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庭劇団ペニノ「地獄谷温泉 無明ノ宿」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
ペニノ.jpg
怪人タニノクロウさんの作・演出による、
庭劇団ペニノの「地獄谷温泉 無明ノ宿」の、
横浜での再演の舞台に足を運びました。

マメ山田さん扮する人形師の老人とその息子が、
翌年には新幹線の開通で閉鎖される予定の、
「主人」のいない温泉旅館に、
一通の謎の手紙で招かれるのですが、
招いた主人は存在せず、
旅館に集う老婆や盲目の男などの、
この世界から忘れ去られた「過去」の人間達の心に、
人形芝居で触発された一夜限りの異様な欲望が、
奇怪な華を咲かせるという物語です。

この作品は2015年の夏に森下スタジオで初演されて、
その時から非常に評価が高く、
第60回岸田國士戯曲賞を受賞しました。
ただ、この時はクリニックの開院準備の時期で、
忙しくて観に行けませんでした。
それで今回の再演はとても楽しみにしていたのです。

これは期待通りの見事な舞台で、
セットの緻密な造り込みは尋常ではありませんし、
音効や照明も完璧に磨き込まれています。
内容の得体の知れなさと、
常人には理解不能の露悪的な淫靡さなどは、
今回も基本的には同じですが、
ナレーションまで付けられた物語は、
これまでのペニノの舞台とは段違いに分かり易くなっています。

特に「国中が気狂い、血に飢え出したいま、
百福の容姿と人形芝居はとくに求められました。
人々はいま惨めさを求めているのです。圧倒的な惨めさを!」
というようなタニノクロウさんとしては、
異例の感じのするアジテーション的なナレーションがあるので、
そこに反応して評価をされたという部分も、
今回はあるように思います。

ただ、言葉は基本的に平明で、
物語のアウトラインも追うこと自体は簡単な一方で、
実際に舞台で起こったことは何なのか、
豊穣で奇怪なディテールには何の意味があるのか、
というような点については、
例によって常人にはとても理解が出来ない部分が、
多々あることは、
これまでのペニノの舞台と同じでもあるのです。

しかし、そうしたモヤモヤは残っても、
祖母の思い出とともにある富山の田舎の情景が、
新幹線とともに葬られた、
という現実に虚構として対決するために、
忘れ去られた怨念と欲望とを取り込んで、
実際に現実より現実的な完璧な温泉旅館を、
舞台に造り上げてしまったタニノさんの執念のようなものには、
素直に脱帽を感じるのです。

僕がこれまで観た中では、
間違いなく最高のペニノの芝居であったことは間違いがありません。

これは小劇場の歴史に残る傑作だと思います。
必見です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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唐十郎「動物園が消える日」(唐組・第60回公演) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日ですが、
医師会の休日健診の当番となっているので、
今クリニックで受診される方を待っているところです。

日曜日は趣味の話題です。

今日はこちら。
動物園が消える日.jpg
唐組の第60回公演に足を運びました。
今回は唐組の第12回公演で若手主体の舞台として初演され、
今から思うとその後の唐組の舞台を決定づけた1本、
「動物園が消える日」の再演です。

これも勿論初演の中野駅を観ているのですが、
当時はあまり良い印象がありませんでした。
テント芝居としてはとても地味で、
舞台は安ホテルのロビーから動きませんし、
中央に意味ありげにエレベーターがあり、
天井の穴のビニールから水が溜まっているのですが、
最後にビニールが破けて水が流れ落ちるだけで、
これと言ったダイナミックな仕掛けもなく、
エレベーターも異世界との扉になることもなく、
そこの後ろだけ開いておしまい、
という感じだったので、
かつての状況劇場の血湧き肉躍る感じを期待していた当時の僕は、
その落差にとてもガッカリしたことを覚えています。

ただ、今こうして久保井研さんの、
初演より間違いなく緻密な演出での舞台を再見すると、
これは状況劇場時代の唐芝居が終わり、
唐組の新しい唐芝居が誕生した瞬間であったのだと、
改めて確認する思いがありました。

安ホテルのロビーに、
閉園したばかりの動物園の関係者が集まり、
行方知れずのカバと閉園を拒絶するさすらいの飼育係を巡って、
複雑で滑稽な愛憎のドラマを繰り広げます。

人物の絡ませ方が複雑で上手いですし、
ゴリラやミニーマウス、水になるカバやイヌワシなど、
実物自体は登場しない動物と人間との絡ませ方も上手く、
初演では唐先生本人が演じた灰牙という人物が、
愛すべき部分もありながら、
完全な厄介者で悪党でもあるという辺りに、
善悪は基本的に明確であったそれまでの唐芝居とは、
一線を画するような世界を展開させています。

ラストは矢張り不満は残ります。
かつての陶酔感のあるものではなく、
数人の人物が語り継ぐようにして、
事件の「それから」を語るというものなので、
テネシー・ウィリアムス的な古めかしさがありますし、
その後にエレベーターの向こうで、
ヒロインの1人が香水をまいているというのも、
それだけでは終われないような気がするからです。

キャストは皆頑張っていて、
初演の当時もかなり苦しいメンバーでしたから、
遜色は決してないという気がしますし、
セットはラストを含めて初演より出来が良く、
何より久保井さんの演出が緻密で見事です。

このような形でかつての唐組の芝居が、
その全き姿を見せてくれたことはとても嬉しく、
これからも楽しみにテントに向かいたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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髑髏城の七人(Season風) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当します。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
どくろ城の7人風.jpg
客席全体が360度回転するという、
新機構の劇場のこけら落としとして、
劇団☆新感線の代表作の1つ「髑髏城の七人」が、
幾つかのバージョンでキャストを変え、
演出も少しずつ変えて連続上演されています。

前回は最初の「花」を観ましたが、
今回は3番目の「風」に足を運びました。

場所は例の豊洲市場の隣で、
広大な更地にポツンとプレハブ的な劇場が建っています。
劇団四季の劇場とほぼ同じような外観で、
まあコストをそれなりに下げるには、
仕方のないことなのでしょうが、
殺風景でこれから芝居を見るぞ、
というワクワク感はあまりありません。

1フロアに1300席余りの客席があり、
その客席全体が、回転する巨大な盆の上に乗っていて、
その周囲360度に舞台装置が作られています。
通常の大劇場では、客席は固定されていて、
舞台転換では左右もしくは前後に、
舞台装置の方が動くのですが、
この客席回転式の劇場では、
客席の方が回転して移動することにより、
舞台の転換が行われるという仕組みです。

広角の270度くらいに緞帳の役目も果たすスクリーンがあって、
そこに風景などの映像が映し出され、
それを見ながら客席が回転します。

360度の舞台装置とは言っても、
4方向に出入り口の通路があるので、
比較的奥行のある装置の組める部分と、
ほぼ通路のようなスペースで、
奥行のないセットしか組めない部分があります。
従って、奥行のないセットの部分は、
物足りなさが残るのですが、
120度以上の広角に広がった舞台については、
ちょっとこれまでの舞台装置にはないスケール感があります。

ただ、意外に奥行のない場面はしょぼい感じもあり、
全てが豪華、という訳ではありません。
客席の回転には意外に時間が掛かるので、
それほどスピーディに場面転換が行われている、
というようにも思えません。
休憩を入れると4時間近いという上演時間は、
これまでのこの作品の上演歴の中でも、
最も長いものだと思いますが、
長くしている原因の1つは、
その転換の時間にあるように思います。

バージョン毎にどの程度内容が変わるのかは、
興味のあるところですが、
今回2つのバージョンを観た感想としては、
台詞を含めて台本は細部が結構変わっているのですが、
予算の関係もあるのでしょうが、
舞台装置に関してはほぼ同一のものが使われていました。

さて、作品の「髑髏城の七人」は、
1990年に初演が行われ、
その後1997年、2004年、2011年と上演を重ねています。
僕は1997年のサンシャイン劇場、
2004年の東京厚生年金ホールのアカドクロ版、
2011年の青山劇場のワカドクロ版の3回には足を運びました。

戦国時代、織田信長の影武者が、
信長の死後に関東で日本支配を目論む、という話で、
設定はなかなか面白くワクワクする部分があります。
古田新太さんが善悪の影武者を1人2役で演じる、
というのがそもそもの眼目だったのですが、
最後の対決が1人2役では盛り上がりに欠ける、
と言う欠点がありました。

それで2011年版からは、
2人を別々の役者さんがするようになり。
古田新太さんは出演せず、
小栗旬さんと森山未來さんが、
それぞれ演じるという趣向になりました。
その後はこの別々に演じる趣向が継続されていたのですが、
今回は久しぶりに松山ケンイチさんが、
善悪2人を1人で演じるという、
1人2役の趣向が復活しています。

それ以外は向井理さん、田中麗奈さん、生瀬勝久さんがメインを演じ、
新感線組では橋本じゅんさんが、
雁鉄斉で大暴れをしています。

感想としては1人2役は元々の設定からすれば、
悪くはないのですが、
ラストの対決はやや中途半端な感じがありました。
内容的にも天魔王がイギリス艦隊が来ないと知った時点で、
部下を全て見捨てて逃走してしまうので、
どうも盛り上がりに欠けるのです。
魅力的な作品であることは認めた上で、
もっと活劇としては血湧き肉躍る作品が、
他に沢山あるのに、という疑問は感じます。

今回は「花」と比較すると殺陣が明らかに少なく、
その点は物足りなさを感じました。

またほとんど最後列での観劇であったので、
「遠くで何かやってるな」という印象しか持つことが出来ず、
このキャパの会場であの規模の舞台というのは、
その点にも物足りなさは感じました。
殺陣の人数にしても、
今の倍くらいはいないと、
大空間が埋まるという感じにはならないからです。

それでもウィークデイにも関わらずほぼ満席の盛況で、
イベントとしては凄いなあ、という印象はあります。

行くのも不便ですし、
帰るのも大変なので、
もうさすがに余程のことがなければ、
また来ることはないだろうなあ、とは思いましたが、
この回転舞台の意外で斬新な使い方を、
誰かが編み出すことがあれば、
その時はまた足を運びたいと思います。
予想としてはそれほど遠くない将来、
取り壊しになるのだろうなあ、とは思いました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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イキウメ「散歩する侵略者」(2017年上演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

今日は祝日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
散歩する侵略者イキウメ.jpg
今回3回目の再演となるイキウメの代表作の1つ、
「散歩する侵略者」が、
今三軒茶屋のシアタートラムで上演されています。

特に集客が高いスターが出演している、
という訳ではないのに、
早々に完売で追加公演も行われる盛況です。
今年はこの作品を原作とする映画も公開されていて、
黒沢清監督の意欲作でしたが、
集客は芳しくはなかったですから、
これはもうイキウメの人気によるものだと思います。

この作品の初演は2005年で、
2007年と2011年に再演されています。
僕が実際に観たのは2011年版だけですが、
今回の上演はほぼ2011年版と同じ台本に、
なっていたと思います。

最近再演ごとに旧作に大幅に手を入れ、
それが明らかに改悪になっていることが多いと、
常々感じていたので、
今回もそうした危惧を持っていたのですが、
まずはそれほどの改変がなくて何よりと感じました。

以下少しネタバレを含む感想です。
これから観劇予定の方はご注意下さい。

今年公開された映画版は、
はっきり宇宙人の侵略ということになっていましたが、
原作のこの芝居の方は、
確かに宇宙人であり侵略であると、
登場人物の何人かが主張はするのですが、
本当に真面目にそう言っているのか疑問の感じもあり、
それが証明されることもありません。

3人の不気味な人間が登場して、
他人の「概念」を奪い取るという、
特異な能力を持っている、
ということだけが物語上の事実です。

それと同時に西日本の海沿いの田舎町が、
戦争直前の不穏な空気に包まれている、
という不気味な描写が描かれていて、
その部分は今上演するからこそのリアリティを、
強く持っている点が面白いと思いました。

ただ、以前にも書いたのですが、
ラストで愛という概念を奪った「宇宙人」が、
混乱して放心してしまうというような部分が、
映画ではもうはっきり「愛は地球を救う」的な感じになっていて、
舞台版はそれほどではないのですが、それでも、
「それはちょっと恥ずかし過ぎないだろうか」
と何かモヤモヤした感じに今回もなってしまいました。

特に舞台版では、
あまり主人公の妻が夫に向ける愛というものが、
説得力を持って描かれてはおらず、
奇妙な言動をする夫に当惑する妻、
という感じしかないので、
最後の「愛」の件が非常に唐突に感じるのです。

「聖地X」とリライトされた「プランクトンの踊り場」という作品があり、
主人公2人の関係性と、
ラストの妻の夫への奇妙な愛の表現、
そしてそれを成立させる前川さんならではの、
哲学的な超常現象という部分では、
ほぼ「散歩する侵略者」と同じ話なのですが、
個人的には「聖地X」の方が、
ラストの展開には説得力がありましたし、
夫婦間の浮気などの問題も、
わかりやすく描かれていたと思いました。

「散歩する侵略者」は、
戦争の予感めいた不気味さや、
概念を奪われた人間の奇矯な行動が、
意外に今いる人物のパロディになっている、
というような秀逸な部分はあるのですが、
ストーリーの着地には、
あまり成功していないという印象を持ちました。

劇作の冴えと比べて、
前川さんの無機的な演出は、
個人的にはあまり評価出来ないのですが、
今回は断層めいたセットに椅子などを並べる最小限の工夫で、
まずは劇作のイメージは乱さないものになっていたので、
この点もホッとしました。
ただ、この作品はもっと部屋のセットなどはリアルに用意した方が、
より見やすく説得力のある作品になったように感じました。

キャストは最近メインを演じることの多い浜田信也さんが、
今回もなかなか成熟した芝居を見せてくれました。
それから異様な高校生のエイリアン(?)を演じた大窪人衛さんが、
前回も凄かったのですが今回は輪を掛けた怪演で、
森下創さんのいつもながらの秀逸なろくでなしぶりと含めて、
イキウメの芝居ならではの魅力を放っていました。

なかなかのお薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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根本宗子「スーパーストライク」(月刊「根本宗子」第14号) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の記事も演劇の話題です。

それがこちら。
スーパーストライク.jpg
屈折したひねりのある恋愛劇に定評のある、
人気者根本宗子さんの新作が、
今下北沢のスズナリで上演されています。

今年も精力的に活動を続けている根本さんですが、
ジャニーズのタレントさんとのコラボやドラマの台本など、
月刊「根本宗子」というホームグラウンド以外の仕事が増え、
本公演は今回の1回のみになりました。

今回の作品は登場人物は根本さん本人を含む4人のみ
(一部別の出演者もあり)で、
互いに因縁のある3人の女性が、
出会い系アプリで出会った1人の男性と、
友情とも恋愛とも言えない奇妙な関係を結び、
それが互いの罵り合いの騒動に発展するのですが、
混乱の果てに主人公のトラウマが解消され、
スーパーストライクなカップルが最後に誕生する、
という趣向になっています。

友人同士の支配と被支配の関係とか、
コミュニケーション障害の男性が、
女性と付き合ったことがないが故に、
誤解を生んで相手の女性から次々と愛されてしまうなど、
根本宗子さんならではの設定が生き、
男性がミュージカル俳優を目指しているフリーターという設定で、
随所に妄想の有名ミュージカルパロディシーンが挟まるのも、
基本的には地味な設定の舞台のアクセントになっていました。

時空や演劇の約束事を超えた祝祭的なラストが、
根本さんの作品の1つの定番ですが、
今回の作品については、
主人公2人がトラウマやコンプレックスを乗り越え、
地に足の付いた交際を始めるという、
とても純粋で正攻法のものになっていて、
この辺りに根本さんの劇作の成長を見る思いがありました。

キャストは最近は根本さんの舞台に欠かせない、
長井短さんと、
こちらも常連に近い田村健太郎さんが並び、
そこにアイドル出身の女優さんを1人入れる当りも、
如何にも根本さんのキャスティングという感じです。

長井さんはその大暴れが、
僕は大好きだったのですが、
今回はずいぶんとお綺麗になっていて、
何か抑制的な感じなのが少し物足りませんでした。

舞台は4人の部屋を、
そのままパッチワークのように立体化したセットが力作で、
その装飾の見事さも含めて、
これまでの根本さんの作品の中でも、
最も手の込んだものの1つだと思います。

そんな訳で現時点の根本宗子さんの、
到達点を示した力作で、
今後の活躍にもより期待も持てる、
充実した1本であったと思います。

なかなかお薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ほりぶん「牛久沼」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日は演劇の話題が2本になります。

まずはこちら。
ほりぶん4回公演.jpg
カナゴーの異能の人、鎌田順也さんが、
川上友里さんと墨井鯨子さんと組み、
ワンピース姿の女優さんだけが出演するユニット、
ほりぶんの第4回公演が、
本日まで北とぴあのカナリアホールで上演されています。

今年も極めて精力的に活動を続けている、
ナカゴ―と鎌田さんですが、
前回の「地元ののり」が最高に面白かったので、
今回も楽しみにして出掛けました。

今回はほりぶんとしてはこれまでで最も多い、
8人の女優さんの出演で、
牛久沼を舞台として、
色とりどりのワンピース姿の女優さん達が、
沼最後の天然鰻を巡って、
仁義なき奪い合いの闘争劇を壮絶に演じます。

会場のカナリアホールは、
カラオケや会合などで使用するような、
横長の集会スペースで、
演劇として使用するには、
何の色気もないような場所です。
前回ナカゴーの特別劇場で観た時には、
こりゃ、無理だよね、こんな場所じゃ、
という印象があったのですが、
今回は一応目隠しのボードを両側に置いて出入りに使用し、
横長の舞台を上手く使っていました。

女優さんのプロレスもどきの大暴れを観るには、
客席も向い合せの素舞台が、
動きに制約がなくて悪くありませんし、
ビジュアル的には色とりどりのワンピースというのが、
なかなか素敵なのです。
こういう中央舞台は通常の劇場でやると、
台詞が聞き取りにくくなって駄目なことが多いのですが、
今回は劇場も狭い上に、
全編声を張りまくっているので、
そうしたストレスも感じませんでした。

内容は中段で時間が巻き戻るまでは、
馬鹿馬鹿しくも楽しく、
鎌田ワールドを堪能しました。
後半はちょっと着地に迷いのある感じで、
少しモタモタとしてしまったのが残念ですが、
鎌田さんの作品は再演で良くなることが多いので、
この作品もまた今後の練り上げに期待をしたいと思います。

それでは次の記事に続きます。
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柴幸男「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」(フェスティバル/トーキョー17) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の記事も演劇の話題です。

それがこちら。
わたしが悲しくないのはあなたが遠いから.jpg
ままごとの柴幸男さんが、
今年のフェスティバル/トーキョー17の一環として、
東京芸術劇場の地下の隣り合った2つの小劇場で、
同時に一連の作品を上演する、
という興味深い企画を行っています。
上演は本日までの予定です。

ままごとは何と言っても「わが星」が素晴らしく、
小演劇史上に燦然と輝く大傑作で、
今年リクリエートされた「わたしの星」も、
感動的な傑作で感銘を受けましたので、
これはままごとの作品は全て傑作なのではないかしら、
と思って今回も急遽観ることにしました。

企画も興味深くて、
震災のような、
その場にいない人にとっては「遠くにある悲劇」をテーマに、
観客は同時には観ることが出来ない、
隣り合った2つの劇場で、
同じモチーフの芝居を同時に上演し、
それが所々でリンクする、
というこれまでにない発想の公演です。

僕はイースト版を最初に観て、
それから別の日にウエスト版を観ました。

率直な感想は、
「今回は準備不足」というもので、
無理して両方行くこともなかった、
というのが正直なところでした。

また練り上げての上演を期待したいな、
というように思う一方で、
この発想はもっと別の形で活かすべきで、
今回は失敗と捉えた方が良いのでは、
というようにも感じました。

当たり前のことかも知れませんが、
ままごともいつも面白い、
という訳ではなかったようです。

以下ネタバレを含む感想です。
上演は本日までですので、
本日観劇予定の方は、
終了後にお読み下さい。

東京芸術劇場の地下には、
隣り合ったほぼ同じ大きさの劇場が2つ並んでいて、
一方がシアターイーストでもう一方がシアターウエストです。
両方とも小さな箱の割には、
無機的な感じがして、
新国立劇場の小劇場と同じように、
客席と舞台が一体感を持つことが、
難しいような印象をいつも持っています。
この劇場で観た芝居は、
概ね地味で面白くない、ということが多いのです。

今回は同時上演ということで、
2つの劇場の入り口に、
仮説の空港の入場ゲートのようなものが、
設けられています。
イーストウイングとウエストウイング、
ということのようです。

それはそれで良いのですが、
安っぽいベニヤの工作みたいなセットなので、
ちょっとガッカリします。

両方の劇場ともシンプルなセットで、
1時間15分程度の3幕に分かれた、
ほぼ同一のストーリーが展開されます。
ただ、演出は両者で異なっていて、
シンプルなセットも、
イースト版は背景がスクリーンになっていて、
映像を映すという趣向の一方で、
ウエスト版は客席に前後から挟み込まれた、
中央の横長ステージになっていて、
そのため横移動が多く、映像は使われません。

イーストでは東子(トーコ)さんという女性が主人公で、
ウエストでは西子(セイコ)さんという女性が主人公となり、
東子さんは標準語を話し、
西子さんは関西弁です。

どちらの設定でも、
生まれた時から自分の隣に、
合わせ鏡のような女の子がいて、
その子との距離が、
次第に離れて行く、
という趣向になっています。

そして相手の側に次々と悲劇が起こり、
それは震災であったり、テロであったりします。

主人公はそれを否定しようとしたり、
過去にさかのぼってそれを止めようとしたり、
遠くで起こったことだからと無関心を装ったりもするのですが、
そのどれでもない別の答えを探して、
生まれることを繰り返す、
という物語です。

戯曲はかなり観念的で、
言葉で説明する部分が多く、
児童劇的なスタイルを取ったり、
お説教じみた部分も多いのが、
個人的にはかなり退屈でした。

言わんとすることが良く分かりますし、
遠い世界で起こった悲劇にどう向き合うべきか、
というのは、極めて今日的なテーマであると思います。
如何にも柴さんらしい、
純粋で真っ直ぐな考え方だなあ、という風には思います。
同感もします。

ただ、それをそのまま芝居にするのは、
あまり効果的なことではないように感じました。
どちらかと言えば、
トークショーで観客と語り合ったり、
テレビ番組にしたり、
講演会のテーマにする方が合っているようなテーマです。

要するに演劇にはテーマ自体があまり向いていないし、
咀嚼をされていないし、演劇化されていないように感じたのです。

素の舞台でダブダブの衣装を着た女優さんに、
「その時遠くの世界で海が燃えました」
みたいなことを言われて、
それで何を感じないといけないのでしょうか?

悪く言えばとても独りよがりな世界を感じました。

劇場の横にドアがあって、
そこを開くとその向こうにもう1つの劇場がある、
という趣向なのですが、
実際には別に2つの劇場を直線的に繋ぐ道はないので、
音を飛ばしてそれらしく見せているだけです。

当日の話題などを幕間で役者さんが通路越しに話し合って、
「ほら、つながってるでしょ」みたいなことをするのですが、
それがどうした、というくらいにしか感じませんし、
観客に呼びかけて、客いじりをするようなことに、
あまり慣れている役者さん達ではないので、
とても反応が良いとは言えない観客相手に、
空しく呼びかけ進行するのも何か白々しい感じです。

「そちらは順調に進んでいますか?」
「順調です」
「良かった。こっちも順調です」
みたいなことを何度かやるのですが、
順調であることを確認してどうするのでしょうか?
見えない世界で悲劇が起こっている、
というお芝居なのですから、
順調でなくならないと、
やる意味がないのではないでしょうか?

実際に劇中で何度か東西の役者さんが入れ替わって登場するのですが、
それがとても効果的、ということもありませんでした。

柴さんの演出はいつも感心して観ていたのですが、
今回は台湾のスタッフが音楽と衣装を担当していて、
それも作品世界にマッチしていないように感じました。
ダブダブの色気の欠片もないような抽象的な衣装は、
とてもつまらなく舞台の単調さを増していましたし、
いつもなら音楽はとても舞台に合っていて、
クライマックスでは情緒的な盛り上がりを見せるのですが、
今回は予め作曲された音楽を、
「使わなければいけなかった」ということのようで、
音楽が舞台の流れを消すという、
嫌な感じになっていました。
音楽を舞台に合わせてつけ直すだけでも、
作品の印象はかなり変わるのではないかと思います。
長い紙を広げて波を表現したりするのも、
野田秀樹演出と似すぎていて興ざめでした。

総じて練り上げが不足していて、
中途半端な舞台でした。
せっかくの面白い企画であり上演だったと思うので、
こうした結果になったことは非常に残念に感じました。

勿論これは個人的な感想ですので、
面白いとお感じになった方もいるかと思います。
色々な感想があるということで、
ご容赦を頂ければ幸いです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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前川知大「関数ドミノ」(2017年寺十吾演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

昨日は変な夢を見ました。

加藤浩次さんが、
朝の情報番組の傍ら弁護士をしている事務所で、
何故か僕はバイトをしているのですが、
そこで変なおじさんに、
悪徳政治家にパワハラをされていると弁護を頼まれ、
僕は素人なので加藤さんにお願いすると、
着手金は200万だけどお前ならまけてやる、と言われ、
お願いするのですが、
良く考えてみると自分が弁護を依頼している訳でもないのに、
何故僕がお金を出さなければいけないのだろう、
とはたとそのことに気づいて、
加藤さんに連絡を取るのですが繋がらない、
という夢です。
困りました。

今日は日曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
関数ドミノ.jpg
イキウメの前川知大さんが、
2005年にイキウメで初演し、
2009年と2014年に再演された「関数ドミノ」が、
今回ナベプロの主催で寺十吾さんの演出により再演されました。

キャストは若手中心ですが、
瀬戸康史さん、柄本時生さん、勝村政信さんと、
なかなかの曲者演技派が揃っています。

「関数ドミノ」は2009年版を初めて観て、
とても感銘を受けましたし、
かなり衝撃的でした。

内容も演出スタイルも、
新しい芝居だと興奮したのです。

それからイキウメのお芝居はほぼ全部観ていますが、
正直2009年の「関数ドミノ」を超えるものはないと感じています。
もちろん初物の新鮮さあってのことかも知れません。

2014年の再演もその意味でとても期待したのですが、
前川さんは前回の脚本に大きく手を入れていて、
演出も大幅に変えていたのですが、
それが個人的には「改悪」としか思えず、
最初から「違う違う、こんなんじゃ台無しじゃないか!」
と叫びだしたい気分になりました。
勿論元々前川さんが書かれたものですから、
僕が文句を言う筋合いはないのですが、
それでも2009年に観た時の新鮮な衝撃が、
汚されたように感じたのです。
これだけ大きく変更してしまうのなら、
全くの新作を書けば良いのに、
と正直を言えば思いました。

今回の企画上演では、
前川さん自身が2009年版を使用する、
とチラシにも書かれています。
それから寺十吾さんの前川作品の演出にも興味があり、
期待をして観に出掛けました。

観終わった後の感想としては、
この作品の持つ力を、
再認識させるような公演には充分なっていたと思います。

これはワンアイデアの作品なのですが、
ラストのある秘密が明らかになる瞬間の破壊力が素晴らしくて、
ほぼ予想の付くような筋書きではあるのですが、
単なるどんでん返しではなく、
今の世の中に生きる多くの人間が持っている病理のようなものを、
演劇的に露わに視覚化している、
という点が何より素晴らしいのです。

2009年版のラストで、
自分の人生が思い通りにならないことを、
全て他人のせいにしていた主人公が、
その拠り所を失って、
舞台上で途方に暮れる姿が非常に印象的でしたし、
「散歩する侵略者」のラストにも通底する感じがありました。

2014年版では話を複層的に複雑化していて、
原案のシンプルさが失われていたのが最低でした。

今回の寺十吾さんの演出では、
イキウメの舞台が、
いつもやや無機的でスタイリッシュな感じなのに対して、
ややレトロで昭和趣味のセットを作り、
舞台奥に壊れた半透明の車と、
風力発電のプロペラの列を配して、
それがラスト途方に暮れる主人公の背後に浮かび上がると、
ある種の「負の力」が世界に波及して破滅の引き金を引くような、
サイバーパンク的な終末観を演出して効果的でした。
これはただ、前川さんの戯曲の、
本来のラストの意味合いとは、
ちょっと違うようにも思いました。

何より真相が明らかになる場面を、
仰々しいくらいにメリハリを付けて盛り上げてくれましたし、
「ドミノ」の部屋の盗聴をする場面などは、
部屋を左右に置いて、
非常にわかりやすく演出していました。

寺十吾さんの演出意図は、
アングラ的素養をベースに置きながら、
戯曲の構造をわかりやすく提示することに重点を置き、
オープニングとラストにだけ、
戯曲の世界観にないものを付加する、
という構想で、
これは蜷川幸雄さんの演出に非常に近いものではないかと思いました。

多くの演出家が蜷川さんの仕事を、
引き継ぎ乗り越えるような試みを、
少しずつされていますが、
僕はアングラの素養を持ち、
それをスペクタクル化する技量をもっている、
という意味で、
寺十吾さんこそ、
蜷川幸雄に近い演出家ではないか、
という感じを今回持ちました。

イキウメは最近は個性的な役者さんも、
育って来てはいるのですが、
演技にはやや平坦な印象があり、
役柄にも無理を感じることも多いのですが、
今回はプロデュースとあって、
その役柄に違和感のないメンバーで固められていて、
作品世界にすんなりと入ることが出来ましたし、
皆なかなかの熱演でした。

主人公の瀬戸康史さんは、
最近病的な感じを少し出し過ぎかな、
というようには感じますが、
主役にふさわしい熱演でしたし、
勝村政信さんがさすがの風格で作品を締めてくれました。
持病を持って苦悩する山田悠介さんも、
とても良かったと思います。

そんな訳で当たり前のことですが、
戯曲が良く演出が良く役者が良ければ、
芝居が良くなるのは当たり前であることを、
改めて認識させてくれた上演で、
寺十吾さんにはこれからも、
小劇場の不幸に埋もれた名作の復活を、
是非お願いしたいと思います。

今日はもう1本演劇の話題が続きます。
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日本のラジオ「カーテン」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が外来を担当し、
午後2時以降は石原が担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
カーテン.jpg
「日本のラジオ」という劇団の新作「カーテン」を、
三鷹市芸術文化センター星のホールで観劇しました。
この劇場で毎年企画されている、
注目の若手劇団シリーズの1本です。

これは正直に言うと物凄く詰まらなくて、
最近久しぶりに「しまった。時間を完全に無駄にした!」
という絶望感と敗北感に苛まれることになりました。

上演中にそんな感想を書くのは失礼なので、
書かなかったのですが、
もう公演は終わっていますので、
率直な感想を書きたいと思います。

以下ほぼ全て悪口ですので、
この劇団がお好きな方や、
この公演を見られて気に入ったというような方は、
ご不快に思われたら申し訳ありません。
色々な感想があるということで、
ご容赦頂ければ幸いです。

お芝居の内容は結構意欲的なもので、
沖縄をモチーフにした架空の島が舞台となっています。
そこでは本土から独立しようとする過激派がいて、
その集団が島の劇場を占拠して、
収監されている同志の解放を要求する事件を起こします。

観客には予めその事件に関する、
パンフレットを兼ねた詳細な資料が配布されていて、
事件は4日目に軍の特殊部隊の突入により終結し、
テロリストは全員射殺、
人質のうち33名も窒息死した、
という経過が書かれています。

劇場は素舞台の側が仮設の客席となっていて、
観客は裏手から誘導されて、
通常の舞台上に座ります。
観客の目の前には舞台と客席を分ける緞帳が下がっています。

緞帳が開くと、
客席を見下ろす格好になり、
何の装飾もない客席のあちこちに、
布の頭巾を被せられた役者さんが腰を下ろしていて、
2人のテロリスト役の役者さんが、
自分達の主張の記録動画を撮っているところが見え、
そこから物語が始まります。

確かにその一瞬はなかなか刺激的で面白いのです。

客席から舞台を見上げる代わりに、
客席という舞台を見下ろすという恰好になりますし、
客席をそのまま舞台装置にする、
という発想も斬新です。
そこに頭巾で顔を隠した役者さんが、
ズラリと並んでいるのも異様な感じがします。

ただ、1時間半の上演時間中、
舞台(実際には客席)の風景には、
全く変化が見られず、
役者さんが自分達のパートでは頭巾を脱ぎ、
自分達のパートが終わると頭巾を被って、
不特定の人質に代わる、
という繰り返しが、
延々と続くだけです。

リアルにそこを劇場として見せたいのかと思うと、
必ずしもそうではなく、
テロリストの持っている銃や爆弾も、
簡素な小道具と見えるものになっていますし、
結果として生き残った人質という設定かと思いますが、
人質役の役者さんが、
もう事件が終わった後の時制から、
過去を振り返るような独白をセリフに挟んだりもしています。

パンフレットに書かれている事件の経過のうち、
占拠事件の翌日から舞台はスタートし、
軍の特殊部隊が突入する寸前で、
物語は終了します。

つまり、基本的に劇的なことや大きく状況が動くという場面については、
舞台上では描かれず、
テロリストと人質との、
ある種淡々とした「日常」の部分のみが描かれます。

これはまあ、平田オリザさんや岩松了さんの劇作に、
基本的には近いスタイルのものだと思います。
また素材自体で言えば、
TRASHMASTERSや劇団チョコレートケーキ辺りに、
近いという印象です。

ただ、平田さんや岩松さんの劇作であれば、
客席と舞台を入れ替えるというような無理はせず、
オーソドックスに安心出来るような舞台を作り、
展開されるドラマ自体に観客の意識を集中させたと思いますし、
人物描写はもっと繊細かつ緻密に紡がれて、
舞台上で実際には描かれない部分にも、
もっと魅力があったのではないかと思います。

一方でTRASHMASTERSであれば、
言葉の暴力を含めて暴力的な闘争はもっと凄味を持って描かれ、
強烈なテンションに貫かれた作品になったと思いますし、
劇団チョコレートケーキであれば、
人物のディテールはもっとリアルに磨かれ、
重厚でリアルな作品となったのではないかと思います。

ただ、劇作自体は、
やや平凡でパンチの効かないものではあっても、
そう悪くはなかったと思うのです。

この芝居がたとえばスズナリ辺りで、
オーソドックスな演出で上演されれば、
「あまり面白くはないけど、まあこんなものかな」
というくらいの感想だったと思います。

問題は演出です。

この作品で客席と舞台を逆転させた意味は何処にあるのでしょうか?

観客は簡易の椅子でとても居心地は悪く、
客席から舞台の距離も不必要に遠くなっています。
舞台面に全編全く変化がなく、
音効効果や照明効果も全くないので、
とても単調で退屈を感じます。

確かに緞帳が上がった瞬間はインパクトがありますが、
そんなものは数秒で終わる性質のものです。

たとえば観客を人質に見立てるというような、
明確な意図があればそれでも良いですし、
通常の舞台と客席では得られない臨場感を、
感じさせるような作品であれば、
それはそれで良いと思うのですが、
前述のように設定はリアルではなく、
平田オリザさんのスタイルに近いような台詞劇なので、
観客は無理をして舞台に意識を合わせるような気分になり、
無用に集中して舞台を見ないといけない羽目に陥ります。

これはいくら何でも観客に失礼ではないでしょうか?

せっかく設備の整った劇場に招聘されての公演なのですから、
ワンアイデアで押し切るのではなく、
もう少し手間と時間とお金を掛けて、
演出に変化を付けるべきではなかったのでしょうか?

パンフレット自体は出来の良いもので、
背景の説明は全てそこで済ませて、
そこにない余白の部分を演劇化する、
という趣向は良いと思うのです。
しかし、そうした発想であれば、
舞台自体はもっとオーソドックスな作りにした方が、
間違いなく良かったと思います。

その一方でもっと滅茶苦茶で前衛的な舞台にしたいのであれば、
ディテールを固める必要などあまりなかったと思いますし、
もっと過激で押して欲しかったと思います。
客席と舞台を反転させるという仕掛けを最初にしておきながら、
その後は1時間半、
ただおとなしく居心地の悪い椅子に座って、
平田オリザさん的舞台を見続けるだけ、
というのはいくら何でもおかしいと思うのです。

これでは、
単純に舞台予算を削減するための演出と言われても、
仕方がないもののように思いました。

今回の芝居で舞台と客席の交換、
という趣向を外してしまうと、
音効も照明もなくセットもない素舞台での芝居、
ということになり、
それは余程の覚悟がなければ、
手抜き以外の何物でもないからです。

劇団のサイトを見ると、
あまり劇場では公演は行わず、
音効や照明も極力使用しない、
と書かれているので、
いつもの通りだったのかも知れません。
今回の芝居でも、
たとえば施設の通路や中庭での公演であれば、
これでも良かったと思いますが、
通常の設備のある劇場を使用してお金を取っておいて、
この使い方は有り得ないように思うのです。

役者の肉体さえあれば何処でも芝居は成立する、
まあそれは確かにそうでしょう、
しかし、今回の芝居に登場した肉体に、
そうした覚悟や凄味はなかったように思います。
何も装飾のない芝居を成立させてお金を取ることは、
一部の天才のなし得る境地で、
そうしたことは滅多にはないからこそ、
多くの劇団は照明や音効やセットに頼るのではないでしょうか?

僕は最低でも同じ劇団の芝居は、
2回から3回は観に行くようにしているのですが、
さすがにこれだけ辛い経験をすると、
もう一度見る元気は、
なかなか起こって来ないのが実際です。

ただ、その一方で僕はデタラメな芝居、
観客を置き去りにしたような芝居も嫌いではなく、
以前にも「なんだこれはひどいな」と思って、
意外にそうした劇団がその後急成長、
というようなことも何度も経験しているので
(僕にとってはケラさんの芝居もそうでした)、
次はビックリ素晴らしい芝居、
というようなこともないとは言えないと思うのです。

おそらくはこの劇団の皆さんにも、
皆さんなりの狙いがあり、
意地があるのだと思うので、
今後の活躍を期待したいと思います。

頑張って下さい。

ただ、最後に1つだけ言いたいことは、
詰まらないお芝居ほど多くの娯楽の中で苦痛なものはなく、
一度そうした芝居を見てしまうと、
お芝居や演劇というもの自体が、
その後一生嫌いになってしまうことがあり、
そうした芝居嫌いの人を僕自身沢山知っているので、
これが地下の小劇場や、
余程の好き者しか行かないような場所での公演であれば良いのですが、
今回のような、
公的な劇場で若手の良いお芝居を集めました、
というような企画の場合には、
演じる側も、
観客の中にはお芝居を見るのが初めてという人もいて、
そうした観客にとっては、
この機会が一期一会で、
この芝居が面白いかどうかが、
その後の演劇に対する姿勢を決定することもある、
ということは是非念頭において欲しいと思うのです。
要するに何にせよTPOということはあるのではないか、
というのが僕の唯一言いたかったことです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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山本澄人「を待ちながら」(演出飴屋法水) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
を待ちながら.jpg
今年芥川賞を取った山下澄人さんが、
ベケットをモチーフにした新作戯曲を書き、
飴屋法水さんが演出した舞台が、
本日までアゴラ劇場で上演されています。

例によって娘のくるみさんも出演して、
いつものように飴屋さんの1人がなり、
みたいな場面もありますから、
山下さんと飴屋さんの共同創作、
というようなニュアンスが強いように思います。

結果として昨年の本谷有希子さんと、
芥川賞作家の受賞第一作の戯曲を、
飴屋さんが演出するという企画が、
続いているということになっています。

なかなか凄みのある芝居で、
別に「ゴドーを待ちながら」が、
そのまま使われている訳ではないのに、
これまでの多くの「ゴド待ち」より、
遥かにベケットの本質が表現されているように、
個人的には感じました。

その即物的な残酷さとシュールさ、
絶望を突き抜けたところから来る笑いと、
生と死が無常に向き合うような気分、
日本の情緒とは、
明らかに異質な何かが立ち上がって来る感じがして、
とても刺激的な体験でした。

後半はちょっと退屈さも感じましたし、
ラストが詩の朗読で終わるのは、
何か如何にもありきたりで落胆しましたが、
前半はともかく圧倒的でした。

唐先生や別役実の初期戯曲に、
非常に似通った即物的で出鱈目なシュールさを感じましたが、
それは要するに唐先生も別役実も、
ベケットに影響されていた、
と言うことかも知れません。

以下少しネタバレがあります。
これから鑑賞予定の方は、
必ず鑑賞後にお読みください。

アゴラ劇場のいつもの出入り口は一切使用せず、
いつもは役者が使用する通路のみが、
今回の舞台では観客の導線になっています。

観客はいつもは外付けの階段から2階の劇場に入るのですが、
今回は1階の楽屋を通り、
そこから出演者用の階段を上って、
2階の劇場に入ります。

劇場はほぼ素舞台となっていて、
窓やドアは上演前には全て開放されています。
そして、中央にはベッドがあって、
実際に半身麻痺で透析をしている役者さんが、
そこに横になっています。

その寝たきりの男の娘がくるみさんで、
2人が生活している小さな世界に、
不意に異形の乱入者が、
次々と入って来ます。

山本澄人さん自身が、
身体から楽器を沢山ぶら下げた、
実際には小人ではない小人を演じ、
そのパートナーとして、
言葉を自発的には殆ど話さない、
黒づくめの男を飴屋さんが演じます。

飴屋さんの登場は、
フェンシングのマスクを被り、
そのマスクの中で大量の爆竹を発火させる、
という仰天するような荒業で、
観客の度肝を抜きます。

3人目として登場するのは佐久間麻由さんで、
何と全身血まみれで口からも血を吐きながら、
一輪車に乗った赤いランドセルの少女として登場します。
彼女はおばあさんの運転する乗用車に轢かれたのですが、
死んだことを認められずに現れ、
その身体から長い臓物がくるみさんによって引き出されます。

山下さんと飴屋さんのコンビは、
「ゴドーを待ちながら」のゴドーを待つ2人のようですし、
動かない寝たきりの男は、
「しあわせな日々」の地中に埋もれた女を彷彿とさせます。

また、寝たきりの主人公の存在は、
固定された椅子に座って、
舞台を観るしかない観客という存在を、
意味しているようにも思われます。
「観客」という視点から見た奇妙で残酷な世界を、
この作品は表現し、
そして観客である主人公は、
最後に立ち上がりその世界を出て行きます。

後半はやや内省的な感じになり、
最後は詩を朗読して終わるという構成は、
予定調和的で物足りなさも感じましたが、
今見られるとは思えなかったようなアングラ芝居で、
さすが飴屋法水、さすが山下澄人というところを、
見せつけた素敵な舞台でした。
佐久間麻由さんの一輪車を駆使した怪演も、
今年の演技賞(個人的な)は決定的な凄まじさだったと思います。

凄い芝居でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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