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倉持裕「鎌塚氏、腹におさめる」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
診療は午前午後とも石原が担当しています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
鎌塚氏.jpg
M&Oplaysプロデュースとして、
倉持裕さんの新作が、
先日まで下北沢の本多劇場で上演されました。

最初に申し上げますと、
今日もあまり褒めていません。
むしろ否定的な感想となっていますので、
この作品をお好きな方は、
多分ご不快になるかと思いますので、
以下はお読みにならないで下さい。
色々な意見があるということで、
ご容赦頂ければ幸いです。

倉持裕さんは、
現在最も活躍をされている、
劇作家で演出家の1人と言って良いと思います。

ペンギンプルペイルパイルズという劇団を、
主な活動場所としていた頃には、
かなりシュールでとらえどころのない作風で、
「246番地の雰囲気」という、
ケラ風のテイストのハードボイルド活劇があったかと思うと、
「機械」のような娯楽味を排したような、
不条理劇もありました。
その頃の傑作と言えば、
岸田戯曲賞にも輝いた「ワンマン・ショー」で、
これは別役風の設定を取りながら、
奇怪でグロテスクでシュールな不条理劇で、
後半現実と思われた世界が急速にその現実味を失い、
円環が閉じるように世界が縮んでゆく辺りは、
これまでの演劇にはあまりないようなタイプの、
現実感覚が根底から揺らぐような凄みがありました。

最近別の団体での再演もありましたが、
小劇場演劇を代表する戯曲の1つ、
と言って過言ではない傑作でした。

その後倉持さんは急速に仕事が増え、
有名な俳優さんや映像のスターを主役に据えた舞台や、
漫画の舞台化などの企画ものの舞台に重用されるようになります。
ちょっと不思議な気もしますが、
こうした職人芸的な商売人的な世界が、
意外に合っていたのかも知れません。
その一方で趣味的な仕事もこなしていて、
たとえば昨年上演された「家族の基礎~大道寺家の人々~」は、
ケラの年代記を思わせるマジック・リアリズムの世界を、
心躍るようなドラマにしていて見応えがありましたし、
竹中直人さんと組んだ「磁場」という芝居は、
三島由紀夫を彷彿とさせる美と藝術を追及した台詞劇で、
こんなものも書ける人なんだ、
と非常に感心させられました。

さて、今回の芝居は三宅弘城さんが執事を演じる、
浮世離れした設定のコメディのシリーズの1本で、
マドンナ的な女優さんが毎回登場し、
今回は二階堂ふみさんが貴族のお嬢様を演じています。

これは正直あまり乗れませんでした。

内容は今回は推理劇となっていて、
今時絶対ないような家柄の良いお金持ちの屋敷があって、
そこの執事を三宅さんが勤めている、
という設定です。
お嬢様の二階堂ふみさんは大の推理好きで、
事件のないところも事件にしてしまうような勢いなのですが、
父親である屋敷の当主が、
背中にナイフを突き立てられた死体として発見されたことから、
三宅さんと二階堂さんの、
推理合戦の様相を呈するようになります。

このメンバーから言って、
それほどドロドロした展開にはなる筈もなく、
悪人は誰も登場しないままで、
「殺人事件」は終了します。

これはまあ、三宅弘城さんを主人公にして、
ベタでマンネリ上等の、
シリーズもののコメディを作ろう、
ということなのだと思います。

従って、安心して観られるようなものを、
ということが大前提なので、
話は極めて予定調和的に展開されますし、
随所に笑いはありますが、
その場でちょっと笑う、と言う感じで、
良く出来たシチュエーションコメディのような、
連鎖的な笑いなどはありません。
映画の「ピンクパンサー」がモチーフとして使われていますが、
「暗闇でどっきり」のような、
ブラックなコメディになっている、
という訳ではありません。
極めて穏当で、不必要な遊びもなく、
意表を突くような展開や、
やり過ぎという部分もありません。

これが倉持さんの作品でなければ、
「パンチは利かないけど、これで良いのかな」
と思うところです。

でも、倉持さんが作・演出で、
昨年は「磁場」のような傑作も作っているのですから、
もう少し今上演する意味のある作品というか、
もっと破天荒なところや規格外のところのある作品を、
期待してしまうのです。

そもそも貴族のお屋敷や執事というものを、
今の時代に作品にする意味は何でしょうか?

「謎解きはディナーのあとで」もありましたし、
「貴族探偵」もありました。
「貴族探偵」の原作は、
もっとひねりのあるものですが、
両者ともドラマ版として考えると、
貴族や良家のお嬢様、
というような現実には存在しないし、
むしろ現実には否定的な文脈でしか、
批評されることのないような世界を描き、
そこでもミステリーを成立させています。

こうしたものが恒常的にあるということは、
別にもう貴族社会などは存在しないし、
金持ちも隙あらば引き摺り下ろせ、
というような殺伐した気分しかないような世の中で、
ある種のロマンをそこに感じる「気分」が、
あるということを示しているような気がします。

たとえば昭和初期くらいに時代を取れば、
一応日本にもそれらしい貴族社会はあったと思いますし、
お嬢様的な人もいたと思います。
しかし、通常今回の芝居もそうですが、
こうしたものはわざわざ現代に時代を取るか
時代不明のモヤモヤした設定にすることが殆どです。

つまり、観客や読者に、
何となく素敵だな、うらやましいな、
と思わせればそれで良い訳で、
そう思う観客や読者の心の中には、
実際にはもっとドロドロした醜悪な部分があるように思いますが、
その部分には気づかない振りをして、
偽善的に物語に没入してもらいたいのだと思うのです。

こうした思考停止を前提とした娯楽、
それも作者はそのことを知っていて、
それを観客や読者には、
なるべく自覚しないでもらおう、
というようなやや観客や読者を下に見た、
小馬鹿にしたような感覚が、
僕は嫌いなのです。

それからもう1つ不満なのは二階堂ふみさんの扱いです。

今回の舞台の二階堂さんは、
確かに愛らしくて可愛くて、
ラストには大堀こういちさんのギター伴奏で、
三宅さんと一緒に、
懐かしい「リンゴ殺人事件」を歌い踊る、
というサービスまであります。
ここまでされれば感心するしかないのですが、
二階堂さんの本領はこうした芝居でしょうか?

かつての演技派女優めいた感じ、
ギラギラした緊張感の漲る感じが、
最近の二階堂さんからは消えてしまいました。
それはそれで良いのかも知れませんが、
せめて舞台では、
もう少し二階堂さんの情念的な部分というか、
生の舞台ならではの演技を見たかった、
というのが正直な気持ちでした。

それで思い起こすのは岩松了さんの「不道徳教室」での、
緊迫感溢れる二階堂さんの舞台姿で、
こうして比較すると岩松さんというのは、
女優さんの何を舞台で引き出すべきかを、
本当の意味で心得ている稀有の演出家なのだ、
ということを改めて感じます。

要するに、
僕は倉持さんのことも二階堂さんのことも大好きなので、
もっと二階堂さんが活きる芝居、
そして本人はもっと舞台上で苦しんでいるような芝居が見たかったですし、
絵空事の大衆の消費材みたいな設定を使いながらも、
その設定自体に復讐するような芝居を、
倉持さんには見せて欲しかったのです。

脇の猫背椿さんだって、
もっともっと面白い役者さんの筈ですし、
色々な意味で今回の作品は、
個人的にはとても残念でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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サムゴーギャットモンテイブ『NAGISA 巨乳ハンター/ あたらしい「Lady」』 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日はもう1本演劇の話題です。

それがこちら。
NAGISA 巨乳ハンター.jpg
山並洋貴さんの1人劇団、
サムゴーギャットモンテイブの新作公演を観て来ました。

この劇団のことは良く知らなかったのですが、
この折込みチラシの、
日本のラジオ所属の田中渚さんの艶姿を見て、
「田中渚さん(Aカップ)が街を支配する巨乳(Fカップ以上)と戦う演劇」
という煽り文句を読んだ瞬間に、
こうしたものが実は大好きなので、
思わず予約をして、
結構無理をして観に行ってしまいました。

作品は2本立てで、
最初に『あたらしい「Lady]』という30分くらいの英語劇があり、
これは旧作の再演のようです。
それから休憩なく「NAGISA 巨乳ハンター」に続き、
こちらは1時間くらいの作品になっています。

英語劇の最初の方は、
「こりゃ、大失敗かな」
と思ったのですが、
なかなか骨のある作品で悪くなく、
後半の「巨乳ハンター」は、
アマチュアの内輪のパロディ芝居、
というような雰囲気は濃厚にありながら、
随所にプロの気合のようなもの、
低予算のサービス精神のようなものに満ち、
大和屋竺を思わせるようなシュールなクライマックスまであって、
馬鹿馬鹿しくも素敵な作品でした。

予約は2000円で高校生以下は1000円ですから、
あまり子供に見せるようなものではないのですが、
その値段でこれだけ楽しませてくれるなら、
コクーンや本多劇場で、
眠気をこらえて辛い思いをするより、
遥かに建設的で素敵な時間を過ごせたと思いました。

実際僕はこれに近いような感じのお芝居を、
大学生の時にはやっていたので、
とても懐かしい感じもありました。
馬鹿馬鹿しさの質は、
「ナカゴー」や「シベリア少女鉄道」にも似ているのですが、
この2劇団も評価が上がってお上品になっていて、
かなり守りに入っている詰まらなさはあり、
今回のような芝居を観てしまうと、
「そうだよね。たかが演劇はこんな風じゃなくちゃ」
と膝を打つような思いもあったのです。

良い子にはお勧め出来ませんが、
僕は大好きです。

以下ネタバレを含む感想です。

上演された場所は東中野から15分くらいの、
大久保通り沿いのイベントスペースで、
京都の町屋みたいな奥に長い構造になっていて、
通常は通り沿いの入り口から入り、
奥の方を舞台として使うのだと思うのですが、
今回は受付は外にあって、
そこからスタッフに導かれ、
横の非常口のような扉から場内に案内されます。

通常舞台として使用する奥の部分を客席にして、
2枚の幕で仕切った奥行のある空間を、
舞台として使用しているのですが、
こんな規格外をした目的は、
舞台のクライマックスで明らかになります。

客席より遥かに奥行のある空間で立ち回りが演じられ、
それが繰り返されるのですが、
足首に紐を掛けられた男性が、
縦移動で奥に引きずり込まれるという、
通常はあまり舞台上にないような動きが面白く、
最後には外の路上まで使って、
暗殺劇を上演しています。

このテント芝居を彷彿とさせるような、
自由度のある舞台構造が面白く、
この創意工夫だけで充分元は取った気分になりました。

内容は最初の30分の英語劇は、
英語が公用語となっているような、
グローバルな日本企業がイメージされていて、
そこにベトナム人と日本人のハーフで、
日本語も英語も殆ど話せない、
という新入社員が社長のコネ入社で入って来て…
という話です。

かなりたどたどしい英語と芝居が、
どうかなあ、というクオリティではあるのですが、
善意の塊のような日本人の好意が全て裏目に出て、
結局主人公の孤独も周囲への誤解による恨みも、
全く解決することはない、
という冷徹なラストには、
「なるほど、そこまでやるか」
と少し感心しました。
それも、無残なラストではなく、
何か軽くポエジーな感じになっているのです。

1本目が終わると、
出演もされていた主宰の山並がさんが出て来て、
少し休憩を取りますみたいなことを言うと、
それまで音効オペをしていたスタッフらしき人が、
いきなり「ごちゃごちゃ言うとらんでとっとと始めんかい!」
みたいなことを言い出して、
実はその人がヤクザの組長役のキャストだった、
という小ネタが挟まります。

人数が少ないので、
キャストと裏方を兼ねているという裏事情を逆手に取った、
楽しい小芝居でした。

そこから一気に観客を引き込む2本目の「巨乳ハンター」は、
同題の宇宙から来た巨乳エイリアンと貧乳のヒロインが戦う、
という漫画とは別物の、
基本的には「仁義なき戦い」のパロディの世界で、
ヤクザも巨乳で、
巨乳でないとのし上がれない世界、
という点で無理やり巨乳ネタを押し込んでいます。

ただ、そこでヤクザに恋人の捜査官を殺された女性が、
復讐のために貧乳の殺し屋になる、
という梶芽衣子のさそりシリーズみたいな世界が繋がり、
クライマックスの女殺し屋による襲撃では、
同じ殺し場の時間が巻き戻されて繰り返される、
という最近ではタイムリープとしてお馴染みですが、
鈴木清順や太和屋竺の殺し屋物を彷彿とさせるような、
シュールな場面が奥行のある舞台を使い、
外の路上まで使って演じられます。

これには本当にしびれました。
お金はなくてもアイデアと気合で勝負という、
小劇場の見本のような素敵さでした。

キャストは主人公の貧乳の女殺し屋に、
日本のラジオの田中渚さんが、
如何にも小劇場の女丈夫という風格と魅力で、
とてもとても素敵ですし、
それに対してJカップのAVアイドルの塚田詩織さんが、
ちゃんと登場して華を添えます。
お金もないでしょうに、
この一点豪華主義には頭が下がります。
脇のキャストも坊主頭の組長を演じた吉成豊さんなどが、
ケチの付けようのないコミカルヤクザを、
迫力を持って演じていて感心しました。

まあ、僕だから感心した、
というところもあって、
初めてお芝居を見る、というような方には、
全くお勧めは出来ない舞台なのですが、
アイデアに溢れた非常に楽しい作品で、
心ゆくまで楽しむことが出来ました。

山並さん是非これからも頑張って下さい。

キャスト一丸となった接客も良く、
とても素敵でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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前川知大「プレイヤー」(2017年長塚圭史演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はお芝居の記事が2本あります。

最初はこちら。
プレイヤー.jpg
イキウメの前川知大さんが、
2006年にイキウメで上演した「PLAYER」を、
長塚圭史さんとの共同作業で、
劇中劇スタイルの芝居として再創造し、
藤原竜也さんや仲村トオルさんを含む豪華キャストで、
「プレイヤー」という新たな作品として制作、
今渋谷のシアター・コクーンで上演されています。

最初に申し上げますと、
かなり悪口の感想になっていますので、
この作品を楽しみにされている方や、
鑑賞されて素晴らしいと思われた方は、
腹立たしく思われると思いますので、
どうかこれから先はお読みにならないようにお願いします。

死んだ人間が、
生前のその人を知っている生者の協力で、
その「言葉」の情報として再生される、
という前川さんらしいホラーSFのような原作を、
急死した脚本家の戯曲としてそのまま使用し、
その戯曲を俳優が稽古場で練習しているというていで、
物語は展開されます。
つまり、2006年版の物語を入れ子にして、
劇中劇として上演するという趣向です。

宣伝などの資料を読む限り、
この劇中劇にするという趣向は、
長塚圭史さんから前川さんに提案され、
それに沿って前川さんが戯曲を書き直した、
という経緯のようです。

ただ、これは敢くまで僕の個人的な考えですが、
およそ劇中劇のような構造を取った戯曲で、
あまり面白くなったためしはないように思います。
特に元々は普通の戯曲であったものを、
後から劇中劇の入れ子構造に直した作品でそれが顕著です。

それは何故かと言えば、
劇中劇という構造は、
作品世界と客席との距離感をより遠くしてしまうからです。

特に額縁(プロセニアム)形式の舞台を、
客席から鑑賞するような場合には、
観客の立場からは、
遠くの四角い舞台で行われている世界に、
集中して無理をして同期してゆくような作業が必要になります。
これは実際には結構しんどいことなのです。
それが劇中劇の構造となると、
舞台上の世界に慣れた上に、
更にそこで演じられる世界にも慣れないといけない、
という二重の苦労が生じることになります。

こうした作品を書いたり上演したりする立場からは、
観客と俳優との関係を、
劇中劇のスタイルを取ることにより、
相対化するような面白みを感じているのではないかと思うのですが、
それは概ね芸術家の独りよがりであって、
観客に通常より大きな緊張や集中力を強いている、
という視点が欠けているのではないかと思います。

こうした劇中劇の構造は、
小説や映像のメディアであれば、
有効に機能することが多いのです。
映像や小説であれば、
劇中劇の中の世界と、
それを演じている世界とを、
全く同じように表現し、
それを瞬時に切り替えることが出来るからです。

しかし、それを演劇で表現する時には、
舞台の上にまた舞台を置くような、
面倒極まりないことをしなくてはならず、
そうした構造が舞台全体をゴタゴタさせて、
観客の集中力を奪い、
無意味な疲労に導く結果になるのです。

今回の上演はその最たるもので、
舞台はある地方都市の公共劇場のリハーサル室に設定され、
そこに沢山のパイプ椅子が置かれていて、
そこで死亡した無名の劇作家による「PLAYER」という戯曲の、
練習が行われている、という設定になっています。
作品の8割くらいは、
実際には「PLAYER」という戯曲の世界が展開されています。
しかし、リハーサル室で上演、
という設定があるので、
何かセットも衣装も全てが中途半端です。
更にはリハーサルの段取りのようなものが間に入るので、
全体がメリハリなくダラダラとして、
「早く話を進めてくれよ!」というイライラが、
観客には募ることになるのです。

この作品で劇中劇にした意味は何でしょうか?

結局は最後に「オチ」が付くだけです。
そして、そのオチは誰でも観ていれば、
想像の付くような凡庸なものです。
こんな凡庸なオチだけのために、
わざわざ劇中劇のゴタゴタを用意したのかと思うと、
その馬鹿馬鹿しさには脱力するしかありません。

はっきり言えば今回の劇中劇の構造は、
無意味だったと思います。

前川さん自身も、
こうしたひねった趣向で、
自分の過去の作品を改変し、
それが結局は改悪になっていることが多いと思います。
長塚圭史さんも、
分かりにくく回りくどい演出をして、
それが却って作品の力を削いでいる、
というような作品が最近は多いように思います。
三好十郎の「浮標」なども、
そのまま上演した方が良いに決まっているのに、
わざわざリハーサルの劇中劇的な趣向を使って失敗していました。

そうした同じ欠点を持つ2人のコラボレーションというのが、
どうも悪い方向に増強されてしまった、というのが、
今回の作品であったように個人的には思います。

作品世界はなかなか魅力的だと思うのです。
カルト宗教などを想起はさせますが、
それだけではない前川さんの独自の解釈や世界観が魅力です。
しかし、それをゴチャゴチャと劇中劇にしたのは大失敗ですし、
キャストも無駄に豪華で、
集客という以上に、
あまり出演に意味がなかったと思われるような、
殆ど見せ場のないキャストも多かったのは残念でした。

そんな訳で、
僕は前川知大さんの「太陽」も「聖地X」も、
長塚圭史さんの「はたらくおとこ」も大好きで、
お二人ともとてもとても尊敬しているので、
個人的にはとても残念な上演でした。

ただ、ネットの感想などを見ると、
大絶賛のものも多いので、
これはもう感覚の違いなのだと思います。

この作品を御覧になって、
面白いと思われた方は、
どうか色々な意見があるということで、
ご容赦を頂きたいと思います。

僕ははっきり駄目でした。

それでは2本目の記事に続きます。
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ままごと「わたしの星」(2017年上演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当します。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
わたしの星.jpg
柴幸男さん率いるままごとが、
2014年に初演した「わたしの星」が、
キャストも新たにリニューアルして、
今三鷹で上演されています。

ままごとと言えば「わが星」という作品が、
演劇史上に燦然と輝く大傑作で、
僕も非常に感銘を受けました。
星を擬人化してその一生を辿る、
という着想がまず素晴らしく、
少女に見立てた星と、
それを望遠鏡で見つけた少年が時空を超えて奇跡的に出逢う、
という超絶なラブストーリーでした。

2014年に初演された「わたしの星」は、
題名の通り「わが星」の姉妹編的な性質のもので、
今度は実際の高校生をオーディションで集め、
未来の高校生を演じさせるという物語でした。

作品の性質上、
キャストをそのままに時間を置いて再演することは出来ないので、
今回はまた新たに高校生をオーディションで選び、
そのキャストにあて書きで、
新たな「わたしの星」を創作しています。

これも…素晴らしかったです。

「わが星」と比較すると、
そのスケール観や完成度、
オリジナリティにおいてはやや落ちるのですが、
非常に愛すべき、
抱きしめたくなるような85分ほどの小品で、
誰でも一度は感じたことのある、
思春期の頃の胸が苦しくなるような切なさに、
もう一度出逢うことの出来る作品に仕上がっていました。

これはもう、絶対のお薦めです。

以下ネタバレを少し含む感想です。

これは端的に言えば、
もう一度同じ時間を巻き戻して、
アンハッピーエンドをハッピーエンドに変える、
というお話で、
最近は映画もドラマも小説も、
そんなものばかりなので、
「またそれかい!」と思いたくなるところはあるのですが、
この作品は未来の地球で、
何かの原因があって、
殆どの人間は火星に移住してしまい、
老人と行き場のない人だけが、
地球に残っているという設定を加え、
それでいて登場するのはレトロなカセットデッキで、
全校でも10人しかいない「残された高校生」が、
最後の文化祭で最後の出し物を、
誰も観客のいない体育館で上演し、
その音だけがカセットテープに記録される、
という、これでもかのノスタルジックな仕掛けを追加して、
時間軸を何度も巻き戻しながら、
ある特別な1日の出来事を綴っています。

柴さんの作品の素晴らしさは、
多分柴さん自身が、
この世界観を本気で信じているからで、
勿論絵空事ではあるのですが、
設定自体が日本の現状のようでもあり、
過疎の島や村の現状のようでもあり、
それでいてもっと大きく世界そのもののようでもあります。
つまり、設定を超えたある種の心情のようなもの、
今この時代に生きている全ての人の心の底にある、
何かが失われていくという切なさと悔恨のようなものが、
柴さんの心から、
舞台を観る観客の心へと、
確実で手渡されている、
という部分にあります。

何も言わずに永遠に別れてしまった2人の少女が、
カセットテープの音源を巻き戻し、
代役の女の子の体を使うことで、
もう一度最後の瞬間を繰り返して、
実際には言えなかったことを伝え、
舞台の中央で抱き合う瞬間などは、
お芝居という虚構を遥かに超えた、
本物の心情そのものが、
立ち現れるような思いすらありました。

キャストは高校生とは言え、
セミプロみたいな経験者が多いようで、
高校演劇的な安定感があります。
ただ、それだけでは詰まらないことが柴さんには分かっているので、
主人公の内気な少女には、
本当に演技などまるで出来なさそうな、
内気そうな素人を選んでいて、
その彼女がクライマックスではしっかり泣いて見せます。
ちょっとあざといのですが、
さすがだと思いました。

演出も囲み舞台で、
舞台下に10人のキャスト全員が座り、
登場しないキャストが楽器を演奏したりする、
という、まあこれも野田秀樹演出や、
串田和美演出などで手垢の付いた、
「またそんなのかい!」というようなものなのですが、
高校生がたどたどしく演奏する楽器で、
シンプルで抒情的な旋律が奏られると、
その微妙な揺らぎがグッとくる感じがありますし、
舞台上へのキャストのまなざしのようなものも、
初々しくて心に残るのです。
これがプロだったら全く面白くはない訳で、
この辺りの柴さんのセンスというか、
感覚は抜群だと思います。

そんな柴さんの演出があるので、
絵空事の設定の物語に、
すぐに観客は引き込まれて、
舞台上に確かに過疎の地球の海辺の風景や、
少年少女が語らう光景の空気感のようなものが、
極めてリアルに感じられるのです。

これはもう、ざらにあることではありません。

作品の性質上、
この作品はこれで終わりだと思います。

公演は明日までで、
当日券も毎日かなり並んでいるようですが、
苦労しても観る値打ちはあります。

とてもとても素晴らしいです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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松尾スズキ「業音」(2017年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
業音.jpg
2002年に荻野目慶子さんの主演で初演された「業音」が、
キャストも新たに今回再演されました。

これはもう素晴らしくて、
現代最高のアングラ女優(筆者認定)である平岩紙さんが、
ほぼ出ずっぱりの熱演というだけで最高ですし、
他のメンバーも大人計画のレジェンドが揃い、
極めて完成度の高い、
松尾スズキの極私的な世界が存分に繰り広げられていました。
時間が許せば毎日通い詰めたいような、
いつまでも観続けていたいような、
そんな至福の2時間でした。

この「業音」は松尾スズキさんが、
大人計画以外にプロデュース公演的に上演していた、
日本総合悲劇協会というユニットの1作で、
初演の2002年は松尾スズキさんと大人計画の人気が沸騰していた反面、
2000年の「キレイ」という、
ある意味松尾さんのそれまでの劇作の、
集大成的な傑作の上演以降、
おそらくはプライベートに生じた問題などもあって、
劇作という意味ではかなり煮詰まっていた時期だと思います。

実際その後1人芝居などの傑作はあっても、
松尾さんの戯曲としてのヒットは、
「キレイ」以降はなく、
純粋に戯曲として傑作と言える作品も、
今のところこの「業音」が最後のように思います。

この作品は草月ホールの初演を観たのですが、
かなりやぶれかぶれの感じがして、
「ヘブンズサイン」辺りの焼き直しの印象があったのと、
最初の「神の存在は是か非か?」という命題が、
結局「答えを聞いたけど歩いている間に忘れてしまった」
という脱力系の結論に至るので、
正直あまり感心はしませんでした。
当時はもっともっと先の世界を見せて欲しい、
という期待があったのだと思います。

ただ、今にして思うと、
この作品は松尾さんの劇作の中で、
最も個人的なギリギリの思いに溢れた、
限界点に近いような私小説的な作品で、
松尾さんが設定は違うものの「松尾スズキ」を演じ、
作中のその人物は死に取り憑かれていて、
超人的で支配的な女性に、
自殺を止めるという形で支配されている、
という物語なので、
それまでの大人計画の芝居とは一線を画した、
当時の松尾さんの遺書のような芝居であったのだと思います。

それを徹底した悪ふざけと猥雑な妄想、
中年男性に時間と共に変貌する老女や、
脳を切り取られ便器と一体化する女性、
自分のコピーを増殖させることが生きがいのゲイの怪人など、
グロテスクで奇怪なキャラクター達、
お騒がせ女優であった荻野目慶子さんを、
本人として出演させ、
自分の愛人役を演じさせるという、
虚実ないまぜの危険極まりない趣向を含めて、
極私的に生と死と演劇を突き詰めた、
怪作として成立させていたのです。

今にしても思うと壮絶な芝居でした。

さて、15年後の再演となった今回ですが、
松尾スズキさんの役柄は本人が演じているものの、
役名は「松尾」ではなく「堂本コウイチ」と変えられています。
皆川猿時さんや伊勢志摩さんも初演と同じ役を演じていますが、
役柄は矢張り架空のものに変更されています。

これはつまり純粋な虚構として、
今回は距離を取って作品を再構成しよう、
ということなのだと思います。

初演の荻野目慶子さんの役は、
今回は平岩紙さんが演じています。

それ以外のキャストも松尾さんが信頼する、
古くからの大人計画のメンバーで固められていて、
ややノスタルジックな感じのする、
非常に豪華で鉄壁な布陣です。

ある意味「最高の大人計画の芝居」を、
今の観客に見せよう、
というのが今回の眼目の1つであったように思われます。

そして、その目的なかなり高いレベルで、
果たされていたのではないかと思いました。

平岩紙さんは世が世であれば白石加代子になっていたのではないか、
とも思えるようなアングラ演技の逸材で、
聖女から狂女、
チンピラ女子高生から不倫するエロチックな人妻、
世界支配を企むSM女王様まで、
あらゆる役柄を変幻自在に演じ分け、
その一方で能面のように完全に表情を殺して、
物体として存在することも出来る技巧の持ち主です。

今回の舞台はある意味彼女のワンマンショーで、
その存在自体の素敵さと、
惚れ惚れとするような演技術には、
女優さんを観る喜びを、
心より堪能することが出来ました。

唯一不満は前回荻野目慶子さんは舞台上でほぼ全裸になったのですが、
平岩さんはラストまでシュミーズ姿のままだったことで、
平岩さんはCMもされていますし、
おそらくはそうした事情によるものなのかな、
と思いました。

基本的な戯曲の構造に変更はありませんが、
台詞は初演よりかなり分かりやすくなり、
現代を意識した細部の変化もあります。
演出も初演とほぼ同じでしたが、
キャストも変わった分、
とてもスタイリッシュで完成度の高いものになっていました。

以下は僕の勝手は推測なので、
そのつもりでお読み頂きたいのですが、
松尾スズキさんは実際にこの作品の初演の頃には、
死に取り憑かれていたのだと思いますし、
それを周囲の人や劇団員などによって、
監視され止められることによって生きていたのではないかと推察します。
そんな生活の中で、
神の存在を哲学的に思考し、
肉体のない精神だけの女性に、
支配されて生かされる自分を、
夢見ていたのではないかと思うのです。

この作品にはその頃の血を吐くような思いが、
吐露されているのだと思いますし、
それがグロテスクで甘美で奇怪な妄想の力を借りて、
唯一無二の演劇として成立している点が、
素晴らしいと思うのです。

是非ご覧ください。
これぞ掛け値なしの「演劇」です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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赤堀雅秋「鳥の名前」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
何もなければ1日ゆっくり過ごす予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
鳥の名前2.jpg
最近多方面で活躍をされている、
THE SHAMPOO HATの赤堀雅秋さんが作・演出を勤め、
新井浩文さんや水澤紳吾さんなど、
映像で活躍をされている曲者役者と、
荒川良々さんや村岡希美さんなど小劇場のプロフェッショナルが、
一堂に顔を揃えた舞台が、
今下北沢のスズナリで上演されています。

スズナリの小空間での舞台としては、
贅沢過ぎるような顔ぶれで、
かつての竹中直人さんの舞台のような、
客席の熱気がありました。

赤堀さんの作品はあまり良い観客ではなく、
THE SHAMPOO HATの公演は、
何度か観ようとは思いながら、
他の芝居と同じような時期に上演されることが多く、
何となく観る機会を逃していました。

赤堀さんが作品を書いた、
プロデュース公演には何度か足を運びましたが、
犯罪などを扱ったかなりドロドロした筋立にも関わらず、
まったりしたテンポで淡々と物語は展開し、
何処が山場かも分からないように話が終わってしまうので、
ウトウトしながらの気合の入らない観劇になってしまいました。

今回も不安を抱えながらの観劇となったのですが、
矢張り犯罪なども扱い、
まったりとしたテンポで物語は進むのですが、
小空間ならではの空気感と、
物語の密度とのバランスが良く、
赤堀さんの意図もかなり明確に感じられる舞台であったので、
結構面白く充実した気分で劇場を後にしました。

以下ネタバレを含む感想です。

愛すべきダメ男達の群像劇、
というタイプの1時間50分くらいの芝居で、
主演が誰かは必ずしも明確ではありませんが、
ボロアパートの大家で、
家賃収入でブラブラしている無職の新井浩文さんと、
その友人で会社員の時に痴漢を疑われて仕事を失い、
父親の自転車屋を継いだ赤堀雅秋さんを中心として、
物語は開始されます。

アパートの住人の村岡希美さんと、
赤堀さんを結婚させようと、
新井さんが2人の仲立ちをするのですが、
村岡さんは荒川良々さんにストーカーをされていると訴え、
それを止めさせようと新井さんがサウナに乗り込む辺りから、
得体の知れない闇の世界に引き込まれてゆきます。

親の遺産で食いつなぎながら、
それはいつまでも続くものではなく、
無為に人生を過ごしている中年男達に、
今の社会の閉塞感のようなものが見え隠れします。

「アウトレイジ」のたけしを彷彿とさせるような、
吃音のヤクザを演じる水澤紳吾さんや、
力士上がりの怪しい青年実業家の荒川良々さんの、
怪演技も楽しく、
根本宗子さんは地下アイドルとして物語に絡み、
ストーカーに斬り付けられ殺害されるという、
現実の事件をイメージした役柄を演じます。

ラストは村岡希美さんが嘘吐きの本性を現すのですが、
新井さんも赤堀さんもそれを呑み込んで安スナックの夜は更け、
オープニングで友達から2万円を返せと言われた新井さんが、
ヤクザからもらったお小遣いで、
それを清算したというオチが付いて、
物語は軽快に終わります。

狂気を孕んだ人物が沢山登場する、
という意味では松尾スズキさんの世界にも、
ちょっと似たところがありますが、
良くも悪くも登場するのは「小物」ばかりなので、
壮大な物語になることはなく、
事件としても新聞の1面に載ったり、
3面でも大きく載るような事件ではなく、
一般紙なら3面の片隅に、
小さく載るような哀れを誘うような事件が、
その中心に据えられています。

そして、同時代的な切迫感のようなもの、
将来への絶望と空しさと、
それでも小さな希望を追い求める切なさのようなものが、
観客の心に澱のように残るのです。

作者が意図したその「気分」のようなものを、
観客が共有出来るかどうかが、
こうした作品を楽しめるポイントだという気がしますが、
今回は意図もかなり明確で作品の密度も濃かったので、
充分にその「気分」を感じることが出来ました。

ただ、国会中継をラジオで流したりする、
なくもがなの演出もあって、
「私だって危機感は共有しているのですよ」
と言いたいのかも知れませんが、
その辺は正直余計だと感じました。
いつの時代の何処の場所でも成立する物語だと思うので、
その点は筋を通した方が良いのではないでしょうか。

赤堀さん演じる自転車屋が、
自分が痴漢で捕まった話をしたり、
地下アイドルの根本宗子さん
(彼女の今の立ち位置からすれば、
ちょっと気の毒な役回りに感じました)が、
大して意味のない調子で自転車屋に本音を語る場面などの、
一方向的な「告白」の虚しさに、
充分作品のテーマは感じられると思いました。

役者は手練れが揃っていますから勿論楽しく、
荒川良々さんのサウナでの大暴れなど、
お約束のようなサービスも盛り沢山で、
赤堀さんの僕が観た作品の中では、
最も楽しめる素敵な1本になっていたと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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鵺的「奇想の前提」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
夜はちょっと出かけますが、
それまでは家で色々と作業の予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
鵺的.jpg
これも初物ですが、
鵺的という劇団の江戸川乱歩をモチーフにした、
「奇想の前提」という新作に足を運びました。

これは出演する青山祥子さんの「ほりぶん」での大暴れが良かったのと、
演出の寺十吾(じつなしさとる)さんが、
今では珍しいアングラ演出のプロとして、
個人的には絶大な信頼を寄せているので、
その流れで観ることにしました。

オープニングはアングラ色全開で、
東京グランギニョールみたいな外連味のある展開だったので、
とても期待しました。
台詞も説得力のある朗読のような1人語りの部分が面白く、
最近では一番と言っていいくらい、
集中して台詞を聴きました。
ただ、中段からはあまり派手な展開がないので、
何かモヤモヤした感じになり、
意外な真実と称するものは大したことのないもので、
肝心な部分は暗転で誤魔化すようなところが多く、
ラストシーンについては、
なるほどと思いましたが、
衝撃的というほどの効果はなかったように思います。
最終的にはせっかくここまでやったのになあ、
とちょっと物足りない気分で劇場を後にしました。

江戸川乱歩は大好きで、
作品は殆どを中学生までに読んでいますが、
この作品は「パノラマ島奇談」に「猟奇の果」や「大暗室」、
「少年探偵団」などの複数の小説に登場する事件や人物を、
「実際に起こったこと」として想定された2017年の日本を舞台に、
呪われた血筋を持つ3人の若者が、
過去の犯罪者の影響から脱しようとして苦悩しながら、
そこに否応なく魅せられてゆく、
という物語に構成されています。

これは要するに現代の若者が、
酒鬼薔薇事件の犯人などを崇拝して、
現実の世界の自分達に対する無理解を憎み、
その「悪」を継承しようと、
自分を過去の「天才的犯罪者
(酒鬼薔薇事件の犯人が天才である、という意味では勿論ありません)」
と同一視するような心理を、
描いた作品なのだと思います。

現実の事件の犯人を崇拝するような物語は、
色々な意味で差しさわりがあるので、
乱歩の世界を持って来たのではないかと思うのです。

勿論作品からは乱歩愛も、
それはひしひしと感じられますから、
乱歩を出汁に使っただけの戯曲ではありません。
乱歩という「奇想」の継承という意味合いも、
強く持った作品であるからです。

ただ、強調したいのはノスタルジーの仮面の下に、
現実世界を虚構にしたいという今の若い世代の多くが持っている思いが、
反映された物語になっている、
と言う事実です。
次の世代に私たちが継承するべきものが何か、
ということも、
問いかけているように思いました。

以下ネタバレを含む感想です。
本日観劇予定の方は観劇後にお読みください。

乱歩の「パノラマ島奇談」に登場する、
無人島に犯罪と悪の華を咲かせた犯罪者は、
最後に自らを打ち上げ花火と一緒に打ち上げ、
空中で全身をバラバラに飛散させて壮絶な死を遂げたのですが、
その血を浴びた彼の血筋に連なる旧家の人々は、
その呪いを身体に帯びて生きています。
主人公はその孫の世代の3人の若者で、
福永マリカさん演じる乙女は、
悪の魅惑に取り憑かれ、
青山祥子さん演じる乙女は、
霊的能力を引き継いでいるが故に、
島に近づくことを怖れ、
間に挟まれた江藤修平さん演じる青年は、
藝術を仕事にしようとしながら、
悪への魅惑に揺れ動いています。

15年前に子供であった3人は、
密かに島に渡って遊び、
ただ1人島を管理していた謎の管理人と気脈を通じたのですが、
ある日管理人の男性は謎の失踪を遂げ、
楽園の日々は終わりを告げます。

そして、15年後になって、
廃墟と化したパノラマ島を、
廃墟の遺産として、
観光施設にしょうという計画が持ち上がります。

その計画には所有者の遺族全員の同意が必要なので、
奇しくもバラバラになっていた血族が集まることとなり、
そこで事件が起こるのです。

15年前の真実がパノラマ島で明らかになり、
その瞬間に島を大地震が襲います。
全ては瓦礫の下敷きになり、
今度は15年前の犯罪の犯人が、
人間花火となって天に散り、
その飛び散った血を3人の若者が浴びます。

そのうちの2人の乙女は、
名探偵と怪人として闇に紛れて闘争し、
藝術家を目指していた青年が、
自分の目指す理想郷を思い目を閉じた瞬間、
エログロの極致のような妄想が、
一瞬の夢として舞台に広がり、
暗転して物語は終わります。

なかなか壮大なストーリーで、
この通りに視覚化され演じられたのであれば、
大傑作と言って間違いはないと思います。

ただ、実際に上演された舞台は、
良いところも沢山ありましたが、
不満や失望や物足りなさも多いものでした。

オープニングはこけおどしの極致のような大音響とともに、
幾つかの謎めいたおどろおどろしい場面が、
一瞬舞台に現れ、また闇の中に消えます。
謎の怪人めいた人物の後ろ姿や赤い血みどろの渦巻きなどが、
現れては消える様は、
天井桟敷の盲人書簡辺りの暗黒演劇を彷彿とさせます。
ただ、完全暗転ではなく、
ぼんやりゴソゴソ準備しているのが見える感じで、
暗転時間も長いので、
ちょっと物足りなくは感じます。
この辺はかつての天井桟敷の手際は抜群だったので、
「違うんだよ、それじゃダメなんだよ」
と教えてあげたい誘惑に駆られます。

それから青山祥子さんの1人語りになりますが、
これがまた素敵な感じで、
ロマンチックな音効と証明の効果も相俟って、
耽美的な雰囲気にはうっとりとします。

こんな素晴らしい和装の美女を演じられるような女優さんが、
何処に隠れていたの、と驚くような、
木下祐子さんの艶姿も良く、
霊媒で何十年も外に出たことのない老女を、
夕沈さんが演じるというのも、
極めて嬉しいキャスティングです。

語り口はとても巧みで、
前半は非常に引き込まれました。

ただ、始まって1時間くらいしても、
同じようなまったりしたテンポで、
人物紹介から話はあまり進まず、
猟奇的事件が巷では起きているらしい、
というくらいの内容で、
その犯人もほぼ分かってしまうので、
あまり盛り上がる感じにはなりません。

集まった家族がパノラマ島に上陸するのが、
一応山場になるのですが、
パノラマ島も他の場所も全く同じセットで、
照明の方向が変わる程度なので、
かなりガッカリ感があります。
抽象的なセットであれば、
こうしたものかな、とも思うところですが、
割合に廃墟を思わせるようなセットを、
ガッチリと造っているので、
それで何も舞台に動きがない、
というのが失望するのです。

「謎の機械」と称するものは登場するのですが、
ただのオブジェで何の動きもないので、
あまり意味のあるセットではありませんでした。

島で起こることも、
結局は過去の暴露に過ぎないもので、
言われなくても分かる、というくらいの謎ですし、
カタストロフが人間を梃子にして起こるのではなく、
大地震という天災というのも、
如何なものかと思いました。

寺十吾さんの演出も、
前半はアングラ色全開で冴えていたと思いますが、
後半はかなり苦しい感じで、
地震によるパノラマ島の最後も、
ただの暗転で処理したのにはガッカリしました。

犯人が人間花火として散るのを、
気球から眺めるという場面は、
どうにか情景として成立したかな、
というくらいにはなっていましたが、
矢張りパノラマ島の景色というものが、
何等かの形で登場して欲しかったと思いますし、
現実に血の雨がバンバン降るくらいのことは、
やって欲しかったと思いました。

ラストには奇想が現実化した情景が、
逆行の中に浮かび上がるのですが、
もっとグロテスクでエロチックな奇怪さが欲しかったと思いますし、
そこで暗転して、
奇想のパノラマを構成していた面々が、
そのままの立ち位置で頭を下げるのは、
まずかったように思いました。

総じて、本当に意欲作であったと思いますし、
こうした作品を小劇場で待ち望む人も、
多いのではないかと思うのですが、
それだけに期待も大きく、
それをクリアするような作品を成立させるのは、
なかなか一筋縄ではいかない、
ということを実感させた公演となりました。

ただ、これで終わっては欲しくありません。
今後この集団がどのような方向性を取るにせよ、
今回の心意気は忘れて欲しくないと思いますし、
より深化した決定版を、
是非今後上演して欲しいと思います。

大変期待をしています。

また必ず観に行きます。

頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

三谷幸喜「子供の事情」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当します。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
子供の事情.jpg
シス・カンパニー公演として、
三谷幸喜さんの新作が今上演中です。

これは反則すれすれの企画で、
ずるいなあ、という気もするのですが、
それでもこのキャストでこの作品を作ることが出来るのは、
間違いなく三谷幸喜さんしかいないと思いますし、
その意味ではしてやったりという感じもあります。

舞台は昭和46年の小学校で、
10人の豪華なキャストの全員が、
同じ10歳の小学校4年生の同級生を演じ、
天海祐希さんと大泉洋さんが、
クラスの人気者を競って争いますし、
伊藤蘭さんがアイドル然としたコスプレで、
子役スターを演じて歌うのですから、
これはもう面白くない訳がないのです。

作品内容的にも練り上げられていて、
その伏線の回収の仕方などは、
さすがと言うしかありません。
ここ数年の新作の中では、
間違いなく一番のヒット作だと思いますし、
「国民の映画」以来の傑作と言って良いと思います。
何となくですが、
以前から腹案としてあった企画なのではないか、
とそんな風にも思いました。

三谷さんとはほぼ同年代で、
東京の小学校を卒業しているので、
ここで描かれた世界の意味合いのようなものは、
僕にもよく分かるような気がします。
冬のストーブとトタンの煙突も懐かしく思い出します。

しかしノスタルジックなだけには終わっていなくて、
高度成長期を生きた子供たちのその後を、
俯瞰して見るようなほろ苦い視点も感じられますし、
クラスの人気者になったり居場所を見付けたりすることが、
同時に生きるということでもあった、
誰にでもある少年時代の葛藤を、
得意の伏線を散りばめた技巧を駆使して、
鮮やかに立ち上がらせている点には、
さすがと感心させられました。

とってもあざとくずるい、
しかし三谷幸喜の面目躍如たる傑作だと思います。
このキャストが揃うことはほぼないと思いますから、
少し無理をしても観る価値はあると思います。

お薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

マームとジプシー「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっとー」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
マームとジプシー.jpg
最近時々観るようになったマームとジプシーの、
10周年記念公演の1本、
「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっとー」
の彩の国の公演に足を運びました。
彩の国は遠いので休日を潰さないと行けないのがきついです。

この作品は僕は初見ですが、
これまでの3本の作品を再構成して2014年に上演され、
今回は10周年を記念とした再演ということのようです。

藤田貴大さんの劇作はこうした作品が非常に多く、
普通はこうした過去作品の再構成や総集編という趣向は、
オリジナルより落ちるものになることが多いと思うのですが、
不思議とそうはなっていないのは、
藤田さんの劇作は寺山修司と同じように、
同じテーマを複数の作品で分析的に繰り返すので、
その構成を変更することは、
あまり作品の質を変えることはないのかも知れません。

今回の作品はチェホフの「三人姉妹」のバリエーションで、
本当に演劇の人はチェホフが好きだなあ、
という気がします。
2人の女性と1人の男性の兄弟がいて、
長女が東京に出るところから、
少しずつ家族は家を離れ、
次女も家を離れて長男と父親だけが家に残されたところで、
父親の急病による入院から死で家に家族が集まり、
翌年の一周忌での集まりの夜が、
物語の中心となります。

その場で家が新しい道路の用地として取り壊される対象となり、
家がなくなり道になった10年後に、
もう一度3人の兄弟が集って物語は終わります。

特にドラマチックな展開があるということではなく、
ある種の普遍的な風景として、
当たり前に見えた家族の食卓と、
それが家族の死や人間の成長と旅立ち、
などによって変容し、
最後には取り壊しによって家自体がなくなるまでが、
ある種淡々と描かれます。

戯曲の文体は家族のその場での日常会話と、
その個人が現在から過去のその時点を思い返して、
思い出や悔恨や切なさを語る独白とが、
そのまま綴れ織りのように絡み合う構成が面白く、
それが同じ場面を前後などの角度を変えて繰り返したり、
役者さんが回転すると時間が飛ぶような、
独特の演出と相俟って、
非常に自然に時間と空間を行き来して、
現在が一瞬にして思い出に変容するという、
人間の心の不思議を鮮やかに視覚化しています。

今回は特に家族の象徴ともいうべき家がなくなるという、
多くの人が思い当たる部分があるであろう、
内なる故郷の喪失というテーマなので、
枠組みだけの大きな家のセットを舞台に組んで、
即座にそれを解体するという視覚的な効果とも相俟って、
なかなか抒情的で忘れがたい部分のある1作になっていたと思います。

かつて水死した少年に海で救われた少女が、
大人になってその町に戻って来て、
海を訪れて主人公達に出逢う、
という脇筋などもなかなか面白く、
複数の作品を組み合わせる構成の妙を感じました。

ただ、幾つか不満もあります。

3世代に渡る物語なのですが、
親子を同じくらいの年齢の役者さんが演じていて、
衣装も中途半端に白いもので統一されているので、
かなり人物関係の分かりにくい部分がありました。
近所のおばさん役の役者さんの芝居も、
何か中途半端に感じました。
基本的に等身大の芝居が身上のように思うので、
こうした年齢差のある役柄は、
実際の年齢に近い役者さんを起用するか、
衣装などで分かりやすくする方が、
ニュアンスが伝わりやすかったように感じました。

精力的な活動を続けている藤田さんですが、
その独特の様式は完成に近づいているにしても、
まだまだ新しい様式や芝居にもチャレンジして欲しいと思いますし、
これからの活躍に期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

シンクロ少女「シンクロ・ゴッサム・シティ」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
シンクロ少女.jpg
シンクロ少女の本公演に足を運びました。
この劇団は初見です。
初物を観たいという気がして、
あまり予備知識なく直前に予約をして衝動的に観に行きました。

予想していたような感じとは違っていたのですが、
なかなか面白い芝居で、
観て損はありませんでした。
戯曲は新しいという感じはしないのですが、
凝ったトリッキーな構成が面白く、
役者さんの芝居も作品世界にフィットしています。
演出も悪くありません。
特に最初にインチキ・コスプレダンスのような場面があって、
おやおや、と思うのですが、
最後にもほぼ同じダンスがあって、
その時にはオープニングとは全く別の風景が見えるのです。
なるほどとちょっと感心しました。

「シンクロ・ゴッサム・シティ」という題名の通り、
バットマンの舞台である架空の大都市ゴッサム・シティで、
善と悪とがどのような成り立ちで生じるに至ったのかを、
小劇場的なレトリックを駆使して描いた作品です。

元のゴッサム・シティはダークなニューヨークですが、
このお芝居のゴッサム・シティは、
要するにダークな東京です。

ちらしが上のような感じですし、
何となくバットマンのコスプレ芝居みたいなものを期待してしまうのですが、
ペンギンっぽい人物や、
キャットウーマンっぽい人物、
悪の三姉妹みたいな感じのキャラなどが、
登場することはするのですが、
それっぽい、というだけのことで、
別にバットマンのパロディやコスプレではありません。
東京に暮らす等身大のそれでいてちょっと歪んだ人達が、
それっぽく登場する、というだけです。

肌合いとしては昔の倉持裕作品に似ています。
元ネタは別役実のパロディ風の作品だと思うのですが、
誰でも知っているような、
ある種の固定観念に包まれた物語の世界を舞台にして、
演劇ならではトリッキーな仕掛けを施して、
物語の底にある不条理のようなものを、
浮かび上がらせるという作劇です。

兄が弟に捧げる強烈で純粋な秘められた愛が、
誠実で無垢で愚鈍に見えた人間を、
破滅的で醜悪な悪党に変えてしまうのですが、
実際には人間の外面的な善も悪も、
同じ愛から生じているという物語で、
チラシにある「動機は愛」という一言がテーマでもあって、
それがラストに発せられる台詞でもある、
と言う辺りが極めて技巧的で巧みです。
2人1役という演劇的な仕掛けが、
上手く機能しているのも面白いと思いました。

作・演出の名嘉友美さんは、
非常に構成力に長けた方だと思います。

ただ、それが作品の弱点でもあって、
たとえば松尾スズキ作品などは、
まともに物語が収束することなど殆どなく、
概ね空中分解してしまうのですが、
キャラクターの破天荒さや畸形の魅力は、
今回の作品の比ではなく、
今回の作品はせっかく畸形的なキャラに命を吹き込みながら、
お話のまとまりを重視して、
全体をこじんまりとしたものにしてしまったようにも思います。

もっと役者の瞬発力でもたせるような場面や、
意味不明だけれども魅力的な場面などが少しあると、
作品自体の魅力ももっと大きく花開くのではないか、
というようにも感じました。

もう何回かは観てみようと思いました。
これからも期待しています。
頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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