェンデの「精霊たちの家」、
アーヴィングの「ガープの世界」や「ホテル・ニューハンプシャー」などの、
影響は明確にあるのですが、
こうした作品に影響を受けた映画の「フォレスト・ガンプ」や、
ジブリの「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」の影響の方が、
より大きいように感じました。

桜庭さんの作品全てに共通することですが、
オープニングの魅力が抜群で、
いきなりの場外ホームランで、
これは物凄いぞ、と思うのですが、
最終的にはちょっと途中で凡打も混じるので、
トータルな感想はボチボチ、という感じになります。

今回の作品は後半でいきなりミステリータッチになるので、
その辺りをどう評価するかで作品の好き嫌いが分かれると思うのですが、
着地はかなり奇麗に決まっているので、
多くの方は一定の満足を感じたのではないかと思います。

以下ネタばれがあります。
必ず読了後にお読みください。

鳥取の旧家である赤朽葉家の女系3代の物語が、
幻想と現実をないまぜにした、
所謂「マジックリアリズム」を意識したタッチで描かれます。

オープニングは戦後すぐくらいから始まり、
未来を幻視することの出来る、
古代の山の民の末裔の捨て子の女性が、
旧家のカリスマ的女主に見染められて、
嫁入りをする、というところから始まるので、
ああ如何にもマジックリアリズム、という印象です。

ただ、中段にその娘の時代になると、
レディースのトップが売れっ子漫画家に転身する、
という話になるので、
これは桜庭さんがそれまでにも多く描いていた、
アウトローの少女もののパターンになり、
大分タッチが変わるので違和感があります。

そして現代に繋がる3代めになると、
何も決めずにモラトリアムでウジウジしているだけなのですが、
祖母の時代の謎を解くという、
ミステリーのタッチになり、
それが比較的奇麗に着地すると、
オープニングに繋がるという、
叙事詩的なラストが待っています。

文庫版のあとがきを読むと、
当初は3つのパートを、
全然別のタッチで描き分けるという趣向だったようで、
中段の部分はモロにアウトロー少女物であったのが、
編集との話し合いにより、
「百年の孤独」的な雰囲気で、
作品に軸を通す、という方針に変わったということのようです。

ただ、それでも矢張り中段のレディースの部分が、
明らかに他とタッチが異なるので、
何となく無理矢理に部品を1つにしたような、
辻褄の合わなさを感じることも事実です。

美点としては、
骨太の構成に乱れがないのが第一で、
桜庭さんの作品としては珍しく、
大長編であるのに比較的着地が綺麗に決まっています。
リーダビリティは充分にあり、
描写も後の「私の男」ほど詩的ではありませんが、
絵画的でなかなか達者です。
更にはこれまでの作品に多くある、
かなり刹那的で暴力的でダークな感じが、
相当抑えられているので、
広い読者層に受け容れられやすい内容になっています。

個人的にあまり乗れなかったのは、
オープニングが「百年の孤独」のような、
大風呂敷を期待させるのに、
時代が移るにつれ尻すぼみ的になることです。

「百年の孤独」は、
ラテンアメリカの庶民の歴史を描いているのですが、
現実の出来事をそのままで描写するのではなく、
一種の幻想的な出来事に置換させる形で、
想像力を駆使して描いています。

伝説や民話というのは、
要するに昔の出来事が想像力で変容した姿ですから、
そうした変容を今に繋がる時代にも応用しよう、
というのがマジックリアリズムの1つの趣旨です。

「百年の孤独」では、
鉄の貞操帯を付けられた女性や、
空に舞い上がって消えてしまう人間、
妖しい物売りや物忘れの奇病などが登場しますが、
それはそのままで描かれながら、
実際の出来事が置換された姿でもあるのです。

現実を幻想化して歴史を語る、
というのがこうした物語の魅力です。

一方で「フォレスト・ガンプ」という映画があって、
これはアメリカの戦後史を、
マジックリアリズム的な雰囲気で描いた物語ですが、
現実のニュースフィルムを多用したりして、
歴史的出来事自体を、
想像力で置換しているのではありません。

「赤朽葉家の伝説」は、
如何にも「百年の孤独」っぽい感じで始まるのですが、
実際にはその手法は「フォレスト・ガンプ」に近くて、
鳥取にある紅緑村という架空の村を舞台としていながら、
東京オリンピックや石油ショック、
バブルとその崩壊、受験戦争やいじめなどの世相が、
大新聞の解説みたいな口調で、
随所で並行して語られます。
「あの頃の人は愚かなので、こうしたことに気付きませんでした」
のような「少年H」的な解説もあります。

それでいて、
山の上にそそり立つ、
赤い大邸宅が製鉄業を営み、
山の民の末裔の女性が、
未来を見通す千里眼を持っている、
というような伝奇的な設定で物語は展開されるので、
幻想的な物語と現実の戦後の歴史が、
非常にちぐはぐな感じになって、
読んでいると違和感があります。

たとえば、相続の問題などは、
旧家の存続に関わる筈ですが、
完全にスルーされていて、
リアルさが皆無です。
それでいて、時代の説明などは具体的でリアルなものなので、
どうもへんてこな感じになるのです。

更には伝奇的な部分に、
あまり面白みがありません。

主人公の1人の万葉という女性には、
千里眼があって、
最初の生んだ子供が生まれた瞬間に、
その死までの一生を全て見通してしまい、
その子が20歳余で早逝することに苦悩するのですが、
謎めいた感じで未来が見える割には、
それが「謎」として物語に絡むのは、
最初に登場する「飛ぶ男」だけで、
後は別に未来の情景が現実化しても、
何の驚きもなければ謎もないのでガッカリします。
「未来視」や「予言」というものの持つ、
ワクワクするような感じがまるでないのです。
山や旧家の持つ神秘的なパワーのようなものが、
もっと魅力的に描写され、
それが無くなって行く経緯も、
もっと説得力を持って示されないと、
こうした設定を作った意義が乏しいように思います。

端的に言えば、
今回の作品のようなストーリーラインであれば、
別に幻想的な要素や神秘的な要素は必要なく、
もっとリアルな田舎の旧家の話にした方が、
より良いように思われるのです。

現実と不可分の幻想を描くことに、
桜庭さんはあまり長けていないように、
個人的には思いました。

もう1つ読んで強く感じたのは、
前半に濃厚に漂うジブリ作品の影響で、
得体の知れない丸顔のおばあさんとか、
たたら場としての製鉄の描写とか、
山の神との対立とか、
山の裾からボンボリが点灯して行くところとか、
ジブリ映画そのものです。

どうも懐かしい日本というようなイメージは、
ジブリに汚染され刷り込まれてしまって、
他のイメージは滅んでしまったかのようです。
戦後は映画の黄金時代で、
幾らでも当時の画像は残っているのですから、
もっと別箇のイメージが、
あるべきではないでしょうか?

総じて非常な力作で意欲作だと思いますし、
僕自身も久しぶりに一気読みしました。
ただ、家族劇としての密度も、
西加奈子さんの「さくら」に遠く及ばないような気がしますし、
過激さを抑えて万人向けのテーマを展開したことで、
何処か借りて来た猫のような作品になったことも、
否めないように思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

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安部公房「人間そっくり」 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日なので、
診療所は休診です。

朝から、いつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。

今日は日曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
人間そっくり.jpg
安部公房の「人間そっくり」は、
僕が小学生の時に読んで、
それ以来トラウマになっている作品のうちの1つです。

今回本当に久しぶりに読み直しました。

これは早川書房の「日本SFシリーズ」として刊行された作品で、
小松左京の「復活の日」など、
錚々たる作品が並びますが、
小学生の時にすんなり読めたのは、
星新一の作品とこの「人間そっくり」だけでした。

星新一は読み易さで頭抜けていましたから、
これはまあ当然なのですが、
安部公房の文章は結構もってまわったものなので、
改めて読み直すと、どうしてこれが小学生の時に、
すんなり頭に入ったのかは良く分かりません。

安部公房さんは「人間そっくり」の他には、
「壁」、「砂の女」、「密会」くらいしか読んでいないので、
あまり良い読者ではありません。
何となくカフカの亜流のような先入観もあったのですが、
比較的最近読んだ「密会」は、
堂々たる翻訳文体で、
カフカの「城」そのものとも言えるのですが、
難病で変形してゆく少女とか、
不能の治療のために、
殺した男の下半身を繋いで馬人間になるとか、
グロテスクな奇想が山盛りで、
ラストはフェリーニの映画みたいな祝祭になる怪作で、
その本領をちょっと誤解していたように感じました。

安部公房さんは、
平気で今回は「○○風」と言う感じに、
好きな作品をほぼ丸ごとパクるのですが、
その模倣の仕方があまりに堂々としていて、
細部では原典を凌駕しているので、
単なる猿真似を越えた世界を現出する点に、
その特徴があるのです。

村上春樹さんの幻想に舵を切った作品や、
最近では小山田浩子さんの諸作も、
カフカの影響は著しいのですが、
そうした作品と「密会」を並べると、
その密度でも面白さでも、
矢張り安部公房さんの方が遥かに優れていて、
それが半端にオリジナリティを、
村上さんも小山田さんも、
保とうとしているためであることが分かります。

安部公房さんはその点が凄くて、
カフカの翻訳の生硬い文章を模倣するなど、
普通は恥ずかしくなるのですが、
そうした衒いが微塵もないのです。

この「人間そっくり」では、
星新一のプロットを模倣しています。

星さんのショートショートに、
こんな作品があります。

「わたしは火星人だ」という男が現れ、
精神疾患として治療を受けて、
「自分が地球人だ」
と信じるようになるのですが、
実は本物の火星人であったことが明らかになり、
元に戻そうとするのですが成功しない、
という内容です。

精神疾患の治療というものを揶揄すると共に、
アイデンティティという国家や集団の拠り所の、
不確かさを示唆した、
如何にも星新一というシンプルでシャープな作品ですが、
それをある意味剽窃したこの「人間そっくり」では、
行き詰まったラジオの台本作家の主人公の元に、
「わたしは火星人だ」と名乗る男が現れ、
散々にあの手この手で主人公を翻弄した挙句、
主人公自体が、
自分が火星人であるのか地球人であるのか、
定かでない環境に投げ込まれ、
そのまま途方に暮れているところで終わります。

中段では元の星新一作品のプロットが、
そのまま使用されるのですが、
ラストでは、真正の火星人も、真正の人間も存在しない、
ただ「火星人そっくり」と「人間そっくり」だけが存在する、
というアイデンティティを喪失した世界が、
不気味に立ち現れるのが、
安部公房さんの創意で、
主人公と共に読者も、
宙ぶらりんの嫌な気分で置き去りにされることになります。

構造は殆ど主人公と自称火星人の男との、
逆転に次ぐ逆転を孕んだ会話で大部分が構成され、
戯曲を思わせる感じもあります。

安部公房さんは小説の傍ら戯曲に手を染め、
自ら演出も行なって10年余演劇の上演にも携わりました。
ただ、70年代演劇を振り返るような特集に、
安部公房の演劇上演が、
取り上げられることは稀です。

これはどうしてかと言えば、
端的に新味も面白みもなかったためで、
その作品は典型的な「小説家の余技の戯曲」で、
読んでいる分には面白いのですが、
実際に上演してみると意外に詰まらないのです。

文学者の演劇活動としては、
寺山修司がすぐに頭に浮かびますし、
安部公房さん自身も、
その方向を意識していたと思うのですが、
寺山さんは小説は書けない人で、
それが功を奏したのではないかと思います。
また、胡散臭い興行師として、
猥雑で野蛮な世界に身を投じる覚悟がありました。
しかし、安部公房さんは敢くまで藝術として、
自分の世界を演劇化しようとしたので、
小説家の呼吸で演出をする、
という失敗を冒しました。
また、自分が興行師になる覚悟はなく、
堤清二さんに劇場を提供してお膳立てしてもらうような、
生温い態度に終始したのが良くなかったように思います。

個人的には、
安部公房さんは自分で自分の作品を演出するような、
あまり成果のない労力に時間を割くことがなければ、
もっと多くの小説の名品を、
世に送り出したのではないかと思えてなりません。

それはさておき…

「人間そっくり」は戯曲的な小説として、
なかなか成功していると思います。
一部屋で展開されるドラマが、
意外な膨らみを持ち、
最後の最後になって漸く家の外に出ると、
悪夢的な終盤が待っています。
この辺りが戯曲的形式にした構成の妙だと思います。

小学生で読んだ時には、
ラスト付近が訳も分からずに怖くて堪らなかったのですが、
今それがどうしてかとつらつら考えると、
子供というのは何かになろうと欲している、
要するにアイデンティティを欲している存在なので、
そうした時期に、
徹底してアイデンティティの喪失を追究するような作品に出合うと、
大人が読む以上に、
そこに深刻な恐怖を感じてしまうのかも知れません。

今改めて読み返してみると、
上手いな、とは思いますし、
優れた小説だと思いますが、
子供の頃に感じたような恐怖を、
体感することはありませんでした。

少し残念な思いもしますが、
仕方のないことですね。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
毎月曜日の日刊ゲンダイ紙面でも、
関連記事を連載中ですので、
そちらもチラ見して頂ければ幸いです。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

  • 作者: 石原藤樹
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2014/05/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)






(付記)
当初の記事に「書き下ろし」という記載があったのですが、
実際には連載後の単行本化のため、
コメントにてご指摘を受けその点を修正しました。
(2015年6月19日午前8時13分修正)

高野和明「ジェノサイド」 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

いつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ジェノサイド.jpg
2011年の3月、震災と同時期に発刊された、
ベストセラー小説「ジェノサイド」を、
文庫にもなったので遅ればせながら読みました。

これは確かに面白くて、
大作ハリウッド映画のような、
スケール感とスピード感が圧巻です。

ホワイトハウスで謎の計画が始動するところから始まり、
日本では薬学部の大学院生が、
父の死から用意された謎の研究室に招かれ、
アフリカでは集められた傭兵が、
謎の作戦に駆り出されます。
これだけ大風呂敷を広げると、
途中で失速するような作品が殆どなのですが、
全体が緩みなく、極めて緻密に構成されていて、
絶妙なタイミングで謎が明かされる、
ミステリー的な趣向も良く出来ていますし、
アクションも映画的でありながら、
映画化を想定して媚びたような安っぽさはありません。
特にこれだけ間口を広げた話を、
これだけの分量にまとめ上げた構成力に感心します。

映画監督を志していただけあって、
映画的趣向を、
実に良く換骨奪胎して取り込んでいますし、
それが単なる引用や物真似に終わっていないのはさすがです。
薬学と医学の解説的な部分は、
おやおや、という感じもあるのですが、
それでも取材はしっかりされていて、
そう極端におかしなところはありません。

ただし…

著名人の感想に、
「この本を読んで人生観が変わった」
というようなものが複数あるのですが、
それなりの社会経験のある人が、
この本を読んで人生観が変わったりするのは、
ちょっとまずいのではないか、
とは感じました。

この作品の世界観は、
シンプルに言えば70年代くらいのSFのもので、
それ以上でも以下でもないと思います。
そして、裏テーマは「アメリカをやっつける話」ということです。

この作品では、
アメリカは徹頭徹尾「悪の権化」として描かれ、
人間の暴力性の象徴のような「白人の」大統領に支配されている、
一種の独裁国家です。
それが完膚なきまでにやっつけられるので、
フィクションとしては痛快です。

ただ、実際にはアメリカだけが「悪の権化」ではありませんし、
白人ではない大統領になったので、
世界がそれだけ良くなったようにも思えません。
「人間性の本質は残虐性で、それを体現しているのが権力者だ」
という人間の定義も、
正直かなり薄っぺらなもののように思います。

70年代くらいには、
日本のアジアにおける位置も、
アメリカの世界に占める位置も、
今とは全く違っていましたから、
こうした物語の構造がある種の普遍性を持ち得たと思うのですが、
21世紀のドラマとしてこの枠組みは、
あまりに現実と乖離しているように、
僕には思えます。

「人間が何故お互いに殺し合うのだろう?」
という懐疑と、
国家と国家、人種と人種との憎み合いや殺し合いとを、
同列に論じるのは誤りのように思うからです。

この作品の欠点は、
あまりにキャラクターを善悪で二分して、
それが人種や国籍などのバックボーンにまで達している、
というところにあります。
そこがハリウッド映画的で痛快さの要因でもあるのですが、
この複雑な世界を切り取る視点としては、
あまりに単純であり過ぎるようにも感じました。

たとえば1970年くらいを舞台にして、
この作品が書かれていたら、
もっと切実で面白い作品になったように思います。
そこは正義も悪もアメリカに代表させて、
決して誤りではない世界だからです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

  • 作者: 石原藤樹
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2014/05/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)





三島由紀夫集成(その2) [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

先週は嫌なことばかり沢山あって、
なかなか頭の整理が付かないのですが、
どうにか今日のうちに気持ちを少し整えて、
明日からの仕事に引き摺らないようにしたいと思います。

朝から雨なので、
駒沢公園へ走りに行くのは止めました。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
三島由紀夫集成2.jpg
三島由紀夫の全集は揃いで持っているのですが、
正直なところを言うと、
小説はあまり読んでいませんでした。

「金閣寺」と「仮面の告白」、「愛の渇き」と、
後は短編を幾つかくらいです。

それでもういつまで本が読めるか分かりませんし、
最初から通読しようと決めました。

全集は主なものが2回刊行されています。

僕が持っているのは彼の死後すぐに刊行が開始されたもので、
小説は全て収録されていますが、
エッセイや対談の類は全ては入っていません。
ただ、生前の彼の目が入っているものなので、
旧字体が使用されています。
一方でその後数十年経ってから刊行された全集があり、
こちらはほぼ完全版で、
対談の類も全て収録され、
音声のCDや書簡の類、
「憂国」のDVDまで別巻として刊行されています。
しかし、現代仮名遣いに変わっていて、
三島由紀夫は最後まで活字にはこだわっていたので、
とても僕には納得がいきません。
それで旧全集にはない数巻のみ所有しています。

今日はその旧全集の第2巻の覚書です。

第1巻は以前読んだのですが、
文語作品が主体でかなり読み難く、
ストーリーも殆どないような習作が主なので、
とても読み返す元気はないので2巻から始めます。

この第2巻には、
昭和22年から23年に掛けて書かれた、
24編の作品が収録されています。

一般に「假面の告白」が彼の処女長編のようなイメージがありますが、
実際にはその前に「盗賊」という短めの長篇があります。
ただ、あまり出来の良いものではありません。

この第2巻の白眉は、
「頭文字」と「獅子」の2作の短編で、
特に「頭文字」は鏡花の「外科室」辺りを思わせる、
狂熱的な愛情が全開の耽美的な力作で、
一読虜になりました。
戦前の華族社会の道ならぬ恋、
というのが如何にも若き日の三島の着想で、
恋人の死の瞬間、お姫様の白い肌に血文字が浮かぶ、
という強烈な描写が溜まりません。
「獅子」は表書にあるように「王女メディア」の、
戦後の没落華族に当てた翻案で、
後の「愛の渇き」にも繋がるような、
自然主義文学的な情緒の世界です。

三島由紀夫というと、
どうしてもその思想的な背景とその死をもって語られがちですが、
少なくとも彼の死に繋がった思想が反映されている小説はごく僅かで、
殆どの作品はそうしたものとは無関係の世界です。

ただ、真の美は死や破滅をもって完成する、
というファナティックな激情と美意識は、
10代の頃から既に一貫したものではあるのです。

特に「頭文字」はお薦めで、
松本清張さんの「西郷札」や、
鏡花の「外科室」、
西加奈子さんの「空を待つ」などと並べて、
「激情小説傑作選」でも編みたいなと、
秘かに夢想しています。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

小山田浩子「穴」その他 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

雨なので走りに行くのは止め、
今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。

今年芥川賞を取った小山田浩子さんの、
これまでの作品を振り返ってご紹介します。

これは凄く面白い、
というほどのことはないのですが、
まあまあ面白く、
凄く新しい、
ということもないのですが、
まあまあ目新しく、
凄い技巧ということもないのですが、
意外と凝っているのです。

これまでに2冊の単行本が発売され、
それぞれに3作の中短編が収められています。

以下その内容をご紹介します。
それほどのネタばれはありませんが、
先入観なくお読みになりたい方は、
作品を読了後に以下はお読みください。

①「工場」
小山田浩子「工場」.jpg
これは最初の単行本で、
「工場」、「ディスカス忌」、「いこぼれのむし」という3編が収められています。

「工場」は処女作で、短めの長篇、くらいの分量です。
得体の知れない巨大な「工場」があって、
それは1つの街と化しているのですが、
工場の労働が3人の労働者の視点から、
交互に時には絡み合いながら描かれます。

不気味な黒い鳥や巨大なネズミが出て来たり、
歩いても歩いても渡れない巨大な橋があったり、
工場の光景はシュールなのですが、
描かれる労働のディテール自体はリアルな感じのものです。

最後にオチが付いているのですが、
全ての不可解さがそれで解決される訳ではなく、
こんなオチなら、ない方が良かった、
というような意見もあるのですが、
個人的にはこれで良いように思いました。
ただ、オチの表現はもっと直截的ではない方が、
良かったかも知れません。

ラテンアメリカ文学とか、カフカとか、
尾崎翠とか、安部公房とか、
色々な作品の影響が、
ないまぜになって入っていて、
何となくそれがまだ、
完全に一体感を持っていないのは、
処女作故のような気がします。

「ディスカス忌」は短編で、
「工場」より軽いタッチのものです。
第2作品集に収められた、
「いたちなく」と「ゆきの宿」とは連作になっています。
熱帯魚の飼育の話に、
男女の性的な関係性が重ね合わされた、
昔の「奇妙な味」のような作品で、
一種の「古めかしさ」が魅力です。

最後の「いこぼれのむし」は、
「工場」よりもっとリアルな会社で、
「工場」でも描かれた正規雇用と非正規との軋轢を、
多角的に描いたもので、
黒い鳥や巨大なネズミなどの代わりに、
今度は芋虫などの虫が、
不気味に作品を彩ります。

②「穴」
小山田浩子「穴」.jpg
これは2冊目の作品集で、
短い長篇という分量の「穴」に、
「いたちなく」と「ゆきの宿」という短編2編が収められています。
2編の短編は連作で、
「ディスカス忌」の続きです。

「穴」は芥川賞を取りましたが、
確かにこれまでの小山田さんの作品の中では、
一番高い位置にあるものだと思います。

仕事を辞めて夫の田舎に引っ越した子供のいない主婦が、
姑の依頼でコンビニに送金に出掛けた途上から、
謎の黒い獣を追って「穴」に落ち、
這い上がると世界の様相は非現実的なものに変わっています。

今度のモチーフは「不思議の国のアリス」で、
その構成をかなり巧みに換骨奪胎しています。
女にとって仕事とは何か、というテーマは、
底流にはこれまでの作品と同じように流れていて、
姑に代わって自分が働き始めることにより、
いつの間にか穴から外に出ている、
というラストも、
「工場」と比べると洗練されています。

これまでの作品は、
ディテールは面白いのですが、
物語としての盛り上がりには欠けている面があり、
その点この「穴」は、
構成がきっかりと出来ていて、
その点でもより洗練されていると思います。

「いたちなく」と「ゆきの宿」の連作は、
「穴」が純文学的なのに対して、
娯楽小説的な軽いタッチを狙っているものだと思います。

僕は「いたちなく」が好みで、
連作ではなくこの作品だけを独立させた方が、
より深みが出るように感じました。

不妊治療に悩む夫婦が、
いたちの生態を友人と語る、
という組み合わせがユニークで、
完全に解決されない不穏な空気が、
全編に流れているのも魅力です。

総じて何処かで読んだような話が多く、
格別現代を感じさせる、ということもないのですが、
ちょっとしたお使いで、
道に迷って途方に暮れると世界が歪んで見えるところなど、
ディテールはなかなか面白くて、
動物や昆虫への偏執狂的な視点も良く、
リーダビリティはあるので、
読んで損をした、という気にはなりません。

そこそこのお薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

リディア・デイヴィス「話の終わり」 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
話の終わり.jpg
リディア・デイヴィスはアメリカの女流作家で、
何冊かの短編集と1作の長編があります。
元々寡作の作家ですが、
翻訳されたものは更に少なく、
唯一の長編であるこの「話の終わり」と、
同じ翻訳者によって翻訳された、
「ほとんど記憶のない女」という短編集があるだけです。
2011年の時点で、
他に2冊の短編集が刊行の見込みと書かれていますが、
今のところ、実際にはまだ刊行はされていないようです。

ただ、翻訳されている2冊は、
いずれも抜群に面白くて、
一読虜になりました。

端的に言えば「意識の流れ」を、
やや通俗化して簡明な文章で綴ったもので、
ユーモラスかつシュールな感じがあるのが特徴です。

「意識の流れ」というのは、
人間の思考をそのままに文章化しようとした試みで、
ジェイムズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフの著作は、
その代表です。

人間は誰でも自分の人生を、
1つの物語(ストーリー)として生きているので、
たとえばある人に一目ぼれをした、
と後から考えると思っていても、
実際にその初対面の瞬間に、
頭の中で流れている思考は、
後から考えた内容とは、
全く別個のもの、ということが通常です。
つまり、人間は起こった出来事を、
現在という時点で想起する時、
その出来事をそのままに思いだすのではなく、
自分に都合の良いように筋道を立てて、
物語に変えているのです。

そうした物語を文章化したものが、
通常の小説という形式ですが、
「意識の流れ」のスタイルというのは、
頭の中で「物語化」される前の思考の流れを、
そのままに記述しようという試みなのです。

僕は最初に入った大学で、
1年間は文学部に所属していて、
英文学科に進もうか、と言う感じだったので、
ジョイスやウルフは懐かしく馴染みのある名前です。

ただ、英語そのものが非常に凝っていて、
ジョイスの後半の作品などは、
造語を交えたりしているものなので、
基本的に翻訳で読む、と言う性質の作品ではありません。

通常の小説の面白みや仕掛け、ユーモアなどの要素も皆無です。

それに引き替えてデイヴィスの著作は、
英語は平易でシンプルで読み易く、
ジョイスやウルフに比較すれば、
通俗的ですが読者には親切な作品です。
それでいて、通常の物語的な要素もあり、
カフカの断章を思わせるような、
シュールな感じやユーモラスな感じもあって、
馴染み易いのが特徴です。

最初に翻訳されたのが短編集で、
本国の出版は1997年ですが、
翻訳は2005年に出版されました。
こちらです。
ほとんど記憶のない女.jpg
これは51編の短編からなる短編集で、
「ほとんど記憶のない女」という題名が、
謎めいていて魅力的ですし、
マグリットの絵を用いた装丁も、
興味を惹きます。

短編は短いものは数行で、
長めのものは通常の短編くらいの長さです。

表題作の「ほとんど記憶のない女」を読むだけで、
こうしたものの好きな人は虜になると思います。

平易な文章の中に、
意外に奥深い世界があって、
語り手である作者の性格が、
如何にも女性的で愛らしく繊細で、
それでいて意地悪でひねくれてもいるので、
その語り口だけで浮き浮きした気分になるのです。

面白かったので原作のペーパーバックも買いました。
忠実な翻訳ですが、
原作の英語を読むと、
より平易な言葉のみを選んでいることが分かり、
言葉が頭の中で展開されてゆくように、
シンプルな文章が繰り返されながら、
少しずつその姿を変えてゆくのが、
よりはっきりと分かります。

翻訳は上手いのですが、
日本語の口語文には英語のようなリズムがないので、
原作のリズミカルな感じは、
矢張り翻訳では消えてしまっています。

後、原作と翻訳では作品の配列は変わっています。

そして、2010年翻訳が出版されたのが、
著者の唯一の長篇の「話の終わり」です。

これは実際の刊行は1995年ですから、
「ほとんど記憶のない女」より前、ということになります。

「話の終わり」は作者自身がモデルと思われる大学の教員の女性が、
その大学の学生の男に恋をして、
しばし同棲し、その後別れて別の男性と結婚する、
というまでの話です。

半ば私小説に近いものなのだと思いますが、
ストーリー自体に面白みはあまりありません。

ただ、このシンプルな話を、
現在の時点から主人公が小説化しようとして、
その小説の一部と主人公の回想、
そして現在の意識の流れが、
ないまぜになって展開されるのです。

ああ、如何にもデイヴィスだな、
と言う感じがしますし、
ウルフやジョイスの作品に部分的には拮抗するような、
重厚感があります。

特に辛い心の傷を可視化させ、
それが次第に静寂の中に溶けてゆくような後半の記述には、
本物の文学のみが持つ輝きがあります。

難点は短編のような軽味やユーモアには乏しいので、
前半の繰り返しを読みとおすのは、
かなり忍耐を必要とする、ということです。

全ての方にお勧め出来る作品ではなく、
まず「ほとんど記憶のない女」を手に取って頂いて、
ご自分の嗜好に合えば、
「話の終わり」に進んで頂くのが良いように思います。

その後で「ほとんど記憶のない女」を読み返すと、
そのそこかしこに、
「話の終わり」の残滓が潜んでいて、
ああそうか、ここはこうした話だったのね、
と改めて腑に落ちる感じがあるのです。

2007年の未訳の近作「Varaieties of Disturbance」には、
学術論文を模した形式の小説なども含まれていて、
そうしたアイデアは僕も秘かに温めていたので、
ますます侮れない感じがするのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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