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マームとジプシー「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっとー」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
マームとジプシー.jpg
最近時々観るようになったマームとジプシーの、
10周年記念公演の1本、
「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっとー」
の彩の国の公演に足を運びました。
彩の国は遠いので休日を潰さないと行けないのがきついです。

この作品は僕は初見ですが、
これまでの3本の作品を再構成して2014年に上演され、
今回は10周年を記念とした再演ということのようです。

藤田貴大さんの劇作はこうした作品が非常に多く、
普通はこうした過去作品の再構成や総集編という趣向は、
オリジナルより落ちるものになることが多いと思うのですが、
不思議とそうはなっていないのは、
藤田さんの劇作は寺山修司と同じように、
同じテーマを複数の作品で分析的に繰り返すので、
その構成を変更することは、
あまり作品の質を変えることはないのかも知れません。

今回の作品はチェホフの「三人姉妹」のバリエーションで、
本当に演劇の人はチェホフが好きだなあ、
という気がします。
2人の女性と1人の男性の兄弟がいて、
長女が東京に出るところから、
少しずつ家族は家を離れ、
次女も家を離れて長男と父親だけが家に残されたところで、
父親の急病による入院から死で家に家族が集まり、
翌年の一周忌での集まりの夜が、
物語の中心となります。

その場で家が新しい道路の用地として取り壊される対象となり、
家がなくなり道になった10年後に、
もう一度3人の兄弟が集って物語は終わります。

特にドラマチックな展開があるということではなく、
ある種の普遍的な風景として、
当たり前に見えた家族の食卓と、
それが家族の死や人間の成長と旅立ち、
などによって変容し、
最後には取り壊しによって家自体がなくなるまでが、
ある種淡々と描かれます。

戯曲の文体は家族のその場での日常会話と、
その個人が現在から過去のその時点を思い返して、
思い出や悔恨や切なさを語る独白とが、
そのまま綴れ織りのように絡み合う構成が面白く、
それが同じ場面を前後などの角度を変えて繰り返したり、
役者さんが回転すると時間が飛ぶような、
独特の演出と相俟って、
非常に自然に時間と空間を行き来して、
現在が一瞬にして思い出に変容するという、
人間の心の不思議を鮮やかに視覚化しています。

今回は特に家族の象徴ともいうべき家がなくなるという、
多くの人が思い当たる部分があるであろう、
内なる故郷の喪失というテーマなので、
枠組みだけの大きな家のセットを舞台に組んで、
即座にそれを解体するという視覚的な効果とも相俟って、
なかなか抒情的で忘れがたい部分のある1作になっていたと思います。

かつて水死した少年に海で救われた少女が、
大人になってその町に戻って来て、
海を訪れて主人公達に出逢う、
という脇筋などもなかなか面白く、
複数の作品を組み合わせる構成の妙を感じました。

ただ、幾つか不満もあります。

3世代に渡る物語なのですが、
親子を同じくらいの年齢の役者さんが演じていて、
衣装も中途半端に白いもので統一されているので、
かなり人物関係の分かりにくい部分がありました。
近所のおばさん役の役者さんの芝居も、
何か中途半端に感じました。
基本的に等身大の芝居が身上のように思うので、
こうした年齢差のある役柄は、
実際の年齢に近い役者さんを起用するか、
衣装などで分かりやすくする方が、
ニュアンスが伝わりやすかったように感じました。

精力的な活動を続けている藤田さんですが、
その独特の様式は完成に近づいているにしても、
まだまだ新しい様式や芝居にもチャレンジして欲しいと思いますし、
これからの活躍に期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

シンクロ少女「シンクロ・ゴッサム・シティ」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
シンクロ少女.jpg
シンクロ少女の本公演に足を運びました。
この劇団は初見です。
初物を観たいという気がして、
あまり予備知識なく直前に予約をして衝動的に観に行きました。

予想していたような感じとは違っていたのですが、
なかなか面白い芝居で、
観て損はありませんでした。
戯曲は新しいという感じはしないのですが、
凝ったトリッキーな構成が面白く、
役者さんの芝居も作品世界にフィットしています。
演出も悪くありません。
特に最初にインチキ・コスプレダンスのような場面があって、
おやおや、と思うのですが、
最後にもほぼ同じダンスがあって、
その時にはオープニングとは全く別の風景が見えるのです。
なるほどとちょっと感心しました。

「シンクロ・ゴッサム・シティ」という題名の通り、
バットマンの舞台である架空の大都市ゴッサム・シティで、
善と悪とがどのような成り立ちで生じるに至ったのかを、
小劇場的なレトリックを駆使して描いた作品です。

元のゴッサム・シティはダークなニューヨークですが、
このお芝居のゴッサム・シティは、
要するにダークな東京です。

ちらしが上のような感じですし、
何となくバットマンのコスプレ芝居みたいなものを期待してしまうのですが、
ペンギンっぽい人物や、
キャットウーマンっぽい人物、
悪の三姉妹みたいな感じのキャラなどが、
登場することはするのですが、
それっぽい、というだけのことで、
別にバットマンのパロディやコスプレではありません。
東京に暮らす等身大のそれでいてちょっと歪んだ人達が、
それっぽく登場する、というだけです。

肌合いとしては昔の倉持裕作品に似ています。
元ネタは別役実のパロディ風の作品だと思うのですが、
誰でも知っているような、
ある種の固定観念に包まれた物語の世界を舞台にして、
演劇ならではトリッキーな仕掛けを施して、
物語の底にある不条理のようなものを、
浮かび上がらせるという作劇です。

兄が弟に捧げる強烈で純粋な秘められた愛が、
誠実で無垢で愚鈍に見えた人間を、
破滅的で醜悪な悪党に変えてしまうのですが、
実際には人間の外面的な善も悪も、
同じ愛から生じているという物語で、
チラシにある「動機は愛」という一言がテーマでもあって、
それがラストに発せられる台詞でもある、
と言う辺りが極めて技巧的で巧みです。
2人1役という演劇的な仕掛けが、
上手く機能しているのも面白いと思いました。

作・演出の名嘉友美さんは、
非常に構成力に長けた方だと思います。

ただ、それが作品の弱点でもあって、
たとえば松尾スズキ作品などは、
まともに物語が収束することなど殆どなく、
概ね空中分解してしまうのですが、
キャラクターの破天荒さや畸形の魅力は、
今回の作品の比ではなく、
今回の作品はせっかく畸形的なキャラに命を吹き込みながら、
お話のまとまりを重視して、
全体をこじんまりとしたものにしてしまったようにも思います。

もっと役者の瞬発力でもたせるような場面や、
意味不明だけれども魅力的な場面などが少しあると、
作品自体の魅力ももっと大きく花開くのではないか、
というようにも感じました。

もう何回かは観てみようと思いました。
これからも期待しています。
頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

鴻上尚史「ベター・ハーフ」(2017年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師の担当で、
午後は石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
ベターハーフ.jpg
鴻上尚史さんの作・演出で、
2015年に初演されて好評だった4人芝居「ベター・ハーフ」が、
3人は同一キャストで再演されました。
風間俊介さん、中村中さん、片桐仁さんは再登板で、
初演の真野恵里菜さんだけが、
今回は松井玲奈さんに代わっています。

これはトランス・ジェンダーを扱った恋愛喜劇で、
4人の恋愛模様が高度な知的パズルのように、
何度も組み直されて展開され、
それ以外の要素はラストに至るまで全くない、
というある意味とても潔い作品です。

初演も観ているのですが、
その時の感想を読み直してみると、
前半の軽快で完成度の高い展開には、
とても感心しながらも、
たとえば性別の問題やトランスジェンナーの問題などに、
テーマが深化してゆかないところに不満がありました。

ただ、再演を観て思うことは、
この作品は薄っぺらな恋愛以外に何もテーマがない、
という潔さこそが値打ちであり魅力で、
鴻上さんの新境地として評価するべきではないか、
ということです。

一緒に行った妻は、
これまで観た芝居の中で、
最も面白かったような気がした、
と絶賛していましたから、
娯楽作品として間違いのない成功であったのだと思います。

鴻上さんは「偉大なる素人」というようなタイプの劇作家で演出家だと思います。
良い意味でも悪い意味でも、
高校演劇のようなテイストが全編に溢れていて、
こんなことは普通プロはしないよなあ、
というようなことを臆面もなくやるところが、
その魅力でもあり欠点でもあると思うのですが、
今回の作品は非常に垢抜けたプロっぽい仕上がりになっていて、
映像の使い方もセンスのあるものでしたし、
場面転換や雰囲気の変え方なども鮮やかでした。
4人だけの出演者であるのに、
あまりせせこましい感じの物語にはならず、
他に登場人物がいないことの違和感も、
殆ど感じさせない、と言う点も凄いと思います。

4人のキャストはいずれも好演で、
再登板の3人の遣り取りの軽快な心地良さは、
ある意味第三舞台時代を超えるテンポ感だったと思います。
松井玲奈さんも良く3人に食いついていたと思います。
ただ、何と言ってもこの作品の成功は、
完全なあて書きの中村中さんの存在にあって、
随所に挟まれる弾き語りの歌も素晴らしく、
初演時より更に自然な演技が、
しっかりと作品の中心に存在をしていました。

そんな訳で観終わってまたすぐ観たくなる楽しい舞台で、
鴻上さんの最近のスマッシュヒットであることは、
間違いがないと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

歌舞伎座七月大歌舞伎(2017年夜の部) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
ただ、無念なことにレセプトがまだ完成していないので、
仕方なく作業に出掛ける予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
7 月大歌舞伎.jpg
海老蔵の親子宙乗りが話題の、
歌舞伎座の今月の夜の部に足を運びました。

歌舞伎については最近は海老蔵以外はあまり観る気になれなくて、
今年は1月の演舞場、3月の歌舞伎座、
そして六本木歌舞伎の「座頭市」、
先月のABKAIと足を運んでいます。

ABKAIは行ったのが奥さんが亡くなった翌日で、
胸が詰まるような感じもありましたが
(遅ればせながらお悔やみ申し上げます)、
作品的にはあまり出来の良い舞台ではなく、
「座頭市」も感心はしませんでした。

今回の夜の部は古典を現代の味付けも加えて復活させた、
かつては先代猿之助が得意とした復活狂言で、
こうしたものは薄味になりがちで、
如何なものかなあ、と思ったのですが、
意外にも今年の海老蔵の芝居の中では、
最も楽しめた作品でした。

外題は「駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)」で、
白波五人男で有名な日本駄右衛門が、
石川五右衛門を思わせる大悪党として登場し、
お家騒動に絡んで天下を狙う物語を縦筋に、
歌舞伎で定番の遊び人で傾城と逃げる城主の弟であるとか、
3千両という大金を使い込んで浪々の身となった家老の弟などが絡み合います。

かつての先代猿之助歌舞伎と同じように、
そこに有名な歌舞伎作品の趣向を、
これでもかと放り込むのですが、
今回は狐の宙乗りは、
もう歌舞伎もどきショーとして割り切って、
マイクや映像なども使って、
現代的なショーにしてしまい、
それ以外の部分については、
なるべく古典劇の雰囲気を活かして構成されています。

領主の弟役の巳之助と傾城の新悟が道行の舞踊を見せ、
オープニングでは海老蔵が善悪の2人を演じ分けての早変わりの殺陣があり、
その後は時代物の趣向で、
領主の切腹へのカウントダウンに忠臣蔵の四段目的趣向があり、
「新薄雪物語」めいた仮腹(衣装をはだけると実はもう腹を切っている)もあり、
堂々たる日本駄右衛門の見現しがあります。
2幕目は世話物になり、
やや複雑すぎる感じもしますが、
駄右衛門配下のお才役の児太郎の裏切り劇に、
後半は伊勢音頭のような殺し場まで用意されています。
ラストは金閣寺の屋台崩しまであって、
怨霊と化した中車との対決まで繰り広げられます。

なかなかバランスの取れた台本で、
かなり苦労があったと推察します。
笑三郎辺りはちょっと気の毒ですが、
それ以外のキャストはそれぞれ見せ場があって、
充実した競演をまずは楽しむことが出来ます。

駄右衛門はゾンビの軍団を配下に従えている、
という趣向なのですが、
この死人の群れというのが意外に歌舞伎的で、
何でも突っ込んだごった煮のような豊穣な奇怪さは、
江戸末期の歌舞伎劇の雰囲気を、
濃厚に感じさせて趣きがありました。

眼目の海老蔵は悪の首領とそれを追い詰める若武者を、
1人で演じるという趣向がとても歌舞伎的で楽しく、
こうしたものを観ると、
六本木歌舞伎やABKAIが、
どうして詰まらなかったのかが分かりました。
どちらも海老蔵はスーパーマンの善玉のみを演じていたので、
当たり前のお芝居にしか感じられず、
歌舞伎味がまるでなかったのです。

矢張り歌舞伎劇の座頭役者は、
善悪両方を演じてこそ、
その魅力が花開くのだと思いました。

今回も高僧に姿を変えた駄右衛門が、
不敵な笑いと共に本性を現し、
睨みと大見えを切るところなどは、
当代随一の千両役者の風格がありました。

すっかり海老蔵組となった感じもある中車ですが、
数年前と比べると、
大分歌舞伎口調も動きも板について来ていました。
まだ物足りない部分は多いのですが、
このくらいやってくれれば及第点ではないでしょうか。
その存在の大きさは血筋を感じます。

そんな訳で意外に楽しめた歌舞伎劇でした。

これからも海老蔵と中車は可能な限り追いかけたいと思います。
後は玉三郎や吉右衛門はもっと良い時に充分に観ましたし、
当代猿之助はもう何をしないのかしたくないのか良く分からないし、
勘九郎や染五郎のナルシスティックな芝居は胃にもたれてつらいので、
今のところは他の歌舞伎はいいかな、
というのが正直なところです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

ゴキブリコンビナート「法悦肉按摩」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が診療を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
ゴキブリコンビナート.jpg
日本に現存するおそらく最後のアングラ、
ゴキブリコンビナートの本公演に行って来ました。

今回は東京都小金井市某所の野原に、
密閉型のテント劇場を建設し、
そこでの3日間のみの公演となりました。

場所は秘密で予約をするとメールで届くのですが、
それを見て行っても、
何処にあるのかなかなか分かりません。
当日券の人はもよりの駅で集合し、
トラックの荷台に詰め込まれて、
拉致されるように会場まで運ばれます。
とてもワクワクしますね。

設営はプロなのでさすがのクオリティです。

最初に目隠しや黒い袋を1人ずつ被せられ、
狭い空間に何も見えない状態で詰め込まれます。
何が始まるのかと思うと、
盲目の按摩を勉強中のサクラさんという少女が、
先輩で按摩の名人のヒロシ君を、
探して旅をするという自己紹介のような歌が、
闇の中で流れます。

このDr.エクアドルさん自作の歌が、
シンプルで哀愁を帯びていて、
怪しげでとても良い感じです。
これぞアングラ歌謡という、
知っている人にはたまらなくなるような、
切なく狂おしく怪しい気分になるのです。

サクラさんはヒロシ君を探して、
満員電車に乗るという話が歌で説明され、
要するに視覚を閉じられたサクラさんと同じ立場で、
同じ感触で満員電車の中に、
観客の1人1人が閉じ込められる、
ということになる訳です。

そこに狂暴な痴漢が現れて車内は恐慌状態になり…
という段取りが今回の作品では、
最も強烈で面白く、
悪魔的で得難い体験となりました。

目隠しが取られて視界が復活してからの展開は、
観客が高台と低地に分かれるなど工夫はあるのですが、
観客の1人1人が巻き込まれるという感じには乏しく、
僕はチキンなので遠巻きに観ていたら、
何となく傍観者的な気分で終わってしまいました。

内容的にもドラム缶の作業員の辺りまでは良いのですが、
その後主人公が田舎に戻る展開になると、
「物語を見ている」という感じが強くなって、
オープニングの「異常な世界を体感している」
という感じが乏しいのが物足りなく感じました。

内容的にはもっと短時間のイベントの舞台でも披露している、
アングラ・ミュージカルと言うような性質のもので、
猥雑でお下品でシュールで切なく、
奇怪で愛おしくもなるような物語が展開されます。

それはそれで面白いのですが、
時間がイベントより長い分単調になりますし、
長い割には盛り上がりに欠けるように感じました。
ラストも確かに物語としては完結しているのですが、
野外劇でこれだけ手を掛けたセットを用意しているのですから、
もう少しスケールの大きな屋台崩しのようなものが、
あっても良かったのではないかと思いました。
ただ、ゲリラ的な公演でもあったようなので、
ラストに外を使ったりすることは、
現実的に難しかったのかも知れません。

総じて後半は、
集団で誰かを襲うような光景を、
観客が周辺や上から取り囲んで見ている、
というような雰囲気の場面が多く、
観客がそこに巻き込まれたり、
物語の一部になるような感じはありませんでした。

いつもそうであれば、
そうしたものとして観られたのですが、
前回公演は観客自身が主役として物語が展開されるような、
迷路の密室劇でしたし、
今回も最初は観客が盲目の主人公と一体化する、
という参加型の始まりだったので、
どうしてもその後もそうした世界を期待してしまったのです。

特に宣伝のチラシの裏にも、
「もうこれは視覚表現ではない まるで触れてくるような 皮下に侵入してくるような 脳幹を中の肉をまさぐられるような演劇(原文通り)」
という挑発的なことが書かれているので、
余計にそうした世界を期待してしまったのだと思います。

つまり、オープニングがあまりにアングラ演劇として、
挑発的で完璧なものだったので、
その方向の展開を期待してしまったのです。
しかし、それはこちらの早合点で、
Dr.エクアドルさんの今回の作品は、
そうした方向性のものとは違っていたのだと思います。

役者さんは今回は女優陣がとても良くて、
浣腸痴漢に襲われて狂った少女が、
狂おしく身体をくねらせる感じなど、
舞踏の原風景のようなものを感じさせて味わいがありますし、
はたゆきさんやホリー・ポッターさんの声がまた、
特に闇の中で哀愁を帯びて心に沁みるのです。
地下アイドルとして鍛えられているからかも知れません。
Dr.エクアドルさんは、
歌わない方が良いと思いました。
(失礼を申し訳ありません)
男優陣で1人くらい、
歌の上手い人がいると良いと思いました。
アングラ歌謡の不気味にハモるデュエットなど、
エクアドルさん作曲の歌で、
是非聴きたいと思います。

ちょっと批判的な論調になってしまい大変申し訳ありません。
ゴキコンを愛するが故とご理解下さい。
どんな作品でもついてゆく気持ちではあるのですが、
敢えて好みを言えば、
物語と観客との境界線が、
闇や夢の中で溶けてしまうような世界を期待したいのです。
それが出来るのは今ゴキコンしかいないと思うからです。

今回は期待が大き過ぎただけに、
少し物足りない感じはあったのですが、
小劇場演劇においては至宝と言って良い存在であることは間違いなく、
これからも是非観客を楽しませ、狂わせ、
戸惑わせ、呆然とさせた上で、
覚醒させ続けて欲しいと思います。

頑張って下さい。
陰ながら応援しています。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

カムカムミニキーナ「狼狽~不透明な群像劇~」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の記事は演劇の話題です。
それがこちら。
カムカムミニキーナ.jpg
よくここまで続いたものだと、
感心するカムカムミニキーナの新作公演、
「狼狽~不透明な群像劇~」を観て来ました。

この劇団は1990年の創立時から松村武さんの劇作で、
八嶋智人さんが看板役者という体制で、
25年以上継続されているという点が凄くて、
劇団鳥獣戯画など、
他にも息の長い小劇場はない訳ではありませんが、
同じような規模とスタンスで、
公演を打ち続けているという点はとても感心します。

昔はモロに野田秀樹さんのコピー劇団、
と言う感じが強かったのですが、
そのうちに本家の野田さんの劇作は、
あまり以前のような目まぐるしさや跳躍感がなくなり、
松村さんの劇作も、
昔の遊眠社的なテイストは残しながらも、
もっと土臭い感じや日本神話的民俗学的テーマに移って行ったので、
今回の作品などには、
もうあまり遊眠社という感じはありませんでした。

今回の作品は文盲のベストセラー作家の謎を解くために、
フリーライターの女性が土着の信仰の残る作家の出身地の村に潜入、
そこで奇怪な出来事に巻き込まれるという話ですが、
如何にも松尾スズキさん的設定ではありながら、
かなり目まぐるしく様式的な演出なので、
そうした感じにはならず、
途中から神話的世界が暴走する感じになって、
最後は何が何やら分からないままに、
村自体が水没して滅んで終わりになります。

もう少し丁寧な語り口で、
話を拡散させない方が良かったのではないかしら、
というようにも思うのですが、
この荒くれめいた感じは、
良くも悪くもカムカムミニキーナの特徴なので、
開き直って楽しく身をゆだねるのが正解なのかも知れません。

役者は皆小さな役まで非常に魅力的で、
八嶋さんは今回は役が小さめでややガッカリですが、
いつもの技量は矢張り楽しく、
怪物女優の藤田記子さんとナイロンの新谷真弓さんが、
同じ人物の両面を同じ衣装で演じたり、
文盲作家の松村さんの雰囲気や、
鞭を振るう長谷部洋子さんの艶っぽさに、
犬と化す吉田晋一さんなどとても楽しく、
昔の大人計画を観るような感じで、
怪優大行進を心踊りながら鑑賞しました。

これからも頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

青年団「さよならだけが人生か」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当します。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
さよならだけが人生か.jpg
平田オリザさんの作・演出による青年団の公演、
「さよならだけが人生か」を先日鑑賞しました。

僕は平田さんの劇作はそう沢山は観ていません。
最初に観たのが96年の「火宅か修羅か」で、
その後数年は毎回足を運んだのですが、
矢張りあまり好みではなくて足が遠のきました。
スズナリの再演で観た「東京ノート」は、
確かに悪くないと思いました。

でも先入観は良くないと思い、
最近はまた時々観るようになりました。

今回の作品は1992年の初演で、
平田さん自身の言葉によれば、
劇団の出世作ということです。

これは結構難しくて、
正直作品の内包しているものを、
その通りに受け止められたという自信がありませんでした。

以下ネタバレを含む感想です。

舞台はある工事現場の作業員の詰め所で、
工事の最中に遺跡が発見され、
工事は一時休止となって、
遺跡の発掘作業が行われています。

そこで、その日の詰め所には、
手持無沙汰な工事関係者と、
文化庁の職員の女性、
発掘に関わる大学関係者と学生など、
通常はあまり接触をしない立場や年齢の人々が、
たまたま集まるような状況が生じるのです。

これと言った出来事が起こる訳ではないのですが、
年長の作業主任が自分の娘の結婚に複雑な思いを抱いたり、
大学生同士の三角関係めいた恋愛模様があったりして、
世代やインテリジェンスの格差を、
年長者が嘆いたり、
饒舌で攻撃的な作業員が、
未来から現在を俯瞰して世界を憂えるという、
チェホフ劇のような台詞を披露したりもします。

平田さんの劇作では、
いつも舞台上ではなくその外の世界で起こっていることが、
作品中で大きな位置を占めているのですが、
この作品の場合には、
現場の責任者がその日は不在であったり、
登場人物の数人が「ミイラ男」を目撃したり、
詰め所の床に走る亀裂が、
放置されて外へとつながっていたりという、
何かの予感のようなものが明示はされないままに連鎖して、
ラストはある人物が異様な仮面を付けて現れ、
皆がミイラ男の再訪を、
期待と不安を織り交ぜて、
ゴドーのように待つところで終演となります。

演技も演出も練り上げられていて、
如何にも青年団らしい安定感があります。

劇作についても平田さんらしいテーマであり構成だと思うのですが、
矢張りかなり以前に書かれたということもあって、
作者が描こうとした、
舞台の外の世界の空気感のようなものが、
伝わりにくいというきらいはありました。

最後の宴会で皆が歌う、
「とび職暮らし」という歌をどのように聞けば良いのでしょうか?
この場面はある種のユートピアと考えて良いのですか?
世代を超えて皆がしがらみや立場を忘れてひと時飲み歌う、
という情景を、
「人間って悪くないな」というように、
微笑ましいものとして受け止めれば良いのですか?
それとも、薄っぺらな自意識過剰のオナニーのようなものと、
そう捉えるべきでしょうか?

外の世界で起こっているであろうことの深刻さを、
どの程度に受け止めて鑑賞するべきでしょうか?
それが「ミイラ男」と言われると、
とても戸惑う部分があります。

作品としては昨年の新作「日本サポートセンター」と、
同じような構図になっていて、
ラストが歌で締め括られるという辺りも同じです。
ただ、「日本サポートセンター」も最後の歌は蛇足の感じがして、
居心地の悪い気分にはなったのですが、
全体の中でそれほどの重要性を持っていなかったのに対して、
今回の歌はかなり大きな影響を、
作品全体に与えているという気がするので、
その意味合いに納得がいかないと、
どうも全体がモヤモヤとしてしまうのです。

それから、変な笑いというか、
ある程度意図的なものではあると思うのですが、
オヤジギャグ的なものであるとか、
しょうもない間合いで笑いを取るような場面が多くあって、
そこもどうもモヤモヤしてしまいました。

そんな訳で今回はどうも駄目だったのですが、
それは作品自体の問題ではなくて、
作品の空気感のようなものと、
僕の感覚があまり共鳴出来なかった、
というようなことなのではないかと思いました。

岩松了さんの劇作もそうですが、
こうした舞台上に表現されない部分にこそ意味がある、
というタイプの芝居については、
意外に同時代性が強く、
その時代に体験しないと、
ニュアンスが感じにくいという部分はあるように思いました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

チェルフィッチュ「部屋に流れる時間の旅」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日3本目の記事も演劇の話題です。
それがこちら。
チェルフィッチュ.jpg
今年活動20周年、
現在の小演劇を代表する劇団に成長した、
チェルフィッチュの本公演を観て来ました。

僕は以前に、
変な動きをしながら、
小さな声で無駄話のような台詞を交わして、
特に劇的なことは何も起こらずお終い、
というような公演を1回見て、
どうもこりゃ駄目だ、
というように感じて、
その後はあまり足を運びませんでした。

ただ、これもあまり好きではなかった
「マームとジプシー」も、
最近何度か観ているうちに、
そう悪くはないな、と思えてきたので、
好き嫌いは良くないと思い今回は鑑賞して来たのです。

今回の新作は1時間15分ほどの3人芝居で、
主な舞台は震災から1年後の2012年に設定されています。

簡素な舞台には、
コラボしているアーティストによるオブジェが配置され、
3人の人間が舞台には上がっていても、
普通に会話を交わすという感じにはなりません。
殆ど反応のない相手に語り掛けることを続けたり、
観客に向かって俯瞰的に状況を説明し続けたりします。
以前のように大きく不自然な動きがある、
という感じではなくて、
台詞とは同期することなく、
特徴的な仕草が、
静かに繰り返されます。

以下ネタバレを含む感想です。

まず安藤真理さんが登場して、
マイクを使って客席に語り掛け、
「これから目を閉じて、目を開けてと言うまで、そのままにしていて下さい」
という意味のことを言います。
自分はある人に呼ばれて、
その部屋に行く途中で、
その人を徐々に好きになってゆくのだ、と状況を説明します。

観客が目を閉じるということは、
要するに暗転することと一緒ですが、
作り手の側が闇を作るのではなく、
観客自身に自発的に闇を作らせる、
という発想が非常に斬新で、
これにはちょっと驚きました。

これは、時間を2012年に移動させるための工夫なのですが、
たとえば寺山修司は、
昔完全暗転で同じことをしようとしたのですが、
手間暇を掛けずに、
魔法の一言だけで同じ効果を表現する、
というある意味究極の手抜きに感心しました。
これを勝手に「完全暗転」に対抗した、
「観客暗転」と命名しました。

ただ、目を開けると安藤さんが消えて、
中央の椅子に吉田庸さんが後ろ向きに腰を掛けている、
というだけの変化なので、
ちょっと脱力するような気分もありました。

その後でまた最初と同じ場所から、
安藤さんが舞台上に現れるというのが、
どうにも納得がいかなくて、
せっかく「観客暗転」で時空を超えたのであれば、
同じように安藤さんが現れることだけは、
するべきではないように感じました。

物語としては、
青柳いづみさん演じる主人公が、
震災の4日後に喘息発作で亡くなっていて、
しかし、亡くなる前の4日間、
これから世界は良くなるという確信と、
皆で世界を良くしていこうという高揚感に満たされた、
という体験を、
死んでいるという立場から、
椅子に座っている自分の夫の吉田さんに向かって、
淡々と語り掛けます。

その一方で、
部屋のセットの外側にいる安藤さんは、
客席に呼び掛ける芝居で、
もう青柳さんが亡くなって時間が経っている2012年に、
吉田さんに呼ばれてその部屋に向かいながら、
事故による交通渋滞などもあって、
なかなか時間通りに到達出来ない、
というような話を、
これも淡々と続けます。

この2つの語りが並行して進みます。
つまり同じ男性に対して、
関係のある死者と生者の2人が、
同時に語り掛けるという構図です。

舞台上のオブジェは、
回転をしたり定期的に光ったりを繰り返して、
それが部屋を取り巻く時間や空間を示しているようにも思われ、
また原発事故やその後の電力の危機や自然エネルギーへの変化を、
間接的に示しているようにも思われます。

死者の青柳さんは何度も、
「ねえ、覚えてる?」と語り掛け、
それはチェホフの芝居の繰り返しの台詞のように、
何かの願望を形にしようとする試みのようにも思われます。

舞台上ではその後安藤さんと吉田さんが出会い、
生者2人の生活の中で、
死者の青柳さんが静かに忘れ去られるイメージで終わります。

死者の声を聴け、というメッセージと、
最悪の事件が起こった後の、
奇妙な高揚感と将来への根拠のない希望のような感情が、
この作品の主要なテーマとなっています。

主張はシンプルで明確ですし、
発想も面白いと思います。

明らかに、元になっているのは能の様式で、
安藤さんがワキで、
青柳さんがシテということになり、
吉田さんのポジションは微妙ですが、
ワキツレということになるかと思います。
役者さんの小さな動作の反復と、
固定された姿勢も、
能の所作をなぞっています。

部分部分の完成度は高く、
現代能の1つの完成形かな、
というようにも思います。

ただ、こうしたものが好きかと言われると、
個人的にはあまり好きではなくて、
たとえば最初の「観客暗転」でも、
観客が目を閉じても周りが明るければ幻想は成立しないので、
同時に実際にも明かりは落とすべきだと思うのですが、
そうしたことはしていません。

舞台上のオブジェも如何にも芸術的でお洒落ではありますが、
象徴的な意味合いに留まっていて、
直接的に舞台上の出来事に関わったり、
舞台に何かの変化をもたらしたり、
といったことはないので、
それも物足りない感じが残るのです。

総じて、
これも1つの演劇である以上、
もっと生々しい感じや、
役者の肉体が舞台上で何か別のものに変容するような感じ、
舞台上の台詞や沈黙や動きなどをきっかけとして、
形にならない何かが立ち上がるような感じ、
端的に言えば僕の信じる演劇的な要素が、
この作品にはほぼ何もない、
と言う点が、
勿論意図的なものではあるのですが、
僕には納得のいかない点で、
芸術性の高い、
海外でも受けそうな作品ではあると思うのですが、
あまりまた観ようという気持ちはおきませんでした。

「マームとジプシー」は様式的には同じように見えて、
時間軸がバラバラに解体され、
同じ瞬間が執拗に繰り返される世界で、
同じ動作を役者さんが運命的に反復する中に、
その肉体から立ち上がる、
虚無的で切ない抒情のようなものがあるので、
その点には強く演劇を感じるのですが、
そうした肉感的な要素が、
チェルフィッチュの今回の舞台にはないように思うのです。

お好きな方には申し訳ありません。

色々な感想があるということで、
ご容赦頂ければ幸いです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。

唐十郎「ビンローの封印」(唐組・第59回公演) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の記事は演劇の話題です。

それがこちら。
ビンローの封印.jpg
唐組の第59回公演として、
1992年に初演された「ビンローの封印」が、
装いも新たに再演されました。
花園神社の公演にいつものように足を運びました。

この作品の初演は同じ花園神社で観ています。

唐組の初期を支えた、
長谷川公彦さんと藤原京さんが劇団を去り、
稲荷卓央さんが初めて新作でメインの役どころを演じた作品です。

その前年に若手公演として、
「ジョン・シルバー愛の乞食編」が上演されていて、
キャストも含めてそれがこの作品に繋がっていることが分かります。

つまりこの「ビンローの封印」は、
唐先生の初期作品を飾った、
「ジョン・シルバー」ものの続編的な性格を持っています。

肩に魚を乗せた製造は、
オームを肩に乗せたジョン・シルバーのバリエーションですし、
「ジョン・シルバー」シリーズを代表する場面である、
公衆トイレのドアを開けると、
青い大海原が広がっている、
という場面が同じように再現されているのです。

初演を観た時の感想は、
正直ガッカリしたことを覚えています。

客演は当時の転位21の看板役者であった、
木之内頼仁さんで、
演技の質が唐組の役者さんとは大きく違いますし、
どんな感じで絡むのだろうなあ、
と期待をしていると、
1幕では何と一言しか台詞を言わず、
2幕は後半にだけ登場して、
それほど活躍をせずに傍観者のようにして終わってしまいます。

この作品の初演では、
稲荷卓央さんや鳥山昌克さん、久保井研さんなど、
その後の唐組を支えるメンバーが本格的に登場し、
当時の若手メインの公演となっていました。

正直その演技はまだ粗削りで不満がありましたし、
ラストで海の書割を載せたリヤカーが、
稲荷さんを載せたまま遠ざかるのですが、
それまでの唐先生のテント芝居の中で、
一番地味なラストに見えて、
とても物足りなく感じてしまったのです。

ただ、今回改めて、
間違いなく初演より緻密な久保井さんの演出で、
練り直された作品を観直してみると、
偽の血としてビンローが使用される構造にしても、
緊迫した対立の構図が持続される点においても、
なかなか古典的な呼吸で物語は構築されていて、
その2年前の「透明人間」からこの作品、
そして同年秋の「虹屋敷」と、
かつての状況劇場時代の2幕劇のスタイルを、
意識的に再現したような作品群で、
とても面白く完成度は高いと感じました。

テーマとしても、
尖閣諸島近海での漁船と海賊との闘争ですから、
当時は分かりませんでしたが、
極めて時代を先取りした作品でもあったのです。

この古典再構築のような時期を経て、
「桃太郎の母」、「動物園が消えた日」以降の諸作において、
唐先生の劇作は状況劇場時代とは、
全く異なる方向性を持ったものに変貌してゆくことになるのです。

キャストも好演でしたし、
血沸き肉躍る時代の空気を引きずる唐芝居として、
鑑賞出来たことは幸せでした。

それでは今日はもう1本、
演劇の記事が続きます。

「俺節」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日3本目の記事も演劇の話題です。
それがこちら。
俺節.jpg
土田世紀さんの漫画を原作に、
福原充則さんが台本と演出に当たり、
関ジャニ∞の安田章大さんが主役の演歌歌手を目指す高校生を演じた、
企画公演を観て来ました。

これはどんなものかなと思って、
何となく乗り気でなく観に行ったのですが、
福原充則さんの趣味全開という感じの楽しい舞台で、
思わず引き込まれ、
最後まで結構楽しく観てしまいました。

今時時代遅れの泥臭い話なのですが、
つか芝居を思わせる大芝居を、
現在を代表するクセ者役者の皆さんが、
全力で演じている様がとても楽しく、
ワクワクする思いで舞台を見守りました。

主人公の安田章大さん自身が、
独特のねばりつくような泥臭い芝居で面白く、
それを囲む面々も強力な個性派ぞろいです。

演歌の大御所を演じた西岡徳馬さんは、
ちょっと台詞覚えを心配しましたが、
不安を払拭する堂々たる力押しで素晴らしく、
全盛期のつかの芝居から抜け出して来たような存在感ですし、
六角精児さん、中村まことさん、高田聖子さんの3人は、
それぞれ個性的な2役を演じ分け、
当代を代表する個性派舞台役者の全力の惚れ惚れするような、
圧倒的な技量を見せてくれました。
この3人の全力の芝居を、
見られるというだけでも、
充分元は取ったと言える作品だったと思います。

正直ラストの趣向などは、
かなりあざとく厭らしい感じもするのですが、
トータルにはつか芝居を巧みにリニューアルした娯楽作品で、
多くの魅力的な演技に満ちた、
楽しい作品であったと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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