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ピンター「管理人」(2017年森新太郎演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

今日は休みなので趣味の話題です。

今日はこちら。
管理人.jpg
ハロルド・ピンターの、
あまり日本では上演されない初期の出世作を、
翻訳劇の演出では今日本一と言って良い森新太郎さんが演出し、
男三人の魅力的なキャストによる公演が、
今三軒茶屋のシアタートラムで上演されています。

ピンターは世界的な劇作家でノーベル賞も受賞していますが、
如何にもヨーロッパのスタイルの不条理劇で、
イギリスの風俗劇としての部分も大きいので、
翻訳上演にあまり適した戯曲とは言えません。

これまで「背信」や「ダムウェイター」など、
何本かの舞台を観ましたが、
眠気との過酷な闘いになり、
正直何処が面白いやら、
後で戯曲を読んでも良く分かりません。
上演自体もあまり説得力のあるものではなく、
何か手探り感の強いものでした。

今回の舞台はさすが森新太郎さんという感じはあり、
演出は繊細で練り上げられていますし、
緻密に造られたゴミ屋敷のセットは見事な仕上がりですし、
キャストも相当に頑張っていました。

それでも内容自体はそう咀嚼し易いものではなく、
モヤモヤした感じは残るのですが、
少なくとも僕がこれまで観たピンターの上演の中ではピカ一で、
森さんの手ほどきをもって初めて、
ピンターの芝居とはどういうものかが、
少しだけ分かったような気がしました。

以下ネタばれを含む感想です。
観劇予定の方は観劇後にお読みください。

設定は1960年のロンドンで、
ゴミに溢れた閉塞感のある部屋が舞台です。
忍成さん演じる兄と溝端さん演じる弟が、
その部屋を巡ってさや当てを演じています。
精神を病んでいる兄は、
何も捨てるということが出来ず、
他人とも関わりを持つこともなく、
ゴミだらけの部屋の中で無為な日常を続けています。
弟は部屋をリフォームして貸し出すことで、
新しい生活を始めようとしていますが、
兄への愛情もまた持ってはいるようです。
ただ、兄弟の言うことは細部では食い違っていて、
どちらが正しいのかは分かりません。
そこに「ゴミ」として仕事をクビになったばかりのろくでなしの老人を、
ある日兄が拾って来ます。
温水さん演じるこの老人は、
最初はすぐに次の仕事を探そうと、
前向きの気持ちも持っているのですが、
兄に勧められるままに部屋で寝起きするようになると、
次第にそこでの無為な生活を守る気持ちが強くなり、
「家主」である兄への不平不満を主張するようになります。
そこに弟が「部屋の管理人として兄の面倒を見て欲しい」
というような気を惹くことを言うので、
すっかり調子に乗って、
兄を管理するような態度を見せ始めます。

老人は一旦兄と決裂し、
兄を追い出そうと弟を頼るのですが、
豹変した弟から攻撃を受け、
最後は部屋に置いてくれることだけを兄に懇願するのですが、
それも拒絶されて絶望の淵に苦しんで幕が下ります。

そもそも老人はそこに泊まるつもりさえなく、
翌日には友人や伝手を辿って、
次の仕事やねぐらを探すつもりであったのですから、
別にそこを出ろと言われたところで、
絶望する必要などなかったのですが、
一度「管理人」という待遇を与えられると、
それがただの幻影に過ぎなくても、
そこに囚われて縋り付かざるを得なくなってしまうのです。

人間に与えられる役割と、
仕事というものの本質に対する、
皮肉で冷徹な視点とシュールな遣り取りが、
さすがヨーロッパの不条理劇という感じがします。

演出の森新太郎さんは、
個人的には蜷川幸雄さん亡き後、
最も信頼している翻訳劇演出のエキスパートで、
常に原作をノーカットで、
ト書きにも極力忠実に上演するという姿勢が、
何より誠実で素晴らしいと思います。

今回もイギリスの風俗満載の、
日本で上演することは困難な戯曲を、
3人の役者さんの個性を巧みに活かしながら、
分かりやすく肉付けする手腕が見事で、
美しいセットと照明の技巧とも相俟って、
完成度の高い世界を作り上げています。

キャストはメインの温水洋一さんが、
いつもの自然体とはまた違った、
熱量のある振幅の大きな芝居を見せていて、
温水さんの舞台での代表作の1つと言っても、
良いのではないかと思いました。
特に後半の居丈高になる様子とその後の卑屈との落差は、
人間というものの無残さと哀れさを体現して、
見事な造形でした。

また特筆するべきは、
精神を病んだ兄を繊細かつ不気味に演じた、
映像でも屈折した役柄の多い忍成修吾さんで、
オープニングの闇を秘めた優しさの表現から、
長大で振幅の大きな独白、
そして最後の温水さんを突き放す後ろ姿まで、
舞台役者としての忍成さんの実力を、
見せつけるような舞台になっていたと思います。
驚きましたし感心しました。
これからも是非舞台を続けて欲しいと思います。
これだけの舞台役者はざらにはいません。

勿論溝端さんも華のある熱演で、
3人のアンサンブルが今回は素晴らしかったと思います。

そんな訳で、
作品の内容や難解さからして、
とても万人向けの芝居とは言えないのですが、
日本でのピンターの上演の中でも特筆すべき舞台で、
演劇の素晴らしさを体感出来るレベルの高い上演だと思います。

お薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ナイロン100℃「ちょっと、まってください」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

今日は日曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
ちょっと、まってください.jpg
現代最も影響力のある演劇人の1人であるケラさんの、
ホームグラウンドのナイロン100℃での3年ぶりの新作公演が、
今下北沢の本多劇場で上演されています。

例によって休憩を挟んで3時間を超える長尺で、
今回は別役実さんの過去の劇作に対する、
オマージュのような舞台になっています。

これまでにも別役さんの作品の引用があったり、
設定を借りたりするような舞台はあったのですが、
今回に関しては「雨が空から降れば」のような、
かつての劇中歌も歌っていますし、
作品全体が別役作品の変奏曲のような趣向になっています。

別役さんの初期作の「赤い鳥のいる風景」のようなイメージで、
童話めいた架空の町の設定の中に、
金持ちとしての暮らしをしている一家と、
表裏一体の浮浪者の一家が描かれ、
その2つを結ぶ存在として、
マギーさん演じる詐欺師がいます。
金持ちは実は詐欺師に騙されて、
法外な借金を続けているだけなので、
実態は赤字だらけで資産などはありません。
それを持ち逃げしようとした詐欺師は、
しかし、結局自分からは逃げ切れずに殺されてしまい、
市民運動と対立組織による不毛な対立が町を二分しているうちに、
町は破滅へと進んで行きます。

これはケラさんとしては、
今言いたいことを込めたと言うか、
時々漏らしているような、
今の日本への不満のようなものを、
珍しくストレートに表現した作品、
という言い方が出来そうです。

市民運動の不毛なやりとりや、
実は借金のみで生活している富豪など、
日本の状況そのものの風刺であることは明らかですし、
「ちょっと、まってください」という題名自体が、
今の世の中に対するケラさんの意思表示そのものなのだと思います。

手練れ揃いの役者さんの演技は滋味があって面白く、
2つの場面を幾何学的に構成したセットも、
エッシャーの絵画を見るような趣きで、
とても精緻に出来ています。
プロジェクションマッピングの精度の高さも、
ナイロン100℃ならではです。

正直この内容でこの上演時間の長さは、
かなりきつくしんどい思いがしますし、
別役さんの引用ばかりの芝居というのも、
これなら別役さんのオリジナルを観たい、
と言う気分にどうしてもなってしまいます。

ただ、今回はこれで単発の試みだと思いますので、
これはこれで楽しめましたし、
また次は新たな挑戦を期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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庭劇団ペニノ「地獄谷温泉 無明ノ宿」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
ペニノ.jpg
怪人タニノクロウさんの作・演出による、
庭劇団ペニノの「地獄谷温泉 無明ノ宿」の、
横浜での再演の舞台に足を運びました。

マメ山田さん扮する人形師の老人とその息子が、
翌年には新幹線の開通で閉鎖される予定の、
「主人」のいない温泉旅館に、
一通の謎の手紙で招かれるのですが、
招いた主人は存在せず、
旅館に集う老婆や盲目の男などの、
この世界から忘れ去られた「過去」の人間達の心に、
人形芝居で触発された一夜限りの異様な欲望が、
奇怪な華を咲かせるという物語です。

この作品は2015年の夏に森下スタジオで初演されて、
その時から非常に評価が高く、
第60回岸田國士戯曲賞を受賞しました。
ただ、この時はクリニックの開院準備の時期で、
忙しくて観に行けませんでした。
それで今回の再演はとても楽しみにしていたのです。

これは期待通りの見事な舞台で、
セットの緻密な造り込みは尋常ではありませんし、
音効や照明も完璧に磨き込まれています。
内容の得体の知れなさと、
常人には理解不能の露悪的な淫靡さなどは、
今回も基本的には同じですが、
ナレーションまで付けられた物語は、
これまでのペニノの舞台とは段違いに分かり易くなっています。

特に「国中が気狂い、血に飢え出したいま、
百福の容姿と人形芝居はとくに求められました。
人々はいま惨めさを求めているのです。圧倒的な惨めさを!」
というようなタニノクロウさんとしては、
異例の感じのするアジテーション的なナレーションがあるので、
そこに反応して評価をされたという部分も、
今回はあるように思います。

ただ、言葉は基本的に平明で、
物語のアウトラインも追うこと自体は簡単な一方で、
実際に舞台で起こったことは何なのか、
豊穣で奇怪なディテールには何の意味があるのか、
というような点については、
例によって常人にはとても理解が出来ない部分が、
多々あることは、
これまでのペニノの舞台と同じでもあるのです。

しかし、そうしたモヤモヤは残っても、
祖母の思い出とともにある富山の田舎の情景が、
新幹線とともに葬られた、
という現実に虚構として対決するために、
忘れ去られた怨念と欲望とを取り込んで、
実際に現実より現実的な完璧な温泉旅館を、
舞台に造り上げてしまったタニノさんの執念のようなものには、
素直に脱帽を感じるのです。

僕がこれまで観た中では、
間違いなく最高のペニノの芝居であったことは間違いがありません。

これは小劇場の歴史に残る傑作だと思います。
必見です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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唐十郎「動物園が消える日」(唐組・第60回公演) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日ですが、
医師会の休日健診の当番となっているので、
今クリニックで受診される方を待っているところです。

日曜日は趣味の話題です。

今日はこちら。
動物園が消える日.jpg
唐組の第60回公演に足を運びました。
今回は唐組の第12回公演で若手主体の舞台として初演され、
今から思うとその後の唐組の舞台を決定づけた1本、
「動物園が消える日」の再演です。

これも勿論初演の中野駅を観ているのですが、
当時はあまり良い印象がありませんでした。
テント芝居としてはとても地味で、
舞台は安ホテルのロビーから動きませんし、
中央に意味ありげにエレベーターがあり、
天井の穴のビニールから水が溜まっているのですが、
最後にビニールが破けて水が流れ落ちるだけで、
これと言ったダイナミックな仕掛けもなく、
エレベーターも異世界との扉になることもなく、
そこの後ろだけ開いておしまい、
という感じだったので、
かつての状況劇場の血湧き肉躍る感じを期待していた当時の僕は、
その落差にとてもガッカリしたことを覚えています。

ただ、今こうして久保井研さんの、
初演より間違いなく緻密な演出での舞台を再見すると、
これは状況劇場時代の唐芝居が終わり、
唐組の新しい唐芝居が誕生した瞬間であったのだと、
改めて確認する思いがありました。

安ホテルのロビーに、
閉園したばかりの動物園の関係者が集まり、
行方知れずのカバと閉園を拒絶するさすらいの飼育係を巡って、
複雑で滑稽な愛憎のドラマを繰り広げます。

人物の絡ませ方が複雑で上手いですし、
ゴリラやミニーマウス、水になるカバやイヌワシなど、
実物自体は登場しない動物と人間との絡ませ方も上手く、
初演では唐先生本人が演じた灰牙という人物が、
愛すべき部分もありながら、
完全な厄介者で悪党でもあるという辺りに、
善悪は基本的に明確であったそれまでの唐芝居とは、
一線を画するような世界を展開させています。

ラストは矢張り不満は残ります。
かつての陶酔感のあるものではなく、
数人の人物が語り継ぐようにして、
事件の「それから」を語るというものなので、
テネシー・ウィリアムス的な古めかしさがありますし、
その後にエレベーターの向こうで、
ヒロインの1人が香水をまいているというのも、
それだけでは終われないような気がするからです。

キャストは皆頑張っていて、
初演の当時もかなり苦しいメンバーでしたから、
遜色は決してないという気がしますし、
セットはラストを含めて初演より出来が良く、
何より久保井さんの演出が緻密で見事です。

このような形でかつての唐組の芝居が、
その全き姿を見せてくれたことはとても嬉しく、
これからも楽しみにテントに向かいたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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髑髏城の七人(Season風) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当します。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
どくろ城の7人風.jpg
客席全体が360度回転するという、
新機構の劇場のこけら落としとして、
劇団☆新感線の代表作の1つ「髑髏城の七人」が、
幾つかのバージョンでキャストを変え、
演出も少しずつ変えて連続上演されています。

前回は最初の「花」を観ましたが、
今回は3番目の「風」に足を運びました。

場所は例の豊洲市場の隣で、
広大な更地にポツンとプレハブ的な劇場が建っています。
劇団四季の劇場とほぼ同じような外観で、
まあコストをそれなりに下げるには、
仕方のないことなのでしょうが、
殺風景でこれから芝居を見るぞ、
というワクワク感はあまりありません。

1フロアに1300席余りの客席があり、
その客席全体が、回転する巨大な盆の上に乗っていて、
その周囲360度に舞台装置が作られています。
通常の大劇場では、客席は固定されていて、
舞台転換では左右もしくは前後に、
舞台装置の方が動くのですが、
この客席回転式の劇場では、
客席の方が回転して移動することにより、
舞台の転換が行われるという仕組みです。

広角の270度くらいに緞帳の役目も果たすスクリーンがあって、
そこに風景などの映像が映し出され、
それを見ながら客席が回転します。

360度の舞台装置とは言っても、
4方向に出入り口の通路があるので、
比較的奥行のある装置の組める部分と、
ほぼ通路のようなスペースで、
奥行のないセットしか組めない部分があります。
従って、奥行のないセットの部分は、
物足りなさが残るのですが、
120度以上の広角に広がった舞台については、
ちょっとこれまでの舞台装置にはないスケール感があります。

ただ、意外に奥行のない場面はしょぼい感じもあり、
全てが豪華、という訳ではありません。
客席の回転には意外に時間が掛かるので、
それほどスピーディに場面転換が行われている、
というようにも思えません。
休憩を入れると4時間近いという上演時間は、
これまでのこの作品の上演歴の中でも、
最も長いものだと思いますが、
長くしている原因の1つは、
その転換の時間にあるように思います。

バージョン毎にどの程度内容が変わるのかは、
興味のあるところですが、
今回2つのバージョンを観た感想としては、
台詞を含めて台本は細部が結構変わっているのですが、
予算の関係もあるのでしょうが、
舞台装置に関してはほぼ同一のものが使われていました。

さて、作品の「髑髏城の七人」は、
1990年に初演が行われ、
その後1997年、2004年、2011年と上演を重ねています。
僕は1997年のサンシャイン劇場、
2004年の東京厚生年金ホールのアカドクロ版、
2011年の青山劇場のワカドクロ版の3回には足を運びました。

戦国時代、織田信長の影武者が、
信長の死後に関東で日本支配を目論む、という話で、
設定はなかなか面白くワクワクする部分があります。
古田新太さんが善悪の影武者を1人2役で演じる、
というのがそもそもの眼目だったのですが、
最後の対決が1人2役では盛り上がりに欠ける、
と言う欠点がありました。

それで2011年版からは、
2人を別々の役者さんがするようになり。
古田新太さんは出演せず、
小栗旬さんと森山未來さんが、
それぞれ演じるという趣向になりました。
その後はこの別々に演じる趣向が継続されていたのですが、
今回は久しぶりに松山ケンイチさんが、
善悪2人を1人で演じるという、
1人2役の趣向が復活しています。

それ以外は向井理さん、田中麗奈さん、生瀬勝久さんがメインを演じ、
新感線組では橋本じゅんさんが、
雁鉄斉で大暴れをしています。

感想としては1人2役は元々の設定からすれば、
悪くはないのですが、
ラストの対決はやや中途半端な感じがありました。
内容的にも天魔王がイギリス艦隊が来ないと知った時点で、
部下を全て見捨てて逃走してしまうので、
どうも盛り上がりに欠けるのです。
魅力的な作品であることは認めた上で、
もっと活劇としては血湧き肉躍る作品が、
他に沢山あるのに、という疑問は感じます。

今回は「花」と比較すると殺陣が明らかに少なく、
その点は物足りなさを感じました。

またほとんど最後列での観劇であったので、
「遠くで何かやってるな」という印象しか持つことが出来ず、
このキャパの会場であの規模の舞台というのは、
その点にも物足りなさは感じました。
殺陣の人数にしても、
今の倍くらいはいないと、
大空間が埋まるという感じにはならないからです。

それでもウィークデイにも関わらずほぼ満席の盛況で、
イベントとしては凄いなあ、という印象はあります。

行くのも不便ですし、
帰るのも大変なので、
もうさすがに余程のことがなければ、
また来ることはないだろうなあ、とは思いましたが、
この回転舞台の意外で斬新な使い方を、
誰かが編み出すことがあれば、
その時はまた足を運びたいと思います。
予想としてはそれほど遠くない将来、
取り壊しになるのだろうなあ、とは思いました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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イキウメ「散歩する侵略者」(2017年上演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

今日は祝日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
散歩する侵略者イキウメ.jpg
今回3回目の再演となるイキウメの代表作の1つ、
「散歩する侵略者」が、
今三軒茶屋のシアタートラムで上演されています。

特に集客が高いスターが出演している、
という訳ではないのに、
早々に完売で追加公演も行われる盛況です。
今年はこの作品を原作とする映画も公開されていて、
黒沢清監督の意欲作でしたが、
集客は芳しくはなかったですから、
これはもうイキウメの人気によるものだと思います。

この作品の初演は2005年で、
2007年と2011年に再演されています。
僕が実際に観たのは2011年版だけですが、
今回の上演はほぼ2011年版と同じ台本に、
なっていたと思います。

最近再演ごとに旧作に大幅に手を入れ、
それが明らかに改悪になっていることが多いと、
常々感じていたので、
今回もそうした危惧を持っていたのですが、
まずはそれほどの改変がなくて何よりと感じました。

以下少しネタバレを含む感想です。
これから観劇予定の方はご注意下さい。

今年公開された映画版は、
はっきり宇宙人の侵略ということになっていましたが、
原作のこの芝居の方は、
確かに宇宙人であり侵略であると、
登場人物の何人かが主張はするのですが、
本当に真面目にそう言っているのか疑問の感じもあり、
それが証明されることもありません。

3人の不気味な人間が登場して、
他人の「概念」を奪い取るという、
特異な能力を持っている、
ということだけが物語上の事実です。

それと同時に西日本の海沿いの田舎町が、
戦争直前の不穏な空気に包まれている、
という不気味な描写が描かれていて、
その部分は今上演するからこそのリアリティを、
強く持っている点が面白いと思いました。

ただ、以前にも書いたのですが、
ラストで愛という概念を奪った「宇宙人」が、
混乱して放心してしまうというような部分が、
映画ではもうはっきり「愛は地球を救う」的な感じになっていて、
舞台版はそれほどではないのですが、それでも、
「それはちょっと恥ずかし過ぎないだろうか」
と何かモヤモヤした感じに今回もなってしまいました。

特に舞台版では、
あまり主人公の妻が夫に向ける愛というものが、
説得力を持って描かれてはおらず、
奇妙な言動をする夫に当惑する妻、
という感じしかないので、
最後の「愛」の件が非常に唐突に感じるのです。

「聖地X」とリライトされた「プランクトンの踊り場」という作品があり、
主人公2人の関係性と、
ラストの妻の夫への奇妙な愛の表現、
そしてそれを成立させる前川さんならではの、
哲学的な超常現象という部分では、
ほぼ「散歩する侵略者」と同じ話なのですが、
個人的には「聖地X」の方が、
ラストの展開には説得力がありましたし、
夫婦間の浮気などの問題も、
わかりやすく描かれていたと思いました。

「散歩する侵略者」は、
戦争の予感めいた不気味さや、
概念を奪われた人間の奇矯な行動が、
意外に今いる人物のパロディになっている、
というような秀逸な部分はあるのですが、
ストーリーの着地には、
あまり成功していないという印象を持ちました。

劇作の冴えと比べて、
前川さんの無機的な演出は、
個人的にはあまり評価出来ないのですが、
今回は断層めいたセットに椅子などを並べる最小限の工夫で、
まずは劇作のイメージは乱さないものになっていたので、
この点もホッとしました。
ただ、この作品はもっと部屋のセットなどはリアルに用意した方が、
より見やすく説得力のある作品になったように感じました。

キャストは最近メインを演じることの多い浜田信也さんが、
今回もなかなか成熟した芝居を見せてくれました。
それから異様な高校生のエイリアン(?)を演じた大窪人衛さんが、
前回も凄かったのですが今回は輪を掛けた怪演で、
森下創さんのいつもながらの秀逸なろくでなしぶりと含めて、
イキウメの芝居ならではの魅力を放っていました。

なかなかのお薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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根本宗子「スーパーストライク」(月刊「根本宗子」第14号) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の記事も演劇の話題です。

それがこちら。
スーパーストライク.jpg
屈折したひねりのある恋愛劇に定評のある、
人気者根本宗子さんの新作が、
今下北沢のスズナリで上演されています。

今年も精力的に活動を続けている根本さんですが、
ジャニーズのタレントさんとのコラボやドラマの台本など、
月刊「根本宗子」というホームグラウンド以外の仕事が増え、
本公演は今回の1回のみになりました。

今回の作品は登場人物は根本さん本人を含む4人のみ
(一部別の出演者もあり)で、
互いに因縁のある3人の女性が、
出会い系アプリで出会った1人の男性と、
友情とも恋愛とも言えない奇妙な関係を結び、
それが互いの罵り合いの騒動に発展するのですが、
混乱の果てに主人公のトラウマが解消され、
スーパーストライクなカップルが最後に誕生する、
という趣向になっています。

友人同士の支配と被支配の関係とか、
コミュニケーション障害の男性が、
女性と付き合ったことがないが故に、
誤解を生んで相手の女性から次々と愛されてしまうなど、
根本宗子さんならではの設定が生き、
男性がミュージカル俳優を目指しているフリーターという設定で、
随所に妄想の有名ミュージカルパロディシーンが挟まるのも、
基本的には地味な設定の舞台のアクセントになっていました。

時空や演劇の約束事を超えた祝祭的なラストが、
根本さんの作品の1つの定番ですが、
今回の作品については、
主人公2人がトラウマやコンプレックスを乗り越え、
地に足の付いた交際を始めるという、
とても純粋で正攻法のものになっていて、
この辺りに根本さんの劇作の成長を見る思いがありました。

キャストは最近は根本さんの舞台に欠かせない、
長井短さんと、
こちらも常連に近い田村健太郎さんが並び、
そこにアイドル出身の女優さんを1人入れる当りも、
如何にも根本さんのキャスティングという感じです。

長井さんはその大暴れが、
僕は大好きだったのですが、
今回はずいぶんとお綺麗になっていて、
何か抑制的な感じなのが少し物足りませんでした。

舞台は4人の部屋を、
そのままパッチワークのように立体化したセットが力作で、
その装飾の見事さも含めて、
これまでの根本さんの作品の中でも、
最も手の込んだものの1つだと思います。

そんな訳で現時点の根本宗子さんの、
到達点を示した力作で、
今後の活躍にもより期待も持てる、
充実した1本であったと思います。

なかなかお薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ほりぶん「牛久沼」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日は演劇の話題が2本になります。

まずはこちら。
ほりぶん4回公演.jpg
カナゴーの異能の人、鎌田順也さんが、
川上友里さんと墨井鯨子さんと組み、
ワンピース姿の女優さんだけが出演するユニット、
ほりぶんの第4回公演が、
本日まで北とぴあのカナリアホールで上演されています。

今年も極めて精力的に活動を続けている、
ナカゴ―と鎌田さんですが、
前回の「地元ののり」が最高に面白かったので、
今回も楽しみにして出掛けました。

今回はほりぶんとしてはこれまでで最も多い、
8人の女優さんの出演で、
牛久沼を舞台として、
色とりどりのワンピース姿の女優さん達が、
沼最後の天然鰻を巡って、
仁義なき奪い合いの闘争劇を壮絶に演じます。

会場のカナリアホールは、
カラオケや会合などで使用するような、
横長の集会スペースで、
演劇として使用するには、
何の色気もないような場所です。
前回ナカゴーの特別劇場で観た時には、
こりゃ、無理だよね、こんな場所じゃ、
という印象があったのですが、
今回は一応目隠しのボードを両側に置いて出入りに使用し、
横長の舞台を上手く使っていました。

女優さんのプロレスもどきの大暴れを観るには、
客席も向い合せの素舞台が、
動きに制約がなくて悪くありませんし、
ビジュアル的には色とりどりのワンピースというのが、
なかなか素敵なのです。
こういう中央舞台は通常の劇場でやると、
台詞が聞き取りにくくなって駄目なことが多いのですが、
今回は劇場も狭い上に、
全編声を張りまくっているので、
そうしたストレスも感じませんでした。

内容は中段で時間が巻き戻るまでは、
馬鹿馬鹿しくも楽しく、
鎌田ワールドを堪能しました。
後半はちょっと着地に迷いのある感じで、
少しモタモタとしてしまったのが残念ですが、
鎌田さんの作品は再演で良くなることが多いので、
この作品もまた今後の練り上げに期待をしたいと思います。

それでは次の記事に続きます。
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柴幸男「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」(フェスティバル/トーキョー17) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の記事も演劇の話題です。

それがこちら。
わたしが悲しくないのはあなたが遠いから.jpg
ままごとの柴幸男さんが、
今年のフェスティバル/トーキョー17の一環として、
東京芸術劇場の地下の隣り合った2つの小劇場で、
同時に一連の作品を上演する、
という興味深い企画を行っています。
上演は本日までの予定です。

ままごとは何と言っても「わが星」が素晴らしく、
小演劇史上に燦然と輝く大傑作で、
今年リクリエートされた「わたしの星」も、
感動的な傑作で感銘を受けましたので、
これはままごとの作品は全て傑作なのではないかしら、
と思って今回も急遽観ることにしました。

企画も興味深くて、
震災のような、
その場にいない人にとっては「遠くにある悲劇」をテーマに、
観客は同時には観ることが出来ない、
隣り合った2つの劇場で、
同じモチーフの芝居を同時に上演し、
それが所々でリンクする、
というこれまでにない発想の公演です。

僕はイースト版を最初に観て、
それから別の日にウエスト版を観ました。

率直な感想は、
「今回は準備不足」というもので、
無理して両方行くこともなかった、
というのが正直なところでした。

また練り上げての上演を期待したいな、
というように思う一方で、
この発想はもっと別の形で活かすべきで、
今回は失敗と捉えた方が良いのでは、
というようにも感じました。

当たり前のことかも知れませんが、
ままごともいつも面白い、
という訳ではなかったようです。

以下ネタバレを含む感想です。
上演は本日までですので、
本日観劇予定の方は、
終了後にお読み下さい。

東京芸術劇場の地下には、
隣り合ったほぼ同じ大きさの劇場が2つ並んでいて、
一方がシアターイーストでもう一方がシアターウエストです。
両方とも小さな箱の割には、
無機的な感じがして、
新国立劇場の小劇場と同じように、
客席と舞台が一体感を持つことが、
難しいような印象をいつも持っています。
この劇場で観た芝居は、
概ね地味で面白くない、ということが多いのです。

今回は同時上演ということで、
2つの劇場の入り口に、
仮説の空港の入場ゲートのようなものが、
設けられています。
イーストウイングとウエストウイング、
ということのようです。

それはそれで良いのですが、
安っぽいベニヤの工作みたいなセットなので、
ちょっとガッカリします。

両方の劇場ともシンプルなセットで、
1時間15分程度の3幕に分かれた、
ほぼ同一のストーリーが展開されます。
ただ、演出は両者で異なっていて、
シンプルなセットも、
イースト版は背景がスクリーンになっていて、
映像を映すという趣向の一方で、
ウエスト版は客席に前後から挟み込まれた、
中央の横長ステージになっていて、
そのため横移動が多く、映像は使われません。

イーストでは東子(トーコ)さんという女性が主人公で、
ウエストでは西子(セイコ)さんという女性が主人公となり、
東子さんは標準語を話し、
西子さんは関西弁です。

どちらの設定でも、
生まれた時から自分の隣に、
合わせ鏡のような女の子がいて、
その子との距離が、
次第に離れて行く、
という趣向になっています。

そして相手の側に次々と悲劇が起こり、
それは震災であったり、テロであったりします。

主人公はそれを否定しようとしたり、
過去にさかのぼってそれを止めようとしたり、
遠くで起こったことだからと無関心を装ったりもするのですが、
そのどれでもない別の答えを探して、
生まれることを繰り返す、
という物語です。

戯曲はかなり観念的で、
言葉で説明する部分が多く、
児童劇的なスタイルを取ったり、
お説教じみた部分も多いのが、
個人的にはかなり退屈でした。

言わんとすることが良く分かりますし、
遠い世界で起こった悲劇にどう向き合うべきか、
というのは、極めて今日的なテーマであると思います。
如何にも柴さんらしい、
純粋で真っ直ぐな考え方だなあ、という風には思います。
同感もします。

ただ、それをそのまま芝居にするのは、
あまり効果的なことではないように感じました。
どちらかと言えば、
トークショーで観客と語り合ったり、
テレビ番組にしたり、
講演会のテーマにする方が合っているようなテーマです。

要するに演劇にはテーマ自体があまり向いていないし、
咀嚼をされていないし、演劇化されていないように感じたのです。

素の舞台でダブダブの衣装を着た女優さんに、
「その時遠くの世界で海が燃えました」
みたいなことを言われて、
それで何を感じないといけないのでしょうか?

悪く言えばとても独りよがりな世界を感じました。

劇場の横にドアがあって、
そこを開くとその向こうにもう1つの劇場がある、
という趣向なのですが、
実際には別に2つの劇場を直線的に繋ぐ道はないので、
音を飛ばしてそれらしく見せているだけです。

当日の話題などを幕間で役者さんが通路越しに話し合って、
「ほら、つながってるでしょ」みたいなことをするのですが、
それがどうした、というくらいにしか感じませんし、
観客に呼びかけて、客いじりをするようなことに、
あまり慣れている役者さん達ではないので、
とても反応が良いとは言えない観客相手に、
空しく呼びかけ進行するのも何か白々しい感じです。

「そちらは順調に進んでいますか?」
「順調です」
「良かった。こっちも順調です」
みたいなことを何度かやるのですが、
順調であることを確認してどうするのでしょうか?
見えない世界で悲劇が起こっている、
というお芝居なのですから、
順調でなくならないと、
やる意味がないのではないでしょうか?

実際に劇中で何度か東西の役者さんが入れ替わって登場するのですが、
それがとても効果的、ということもありませんでした。

柴さんの演出はいつも感心して観ていたのですが、
今回は台湾のスタッフが音楽と衣装を担当していて、
それも作品世界にマッチしていないように感じました。
ダブダブの色気の欠片もないような抽象的な衣装は、
とてもつまらなく舞台の単調さを増していましたし、
いつもなら音楽はとても舞台に合っていて、
クライマックスでは情緒的な盛り上がりを見せるのですが、
今回は予め作曲された音楽を、
「使わなければいけなかった」ということのようで、
音楽が舞台の流れを消すという、
嫌な感じになっていました。
音楽を舞台に合わせてつけ直すだけでも、
作品の印象はかなり変わるのではないかと思います。
長い紙を広げて波を表現したりするのも、
野田秀樹演出と似すぎていて興ざめでした。

総じて練り上げが不足していて、
中途半端な舞台でした。
せっかくの面白い企画であり上演だったと思うので、
こうした結果になったことは非常に残念に感じました。

勿論これは個人的な感想ですので、
面白いとお感じになった方もいるかと思います。
色々な感想があるということで、
ご容赦を頂ければ幸いです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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前川知大「関数ドミノ」(2017年寺十吾演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

昨日は変な夢を見ました。

加藤浩次さんが、
朝の情報番組の傍ら弁護士をしている事務所で、
何故か僕はバイトをしているのですが、
そこで変なおじさんに、
悪徳政治家にパワハラをされていると弁護を頼まれ、
僕は素人なので加藤さんにお願いすると、
着手金は200万だけどお前ならまけてやる、と言われ、
お願いするのですが、
良く考えてみると自分が弁護を依頼している訳でもないのに、
何故僕がお金を出さなければいけないのだろう、
とはたとそのことに気づいて、
加藤さんに連絡を取るのですが繋がらない、
という夢です。
困りました。

今日は日曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
関数ドミノ.jpg
イキウメの前川知大さんが、
2005年にイキウメで初演し、
2009年と2014年に再演された「関数ドミノ」が、
今回ナベプロの主催で寺十吾さんの演出により再演されました。

キャストは若手中心ですが、
瀬戸康史さん、柄本時生さん、勝村政信さんと、
なかなかの曲者演技派が揃っています。

「関数ドミノ」は2009年版を初めて観て、
とても感銘を受けましたし、
かなり衝撃的でした。

内容も演出スタイルも、
新しい芝居だと興奮したのです。

それからイキウメのお芝居はほぼ全部観ていますが、
正直2009年の「関数ドミノ」を超えるものはないと感じています。
もちろん初物の新鮮さあってのことかも知れません。

2014年の再演もその意味でとても期待したのですが、
前川さんは前回の脚本に大きく手を入れていて、
演出も大幅に変えていたのですが、
それが個人的には「改悪」としか思えず、
最初から「違う違う、こんなんじゃ台無しじゃないか!」
と叫びだしたい気分になりました。
勿論元々前川さんが書かれたものですから、
僕が文句を言う筋合いはないのですが、
それでも2009年に観た時の新鮮な衝撃が、
汚されたように感じたのです。
これだけ大きく変更してしまうのなら、
全くの新作を書けば良いのに、
と正直を言えば思いました。

今回の企画上演では、
前川さん自身が2009年版を使用する、
とチラシにも書かれています。
それから寺十吾さんの前川作品の演出にも興味があり、
期待をして観に出掛けました。

観終わった後の感想としては、
この作品の持つ力を、
再認識させるような公演には充分なっていたと思います。

これはワンアイデアの作品なのですが、
ラストのある秘密が明らかになる瞬間の破壊力が素晴らしくて、
ほぼ予想の付くような筋書きではあるのですが、
単なるどんでん返しではなく、
今の世の中に生きる多くの人間が持っている病理のようなものを、
演劇的に露わに視覚化している、
という点が何より素晴らしいのです。

2009年版のラストで、
自分の人生が思い通りにならないことを、
全て他人のせいにしていた主人公が、
その拠り所を失って、
舞台上で途方に暮れる姿が非常に印象的でしたし、
「散歩する侵略者」のラストにも通底する感じがありました。

2014年版では話を複層的に複雑化していて、
原案のシンプルさが失われていたのが最低でした。

今回の寺十吾さんの演出では、
イキウメの舞台が、
いつもやや無機的でスタイリッシュな感じなのに対して、
ややレトロで昭和趣味のセットを作り、
舞台奥に壊れた半透明の車と、
風力発電のプロペラの列を配して、
それがラスト途方に暮れる主人公の背後に浮かび上がると、
ある種の「負の力」が世界に波及して破滅の引き金を引くような、
サイバーパンク的な終末観を演出して効果的でした。
これはただ、前川さんの戯曲の、
本来のラストの意味合いとは、
ちょっと違うようにも思いました。

何より真相が明らかになる場面を、
仰々しいくらいにメリハリを付けて盛り上げてくれましたし、
「ドミノ」の部屋の盗聴をする場面などは、
部屋を左右に置いて、
非常にわかりやすく演出していました。

寺十吾さんの演出意図は、
アングラ的素養をベースに置きながら、
戯曲の構造をわかりやすく提示することに重点を置き、
オープニングとラストにだけ、
戯曲の世界観にないものを付加する、
という構想で、
これは蜷川幸雄さんの演出に非常に近いものではないかと思いました。

多くの演出家が蜷川さんの仕事を、
引き継ぎ乗り越えるような試みを、
少しずつされていますが、
僕はアングラの素養を持ち、
それをスペクタクル化する技量をもっている、
という意味で、
寺十吾さんこそ、
蜷川幸雄に近い演出家ではないか、
という感じを今回持ちました。

イキウメは最近は個性的な役者さんも、
育って来てはいるのですが、
演技にはやや平坦な印象があり、
役柄にも無理を感じることも多いのですが、
今回はプロデュースとあって、
その役柄に違和感のないメンバーで固められていて、
作品世界にすんなりと入ることが出来ましたし、
皆なかなかの熱演でした。

主人公の瀬戸康史さんは、
最近病的な感じを少し出し過ぎかな、
というようには感じますが、
主役にふさわしい熱演でしたし、
勝村政信さんがさすがの風格で作品を締めてくれました。
持病を持って苦悩する山田悠介さんも、
とても良かったと思います。

そんな訳で当たり前のことですが、
戯曲が良く演出が良く役者が良ければ、
芝居が良くなるのは当たり前であることを、
改めて認識させてくれた上演で、
寺十吾さんにはこれからも、
小劇場の不幸に埋もれた名作の復活を、
是非お願いしたいと思います。

今日はもう1本演劇の話題が続きます。
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