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大将軍神像と妖怪ストリート [仏像]

こんにちは。

北品川藤クリニックの石原です。

クリニックは今日まで夏季の休診です。

また奈良と京都に行って来たので、
今日はその話です。

こちらをご覧下さい。
大将軍八神社本殿.jpg
京都は北野天満宮にほど近い場所にある、
大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)という、
古い神社をお参りして来ました。

その本殿正面の写真です。

京都には六道珍皇寺など、
陰陽道に深い関わりのある場所がありますが、
こちらの神社もその1つで、
そもそもは西暦794年の平安京遷都の年に、
御所の天門の地に大将軍を祀る大将軍堂を開いたのが、
その始まりとされています。

大将軍というのは陰陽道の神様で、
星や方位をつかさどるとされています。
天文学に深い関わりを持つ星の神様です。

要するに仏教や神道とは全くの別物で、
別個の信仰として存在していたのですが、
明治になって陰陽道がはっきり異端とされたので、
多くのこうした信仰は失われ、
そもそもなきもののようにされたのです。

この神社は後付けで聖武天皇と桓武天皇をお祀りし、
辛くも存続することに成功して現在に至っています。

仏像好きとしては、
80体の大将軍神像群が残されていることが極めて貴重で、
元は大将軍堂の中に、
数百体の神像が立体曼荼羅を成していたということなのですが、
規模は小さいにしても宝物館の一室には、
立体曼荼羅が再現されていて、
その凄みと迫力は、
他に日本ではちょっと類のないものだと思います。

こちらをご覧下さい。
大将軍八神社宝物館.jpg
宝物館の入り口です。
神像のレプリカが安置されています。

中に入ると一階の殆どのスペースを使って、
80体余りの大将軍神像群が立体曼荼羅を構成していて、
2階には主に天文学関連の古い資料が展示されています。
「天地明察」で有名な江戸時代の天文学者澁川春海が作った、
天球儀の実物などもそこにあります。

こちらをご覧下さい。
大将軍八神社パンフレット.jpg
内部の撮影は禁止ですので、
こちらは神社のパンフレットにある画像です。
こちらが中央でここから部屋を取り巻くようにして、
80体余りの姿かたちの異なる神像がズラリと並びます。
実際には照明は暗く、
朧に神像が浮かび上がるという感じで、
もっと凄みがあるのです。

次をご覧ください。
大将軍像1.jpg
5号像とされている、
立体曼荼羅に中心に安置された神像です。

こちらは神社で購入した、
絵葉書の写真になります。

最も完成度が高く、
保存状態も良いものです。

次をご覧下さい。
大将軍像2.jpg
44号像とされているものです。
西洋の悪魔を思わせるような、
かなり日本の古代彫刻としては特異な造形です。

一連の神像は平安時代から鎌倉時代に掛けて造られているのですが、
こうしたものを見ると、
今残っている仏像や神像は、
長い年月において「正統」とされたもののみで、
実際にはもっと自由自在な多くの仏や神の形が、
人間の手によって造られていたことが推測されます。

大将軍八神社もさることながら、
その周辺の街並みもなかなか個性的です。

こちらをご覧下さい。
大将軍商店街1.jpg
周辺の商店街は、
その昔百鬼夜行が通ったらしく、
妖怪ストリートとなっています。

この看板をもう少し引きで見ます。
大将軍商店街4.jpg
このように2階からは愛嬌のある妖怪が覗いています。

街を少し歩くとこんなところもあります。
大将軍商店街2.jpg
イベントスペースのようですが閉まっていました。

こちらをご覧下さい。
大将軍商店街3.jpg
百鬼夜行の資料館があるようなのですが、
そこも閉まっていました。

本来お盆には妖怪ストリートは、
開いていないといけないような気がするのですが、
人間様の都合の方が優先されているのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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石峰寺五百羅漢(若冲作) [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日も奈良京都のお土産的な話題です。

こちらをご覧ください。
石峰寺.jpg
京都の伏見稲荷にほど近いところにある石峰寺(せきほうじ)の、
有名な五百羅漢の石仏の一部です。

これは写真撮影は不可なので、
お寺のパンフレットから取った写真です。

最近人気の高い江戸時代中期の画家、伊藤若冲が、
その晩年を過ごしたお寺で、
若冲が下絵を描き、
それを元に石工が刻んだ石仏が、
寺の裏山に500体以上パノラマのように配置されています。

ちょっと崩した輪郭の、
デフォルメされた石仏が、
ズラリと並んだ様子はなかなかの圧巻で、
写真で見るより実際に見るとその素晴らしさに感銘を受けます。

内容は幾つかのパートに分かれて、
山を一回りすると、
お釈迦様の生涯が辿れるという趣向です。
静的な感じではなく、躍動感があって、
この新緑の頃に拝観すると、
青葉の息吹のようなものと、
石仏の動きが一体となって、
生命の賛歌を奏でるような思いがありました。

元々は1000体以上の石仏が存在していたとされていて、
盗まれたりして残っているのが半分ほどです。
実際、パノラマを構成せずに、
打ち捨てられているような石仏もあり、
物の哀れもまた感じられるのです。

境内には若冲のお墓もあり、
静かなたたずまいには味わいがあります。
石仏好きにはなかなかのお薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

古知谷阿弥陀寺感得阿弥陀如来立像 [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は連休狭間の土曜日ですが、
午前午後ともいつも通りの診療になります。

今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
阿弥陀寺 阿弥陀如来立像.jpg
古知谷阿弥陀寺というのは、
大原の三千院から更に少し北にある山寺です。

駐車場と山門が山の麓にあり、
そこから600メートルほど山道を登ります。
道はかなり整備されているので快適です。

こちらをご覧ください。
阿弥陀寺全景.jpg
山道を登り、お寺のお堂を見上げるくらいの位置です。
樹齢800年以上という、
大きなケヤキが見事です。

この古知谷阿弥陀寺は、
1609年に彈誓上人(たんぜいしょうにん)様という方が、
独自の宗派として開かれたお寺だということで、
要するに江戸初期の新興宗教の教祖様のお寺、
ということのようです。

上人様は独自の悟りを体得され、
後に阿弥陀様の化身となられたということのようです。
何かきっかけがあったのだと思いますが、
皇室との関わりが深くその信仰を集め、
また周辺の金鉱の情報を江戸幕府に伝えるという、
隠密のような仕事もされていて、
江戸城への登城も許されていたそうです。
その証である鉄の履が宝物として残っています。

何かただならない感じのする方ですよね。
歴史小説の素材にはもってこいの感じです。

このお寺のご本尊は上人が自らを刻んだ、
70センチほどの開山彈誓佛立像で、
これは上人様がご自分で彫った上に、
自分の髪の毛を植えこんだという珍しいもので、
その髪の毛もまだわずかに残っています。

そして、最後に上人様は即身成仏され、
ミイラとなってお寺の奥にある石室の中の、
石棺の中に安置されているということになっています。

その石室を実際に見ることが出来ますが、
上人様のミイラは、
明治年間に一度その存在が確認されているだけで、
その後は石棺が開けられたことなく、
誰もそのお姿は見ていない、ということです。

なかなか凄みのある話です。

さて、今回の特別公開では、
石室やご本尊と共に、
開山当時に謎の老爺(実は阿弥陀様)から、
上人様が頂いたという逸話のある、
開山当時のご本尊である、
感得阿弥陀如来立像が初公開されています。

それが上の看板にあるお写真です。

桜の霊木から彫り上げられたもので、
いわゆる壇像です。

それほど出来の良い仏像ではないのですが、
粗削りで霊的な魅力があります。
そのお顔には貞観彫刻を思わせる雰囲気があり、
平安期のものという説もあるのですが、
もっと新しいような感じもあり、
はっきりとはしていません。

当日は連休中ということもあって、
ひなびた山寺は観光客でごった返していました。

柄の悪いマニアのような方もいて、
正直嫌な気分での拝観となりましたが、
非常に不思議で奇妙な寺院であり寺宝の数々で、
貴重な体験ではあったと思います。

初公開という言葉に騙されて、
思わず僕も山の中まで足を運んでしまいました。

それでは今日はこのくらいで。

今日は皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

夕日観音(2017年5月再訪) [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。
明日土曜日では午前午後ともいつも通りの診療になります。

先刻、奈良京都から帰って来たところです。

今日はこれまでにも何度かご紹介したことがある、
僕の最も好きな奈良の石仏を見て頂きます。

その仏様のお姿がこちらです。
夕日観音全景.jpg
奈良の北方柳生街道の滝坂道の岩に刻まれた、
夕日観音のお姿です。

これは仏像岩と呼ばれる、
別々の場所に幾つかの石仏の刻まれた街道脇の崖があって、
その岩の最も上の部分に刻まれています。
街道からはかなり上方の見えづらい場所にあるので、
見逃がされる方も多いと思うのですが、
崖をよじ登るとそばで手を合わせることが出来ます。

一番最初に拝んだのは大学生の時で、
とてもとても感銘を受けました。
それから2010年の妻が入院している時に再訪、
妻と一緒に2011年にも訪問し、
翌年の2012年のお盆に再訪した時に手首を骨折して、
それからは行くのをやめていました。

今回が5年ぶりの再訪になります。

観音という名前ですが弥勒仏と考えられています。
一種の立体曼荼羅として、
その頂点に刻んだようにも思えます。
もう少し近づきましょう。
夕日観音近景右.jpg
素晴らしいでしょ。
平安末期から鎌倉時代の作と考えられています。
描線やお顔の感じに古様があり、
確実に鎌倉は下ることがないと思います。
様式としてはおそらく鎌倉期の前半期かと推測されます。
古仏の風格があり、格調があり、
そして風化の途上にある儚さが漂っています。

夕日観音近景左.jpg
こちらは向かって左側から撮った画像ですが、
右のお顔には補修らしき跡があり、
水の浸食による痛みと岩の変色も見られます。

入江泰吉先生の昔の写真では、
お顔の傷みはなく、
右手の先の描線も綺麗に残っていましたから、
風化は着実に進んでいるようです。

奈良の摩崖仏の私的ベストスリーは、
この夕日観音と和束弥勒摩崖仏、
そして当尾の大門仏谷摩崖仏ですが、
和束は最近整備されて岩の強度も安定していますし、
大門仏谷はかなり前に岩の上にある桜の巨木を切り倒していて、
岩盤は固く安定しているので、
この両者は長く残ると思うのですが、
この夕日観音に関しては、
彫られた岩自体がそれほど固くはないもので、
仏様のすぐ上に老木があり、
そこからひび割れも生じています。
老木が倒れたり、大雨で岩が浸食したりすれば、
全体が剥落する恐れは極めて大きいと思います。

いつまでこのお姿を拝見することが出来るのかが、
極めて不安でもあり、
そこがまた物の哀れを感じさせて、
心を揺さぶるところでもあります。

今回再訪にして本当に良かったと思いますし、
また折に触れて参拝を続けたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

天乃石立神社と一刀石 [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日は今年のお正月に参拝した、
奈良北方柳生の里にある神社を見て頂きます。

以前2012年の元旦にも参拝して、
その時にも記事にしています。
5年ぶりということになります。

芳徳寺という柳生家の菩提寺の裏手の山を、
少し上ったところにその神社はあります。
辺りは静寂に包まれ、
ほぼ人に出会うということはありません。

天乃石立神社は、
その昔天岩戸の石の扉が宙を飛び、
地面に突き刺さった場所だとされています。

その石の扉とされる巨石がこちらです。
天石立神社巨石.jpg
なかなかの迫力で、
この2つの巨石を含む周辺の神秘的な岩が、
この神社の祀るご神体そのものです。

こちらをご覧ください。
天石立神社拝殿.jpg
神社の拝殿ですが、
参道から鳥居を潜った位置からは反対側にあります。

ちょっと不思議な感じもするのですが、
まず神様の横を通って、
それから裏の拝殿に廻って、
お参りをする、
ということになります。

奥に見えているのもご神体で、
その裏に廻るとこんな感じになります。
天石立神社巨石②.jpg

周辺はまさにジブリの「もののけ姫」の世界です。
それほどのスケール感はないのですが、
心が洗われる感じがあります。

そして、拝殿から更に奥に進むと、
印象的な巨石があります。

それがこちらです。
一刀石遠景.jpg
一刀石と言って、
その昔剣豪柳生石舟斎が天狗と立ち合いをして、
一刀両断して翌日見たらこの石があった、
ということになっています。

なるほどと思う迫力です。

もう少し近づいてみます。
一刀石近景.jpg

僕の大好きな場所なのですが、
実は背後の山の向こうはもうゴルフ場になっています。
ちょっと悲しい感じもあるのです。

ただ、この場所自体の迫力と凄みは、
失われてはいない、
という思いがしました。

今日は古代の巨石の神秘を見て頂きました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごしください。

石原がお送りしました。

和束弥勒摩崖仏(2017年再撮影) [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日はまだクリニックは休診ですが、
グループホームの診療などには廻る予定です。

今日はお正月に奈良でお逢いした、
摩崖仏の画像を観て頂きます。

石仏というのは藝術性は高くても、
風雨にさらされるという特性から、
お堂の中などに安置される仏像より、
風化して消滅することが遥かに多い、
極めて儚い藝術です。

その中でも摩崖仏というのは、
崖の岩のそのまま彫り込まれたものなので、
よりその儚さが強いのです。

街道に目印で置くような小さな石仏は、
特に室町時代の後期からは大量に造仏されるようになります。
これは工房で作られるようなものなので、
商品として作られるようになり、
今作られるものとそれほど変わりはありません。
魂の籠ったもの、と言う感じはあまりしないのです。

矢張り石仏が素晴らしいのは、
室町時代の初期より以前、
より狭めれば鎌倉時代までの石仏です。

ただ、はっきりと鎌倉時代以前に造仏された石仏というのは、
そうざらに残っているものではありません。

その中でも素晴らしい仏様の1つが、
今日ご紹介する和束弥勒摩崖仏です。

和束町は京都南方、宇治市に近い位置にある、
川沿いの小さな町で、
お茶の産地として知られているところですが、
川沿いの抜群のロケーションの岩肌に、
見事な石仏が刻まれています。

そのお姿がこちらです。
和束弥勒摩崖仏遠景.jpg
前回対面したのは2013年のお正月のことでした。
その時は道も整備されておらずに立札などもありませんでした。

それが今回は川沿いの道が整備されていて、
立札も何か所かに設置されていました。
こちらをご覧ください。
和束弥勒摩崖仏への道.jpg
のどかなお茶の畑に沿って、
整備された道が続いています。
でも石仏の周囲は簡単な柵があるだけで、
その辺も自然の雰囲気を壊しすぎずに悪くないのです。

僕が考える良いロケーションの摩崖仏というのは、
遠景があって、
それから近接した見上げもある、
ということです。

その両方がここにはあります。

遠景の画像をもう1枚見て頂きます。
こちらです。
和束弥勒摩崖仏遠景②.jpg
遠くから最初に見えるこの風景が感動的です。
自然物と岩と木々の緑と苔むす岩の中に、
仏様のお姿を見つける瞬間が感動なのです。
大きさは画像では分かりにくいと思いますが、
光背などを含めれば⑦メートル近い大きさがあります。
日本の石仏は概ね小さく、
古仏でここまで大きなものは非常にまれです。

そして、少しずつ近づきます。
以前は石仏の彫り込まれた岩の正面に、
足場のようなものが組まれていたのですが、
それが今回は取り外されています。
そのために、柵の内側からだと、
今は横から石仏を拝見するしかないのですが、
正面に廻ることも出来るようにはなっています。

目の前での見上げがこちらです。
和束弥勒摩崖仏見上げ.jpg

これが室町後期以降の石仏にはない、
古仏の大らかな描線です。
見にくいのですが右側に碑文が刻まれています。
こちらです。
和束弥勒摩崖仏碑文.jpg
ちょっと読めませんが、
1300年に造仏されたことが刻まれています。
このように、鎌倉時代に作られたことが確実、
という摩崖仏は実際にはほとんどありません。
国宝に認定されてもおかしくないと個人的には思いますが、
石仏が重要文化財や国宝になることは、
実際にはほとんどありません。

最後にもう1枚お顔のアップを見て頂きます。
和束弥勒摩崖仏アップ.jpg
素晴らしいですよね。
最高です。

いつ消え失せるか分からない儚い藝術です。
でもだからこその魅力、
摩耗していつかは自然に帰るという無常感が、
それだけに心を打つのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

大原三千院阿弥陀如来石仏(売炭翁石仏) [仏像]

こんばんは。
北品川藤クリニックの石原です。

先刻奈良から戻って来たところです。
今回は暑さがきつすぎて、
ちょっと仏像を拝観するような感じではありませんでした。

今日は京都大原三千院の境内にいらっしゃる、
京都随一と言っても良い、
古仏の石仏を観て頂きます。

それがこちらです。
三千院石仏2.jpg
京都大原の三千院には、
苔の庭にわらべ地蔵という、
愛らしい表情をした地蔵石仏が点在していますが、
あれは勿論新しいものです。

こちらは鎌倉時代中期に作られたことが、
ほぼ確実な石仏で、
大きさも2メートルを超える半丈六と言って良い大きさのものです。

石仏は室町後期以降のものと、
それ以前のもの、特に鎌倉時代までのものとは、
その貴重さと藝術的な価値、
そしてある種の精神性のようなものが、
まるで異なります。

室町後期以降の石仏というのは、
工房の制作するある種の「商品」となってしまうので、
作品の数はぐっと増えるのですが、
唯一無二の仏としての実在感や感銘は、
あまりないものとなってしまうのです。

京都は古都ですが、
鎌倉時代に遡る石仏は殆どありません。

その意味でこの三千院の石仏は、
その完成度の高さと大きさも含めて、
非常に貴重な仏様なのです。

今は簡素な覆い屋に入っていますが、
野ざらしになっていた時期が長かったのでしょうか、
お顔などはかなり摩耗しています。
ただ、そのフォルムの美しさと高い精神性には、
摩耗して尚、唯一無二の風格があります。

もう少し近づきましょう。
三千院石仏1.jpg
石仏というより、木彫に近いような完成度の高いフォルムです。
欲を言えば均整が取れすぎていて、
やや訴える力には弱いような気がしますが、
さすが古仏という素晴らしさが全体に漂っています。

真夏はきついので、
次回は少し気候の良い時に、
もう一度拝観したいと思いました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

法界寺「薬師如来立像」(2016年秘仏公開) [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

先日奈良と京都に出掛けましたが、
最大の収穫は京都の法界寺で、
50年間開扉されなかった薬師堂の薬師如来様が、
お厨子の横からという変則的な形ですが、
特別の御開帳をされたことでした。

行くまで知らずにいたのですが、
帰りがけに情報を得たので、
慌てて出掛けたのです。

その薬師如来のお姿がこちら。
法界寺薬師如来.jpg
このお写真は、
平成20年刊の古寺巡礼のシリーズから取ったものです。
転載の許可は取っていませんので、
問題のあるようでしたらご指摘下さい。

50年非公開ということですが、
このお写真が50年前のものとは思えませんので、
記録や調査用の開扉はされているのだと思います。

ただ、このお写真は左側から撮られていて、
同じ向きの写真しか存在していないので、
未だかつて、
この薬師如来様の厨子の正面の扉が、
開かれたことはないことは事実のようです。
厨子の前には鏡が置かれて封印されています。

今回の公開でも、
仏様の左側の扉のみが開かれて、
横から拝観するという格好です。

ただ、本当に間近から、
覗き込むようにして拝観することが可能で、
係のボランティアの方が、
LEDライトを照らして頂けるので、
昔では考えられなかった、
ある意味無作法な感じではあるのですが、
鑑賞環境としては納得のゆくものでした。

この写真と同じように、
平安時代の造仏当時の切金文様が、
ほぼ完璧に残っていて、
非常に神秘的で美しいお姿でした。

同時に本尊の厨子の両側にある厨子の扉も開かれて、
鎌倉時代の十二神将が同時に御開帳されました。
そのお姿がこちら。
法界寺十二神将.jpg
こちらも全て重要文化財の指定を受けていますが、
動きのある優れた造形で、
頭部に干支の動物が載っているところなど、
興福寺当金堂の十二神将に非常に良く似ています。
大きさは小さいのですが、
その造形美は勝るとも劣らないと思いました。

法界寺は阿弥陀堂が有名で、
僕は好きで何度か足を運んでいるのですが、
たまたまタイミングが合って、
ちょっと伝説的な薬師如来を拝することが出来たのは、
望外の喜びでした。
旅はこうしたことがあるので嬉しいですね。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

神童寺「愛染明王坐像」 [仏像]

こんにちは。

北品川藤クリニックの石原です。

今日までクリニックは連休です。
明日は外来は金曜日で休診なので、
連休後の外来は土曜日から、
ということになります。

今日は奈良、京都の仏像の話題です。。

今日はこちら。
神童寺.jpg
京都の南で奈良の北方の南山城にある、
神童寺(しんどうじ)に伝わる愛染明王の坐像のお姿です。
これはお寺で売られている絵葉書の画像です。
特に許可は取っていないので、
問題があるようでしたらご指摘下さい。

南山城には、
蟹満寺や観音寺など、
平安時代以前の古仏を伝えるお寺が多いのですが、
その中でこの神童寺は、
これまで訪問する機会がありませんでした。

古仏の多くを収蔵する収蔵庫が、
改修工事をしていて、
その間に拝観が出来なかったのが、
その主な理由でした。

今回初めて拝観の機会を得て、
非常に感銘を受けました。

神童寺は非常に愛すべき小さな古寺で、
南山城ののどかな田園風景の中、
幾多の風雪を経て現在に至る古寺の魅力を湛えています。

このお寺は室町時代に造られた重要文化財の本堂があり、
そこには室町時代の蔵王権現立像が本尊として安置されています。
更に本堂から石段を登った背後の小山の上に、
鐘楼と共に収蔵庫があり、
その中には主に永安時代の古仏が、
十驅以上もズラリと安置されています。
全ての仏像がガラスケースやガラス越しではなく、
そのまま間近に拝観することが出来、
住職が丁寧に説明をして頂けます。
本堂もライティングがされていて、
拝観環境は申し分がありません。

仏像自体は写真では見ていて、
全体に造作が甘い感じがあり、
正直それほどの期待はしていませんでした。

しかし、実際に観るとその印象は大きく違いました。

平安時代の密教美術のプリミティブな魅力に満ち、
凄みのある迫力があるのです。

中でもこの愛染明王像は、
上方に弓を番う、
「天弓愛染」と呼ばれる他にあまり例のない構図が、
巧みに破格の感じを出していて、
多くの写真ではモノクロームな感じなのですが、
実際には護摩で燻された黒い姿の中に、
赤などの色彩が豊富に残っていて、
泥絵の曼荼羅のような、
不思議な魅力があります。

この像と白不動と称される不動明王の立像の二驅については、
間違いなく実物を拝むと印象が大きく変わると断言出来ます。

この仏像は京都国立博物館に出品されたことがあるのですが、
その時はライティングが悪く、
後背も欠損していて、
おまけにガラスケース越しの鑑賞でしたから、
とても今回のような感想を持つことは出来ませんでした。
あの博物館のライティングは、
本当に駄目だと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

若狭小浜妙楽寺「木造千手観音立像」 [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

昨日から1泊で福井に行きました。
福井在住の友達と会い、
小浜に仏像を拝観に行って、
それから越前海岸の民宿で蟹を食べました。
ほぼ数年前からいつものコースです。

昨年拝観出来なかった妙楽寺で、
ご本尊の千手観音を拝することが出来ました。

そのお姿がこちら。
妙楽寺千手観音.jpg
二十四面千手観音と言って、
形相の違う3面のお顔があって、
その上に小さなお顔が21面乗っています。
腕も小さなものを含めると、
きちんと千本揃っています。

奈良時代に完成された千手観音の造形は、
唐招提寺の仏様など、
十一面千手観音が通常で、
このように二十四面千手というのは極めて珍しい作例です。
インドの神様に近い雰囲気ですね。

桧の一木造りで、
このような複雑な造形を、
破綻なく端正にまとめた技巧が素晴らしく、
また正面のお顔の優しい美しさにも魅了されます。

平安時代の中期、
藤原初期くらいの造仏だと想定されています。

お寺の雰囲気はなかなか素晴らしく、
田園地帯の中にあり、
参道をゆるやかに山の方に上って行くと、
鎌倉時代の藁葺きの本堂が、
静かに参拝客を迎えてくれます。
紅葉も少しずつ始まっていました。

静かで邪魔されるものもなく、
お堂のライティングもきっちりされていますし、
間近でしっかりと拝観することが出来ます。
仏像好きにはほぼ理想的な環境で、
なかなかこうしたお寺は、
奈良・京都にも数少ないと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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