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ヴェルディ「椿姫」(2017年パレルモ・マッシモ劇場上演版) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で診療は午前午後とも石原が担当します。

今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
パレルモの椿姫.jpg
イタリアのパレルモ・マッシモ劇場が、
今来日公演を行っています。
デジレ・ランカトーレがヴィオレッタを演じる、
「椿姫」の舞台を聴きに行きました。

ヴェルディの「椿姫(ラ・トラヴィアータ」は、
日本でおそらく最も上演頻度の高いオペラで、
最近は上演頻度は減っていると感じますが、
それでも毎年数回は必ず何処かで上演されます。

これがヴェルディの代表作かと言うと、
そうは言えないと思いますが、
音楽的にも充実したオペラで、
ヒロインが様々な技巧を尽くして歌いまくるので、
ソプラノ歌手にとっては、
一度は全幕通して歌いたいと誰もが願う、
特別の演目であることもまた確かです。

聴き始めの頃は、
1幕ラストのコロラトゥーラの技巧を散りばめた大アリアに、
矢張り目が行くのですが、
ヴェルディは生粋のバリトン好きですから、
2幕一場のソプラノとバリトンの二重唱の部分が、
音楽的には最も充実しています。
このパートに関しては、
ヴェルディの数あるオペラを、
音楽的に代表する場面の1つであることは、
間違いがないように思います。

以前はズタズタにカットされて、
悲惨な短縮版としての上演が常だったのですが、
最近はほぼノーカットでの上演が増え、
この作品の真価が明らかになったことは、
素晴らしいことだと思います。

ソプラノのアリアとしても、
1幕より3幕巻頭のアリアが、
歌手の腕の見せ所という感じがあります。

単純に見えて、
繰り返し聴くと、
必ず新たな発見があるという辺りも、
名作の所以だと思います。

僕も50回くらいは生で聴いていると思いますが、
大御所ではデヴィーアやグルヴェローヴァ、
チューリヒ歌劇場の時のエヴァ・メイ、
4回の公演全てに足を運んだデセイ様、
今回と同じランカトーレ、
新国立のアンドレア・ロスト、
デビューは華やかだったボンファデッリ、
英国ロイヤルオペラで、
ドタキャンのゲオルギューに代わって、
1日のみ舞台に立ったアンナ・ネトレプコ、
メトロポリタンのルネ・フレミングなどが、
印象に残っています。

悔いが残っているのは、
一度だけ新国立で来日したインヴァ・ムーラで、
ロストとのダブルキャストだったのですが、
当時はロストが大好きだったので、
ロストしか聴きに行きませんでした。
彼女は素晴らしいコロラトゥーラで、
その後来日は多分一度もありません。

さて、今回の上演ですが、
なかなか良い「椿姫」だったと思います。

パレルモ・マッシモ劇場は、
超一流の歌劇場という訳ではありませんが、
如何にもイタリアの歌劇場という感じのオケで、
歌手の伴奏としての職人芸的な演奏はなかなかだったと思います。
お上品で繊細な音ではないのですが、
歌手の呼吸に巧みに合わせた柔軟な演奏でした。

演出は100年前でも同じと思わせるような、
古めかしいものでしたが、
まあまあ綺麗に出来ていて、
ストーリーをしっかり伝えるという意味では、
最近の無理矢理読み替えのような演出より、
ずっと安定感がありました。

最近の大手の招聘会社の引っ越し公演と称するものは、
経費削減が露骨なことが多く、
合唱と言っても、半分くらいは日本人だったりするのですが、
今回は結構大人数の合唱を実際に連れて来ていて、
これもそれほど上手くはないのですが、
矢張り歌手との呼吸などは良く、
とても良心的な招聘と感じました。
日本人エキストラの名前もちゃんと配役表に書かれています。
これも良心的で何処かの悪質な呼び屋さんとは違いますよね。

特筆するべきは字幕の文章で、
キリスト教的に祝福されない恋という、
やや日本人には分かりにくい作品のテーマを、
上手く伝えていたと思います。
2幕1場の父ジェルモンが、
息子と別れて欲しいと、
主人公の高級娼婦ヴィオレッタを説得する場面など、
通常訳が分からなくなるのですが、
「神に祝福されない恋」という一点で、
筋を通していたのにはセンスを感じました。
また、2幕2場の闘牛士の歌の意味合いなども、
分かりやすく字幕にしていて、
なるほどと思いました。

メインキャストは、
ヴィオレッタにデジレ・ランカトーレ、
アルフレードにアントニー・ポーリ、
父ジェルモンにレオ・ヌッチという布陣で、
3人とも生粋のイタリアの声という点が嬉しく、
如何にもイタリア的な声の競演が、
なかなかのレベルで展開されていて、
非常に聴きごたえがありました。

ランカトーレは、
ちょっとドンくさい田舎娘という雰囲気なのですが、
歌うことが本当に好きなことが、
伝わってくるような熱のある歌唱が持ち味で、
僕は好きなソプラノの1人です。
2011年の震災の年の秋のボローニャ「清教徒」など、
今もその熱唱が耳に焼き付いています。
良く来日してくれましたよね、本当にブラボーです。
押し出しが弱いので、
今回もオープニングなど、
「誰が椿姫?」という感じなのがちょっと残念です。
ただ、歌が乗ってくれば引き込まれます。
中音域とは別の出し方で高音を出していて、
以前は音調の違いに違和感があったのですが、
今回は割とスムースに中音域から高音域へのシフトチェンジがされていて、
声の出し方に違いはないのですが、
それほどの違和感はなくなっていました。
以前より低音域が安定して出せているので、
歌に膨らみが増していたと思います。
1幕の大アリアはボチボチで、
前半はカットもありましたが、
2幕のジェルモンとの掛け合いはなかなかの精度で、
3幕の巻頭のアリアはカットなしの全曲版で、
気合の入った歌唱でした。
総じて作品の肝が分かっての演技と歌唱なので、
説得力があって良かったと思います。

アルフレードのポーリは、
ちょっとお上品でテンションは低めなのですが、
美声で歌はしっかりしています。
今回はテノールのアリアはカットが多くて残念なのですが、
3幕はかなり頑張っていたと思います
冬の新国立劇場版も楽しみです。

そして大ベテランのヌッチですが、
以前は体調もあり海外で売れっ子でもあったので、
キャンセルも多く、
なかなか日本でオペラを歌ってはくれなかったのですが、
最近は来日も多く、
歌はさすがに往年の精度ではありませんが、
「リゴレット」も「椿姫」も、
日本で聴けたのは幸せでした。
今回もその存在感は抜群で、
ヴィオレッタとの掛け合いは迫力がありました。

そんな訳で意外に良かった「椿姫」でした。
最近はワーグナーの方が聴くことが多くなりましたが、
ヴェルディも悪くないなと今回は思いました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

ドニゼッティ「ルチア」(2017年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
ルチア.jpg
ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」が、
今新国立劇場のオペラ・パレスで上演されています。

ルチアはソプラノの超絶技巧の狂乱の場が有名なオペラで、
マリア・カラスやサザーランドなど、
これまでに多くの名ソプラノが名演の数々を残しています。

狂乱の場以外にも、
全編が聴きどころと言って良い充実した作品で、
以前はかなりカットされて短縮版での上演が多かったのですが、
最近はほぼ完全に全編を上演することが多くなりました。

今回もほぼノーカットに近い上演だったと思います。

僕は割と「ルチア」は好きな部類のオペラで、
これまでに1996年のフィレンツェ歌劇場のデヴィ―アのルチアが、
この作品の生での初体験で、
2002年に新国立劇場でルキアネッツのルチアを聴き、
2003年トリエステオペラのボンファデッリ、
2007年ドニゼッティ劇場のランカトーレ
(この2回は滅茶苦茶短縮版でした)、
2011年メトロポリタン歌劇場のダムラウ、
そして2012年の演奏会形式のデセイ様、
と結構この作品は沢山聴いています。

中ではデヴィ―アのルチアは、
その当時のベルカントのお手本のような見事な歌唱でした。
ダムラウのルチアは、正統的な解釈とは違うと思うのですが、
如何にもドイツ的で理知的な狂気の表現が面白く、
技巧もほぼ完璧でした。
2012年のマリインスキー・オペラにデセイ様がゲストで出た舞台も、
僕は何と言ってもデセイ様が一番の女神なので、
1回限りの歌声を聴けて幸せでした。
デセイ様の良い時の、
あの伸びとスピードのある超高音は、
今出せるソプラノはいないと思います。

さて、今回のルチアですが、
トータルにはなかなか頑張っていたと思います。

イタリアの若手の指揮者ですが、
母国のベルカントを、
良く理解していることの分かる演奏でした。
オケもいい感じで鳴っていました。
特に1幕(第一部)は、
凝縮力のある演奏であったと思います。
狂乱の場の掛け合いは、
フルートではなくグラスハーモニカを使用していました。
最近はその方が多いという感じです。

演出はプロジェクションマッピングを使用した、
立体的な舞台がなかなか美しく、
オープニングで岩礁に映像の波濤が轟くのも、
「おっ」と思いますし、
ラストの岬のセットも良い感じです。
狂乱の場では、
何と花婿の生首を突き刺した槍を持って、
ルチアは登場し、
幻想に酔いしれる場面では、
背後から死の泉と荒野がせり出して来ます。
ただ、狂乱の場は歌で盛り上げるのが筋ですから、
演出過多な印象はありました。
ラストではルチアの死体が登場し、
それを抱えてテノールがアリアを歌い、
そのまま岬の突端から海に身を投げようという瞬間で幕が下ります。
今時珍しいグランギニュール劇のような趣向で、
僕はこうした物が嫌いではないので印象は悪くないのですが、
音楽に合っていたかどうかと言うと、
そこは疑問も残ります。
全体に濃厚な死の匂いが全編を覆うような演出でしたが、
音楽はそこまで退廃的ではないように思うからです。
衣装も擬古典という感じで、
年代不明という雰囲気ですが、
ルチアの最初の衣装を男装にしたのは面白いと思います。
黒いヴェールの使い方も面白かったと思います。

歌手陣ではルチア役のソプラノは、
オルガ・ペレチャッコというロシアの若手で、
ビジュアルはルチアにピタリの美形ですが、
まずまずソツのない歌唱で、
及第点だけれど物足りなさは残りました。
超高音はあまり伸びのある声は出せないようです。
初日の映像を見ると、
カヴァレッタの部分がかなりのスローテンポで、
これじゃダメじゃん、と思ったのですが、
僕の聴いた20日の舞台では、
テンポはもう少し速くなっていました。
ただ、高音の決めは苦手らしく、
その前になるとかなりの安全運転でスリリングさのない歌唱になります。
テノールはボチボチ。
エンリーコのルチンスキーはなかなか良かったと思います。
ただ、いいな、と思うと頑張り過ぎて失速したりして、
やや安定感のない印象はありました。
得意な場所は頑張るけれど、
苦手な部分は声が小さくなる、というタイプです。

そんな訳で不満はありますし、
抜群という舞台ではありませんでしたが、
なかなか演出には面白い部分があり、
何より久しぶりに新国立にベルカントの風が吹いた、
という感じのある、
聴き応えのあるオペラだったと思います。

一聴の価値は間違いなくあると思います。

1つこれはあまり言いたくはないのですが、
新国立劇場は最近良い舞台が多い一方で、
観客の質はかなり悪く、
今回も狂乱の場の直前に、
正面1列目のど真ん中くらいにお掛けになっているおじさんが、
盛大に携帯を鳴らされていました。
ある意味その後の狂乱の場より、
聴く方にとっては戦慄的な体験でした。
勘弁して欲しいものだと本当に思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

2016年のオペラと声楽を振り返る [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

お正月はいつものように奈良に行って、
今帰って来たところです。

今日は昨年聴いたオペラと、
声楽のコンサートを振り返ります。

昨年聴いたオペラはこちら。
①東京春音楽祭「ジークフリート」(演奏会形式)
②ウィーン・フォルクス・オパー「こうもり」
③新国立劇場「ローエングリン」
④ローマ・イタリア歌劇団「ラ・ボエーム」
⑤新国立劇場「ワルキューレ」
⑥マリインスキー・オペラ「エフネギー・オネーギン」
⑦ウィーン国立歌劇場「ナクソス島のアリアドネ」
⑧ウィーン国立歌劇場「ワルキューレ」
⑨ウィーン国立歌劇場「フィガロの結婚」
⑩マリインスキー劇場管弦楽団ベルリオーズ「ロミオとジュリエット」
⑪ザルツブルク・イースター音楽祭「ラインの黄金」(ホールオペラ形式)
⑫新国立劇場「ラ・ボエーム」
⑬新国立劇場「セビリアの理髪師」
⑭NHK交響楽団定期公演「カルメン」(演奏会形式)

昨年はワーグナーの上演が非常に充実していて、
新国立劇場のワーグナーは高水準の舞台ですし、
東京春音楽祭の指輪上演も、佳境に入っています。
ウィーン国立歌劇場も珍しく「ワルキューレ」を持って来ましたし、
何と言っても、
ティーレマン指揮によるワーグナーの全曲を、
日本で聴くことが出来たのは至福の時間でした。

最近では引っ越し公演とは言っても、
節約気味の舞台になることがほとんどなので、
中途半端に装置や衣装などがあるよりも、
演奏会形式の方がしっくりと来る感じです。
音楽のイメージがあまり壊されることがないからです。
12月に聴いたN響の「カルメン」も、
カルメン役の歌手が派手な深紅のカクテルドレスで、
全編を歌い踊ってくれるので、
まなじなセットと衣装のあるオペラより、
「カルメン」もこの方が全然良いと思いました。
セットのある「カルメン」では、
意外に貧相な恰好をカルメンはしていて、
それで何となく盛り下がることが多いからです。

それから昨年は以下のような、
声楽のコンサートに足を運びました。
①アンナ・ネトレプコ ソプラノリサイタル
②タラ・エロート メゾソプラノリサイタル
③モイツァ・エルトマン ソプラノリサイタル
④パオロ・ファナーレ テノールリサイタル
⑤レザール・フロリサン リサイタル
⑥アントニーノ・シラグーザ テノールリサイタル

それからヨナス・カウフマンが来る予定で、
チケットは用意していたのですが、
ドタキャンになりました。
来年に延期されましたので、
これまでのことを考えると、
来年は多分来てくれるのではないかと思います。

今年はアンナ・ネトレプコのリサイタルが、
これは待望の来日で、
大分恰幅が良くなられましたが、
さすがプリマドンナという迫力の歌でした、
それから、最近体調と声の調子の悪いことが多かった、
ロッシーニ・テノールのシラグーザが、
本当に久しぶりに、
ほぼ絶好調という歌を聴かせてくれたのが、
非常に感動的でした。

来年は最愛のデセイ様が来日されるので、
もう声はヘロヘロなのだろうなあ、
とは思いながらも、
ドキドキともう落ち着かなくなってしまうのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良いお正月をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

ロッシーニ「セビリアの理髪師」(2016/2017新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
昨日は色々あって、
昼近くまで寝ていました。
今日は何もなければ1日家にいるつもりです。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
セビリアの理髪師.jpg
12月の初めに、
新国立劇場のレバートリーとして、
ロッシーニの「セビリアの理髪師」が上演されました。

このプロダクションは、
20世紀の内戦時代のスペインに舞台を移したもので、
そのセンスはあまり好きではないのですが、
原色の回り舞台のセットがなかなか上手く出来ていて、
レパートリーとしてこれまでに何度も再演がされています。
僕もこれまでに3回くらいは観ています。

この作品には、
テノールの非常に技巧的な大アリアがあって、
1990年代くらいまでは、
難易度が高くカットされることが多かったのですが、
1990年代後半からファン・ディエゴ・フローレスという、
超高音とアジリタと呼ばれる装飾歌唱を得意とする、
スターテノール歌手が世界を席巻し、
フローレスが歌ったのが最初かどうかは分かりませんが、
この大アリアは2000年代からは復活されることが多くなりました。
日本でもボローニャ歌劇場の来日公演で、
フローレスはこの大アリアを披露して、
絶賛を浴びました。

共演はカサロヴァとレオ・ヌッチで、
僕も実際に聴きましたが、
圧倒的な名演と言って良い舞台だったと思います。

さて、この新国立劇場のレパートリー版は、
初演時の演出が大アリアなしのものであったので、
再演以降、大アリアを歌った経験のある歌手の来日もあったのですが、
実際には歌われないままに終わっていました。

それが今回初めて、
ロッシーニが得意のマキシム・ミロノフが、
アルマヴィーヴァ伯爵を歌い、
この演出で初めて、
ラストのテノールの大アリアが復活されました。

マキシム・ミロノフさんは、
以前来日したこともあるロシア出身のロッシーニ歌いですが、
その技術は確かなものなので、
今回は大変期待して劇場に足を運びました。

実際の感想としては、
フィガロのイェニス、
ベルキナのロジーナを筆頭に歌手陣は粒が揃っていて、
アンサンブルの妙味を楽しめる公演になっていました。

ただ、期待のミロノフさんは、
アジリタの技巧はまずまずなのですが、
高音で声が張れないタイプで声量もイマイチなので、
フローレスやシラグーザの胸のすくような高音のカタルシスを期待していると、
ちょっと元気のない感じが減点になっていました。

フィガロとの二重唱でも、
もっと盛り上がって良い筈なのに、
要所が締まらない感じがありました。

それでも、
矢張り大アリアがあると、
作品全体の満足度は全く違います。
今になって思うと、
あの大アリアをカットした「セビリアの理髪師」は、
一体何だったのだろう、
とそんな思いにも囚われるのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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ビゼー「カルメン」(2016年N響定期公演 演奏会形式) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

先週も怒涛の感じで慌ただしく、
どうにかこうにか切り抜けた(?)
という感じでした。

日曜日の朝は、
色々とやらなくては、
と思いながらも、
どうも力が入らずボーっとしてしまう感じです。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
カルメン.jpg
NHK交響楽団は日本でオペラを演奏するオケとしては、
最高だといつも思っています。
ただ、実際にオーケストラ・ピットに入ることは、
特別の場合のみで、
通常は定期演奏会などでの、
演奏会形式のオペラ上演になります。

最近では東京・春音楽祭でのワーグナーが、
素晴らしかったですし、
NHK音楽祭での「アイーダ」も、
たぶんこれまで生で聴いた同作品の中で、
最も良かったと思います。

豪華なセットでの上演は、
それはそれで良いのですが、
変な読み替え演出で、
昔の話をわざわざ今の衣装で貧相に上演したり、
とてもとても似合わないような衣装を着て、
どう想像力を膨らませても、
その役柄には見えなかったり、
特に最近は日本にお金がないので、
中途半端に安っぽいセットでの上演が多いので、
そのくらいなら演奏会形式で、
音楽をじっくりと味わい、
後は想像力で場面のイメージを補完した方が、
どれだけ良いかと思うようになりました。

ですから、チケット代も割安になりますし、
最近はもっぱらオペラは演奏会形式が好みです。

演奏会形式にもいろいろあって、
歌手が全員ドレスアップして、
棒立ちのまま同じポジションで歌うのが、
昔ながらのスタイルです。
しかし、最近では、
ポジションも変えながら、
かなり演技もしながら歌うという歌手の方が多く、
イメージ映像を加えたりする演出もあります。

サントリーホールのホール・オペラというのがあって、
これは演奏会形式なのに中途半端に狭い舞台などを設置して、
その舞台の上や客席の通路など、
あちこちで演技をしながら歌うというものです。

ただ、ここまですると本来の演奏会形式ではなく、
貧相なオペラと同じになり、
かつ舞台も本格的なものではないので、
音響面でのバランスも却って悪くなります。
僕はこうしたスタイルは大嫌いです。

今回はN響の定期公演ですから、
敢くまでオケが主役という感じになり、
歌手はドレスやタキシード姿で、
ソロはオケの前、
合唱はオケの後ろでそのまま歌うというスタイルです。
ただ、結構歌手は演技はしていて、
カルメンとホセは抱き合う場面は舞台上で抱き合いますし、
カルメンはカスタネットでフラメンコも踊ります。

ビゼーの「カルメン」は、
現行のオペラ上演では屈指の人気作で、
ポピュラーなメロディーにも溢れていますが、
改訂版はフランスのグランド・オペラのスタイルなので、
間奏曲やバレエも入り、
かなり長大であまり初心者向きではありません。

音楽は非常に良く出来ていて、
聴きどころや見どころも多いのですが、
カルメンに圧倒的なカリスマ性がないと、
やっていること自体は意外に過激でもなく、
同じところをウロウロしているだけ、
と言う感じなので、
物語の軸が出来ません。
また集団場面が多いので、
集団シーンに迫力がないと、
見せ場が盛り上がりません。

今回の上演は歌手も世界で歌っている一流どころを揃え、
合唱も日本一の新国立劇場合唱団ですし、
指揮もデュトワなので、
音楽の完成度は非常に高く、
「ああ、カルメンというのはこういう作品だったのだ」
と改めて目から鱗の感じがありました。

カルメン役はケイト・アルドリッチで、
カルメンのイメージそのものというビジュアルと、
その蠱惑的な演技が魅力です。
今回もしっかり演技をしていて、
カルメンになり切った熱演でした。
衣装も深紅のカクテルドレスで通していて、
これぞカルメン、という感じがしました。
ただ、歌に関しては、
以前マスネのオペラで来日した時にも感じましたが、
あまりスケール感はなく、
ぼちぼちというレベルでした。

「カルメン」はオペラとしてセットで上演すると、
中途半端に貧相な感じでガッカリすることが多いので、
ワーグナーと同じように、
今の日本で聴くには演奏会形式の方が遥かにいい、
というのが今の僕の気分です。

それでは今日はこのくらいで。

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プッチーニ「ラ・ボエーム」(2016年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

何もなければ1日のんびり過ごす予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ラボエーム.jpg
新国立劇場のレパートリー上演、
プッチーニの「ラ・ボエーム」に足を運びました。

バブルの頃と比較すると、
来日オペラはかなり元気がなく貧相な感じは否めず、
有無を言わせぬ感じの大スターも不在です。

そうなると意外に良質の舞台を定期的に上演しているのが、
新国立劇場です。

新国立劇場もバブルの頃と比較すると、
かなり予算は減っていると思うのですが、
それでも舞台機構は抜群で音響も良く、
合唱のレベルも高いので、
安定感を持って舞台を見ることが出来ます。

引っ越し公演は予算の問題が大きいのでしょうが、
現在は舞台装置は安っぽく、
合唱も大勢は来日しないので、
人数が少なくて迫力がありません。

今回の「ラ・ボエーム」は、
フランスの若い芸術家を描いた人気作です。
日本人による演出はこれと言った新味はないのですが、
舞台面も綺麗ですし、
1幕など部屋の外の空間を比較的多くとって、
最後の二重唱の辺りも、
最後のぎりぎりまで客席から見えるところで歌ってくれるのが、
個人的には好印象でした。

ミミがロドルフォの部屋に来て、
蝋燭の明かりが何度か消える段取りも、
非常に分かりやすく出来ていました。
これもあまりないことです。

この作品の聴きどころは、
何と言っても1幕のテノールのアリアと、
ソプラノのアリアが連続するところですが、
ちゃんと盛り上がるべきところで前に出て来るので、
動きが歌を邪魔していません。
アリアの辺りなど、
照明を細かく調整しているのも良いと思います。

2幕のカルチェラタンの街並みも綺麗ですし、
主人公達の声が、
合唱とは綺麗に分かれて聴こえるような、
バランス感覚も良かったと思います。

ヨーロッパの指揮者は、
歌手をしっかり盛り上げるタイプで、
1幕のアリアも、
とことん伸ばせるところは伸ばしていました。

歌手陣もミミ役のフローリアンというルーマニアのソプラノが、
艶やかな伸びのある声でまずまず。
ロドルフォ役のイタリアのテノール、テッラノーヴァも、
声はやや荒れているのですが、
目いっぱいの歌唱で「冷たい手に」の高音は良く出ていました。
ただ、二重唱の終わりは声を上げませんでした。

以上が良かったところ…

悪い点は演出では、
2幕の始めに録音の効果音を流していて、
これは良くないと思いました。
プッチーニの音楽は情景描写が本質で、
すべての情景を音にしているのですから、
そこに実際の雑踏の音などを重ねるのは、
絶対のNGだと思います。
ただ、こうした演出は、
最近は多いのが実際だと思います。

日本人歌手があまり良くありません。
もっと歌える人が幾らでもいると思いますし、
もっと真摯な歌であれば、
心に響くと思うのですが…

その辺は非常に残念です。
ただ、「ラ・ボエーム」のような「世話物」の演技と歌は、
日本人歌手には一番苦手なジャンルかも知れません。
精一杯おちゃらけた感じを出すのが、
却って痛々しく、
歌のフォルムも乱してしまっているように感じました。

新国立劇場で一番残念なのは客席の雰囲気で、
上演回数が多いので、
どうしてもオペラ好きではない観客の比率が多くなり、
雑音もざらですし、
カーテンコールを見ずに、
そそくさと帰る観客が多いのもガッカリします。
今回は20日に聴いたのですが、
ミミのアリアの一番盛り上がるところで、
ポケベルの音が盛大に鳴り響きました。
どうしてここまで絶妙(悪い意味で)のタイミングで、
ポケベルが鳴らせるものかと、
暗澹たる気分になります。
しかも1階3列目の正面です。

アリアは多くの拍手に値する出来だったと思いますし、
指揮者もそれを期待していた演奏でしたが、
アリア後の拍手は、
特にテノールのアリアの後はパラパラでした。
あそこは本来は繋げるところですが、
慣例として拍手が入りますし、
それで良いのだと思います。
そういう作法は矢張り守られるかどうかで、
その後の出来も変わります。
あの出来であれだけの拍手では、
歌手もやる気は失せると思います。
とても、残念です。

一方でムゼッタのアリアの後では、
指揮者は拍手の間を作りませんでした。
あれは妥当な判断だったと思います。

12月の「セビリアの理髪師」では、
新国立劇場で初めて、
ラストのテノールの大アリアが、
カットなしで歌われるそうです。

これも非常に楽しみで、
なんだかんだと言っても、
今の日本のオペラは、
かつてより新国立劇場でもっている、
という部分が大きいように思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごしください。

石原がお送りしました。

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ウィーン国立歌劇場2016年日本公演 [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

今日は祝日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
ウィーン国立歌劇場.jpg
先月から今月に掛けて、
ヨーロッパを代表する歌劇場の1つ、
ウィーン国立歌劇場の来日公演が行われました。

演目はシュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」と、
ワーグナーの「ワルキューレ」、
そしてモーツァルトの「フィガロの結婚」です。

ウィーン国立歌劇場の来日公演は、
これまでに多くの名演を聴かせてくれましたが、
今は圧倒的なスター歌手は不在なので、
最近は物足りなく感じることも多いのが実際です。

今回は結局ムーティ指揮の「フィガロの結婚」が一番良かったのですが、
極め付けの名演出とは言え、
これまで何度も見た同じポネルのセットで、
幾らなんでも凄い骨董品を持ち出して来たな、
という感じがありました。
僕自身もこの舞台は3回は観ています。
ウィーン国立歌劇場のモーツァルトというのは、
何と言っても特別の意味合いがありますし、
演奏は抜群でムーティの目配りも随所に感じられました。
この演目における僕の不満はズボン役のケルビーノで、
正直あまり良くありませんでした。
これは昨年の野田秀樹演出のヘンテコな舞台があったのですが、
ケルビーノをビジュアルは無視でカウンターテナーに歌わせていて、
裏声の美声はとても斬新で、
「これが正統だ」という感じを強く持ちました。
あの役は、普通のズボン役のメゾが歌うと、
どうもアンサンブル的に詰まらなくなるように思います。

それ以外のキャストはまずまずで、
ソロはともかくアンサンブルは極上で堪能しました。

ただ、これは今回は演出を変えて、
少し新鮮な感じを見せて欲しかったと思いました。

「ナクソス島のアリアドネ」は、
如何にもウィーンという演目ですが、
過去にシノーポリ指揮でグルヴェローヴァがツェルビネッタを歌った、
圧倒的な名演があって、
これは実際に聴いて今も耳に焼き付いています。

今回の上演は演出としては一番洒落ていましたし、
悪くない上演ではあったのですが、
前にも一度聴いたことがあるファリーという若手のソプラノは、
ツェルビネッタには如何にも安全運転で、
面白みがなくガッカリしました。
ツェルビネッタには悪魔的な技量がないと、
この作品は駄目だと思います。

今回最も期待していたのは、
ウィーンの来日では初めてのワーグナー「ワルキューレ」で、
演出も映像を使った斬新なもの、
という触れ込みで期待をしていました。

ただ、演出は実際にはかなり安っぽいもので、
おそらくは海外公演用に簡略化されていたのではないかと思いますが、
映像はオープニングにちょこっと、
それからラストの岩山の炎にちょこっと、
という感じでしか使われず、
ぼやけた炎が白い壁に映るだけなので、
プロジェクションマッピングとも言えないような、
ひと昔前の技術で、
とてもとてもガッカリしました。

演奏はともかくとして、
今年新国立で上演された「ワルキューレ」は、
ヨーロッパの歌劇場の演出のもらい物ですが、
非常に考え抜かれた美しく素晴らしいもので、
新国立の舞台機構が良く活かされていました。

それと比較すると今回の上演は、
非常に安っぽくかつ古めかしいもので、
大変ガッカリさせられました。

1幕はまあ悪くなかったのですが、
2幕は同じ平場で天上の場面と下界の場面をそのまま演じるので、
何をやっているのが全く分からないような感じになり、
ブリュンヒルデがジークムントに死の告知をするところも、
2人が同じ平場で触れ合ったりするので、
神秘的な感じがまるでありませんでした。
貧相で本当にガッカリです。

3幕の岩山も白い壁に囲まれたただの部屋で、
そこに馬のオブジェが並んでいるだけのセットです。
ワルキューレ達が、
本物の眼の上に偽物の眼を描いているメイクも、
遠くからでは全く分からないのでどうかと思うセンスのなさですし、
白い背景でそのまま演じて、
最後にそこに炎の映像が映されて終わるだけでは、
これまた安っぽくで元気がまるで出ないのです。

呆れた演出でした。

演奏はさすがに精度の高いものでしたが、
荒々しい迫力のようなものはないので、
ウィーンにワーグナーは矢張りあまり向いていないな、
という感じを持ちました。

歌手はボチボチで、
ブリュンヒルデのニーナ・シュテンメは、
雰囲気はとても良いのですが、
歌は高音が不安定で、
最初のワルキューレの歌からオヤオヤという感じでした。
ジークリンデのラングは良かったと思います。

そんな訳で、
ちょっとモヤモヤした来日公演でした。
なかなか名演は成立はしにくいもののようです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

下記書籍発売中です。
よろしくお願いします。

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  • 作者: 石原藤樹
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  • 発売日: 2016/10/28
  • メディア: 単行本


ワーグナー「ラインの黄金」(ザルツブル・クイースター音楽祭 in Japan) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ラインの黄金.jpg
サントリーホール30周年の記念として、
ザルツブルク・イースター音楽祭来日公演が企画され、
そのメインの演目として、
ワーグナーの「ラインの黄金」が、
ホール・オペラとして上演されました。

今やドイツを代表するワーグナー指揮者の、
クリスティアン・ティーレマンが指揮をして、
オケはシュターツカペレ・ドレスデン、
ヨーロッパで活躍する一線の歌手を揃えた、
これぞ本場の本物というワーグナーです。

「ラインの黄金」は休憩なし2時間半の1幕なので、
かなり聴く側としてはペース配分がきついのと、
コスチュームプレイ的で、物語るオペラ、という感じなので、
「これぞ力押し」というようなワーグナーの見せ場が乏しく、
正直このオケとメンバーであれば、
「ワルキューレ」辺りが聴きたいな、
とは思うのですが、
ホール・オペラという構成であると、
この選択が仕方のないところなのかも知れません。

ホール・オペラというのは、
サントリーホール独自の特殊な形式で、
普通コンサートホールでのオペラは演奏会形式と言って、
オーケストラの前もしくは後方に、
普通にドレスアップした歌手が並び、
演技はせずに歌のみを「演奏」する、
という方法で行われることが多いのですが、
ホール・オペラは簡単ですが衣装も着け、
演技もしながら歌手が歌うという、
簡略化されたオペラ、
セミ・オペラとでも言うべき性質のものです。

僕はこの中途半端な様式が好きではありません。
演出が変に頑張って、
歌手が中途半端に芝居をしたり、
あちこちで歌うので、
音楽に却って集中の出来ないことが多いからです。

今回の場合は、
オケの後方、通常は背面の客席があるところに、
2階建てのような舞台を組んで、
その上でやや簡素な衣装を着けた歌手が、
演技をしつつ歌うという演出になっていました。

かなり客席から歌手が遠く、
見上げるような感じになりますし、
工事現場の足場のようなところで、
窮屈そうに危なっかしく歌っているのも、
不安定で如何なものかな、
という気がします。

ただ、意外と上の後方で歌手が歌い、
前方にオケがあるというバランスは音的には悪くなく、
後方の上からの声と、
正面からのオケの音が、
いい具合に分離されて聞こえるので、
両方がクリアで綺麗に交錯するのは新鮮に感じました。

ただ、オケが前に出る部分はそれで良いのですが、
どうしても歌手の声の迫力はなくなるので、
歌手が主体の場面は今一つの感じになっていました。
小さな舞台で窮屈に演じるので、
歌手陣は思ったほど自由に歌えていなかったと思います。

どうもホール・オペラは苦手です。

ただ、演奏は矢張り抜群に素晴らしくて、
この迫力はさすがに本場のワーグナーの底力を感じました。
ダイナミックレンジが非常に広く、
繊細な場面は歌手に静かに寄り添いながら、
押すところは豪快な力押しで、
壮麗な音の城郭を築き上げます。
ライトモチーフの1つ1つが、
極めて雄弁かつ個性的で、
音色がそれぞれ異なっているという点にも感銘を受けました。

願わくばワーグナーの他のオペラも是非、
と思いますが、
なかなか実現は難しいのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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ワーグナー「ワルキューレ」(2016年新国立劇場シーズンオープニング) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
ワルキューレ.jpg
新国立劇場の今季のシーズンオープニングである、
ワーグナーの「ニーベルングの指環」の第二部(第1日)、
「ワルキューレ」を聴いて来ました。

今年はワーグナーの上演は非常に充実していて、
世界最高水準と言って良い舞台が続きます。

4月の東京・春・音楽祭が、
ヤノフスキの指揮にNHK交響楽団の演奏、
そして世界的な第一線の歌手が揃う豪華な布陣で、
「ジークフリード」の見事な演奏を聴かせ、
それから今回の新国立劇場の「ワルキューレ」があり、
11月にはウィーン国立歌劇場の同じ「ワルキューレ」、
そしてザルツブルグ・イースター音楽祭の来日公演として、
ティーレマンが「ラインの黄金」を振ります。

これはもう陶然とするような、
物凄いラインナップですし、
今のところその出来栄えも期待を裏切らないものです。

「ラインの黄金」からこの「ワルキューレ」、
そして「ジークフリード」、「神々の黄昏」と続く、
楽劇「ニーベルングの指環」は、
全ての作品が素晴らしいのですが、
中でもまとまりという意味では一番で、
単独での上演も最も多いのが、
この「ワルキューレ」です。

オープニングの弦の響きからワクワクしますし、
1幕は「トリスタンとイゾルデ」を思わせる2重唱があり、
2幕には長大な夫婦の痴話喧嘩など、
他のワーグナー作品にはあまりない雰囲気や、
天界と地上を結ぶダイナミックな生と死の構図があり、
3幕は有名な「ワルキューレの騎行」から始まって、
怒涛の展開で感動的な大フィナーレへと続きます。

僕は二期会の公演で聴いたのが生で接した最初で、
それからベルリン・ドイツ・オペラのチクルス上演で、
ワーグナーの虜になり、
その後キース・ウォーナー演出による、
ポップで奇想に満ちた新国立劇場の2回の上演
(「ワルキューレ」は聴いたのは1回のみ)、
マリインスキー・オペラによるチクルス上演、
ドミンゴの出たメトロポリタン・オペラの上演と来て、
最近ではヤノフスキ指揮で演奏会形式の、
東京・春・音楽祭の公演が、
代役がマイヤーでオケはN響という豪華版で、
音楽的には圧倒的で印象に残っています。

僕はこの作品は大好きで、
死ぬ前に最後に1本のオペラを生で聴くとすれば、
この「ワルキューレ」かな、
と今は思っています。

今回の上演は新国立劇場としては、
3回目の指環の連続上演の一環ですが、
演出はオリジナルではなく、
フィンランド国立歌劇場のゲッツ・フリードリヒ演出を、
借りて来たものです。

これは昨年の「ラインの黄金」の舞台が、
原作に比較的忠実で端正な演出が、
個人的には好印象で、
今回は「ワルキューレ」をどう料理してくれるのかと、
期待に胸を膨らませて劇場に足を運びました。

今回もなかなか考え抜かれた演出で、
借り物とは言え、
ただ持って来ただけ、という感じはしません。

個々のキャラクターの絶望的な孤独の瞬間のようなものに、
スポットを大きく当てていて、
1幕のジークムントが絶望の中で救いを求める一瞬であるとか、
不自由な神の王であるヴォータンが、
「世界など滅んでしまえ」と嘆息する瞬間、
2幕でジークムントが死を確信する瞬間などが、
指揮の飯森さんの手さばきによって強調され、
それが連動して絞り込まれるスポットや空間構成で強調されます。

孤独と裏腹な結合の象徴としての抱擁の場面が、
強調されているのも特徴で、
2幕のジークリンデとジークムントの死を覚悟した抱擁の場面など、
通常は退屈に感じる場面なのですが、
今回は目から鱗の感動がありました。

今回の演出の優れているところは、
台本に書き込まれていることを、
そのままに観客に分かるように視覚化していることで、
1幕ではジークリンデがフンディングに眠り薬を飲ませる動作なども、
ちゃんと描かれています。

ただ、唯一おかしいと感じたのは、
例の「ワルキューレの騎行」で、
何か場末のショーパブみたいな雰囲気で、
連れてきた死体の英雄と、
セックスをするような下品な描写には、
ガッカリする思いがありました。

「ワルキューレの騎行」も個々のワルキューレが、
1人ずつ飛んでくるという段取りが、
ちゃんと台本には書いてあるのですが、
実際にそれが行われることは皆無で、
概ね太ったおばさんが岩山の上をヨロヨロ集団で歩いているか、
そうでないと今回のように、
中途半端なセックス描写が、
繰り広げられるような読み替え演出です。
個人的には今の技術であれば、
空飛ぶ馬に跨ったワルキューレが、
ビュンビュン舞台に飛んでくるような演出も不可能ではない筈で、
そうした演出を期待したいと思います。

個人的にはワーグナーは結構エッチだと思いますし、
東京・春・音楽祭の「パルジファル」演奏会式上演で、
魔女のお姉さんが舞台の正面にズラッと並んで誘惑の声を聴かせた時には、
絶対これがワーグナーの意図通りの効果だ、
と感じました。
ああいう感じが、
「ワルキューレの騎行」にも是非欲しいと思います。

ただ、今回のラストの岩山にブリュンヒルデが封印される場面は、
映像の炎と本物の炎、そしてスモークとレーザー光線の効果が素晴らしく、
僕が観た中では最も美しく、
それでいて原作通りの場面が現出された、
素晴らしいものになっていたと思います。

これは凄いですよ。

この場面だけでも今回の上演は観る値打ちはあると思います。

歌手陣は、
イレーネ・テオリンやエレナ・ツィトコーワという、
新国立のワーグナー上演を支えた女声陣が、
今回も良い働きを見せていて、
ジークムントのステファン・グールドも、
ベテランの初役ながら真摯な姿勢と、
素晴らしい美声を聴かせ、
ヴォータンのグリムスレイも悪くありません。

日本のワーグナー上演としては最高水準です。

オケは東京フィルというのはどうしても元気が出ないのですが、
1幕はミスタッチが多く、
オープニングのチェロもヘロヘロで、
肝心のところで音程のミス、
というガッカリの立ち上がりであったのですが、
尻上がりに調子が出て、
3幕は名演と言って良い水準に達していたと思います。
ただ、個人的には矢張り好みの音ではありません。

いずれにしてもこの指環のシリーズは素晴らしくて、
今回も堪能しましたし、
これからも非常に楽しみです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

ワーグナー「ジークフリート」(東京春祭ワーグナー・シリーズvol.7) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ジークフリード.jpg
桜の終わりくらいの時期に、
東京・春・音楽祭のメインの公演として、
ワーグナーの「ニーベルングの指環」の第2日、
「ジークフリート」が演奏会形式で行われました。

このシリーズは、
最近はワーグナーの作品をじゅんぐりに、
演奏会形式で毎年1作品ずつ上演しています。

2年前からは「ニーベルングの指環」の連続上演を、
マレク・ヤノフスキの指揮で行なっています。
オケはNHK交響楽団という他では望めない豪華版で、
キャストも世界の一流どころが顔を揃え、
昨年の「ワルキューレ」では、
代役として急遽大御所のマイヤーが、
ジークリンデに参戦しました。

オペラファンにとって、
年間随一の楽しみと言って過言ではありません。

演奏会形式というのは、
少し物足りない面はあるのですが、
ワーグナーの場合、
多くの演出は間抜けなコスプレのようなものか、
そうでなければ意味不明の読み替え演出なので、
音だけを聴いていた方がどれだけましか、
と思う事の方が多く、
最近は演奏会形式の方が心地良いのです。

今年のキャストは昨年の「ワルキューレ」と比べると、
若手主体でしたが、
世界で活躍する一流の歌手を揃えています。

全ての歌手が全力の歌唱で聴き応えがありました。
中でも声量抜群のアンドレアス・シャーガーが、
ジークリフリートにうってつけの迫力で、
ラストのブリュンヒルデ役エリカ・ズンネガルトとの二重唱は、
迫力と情感、そして繊細さを兼ね備えたアンサンブルが素晴らしく、
これぞワーグナーという愉楽に満ちていました。
オケも勿論素晴らしく、
ブリュンヒルデの覚醒の場面など、
背筋がゾクゾクするような興奮を味わうことが出来ました。

後特徴的であったのがミーメ役のゲルハルト・シーゲルで、
その美声に禿頭に汗をかいての熱演は、
従来のミーメのイメージを、
一新するような痛快さがありました。

ワーグナーを聴く楽しみに満ちた上演で、
来年の「神々の黄昏」が楽しみになると共に、
もう来年で終わってしまうのか、と思うと、
非常に残念でならないのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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