So-net無料ブログ作成

マクドナー「ハングマン」(長塚圭史演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ハングマン.jpg
今年脚本と監督に当たった映画「スリービルボード」が日本公開され、
高い評価を得たマーティン・マクドナーの、
今のところ劇作としての最新作で、
2015年にイギリスで初演された「ハングマン」が、
今世田谷のパブリックシアターで上演されています。

これはイギリスで死刑制度が廃止された、
1960年代が舞台となっていて、
当時有名な絞首刑執行人で引退後にパブを経営している、
ハリーという男が主人公です。
彼は廃止された死刑に関わる自分の仕事に、
それなりにプライドを持っていたのですが、
死刑制度廃止の日に意地悪な新聞記者に取材を受け、
冤罪の男の死刑を執行したのではないかと
疑いを掛けられたことで心穏やかではありません。
その同じ日にロンドンから来たという、
謎めいた男が初めてパブを訪れ、
自分がかつての冤罪が疑われている事件の、
真犯人であるかのような話を始めるので、
パブには不穏が空気が流れます。
翌日ハリーの1人娘が謎の男を話をした後で、
忽然と姿を消します。
男が連れ去ったのでしょうか?
翌日のパブの夜に再び男が現れた時、
疑惑は沸点に達して暴力の連鎖が始まります。

如何にもマクドナーという作劇で、
「スリービルボード」を観られた方なら、
同じ構造と匂いとをお感じになると思います。
中段はやや散漫な印象もして、
物語がどう転がるのか予測の付かないところがあるのですが、
ラストになってみると、
見事にシンメトリックな構造が浮上して、
マクドナーらしいブラックなひねりもあり、
観終わって時間が経つ毎に、
じわじわと味わいの広がる辺りがさすがです。

以下ネタバレを含む感想です。

これはオープニングでまず1963年の、
ヘネシーという男の絞首刑の様子が描かれます
ヘネシーは無罪を訴えるのですが、
主人公のハリーはそんなことには聞く耳を持ちません。
時は死刑が廃止された1965年に移り、
パブに現れた謎の男は、
自分が冤罪の真犯人であるかの如くほのめかし、
ハリーの娘を連れ去ります。
娘が男にさらわれたことを確信したハリーは、
翌日パブを訪れた男を、
リンチに掛けて首を吊し、
勢いで殺してしまうのですが、
そこにさらわれた筈のハリーの娘が元気に現れます。
謎の男の悪事というのは、ただのはったりだったのです。
一気に醒めたパブの客達は、
ハリーに協力してリンチに荷担したにも関わらず、
ハリー1人に責任を押しつけて姿を消します。
残ったのは変わり者の以前からのハリーの絞首人時代の手下の男で、
2人で男の死体の処理の算段を、
何か懐かしそうにするところで物語は終わります。

要するに最初に国家権力による、
冤罪の絞首刑が描かれ、
次に全く同じ冤罪の絞首刑が、
今度は民衆の自由意志により行われる様が描かれます。
国家権力による絞首刑は、
段取り良く10分くらいで終わり、
その一方で民衆による絞首刑は2時間が費やされます。
殆どの民衆はその責任を取らず、
全てがハリーとその部下1人に押しつけられるのは、
死刑が廃止されても変わることはなかったのです。

マクドナーらしい皮肉で深い死刑論だと思います。

このように構造的にはとても高いレベルで完成されているのに、
悪ふざけとも思えるような脇筋と、
緊張を巧みに崩すブラックな笑いや、
規格外れのろくでなし揃いの登場人物の造形などで、
そのバランスが常に脅かされるのが、
これもマクドナーの作品の魅力です。

この芝居はイギリスのパブの雰囲気が重要で、
英語のだじゃれのような台詞が多いので、
日本での翻訳上演は、
かなりハードルが高いのが実際です。

長塚圭史さんの演出は、
いつもながら感度の高い繊細で完成度の高いもので、
マクドナーの脱力的な部分は上手く残しながら、
観客に芝居の構造とテーマを、
伝えることに尽力した、
見応えのあるものでした。

セットの造形と美術は特に素晴らしいものだったと思います。
その一方でドタバタや暴力の部分は、
やや抑制的で破天荒さには欠けていたように思います。

今回はおそらくこの作品の日本初演ということもあって、
長塚さんとしては楷書での演出を心がけたのだと思うのですが、
次回は是非もっと羽目を外した感じの上演も、
試みて欲しいなと思いました。

この作品の魅力は単一ではないからです。

キャストは脇まで実力派が揃っていて、
ちょっと贅沢すぎるくらいのメンバーです。
主役のハリーを演じたのは田中哲司さんは、
すっかり最近は座長役者の風格がありますし、
その妻に秋山菜津子さん、娘に富田望生さん、
子分に宮崎吐夢さんとセンスの光る座組です。
要の謎の男を演じた大東駿介さんは、
なかなかの熱演ではあったのですが、
この役にはもっと初見での異様さが、
欲しかったと感じました。

正直マクドナー作品として、
代表作とは言えないと思いますし、
細部の処理には不満もあるのですが、
この面白い作品の日本初演としては、
その真価を充分に感じさせる優れた上演だと思います。

ご興味のある方は是非。
時間があればもう一回観たいのですが、
どうも無理なようです。
皆さんが代わりに観て頂ければと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(5)  コメント(0) 

城山羊の会「自己紹介読本」(2018年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日までクリニックはゴールデンウィークの休診です。
明日からは通常通りの診療になります。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
自己紹介読本3.jpg
2016年の小劇場演劇で一番のお気に入りだった、
城山羊の会の「自己紹介読本」が、
三軒茶屋のシアタートラムに場所を移して、
4月の半ばに再演されました。

これについてはまずこちらをご覧下さい。
自己紹介読本2.jpg
チラシの裏面の一部ですが、
初演の時に書いたブログ記事の一部を、
今回引用して頂きました。

これまで演劇関係の記事で、
こうして使って頂けたのは初めてで、
とてもとても嬉しくて、
しばらくニヤニヤしてしまいました。

その縁で今回はご招待して頂いたので、
買ってあったチケットを妻用にして、
2人で今回の再演に出掛けました。

今回の再演は、
劇場は初演時よりかなり大きくなっていますが、
キャストは全く同じで、
ただの自己紹介から始まって、
予測不可能な展開を見せ、
ラストは異次元に観客をいざなってくれるのですが、
それでいて観終わって良く考えてみると、
オープニングに既に全てが終わっていたことが、
明らかになるという、
極めて技巧的で完成度の高い作品です。

それでいて、
全体のイメージは洒脱で軽く、
一種の艶笑奇談にもなっているという、
小劇場史上唯一無二の傑作なのです。

初演はもっと小空間で、
バックステージのかすかな声が漏れ聞こえて来るなど、
小空間ならではの趣向もあったので、
その点では今回は物足りなさも感じましたが、
その一方で今回はセットなど、
よりリアルな距離感で構築されていて、
この作品のまた別個の魅力が、
明らかになったと感じました。

次回の城山羊の会は、
また新作になるようですが、
楽しみに待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

nice!(7)  コメント(0) 

月刊「根本宗子」第15号「紛れもなく私が真ん中の日」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は連休でクリニックは休診です。

祝日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ねもしゅー15号.jpg
小劇場マインドの塊のような根本宗子さんが、
今年初めての純然の新作公演を、
今浅草の九劇で上演中です。

「紛れもなく私が真ん中の日」と題されたこの新作は、
オーディションで選ばれた21人の女優さんが、
極めて緻密かつ奔放に演じる群像劇で、
根本さん自身は出演せず、
戯曲と演出に専念しています。

これは僕が観た根本さんの作品の中では、
間違いなく最も素晴らしい一本で、
小劇場の歴史に残ると言っても、
決して大袈裟ではないと思います。

見逃すと絶対に後悔するレベルのお芝居で、
ほぼ再演は不可能だと思いますし、
仮にしたとしても今回のようなフレッシュさは、
失われてしまうと思います。

掛け値なしの傑作ですので、
僕のことを信じて頂けるなら、
何を置いても是非劇場にお急ぎ下さい。
勿論好みというものはありますから、
全ての方が同じように感動するかは分かりませんが、
このお芝居が本当の本物であることだけは、
全ての方が感じて頂けると信じています。

以下内容に少し踏み込みます。
大きなネタバレはしませんが、
先入観なく鑑賞したい方は、
観終わった後にお読み下さい。

開場からポップな装飾のお屋敷と思しきような場所で、
10人以上の子供なのか少女なのか大人なのか、
良く分からないような女優さん達が、
思い思いに遊んでいる姿は、
何だかあまりに雑然としていて、
とても面白いお芝居になりそうには思えないのですが、
ところがどうしてどうして、
そこから緻密な群像劇が立ち上がると、
意外にも膨らみを持った物語は、
感動的なエンディングまで一気呵成に走り抜けます。

21人のキャストを過不足なく描き分けるだけでも超人的ですが、
物語が中段にさしかかる時には、
その全員が何か僕達の記憶の中に生きているような気分になり、
僕達の記憶の一部に入り込んでくるような錯覚に陥るのです。

そして感動的なラストでは、
根本さんの定番の趣向である、
過去の自分が現在の自分に呼びかけるという構図が、
より切実さを持って描かれ、
観客の誰もが一緒に同じことを呼びかけているような、
そんな錯覚にすら陥るのです。

切なく感動的で、
素晴らしいラストだったと思います。

中学生の「真ん中を目指す」というやり取りの中に、
大人の社会の縮図のようなものを描くという手法は、
昨年の三谷幸喜さんの「子供の事情」が意識されているように思います。
ただ、その風景が更に相対化されるという点では、
この作品は三谷さんの作品の更に上を行っていると思いますし、
そのいじめや格差、自意識過剰におぼれた世界へのシニカルな視線は、
より鋭く深い洞察に満ちていると思います。

更に僕がこの作品を好きなのは、
この作品が純然たる小劇場演劇のスタイルを守っていて、
かつてのアングラに通底する、
美意識をまた持っていると言う点にあります。
キャストのある種の異様さは、
寺山修司の見世物演劇を彷彿とさせる部分がありますし、
テンションの高い一人語りの呼吸は、
唐先生のテント芝居に繋がる息づかいを感じさせます。

つまり、根本さんの芝居は、
紛れもなく現在の芝居であり、
そこで語られる言葉は、
この社会の肉を斬り、
血を迸らせるところから発せられるものですが、
それでいて彼女の演劇DNAは、
深い部分でアングラの地下水脈に繋がっているのです。

役者を調教する演出も冴え渡っていて、
セット構成も、
対角線に倒れた柱が、
時間という断層を切り裂くというアイデアなど、
随所に天才を見せつけています。

唯一僕が不満なのは、
今のお芝居の常で説明過多なところで、
エリート少女の没落を、
侍女の台詞で説明してしまうのですが、
これは台詞自体不自然ですし、
暗示にとどめる程度で良かったように思いました。
ただ、これは昔の難解芝居好きの、
悪い癖かも知れません。
あまり明快に説明されると逆に醒めてしまうのです。
しかし、それを割り引いても、
この部分は流れが悪かったと思います。

ただ、そうした些細な瑕など問題にならないテンションで、
これだけ充実した内容が、
1時間半に濃縮されているのが素晴らしく、
これを観ると、
2時間を超えるダラダラ芝居の多くが、
ただの馬鹿の繰り言のようにしか感じられないのです。

ともかく、「観て!」としか言えない傑作で、
強く強くお薦めしたいと思います。

真面目に凄いですよ。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(7)  コメント(0) 

「ヘッダ・ガブラー」(2018年栗山民也演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ヘッダ・ガブラー.jpg
イプセンの名作「ヘッダ・ガブラー」が、
シス・カンパニーの賑々しいキャストと、
栗山民也さんの地味で暗い演出で上演されています。

イプセンは19世紀としては異様な感性を持った、
とても魅力的な劇作家ですが、
日本では「人形の家」が新劇の黎明期に取り上げられ、
自立する女性のシンボルのように、
その主人公が描かれたために、
お行儀の良いお芝居のように、
誤解されている感があります。

この「人形の家」からして、
実際にはかなりグロテスクで奇怪な作品で、
男女のドロドロとした愛憎が表現されているのですが、
今回上演されている「ヘッダ・ガブラー」は、
より複雑で変態的で奇怪で魅力的な作品です。

主人公のヘッダは高名な将軍の娘で社交界の花形でしたが、
平凡な学者を夫に選んでしまいます。
しかしそこにかつて自分が見限った若い学者が、
献身的な女性の助けで立ち直って現れます。

ヘッダは自分の選択が誤りであったことに苦悩し、
それを認めることを拒否して、
異様な妨害でかつての恋人を破滅させ、
自分も破滅への道を辿ります。

この物語の魅力は、
何と言っても主人公のヘッダの複雑な人格にあって、
特に自分がもたらした若い学者の死に様に、
自分の美意識に適うものがないことに絶望する、
という辺りの審美的な感覚に、
イプセンの天才を見る思いがあります。

キャストは主人公のヘッダを演じた寺島しのぶさんが、
時々朗読調になるのが難点ですが、
なかなかの座長芝居を見せてくれました。
美しくも尊大にも哀れにも見えるという、
その振幅の大きな差が魅力です。

夫役の小日向文世さんは、
その資質を活かした余裕のある快演で、
話のキーになる判事役の段田安則さんも、
なかなか渋く安定感のある芝居を見せてくれました。

そんな訳でなかなか充実した舞台だったのですが、
感心しなかったのが演出です。

栗山さんの演出は僕とは相性が悪くて、
良い時もあるのですが、
僕の観た多く舞台は鵜山仁さんほどではないですが、
地味で暗くて単調でイライラすることが多いのです。

残念ながら今回の舞台もそうでした。

比較的リアリズムの装置ですが、
高さが大きく引き延ばされていて、
単色の書き割りがただ上に伸びている、
という感じなので、
舞台に密度がなく安っぽい印象になってしまっています。
引っ越し公演の安手のオペラの舞台のようです。
これはもっとお金を掛けて細部の装飾などを、
緻密に再現するか、
そうでなければ舞台自体はもっと抽象化して、
個別の家具などで重みを演出するか、
どちらかにするべきではなかったでしょうか?
また、舞台の正面に階段があって、
その先が庭という体になって役者の出入りに使われているのですが、
そこのみがリアルな舞台から外れていて、
これも統一感がなく如何なものかと思いました。

照明も全体に暗くて、
特に舞台の最初を暗くするのは、
コクーンくらいの広さの劇場では、
遠くの観客に不親切なだけで、
大して効果はないので止めて欲しいと思いました。

舞台の中央に大きな鏡があり、
オープニングとラストにのみ、
その背後にヘッダの姿が浮かび上がります。

これも安手のオペラなどによくある趣向ですが、
ラストにヘッダがこめかみを銃で撃ち抜くのを、
イメージとして見せるのは、
駄目演出だと思いました。

その前にヘッダの陰謀で若い学者が死に、
その最後がヘッダの美意識に適うものであったかが、
台詞で議論され、
こめかみから心臓、そして陰部への暴発と、
幻想はめまぐるしく事実に打ち砕かれるのですが、
最後のヘッダの部分はこの死と呼応しているので、
それは言葉で語られるべきで、
実際に舞台に現れるべきではないと思います。
出すとしてももっと抽象的なイメージとして、
表現するべきではなかったでしょうか?

カーテンコールでは死んだ直後のヘッダが、
余韻を感じる間もなく、
すぐに舞台に出て来るのですが、
これもセンスがないと感じました。
ここは一呼吸置いて、
観客に主人公が死んだことを、
反芻してもらう必要があるからです。

今回の演出は、
申し訳ないのですがそんな感じで、
最初から最後まで駄目でした。

イプセンには他にも変態戯曲が沢山あり、
日本では殆ど上演されないものも多いので、
これからもイプセン劇の上演には、
なるべく足を運びたいと思っています。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(7)  コメント(0) 

ナイロン100℃「百年の秘密」(2018年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。

今日はこちら。
100年の秘密.jpg
今や現在を代表する小劇場と言って良い、
ナイロン100℃の25周年記念公演として、
2012年に初演された「百年の秘密」が再演されています。

これは初演版も観ていますが、
ケラとしてはかなりシリアスに振れた、
ワイルダーの「わが町」を思わせる大作で、
翻訳劇のパロディ的なところもあるのですが、
なかなか完成度の高い作品でした。

それをほぼ主要キャストは初演版のままに、
今回再演しています。

特に新しいことはしていないと思うのですが、
最初から最後まで抜群の安定感と完成度で、
今望みうる最高品質の小劇場芝居であることは間違いありません。

キャストは犬山イヌコ、峰村リエ、大倉孝二、萩原聖人の4人が抜群で、
初演の時は女性教師への少年期の破れた愛を引きずって、
悲劇的な結末に至る萩原聖人さんの物語に、
最も惹かれたのですが、
今回は「エデンの東」ばりの屈折した男ぶりの、
大倉孝二さんの芝居に一番感心しました。

峰村リエさんは個人的には、
一番好きと言っても良い女優さんですが、
今回の役柄は小児期の屈折が、
あまり大人になって以降に反映されていないような気がして、
初演の時と同様、
今回も釈然としない思いがありました。

個人的にはケラさんのこの系譜の作品としては、
「祈りと怪物」が最も好きで、
マジックリアリズム的な要素が、
もう少しあった方がよりケラさんの資質には、
合っているのではないかと思いますが、
この作品もアメリカ戯曲のパロディのようでありながら、
翻訳劇の名作に引けを取らない新たな世界を獲得していて、
ここまで優れた偽作的世界というのは、
三島由紀夫以来という表現をしても、
決して大袈裟ではないような思いもあったのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
nice!(4)  コメント(0) 

「PHOTOGRAPH51(フォトグラフ51)」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は色々あって遅い更新になりました。
午後の診療の合間に書いています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
フォトグラフ51.jpg
アメリカ人の劇作家により2008年に発表され、
2015年にイギリスで、
ニコール・キッドマン主演で初演されて、
大きな話題となった舞台が、
今板谷由夏さんの主演で上演されています。

何か批評家的な方が酷評をされていたので、
ああ、いつもの外国人演出家の失敗作という感じなのかな、
日本語のニュアンスが分からない変梃演出になってしまったのかな、
とあまり期待をしないで足を運んだのですが、
予想に反して非常に素晴らしい舞台で、
勿論物足りないところや、
日本語のニュアンスがぎくしゃくしたところはあるのですが、
知的で繊細で陰影に富んだ、
滋味のある素晴らしい戯曲だと思いましたし、
演出も的確かつ繊細でなかなかの技量です。
役者さんも皆頑張っていたと思います。
日本人の劇作家には、
はぼ書くことが出来ないタイプの戯曲で、
それだけでも日本で上演する値打ちはあったと思いました。

「取り返しのつかない過去」の象徴として、
シェイクスピアの「冬物語」が重要な役割で登場するのですが、
その批評家らしき方は、
引用がマッチしていない、と批判されていたのですが、
そんなことは全くないと思いますし、
それ以外は科学用語で埋め尽くされた台詞の中で、
叙情的な場面としてしっかり機能していましたし、
その深みのある対比にも感銘を受けたので、
まあ、感じ方は様々だなあ、と改めて思いました。

これは科学の歴史に興味のある方ならどなたもご存じの、
ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見にまつわる、
女性研究者のデータの不正入手スキャンダルを、
ほぼ史実に則って描いた作品です。

X線による物質の構造解析のエキスパートであった、
女性研究者ロザリンド・フランクリンの撮った、
遺伝子の構造に関わる画像とデータを、
ワトソンとクリックが「不正に」入手して、
それを元にして二重らせん構造の発見という業績に結び付きます。
ロザリンドはその発見に重要な貢献を、
彼女の意志とは無関係に、
科学の歴史においてはしているのですが、
その貢献は全く評価されることなく、
自身は研究による放射線被曝の影響も疑われる、
卵巣癌のために37歳で生涯を閉じます。

非常にドラマチックで陰影に富んだ実話で、
ワトソン博士がまあ悪役という感じにはなるのですが、
彼のこともギラギラとした出世欲が、
決して否定的にばかり描かれてはいませんし、
主人公のロザリンドも悲劇のヒロインという扱いではなく、
その他人を容易に寄せ付けず、
周囲に反感ばかりを募らせる人格も描きながら、
それでも魅力的な1人の女性として、
複雑な性格を合わせ鏡のように描いていました。

物語は主人公のロザリンドが、
研究のパートナーでもあり異性の上司でもある、
ウィルキンズ博士と、
お互いにひかれ合う気持ちはありながら、
仕事のパートナーとしても、
個人的な関係としても、
結果的に良い関係を持つことが出来ず、
何ら実際的な交流を持つことなく人生の別れを迎える、
という2人の関係を縦軸として、
ノーベル賞に向けて仁義なき競争に明け暮れる、
研究という修羅場がリアルに描かれます。

僕も以前は大学で研究をしていて、
留学した先輩などから、
ノーベル賞に向け最先端の研究者が、
何でもありの激しい競争に身をおいている様は、
聞いて知ってはいたので、
かなりリアルにその辺りのやり取りが、
説得力を持って描かれていることに感心しました。

こうした点はただ、
知らない人には分かりにくいかも知れません。

戯曲の言葉はかなりの翻訳調の文体で、
最初は確かにそのことに違和感があるのですが、
耳慣れて来ると、
文学的なニュアンスを大切にするために、
敢えてそうした手法をの取ったのだと理解出来ました。
こうした戯曲の言葉は、
必ずしも自然な口語の方が良いという訳ではなく、
より詩的なニュアンスが必要なのです。

演出は非常に繊細で質の高いものでした。
シンプルなセットですが、
研究機器や構造モデルなどの小道具はリアルなものを用意して、
場の変化が巧みに表現されていましたし、
主人公の他者に対して固く閉ざされた心の一番奥のところに、
幼少期の両親と登った登山の情景と、
自然の形に対する憧憬、
更にはそこに親への切ないくらいの情愛が、
潜んでいるのですが、
抽象的な舞台がその情景を、
これも巧みに具現化していました。
抑制的な表現ですが、
後半の「冬物語」の部分には、
静かな感動があったと思います。

キャストもなかなか頑張っていました。
初演のロザリンドがニコール・キッドマンですから、
これはさぞかし「氷の女」の風情で素晴らしかったろう、
登場するだけで舞台の空気は一変しただろう、
などと誰でも考えてしまうので、
板谷由夏さんもさぞかしプレッシャーだったろうと思いますが、
なかなかどうして、
キッドマンとは全く違う形で、
彼女なりのロザリンド像を造形していて見応えがありました。
支える男性キャストも、
役を掘り下げて芝居をしていることが分かるので、
技巧的には差はあっても、
良いアンサンブルを奏でていたと思います。

そんな訳で翻訳劇の舞台としては、
今年最も感心した1本で、
題材が特殊なので入り込めない方もいると思うのですが、
個人的にはとても楽しめる舞台でした。

お薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
nice!(7)  コメント(0) 

「悪人」(台本・演出合津直枝) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

朝からレセプト作業をしていて、
午後は上野の「ローエングリン」に参戦する予定です。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
悪人.jpg
吉田修一さん原作の「悪人」を、
合津直枝さんが朗読形式に近い2人芝居に構成し、
美波さんと中村蒼さんが出演した舞台に足を運びました。

「悪人」は原作も読みましたし、
2010年の映画版も観ました。

原作は群像劇のような色彩が強くて、
映画ではヒロインとなっている、
深津絵里さんが演じる光代は、
原作では半ばくらいにようやく登場します。

ただ、映画版はそれを妻夫木聡さん演じる祐一と、
深津絵里さんの逃避行にかなり絞って描いていて、
映画としてはそれが成功していたと思います。

原作を読んだ時は全くそうは思いませんでしたが、
映画を観た時にはつかこうへいの「熱海殺人事件」との相似を感じました。

また深津絵里さんが抜群だったので、
印象としては他が消えてしまったという感じがありました。

今回の舞台は美波さんが光代を演じ、
中村蒼さんが祐一を演じる2人芝居で、
背後にモニュメント的なセメントの塔がある以外は、
セットは何もなく、
光代と祐一の出会いから物語は始まって、
祐一の独白として殺人の顛末は語られ、
ラストは他の関係者が祐一と光代に宛てた手紙を、
交互に読むという形で終わります。

その手紙の中に、
「あの人は悪人だったんですよね」
という原作でも映画でも決めになる台詞が入り、
映画ではカットされていた、
光代がバスジャックされるバスに直前で乗らなかった、
という話や、
祐一が付き合った風俗嬢に、
お弁当を作る話などが入っています。

中村蒼さんは原作に合ったビジュアルと雰囲気で、
映画の妻夫木さんより祐一という役には、
合っているという感じがしました。
ただ、抑えた芝居で終わってしまうので、
もっと演劇的な見せ場があると良かったのに、
と言うようには感じました。

一方の美波さんは情緒的な熱演で、
なかなか良い芝居だったと思います。
ただ、正直魅力という意味では、
映画の深津絵里さんにはかないませんでした。

演出はシンプルな「文学と演劇の間くらいの舞台」
という趣向だと思うので、
その意味では悪くなかったと思います。

ただ、この物語は充分「熱海殺人事件」として成立するので、
もっと爆発的な感じがあっても良いし、
もっと演劇に大きく振れても良かったのではないか、
というように感じました。

祐一が光代の首を絞めるところで、
もっと大々的に泣かせの長台詞を入れて、
最後絶叫調になって音効をガンガン盛り上げても、
おかしくはないと思いますし、
そこまでしなくても、
もっと演劇にして欲しかったな、
というのが正直な思いでした。

これは2人芝居のシリーズのようですが、
ちょっとタレントさんのお稽古的な感じになっていて、
それを超えようという熱意を、
あまり感じない企画であることは少し残念でした。

ただ、原作はリスペクトされていて、
変な改変などはないので、
その意味では原作のファンには、
嫌な思いはさせずに、
思い出を反芻出来るような作品にはなっていたと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごしください。

石原がお送りしました。
nice!(6)  コメント(0) 

劇団☆新感線「修羅天魔~髑髏城の七人 Season極」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が診療を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
修羅天魔.jpg
晴海市場前のIHIステージアラウンド東京で、
劇団☆新幹線の新作公演に足を運びました。

昨年から1年以上にわたって、
「髑髏城の七人」の複数のバージョンが、
多彩なキャストで上演されていますが、
花、鳥、風、月という4つのパターンが終了した後で、
「極」として新たにほぼ新作と言って良い作品が作られ、
今上演が行われています。

この「極」の後は、
これも旧作の「メタルマクベス」がまた、
幾つかのパターンで上演を繰り返すことになるようです。

この客席が回転するというキャパ2000人の大劇場は、
通常にはない広角の舞台と、
舞台を横にスライドさせる代わりに、
客席が動くことによって、
スムースな舞台転換が可能となる点に特徴があります。

ただ、キャパの割にかなり舞台は遠い感じとなって、
臨場感は乏しくなってしまうことと、
舞台の奥行があまり取れないので、
平面的な印象になってしまうという、
欠点もまたあるように思います。

今回で開幕以来5つ目の演出となり、
僕はそのうちの「花」と「風」と「極」という、
3パターンを観たことになりますが、
基本的な舞台セットの構造は、
変わっていなかったので、
今のところ集客は好調のようですが、
お客さんが一巡してからどのくらい戻って来るのかは、
ちょっと微妙な感じもします。

今回の舞台は天海祐希さんと古田新太さんの、
がっぷり4つの共演が売り物で、
天海祐希さんの堂々たる座長芝居などは、
矢張り素晴らしいとは思うのですが、
正直2人以外のキャストは大分小粒な感じは否めません。
かつての新感線は毎回オールスターキャスト、
という感じが売りであったのですが、
今回のようにバージョンを変えつつのロングラン、
ということになると、
公演毎に集客の目玉となるキャストを揃え、
それがあまり重ならないように調整するので、
どうしても層は薄い感じの座組になるのが苦しいところです。

この「髑髏城の七人」は面白い芝居だと思いますが、
ここまで沢山のパターンが上演されると、
もう何が何やら分からないという感じもあります。

基本的にはシリアスな物語構造なのですが、
敵の天魔王は強そうなのに、
その部下はおバカなキャラばかりというのが、
いつもどうも違和感があります。
徳川と天魔王の部隊の激突、
というような趣向にしては、
それぞれの人数は10人もいないくらいなので、
この劇場を埋めるという感じにはならず、
どうしても隙間風が吹くような戦闘シーンになる、
というのが切ないところです。

一度くらいは100人超くらいのエキストラを使って、
大々的な活劇を見せて欲しいと思いますが、
無理なのでしょうか。

さて、今回の「修羅天魔」は天海祐希の極楽大夫が主役で、
剣の活劇ではなく銃の名手であるという点や、
天魔王が信長の影武者であるだけではなく、
信長自身かも知れないということから、
本能寺以前の場面もあるという点、
ラストに天魔王が家康の本陣に斬り込む、
という場面が用意されている点などが、
これまでのシリーズとはだいぶ様相を異にしていて、
ストーリーもよりシリアスになっています。

従って、これはこれで面白いのですが、
シリアスさが前面に立つ分、
本物の信長かも知れない天魔王の部下が、
コミカルなおバカキャラ揃い、
というのがバランスを欠いていました。

極楽大夫が遠方から銃で天魔王を狙う場面を、
非常に広角の横長に見せる趣向など、
回転劇場ならではの面白い趣向もありましたが、
総じて消化不良の部分も多く、
この作品の決定版というより、
1つの変奏曲という感じの作品になっていました。

劇団☆新幹線の奮闘には本当に頭が下がりますが、
この劇場を使い続けることが本当に新感線にとって良いことなのか、
ただ疲弊してしまうだけではないのか、
ちょっと危惧を覚えるような思いもあったのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
nice!(6)  コメント(0) 

KUTO-10[財団法人親父倶楽部」(作・演出後藤ひろひと) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
財団法人親父倶楽部.jpg
工藤俊作さんのプロデュース公演、
KUTO-10の第17回公演として上演された、
後藤ひろひと大王の作・演出による
「財団法人親父倶楽部」を観て来ました。

これは1月に「源八橋西詰」という後藤大王のお芝居を観て、
「3月にもう一度小さな小屋で公演をして、
それからはもう小さなところではやらない」
というコメントを後藤大王がされていたので、
それはとても残念、と思い、
観ることに決めたものです。

主役は工藤俊作さん、保さん、久保田浩さんが演じる、
3人のそれぞれ異なる人生を歩んで来て、
余命幾ばくもないと告知をされた3人のおじさんで、
謎の財団の後藤ひろひと大王演じる男の導きで、
人生の最後にやりたくても出来なかったことを、
思いっきりやるという終活に乗り出します。

要するに3つのエピソードのオムニバスなのですが、
こうしたものが得意な後藤大王は、
硬軟自在、縦横無尽の語り口で、
巧みに物語を紡いでゆきます。

3つの物語にはそれぞれ特徴があるのですが、
個人的には久保田浩さんが演じた、
かつての小劇場のスターの話がツボでした。
とても滑稽でとても切なく、
それを久保田さんが演じるのがまた、
微妙に自虐的な感じもあって良いのです。

途中で後藤大王との割と長い絡みがあって、
これはもうかつての遊気舎時代を思わせて最高でした。
後藤大王の小劇場作品は、
アドリブの案配がとても良いですよね。
こうした呼吸が小劇場の醍醐味です。

4人のおじさん以外に、若手が2人加わっているのですが、
2人とも実に達者で勢いのある小劇場演技で、
これも大変感心しました。
特に藤本陽子さんの七変化と、
久保田浩さんとの惑星ピスタチオ風のインチキパントマイム合戦は、
最高のクオリティの馬鹿馬鹿しさで堪能しました。

ただ、その場面は設定としては、
久保田さんがかつての同僚で、
今はそこそこ売れている女優さんに、
会いに行く場面で、
如何にも後藤大王らしい泣かせの場面になるので、
こうしたところには、
もう少しベテランがキャスティングされないと、
せっかくの名場面が弱くなってしまったな、
というようには感じました。

欲を言えばラストのまとめ方が、
如何にも定番で面白みに乏しい、
という感じはあるのですが、
小劇場の楽しさと醍醐味が詰まった舞台で、
後藤大王本人の芝居も意外にたっぷりあって、
色々な意味で得をした気分で、
劇場を後にすることが出来ました。

これからも頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
nice!(8)  コメント(0) 

「さらば!あぶない刑事にヨロシク」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
さらばあぶない刑事.jpg
細川徹さんの作・演出で、
「あぶない刑事」のパロディを、
皆川猿時さんと荒川良々さんが演じるという、
前回好評だったパロディ舞台の続編が、
今下北沢の本多劇場で上演されています。

前作に引き続いて足を運びました。

これはなかなか洒落ていて、
これから観る方の楽しみを奪うことになるので、
詳細は伏せますが、
最初から演劇ファンには楽しい趣向が連続します。
観客参加型で客いじりも楽しいですし、
前回の爆竹はまたありますし、
それ以外にも小道具が全観客に配布されるという、
力の入れようです。

役者さんもこれはもう芸達者の皆さんが揃っているので、
登場するだけでウキウキしますし、
前作は悪役不在という感じであったのが、
今回はゲストの河原雅彦さんが、
堂々たる悪役を演じて作品を引き締めてくれます。
後半はちょっと劇団☆新感線的なタッチになります。

ただ、それでも少人数の芝居で、
ほぼ全員が警察署員を演じるということになるので、
ストーリー的に弾まないという感じは前作と共通していました。
もう少し脇役と悪役に人数を使わないと、
ダブルキャストではギャグ以外の部分は弱いと感じました。

細川さんの作劇は、
割合といつもそうした傾向があるのですが、
設定やオープニングに凝りすぎて、
中だるみや息切れが生じ、
凝った設定を活かせないままに終わる、
というようなところがあって、
今回もそうした弊害は見られるように感じました。

荒川良々さんは僕は大好きで、
特に舞台での凶暴なまでのアドリブの冴えは、
藤山寛美の再来のようにすら思っていたのですが、
最近は映像の仕事が増え、
何かかつての凶暴さが丸くなって、
そのアドリブの冴えが鈍ったように感じます。
今回も正直あまり冴えたところがなく、
その点は少し残念でした。

そんな訳で大満足とは行かなかったのですが、
芸達者の揃った楽しい舞台で、
まずまず楽しむことが出来ました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

nice!(6)  コメント(0) 
メッセージを送る