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アガリスクエンターテインメント「そして怒涛の伏線回収」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の話題は演劇です。

それがこちら。
アガリスクエンターテインメント.jpg
緻密なシチュエーションコメディに勢いのある、
アガリスクエンターテインメントの新作が、
今新宿のシアター・ミラクルで上演されています。

今回はこの劇団得意の「会議もの」で、
以前は学校で学生の会議などが描かれましたが、
劇団員も年齢を重ねて来たので、
商店街の活性化のための会議、
という内容になっています。

それに加えて今回は、
作品作りを企画の段階から、
募集した観客との相談の上公開で行うという、
特殊な試みを同時に行っています。

役者さんは今回は非常に充実していて、
特にまとめ役の伊藤圭太さんが、
抜群の熱演で感心させられました。
アンサンブルはいつもながら抜群です。

内容についてはシャッター通りの商店街を、
活性化するために、
地元出身のコンサルタントが、
商店街のアーケードを撤去するというプランを出し、
それで商店街の面々が2つに割れてドタバタを繰り広げる、
という物語で、
この劇団の作品を見慣れていると、
定番で何となく展開が読めてしまう、
という感じはあるのですが、
お馴染みの面々がお馴染みのドラマを、
楽しそうに演じているので、
こちらも肩の力を抜いて、
楽しみながら見ることが出来ます。
小空間の劇場の中央に机と椅子を並べて会議室を作り、
それを取り巻くように客席を配置した構造も、
舞台の臨場感と親近感を高めるのに効果を上げています。

皆が最後に一致団結して、
1つの結論に達したところで、
物語に登場したディテールのうち、
まだその結論と関連がないものがある、
という指摘があり、
それを無理矢理に関連付けようという、
やや意味不明の段取り作りが始まります。
これが「怒涛の伏線回収」ということのようです。

別に悪くはないのですが、
「伏線回収」という言葉を台詞で出した時点で、
商店街の活性化の会議というリアルは後退して、
一種のメタフィクションの物語になってしまうのが、
ちょっと引っかかる感じがありました。
商店街の個人事業主にとって、
「伏線回収」という言葉は異次元のものだと思うからです。

伏線回収というと、
シベリア少女鉄道に無理矢理の伏線回収をテーマにした作品があって、
そこでは前半に謎めいた設定や謎のキーワードなどが、
次々と登場し、
その度に舞台横に数字が加算されて表示され、
それが後半伏線が回収される度に、
今度は減少してゆきます。
しかし、そもそも無理な伏線が多いので、
伏線を全身にくっつけた、
謎の怪獣が登場するなど、
出鱈目の極致のような回収作業になる、
というような怪作でした。

この場合は前半の謎の伏線だらけの物語と、
後半の怒涛の伏線回収の物語を、
明確に別物として作品世界が変貌するのが見どころになっていました。

また伏線回収のプロと言えば、
芝居としては三谷幸喜さんが天才的な手腕ですが、
必ずきちんと観客の印象に残る形で伏線やキーワードが提示され、
それが必ず巧妙にラストに再度提示されて、
大団円のパズルのピースとして嵌り込みます。

それと比較すると今回の作品は、
最後までリアルな会議としての枠組みが維持されていながら、
後半にやや唐突に「伏線回収」という用語が登場して、
後はその議論がキャストによって行われる、
という経過になります。

個人的にはどうもその辺りに違和感があり、
後半の伏線回収にはちょっと乗れませんでした。
また、回収するべき伏線が、
再度台詞として言わないと分からないものが多い、
という点にも物足りないものを感じました。
三谷幸喜さんの作品では、
別にわざわざそんな台詞はなくても、
観客の方が、
「あの話はどうなったんだっけ?」
と伏線を覚えているからです。

作品内容的にも、これまでの、
ある種守られた世界である学校での会議と比較すると、
商店街の活性化というのはかなりシビアな議論であり、
作品中での解決策は、
実際にはあまり解決にはなっていないように、
個人的には思いました。

私も商店街の個人事業主なので、
その立場から考えると、
現実のシビアさを物語が上手く捉えていないように、
どうしても考えてしまったのです。
生活に直結する経営の問題は、
笑い事ではそもそもないので、
それを「笑い」に変換するには、
もっと超絶技巧が必要となるように思うからです。

この辺りは脚本のもう一段の深化を、
今後に期待したいと思います。

そんな訳で今回はキャストの演技などはとても見応えがありましたが、
内容は特に後半の伏線回収を、
あまり楽しむことが出来ませんでした。

ただ、新しい取り組みが、
最初から大成功ということもないと思いますし、
今後もアイデア満載の常に勝負している舞台を、
楽しみに待ちたいと思います。

これからも頑張って下さい。
応援しています。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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歌舞伎座八月納涼歌舞伎(2017年第二部) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
8 月歌舞伎座.jpg
今年の8 月の歌舞伎座納涼歌舞伎に足を運びました。

歌舞伎座の8月というのは、
幹部は夏休みという習わしで、
若手中心のキャストとなり、
通常は1日2部構成なのが3部構成となって、
入場料も割安になる、
というのが通常でした。
そのために他の月は「大歌舞伎」となるのですが、
今月は「納涼歌舞伎」となっているのです。

ただ、現在は1等席が通常の18000円が15000円、
と言う程度のディスカウントですから、
あまりお得感はありませんし、
キャストも猿之助も染五郎も勘九郎も出ているのですから、
他の月とそれほど変わっている印象もありません。
勿論吉右衛門や玉三郎、菊五郎などは8月には絶対に出演しませんから、
それは違うと言えば違うのですが、
一般の観客にとっては、
殆ど違いはなくなっている、と思います。

どれを観るかは迷ったのですが、
久しぶりに團子がお父さんと一緒に出るので、
第2部を選択することにしました。

最初の「修善寺物語」は岡本綺堂の新歌舞伎で、
なかなか味わい深い小品ですが、
彌十郎の夜叉王というのは、
鬼の気迫には乏しく、
やや迫力不足で物足りなくは感じました。

眼目の染五郎と猿之助コンビによる東海道中膝栗毛は、
昨年に引き続いた新作歌舞伎で、
若手オールスター総出演の感のある豪華な座組です。

昨年のものはお伊勢参りという骨格は残しながら、
途中でラスベガスに飛ばされるなどのぶっ飛んだ話で、
意外に歌舞伎味もありました。

今回は続編として何をするのかと思っていると、
シンプルに歌舞伎座で起こる殺人事件で、
それをいつもの面々が推理する、
と言う内容になっています。

殺人事件が起こるのが義経千本桜の四の切りの舞台裏、
という設定になっているので、
実際の歌舞伎座の舞台で、
その実際の舞台裏が見られるという趣向になっているのです。

そんな訳で凝った設定の舞台ではあったのですが、
残念ながら昨年のような盛り上がりは希薄で、
やや欲求不満気味の作品になってしまいました。

一番の原因は捕り物帳仕立ての
推理劇のスタイルであったことで、
ドタバタもあるのですが、
基本的には殺人現場の舞台での推理の遣り取りとなって、
せっかくの賑やかな舞台が、
何となく停滞する結果になってしまいました。

染五郎と猿之助のコンビも、
ボソボソとしゃべり、
ダラダラと動くと言う感じで、
僕が観た日だけのことなのかも知れませんが、
まるで覇気がなくガッカリしました。

これはもう企画の失敗であったように思います。

それでも、團子と金太郎のコンビは楽しく、
中車の昆虫談義や、
児太郎の堂に入った悪婆ぶりなどもなかなかで、
それなりに楽しんで歌舞伎座を後にしました。

歌舞伎はこの10年くらいでその変質が甚だしく、
「何が歌舞伎か?」という境界も極めて曖昧模糊として来ました。
薄味の舞台も多くその流れには賛同はしかねますが、
しぶとく時代に順応し、
生き残りを図って行くという辺りが、
歌舞伎の現在の特徴と言えるのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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かはづ書屋「巨獣(ベヒモス)の定理」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
巨獣の定理.jpg
なかなか渋い役者さんの森尾繁弘さんが代表を勤め、
昨年から活動をしている「かはづ書屋」という劇団の、
新作公演に足を運びました。

この劇団は初見ですが、
交流のある幾つかの劇団の俳優さんの、
ユニットのような感じで、
脚本と演出は「十七戦地」という劇団の、
柳井祥緒さんが勤めています。

興味を持ったのはモチーフとなっているのが、
昔懐かしい戦前の本格ミステリー、
浜尾四郎の代表作「殺人鬼」であることで、
これは由緒ある富豪の一族が、
謎の殺人鬼によって次々と殺される、
という古めかしくも懐かしい物語ですが、
それを全て使用人の目から見た推理劇として、
仕立て直すという内容になっています。

最近江戸川乱歩などの戦前のミステリーが、
矢鱈と沢山芝居になっているのは、
その著作権が切れたので、
関係者の許可なく自由に作品を使用出来るからです。

個人的にはあまりそうした風潮は好きではなくて、
そもそも小劇場のようなジャンルは、
こんなものをパロディや素材にして良いのだろうか、
と観ていてハラハラするような物を、
敢えて取り上げて怒られる前に上演して逃げちゃう、
というようなフットワークこそが楽しいので、
誰からも叱られないことが分かった途端に、
骨董品を掘り出して、
芝居にするというのは、
あまりに守りに入っている態度のように思えます。

ただ、その一方で今の世の中は、
SNSを介したブラックメールや密告が横行し、
隙あらば誰かの足を掬おうとするような、
物凄く嫌な社会なので、
小劇場と言えども、
そのように矮小になるのは仕方のないことかも知れません。

それでも、
著作権が切れたからすぐにワッとたかって芝居にする、
と言う行為は、
ある「見えざる手」に踊らされることでもある訳で、
やや反骨というか、
お上の言うことには従わねえぞ、
というような立場を取りながら、
そうしたことには無自覚というのも、
如何なものかな、
というようには感じます。

そんな訳で、
江戸川乱歩原案みたいな芝居には、
ほぼほぼ行かないように心がけているのですが、
最近では鵺的の「奇想の前提」などは、
アングラ復活みたいな、
なかなか楽しい試みでしたし、
原作を愛して読み込んでいることが、
良く分かる内容でした。
今回の芝居は「殺人鬼」を選んだという点に、
「むむっ」という感じがしましたし、
それを全て使用人サイドから描く、
という発想にも、
斬新さを感じたので観てみることにしたのです。

浜尾四郎の「殺人鬼」は、
1935年に発表された長編ミステリーで、
戦前では数少ない本格推理小説
(伏線を張った名探偵の登場するような謎解きミステリ)
の大長編として知られています。
ヴァン・ダインやクリスティ、クイーンなどのミステリは、
戦前から紹介され翻訳はされていたものの、
日本での本格推理小説の長編は、
戦後の横溝正史の「本陣殺人事件」から始まり、
それ以前には殆ど作例がない、
というのが実際であったからです。

その中でこの「殺人鬼」は英国ミステリを思わせる、
堂々たる長編で、
ほぼ犯人が丸分かりで、
ヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」と、
ルル―の「黄色い部屋の秘密」を、
そのままパクったような部分が多く、
意味ありげな割にダラダラしている、
という欠点はあるのですが、
よくぞこの時代にここまで、
と感心する部分も多々あります。

僕はミステリーに溺れていた中学生の時に読んで、
それ以降読み返したことはありませんが、
内容はほぼほぼ覚えていますから、
印象深い作品でもあったのです。

このほぼ埋もれた作品である「殺人鬼」を、
今回の芝居ではほぼ設定はそのままに、
全ての場面が使用人部屋で展開する、
という小劇場ならではの発想で、
骨太の推理論理劇に仕立てています。
原作があるとは言え、
ここまで論争のみで2時間近い上演時間を支え切り、
複雑な筋立であるにも関わらず、
それを無理なく観客に絵解きする、
という手際は非常に鮮やかで、
その論理劇としての完成度の高さには感心しました。
肌触りは「パラドックス定数」辺りに似ています。
ただ、今の流行りみたいなものを、
ラストにちょいと入れて、
今上演する意味みたいなものを付加しているのですが、
如何にも取って付けたようですし、
あまり本編との結びつきがないので、
これは良くないと感じました。
個人的には一気に次を見に行く元気が失せました。

以下ネタバレを含む感想です。
明日まで上演されていますから、
観劇希望の方は必ず観劇後にお読みください。

推理劇など詰まらないと思われている方は、
是非ご覧下さい。
推理や論理だけでこれだけ面白くなるのかと、
ビックリされると思います。
僕もビックリしました。

舞台は富豪の屋敷の使用人部屋に設定されていて、
奥に違い棚があり、
そこに富豪一家の持ち物の一部が、
その本人毎に分類されて置かれています。
これは使用人が自分が仕えている主人の、
持ち物の修理を行うために置いてある、
という理由付けになっていて、
大奥様の棚や旦那様の棚、
長女のお嬢様の棚、などが並んでいます。

ここで次々と、
富豪の一家が殺されるのですが、
殺される毎にそのお付きの使用人によって、
儀式のように棚の持ち物が取り去られます。
そして、徐々に空の棚が増えて行くのです。

極めて効率的で効果的で視覚的な工夫です。
クリスティーの「そして誰もいなくなった」の人形に、
ヒントはあるように思いますが、
かなり天才的な発想だと非常に感心しました。
これは凄いですよね。

登場するのは主に使用人達で、
執事がいて、長女に仕える女中頭がいて、
三女や長男に仕える女中に、雇われ運転手、
それから一公という新人の下男がいます。
それから原作の探偵役の支倉検事(劇中では書記)がいて、
一家では鼻つまみ者の腹違いの次女と、
その婚約者の書生は、
使用人ではなく富豪一家の中から唯一登場します。

これは要するに最後まで殺されない人物達で、
死んでしまう富豪一家の面々や、
殺される女中は、
一切登場せず、棚に物だけが置かれている、
という趣向です。

殺人鬼に1人殺される度に、
そこで犯人捜しの議論が戦わされます。
主にそこにいない人の話ばかりになるので、
それでは退屈になるのではないかと、
普通はそう考えますが、
それが意外にそうではなく、
観客自体が推理ものでは、
結局は噂話をしているような立場なので、
登場する使用人達の立ち位置と、
観客の立ち位置は似ているので、
スムーズに物語に入り込めるのです。

この辺りの発想も非常に面白く、
大袈裟に言えば演劇の新たな可能性を感じさせました。

ただ、これが三谷幸喜さんなら、
登場しない人物に面白おかしい肉付けとして、
それで笑いを誘ったり、
観客のイメージを膨らませたりするところですが、
今回の作品では敢くまで原作の絵解きをする、
という方針を取っているので、
そうしたデフォルメはされていません。
でも、それでも充分面白いのです。

物語は基本的に原作に沿って展開されますが、
原作にあった結末の後に、
もう1つのどんでん返し的なものが用意されていて、
その後戦争に向かう日本の姿と、
捕まらない犯人とが重ね合わされるようにして終わります。

原作に登場した一公という人物が、
実は若い頃の金田一耕助であった、
という隠れ設定も楽しく、
勿論金田一耕助は横溝正史のキャラですが、
若い頃にアメリカに渡ったことになっていて、
その前にも事件に関わっていたことになっているので、
しっかりと辻褄は合っていますし、
「しまった。遅かったか」みたいな、
お決まりの台詞も言うのが楽しいのです。

役者さんもこれまで観たことのない方ばかりですが、
なかなか堅実な芝居で見応えがありました。

ただ、どんでん返しと言うには弱い気がするのは、
そこで新たな秘密の暴露のようなものがなく、
捉え方を変えただけという感じだからだと思います。
また、戦争に向かう社会との重ね合わせというのが、
如何にも無理矢理で良くありません。
僕が考えるには、
ミステリ―はそもそも「悪」を描くジャンルで、
悪の造形こそがミステリーの根幹ではないかと思います。
そうであれば、登場する悪が、
そのまま戦争に向かう日本にある悪と、
明確に結び付いているような趣向が必要だと思うのです。
それが別にないので、
如何にも取って付けたように感じるのではないかと思います。

使用人と主人達と逆転させるという趣向は、
とても面白いのですが、
今回の作品において、
それが有効に機能をしていたかと言うと、
その点にも少し不満があります。

ミステリ―の語り口としては成功しているのですが、
発想がそこに留まっていて、
関係性が反転するような面白みがありません。
次女と書生を登場させているというのは、
構成上仕方がない面があるのですが、
次女が登場した時点で、
「使用人のみ」という設定は崩れてしまっているので、
その点が構成上の矛盾であるように感じました。
使用人が実は主人を支配している、
というような反転の発想があるべきだと思いますが、
そうしたダイナミズムが、
この作品には不足しているように思います。

色々と文句を言いましたが、
とても面白い芝居であったことは間違いがありません。
これはこれでとても良かったと思うのですが、
是非作り手の方には、
もっと上を目指して頂きたいと願います。
驚天動地の超絶論理推理劇の誕生の兆しを、
今回の舞台に垣間見たような気がしたからです。
そうした突き抜けた芝居においては、
もう取って付けたような社会性のようなものは、
必要はないのではないでしょうか。

これからも頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ナカゴー特別劇場「地元のノリ」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ナカゴーの河童.jpg
唯一無二の世界を繰り広げるナカゴーが、
特別劇場として「地元のノリ」という作品を、
南阿佐ヶ谷にある小さな劇場で上演しています。

相変わらずハイペースで上演を続けるナカゴーで、
以前は視聴覚室や会議室みたいなスペースでの上演が多かったのですが、
最近は比較的設備のある小劇場での公演が多いのは、
ファンとしては嬉しいところです。

前回は本公演として浅草九劇で「ていで」という公演が、
7月の下旬にあったばかりなのですが、
1か月後にはもう次の上演が行われています。

前回の「ていで」にも、
勿論足を運んでいるのですが、
ブログで記事にしていないのは、
正直あまり感心しなかったからです。
ちょっと文学に傾斜した感じで、
そうしたものもあって悪くないのですが、
本領発揮とは言えないかな、
というように感じてしまいました。

今回は、チラシにあるように、
ENBUゼミナールの発表会として作った作品を膨らませたもので、
河童などがジャンジャン登場する得意の「妖怪もの」の、
とてもとても楽しい作品でした。
アイデンティティや自分の本性を隠すという、
現代的なテーマを深いところで追及しているのですが、
それが知性の嫌味や底の浅い政治色などを、
全く持たないところで成立しているのが素晴らしく、
エチュードを組み合わせたような作り方を、
おそらくはしているせいもあるのでしょうが、
何処に転がるやら、
先が全く読めない展開は、
怪人鎌田順也さんの面目躍如の感のある快作でした。

毎日こうしたものが観られれば、
正直他の娯楽など何も要らないですね。

以下ネタバレを含む感想です。

公演は本日までですが、
観劇予定の方は必ず観劇後にお読み下さい。

物語は河童の三平(懐かしいですね)が、
幼馴染の女性の河童のお父さんが重病のために、
行方知れずの彼女を探して、
牛久の沼から東京に出て来たところから始まります。

出逢った女性は阿佐ヶ谷の闇医者の手術で、
人間の皮を移植されて見た目は人間になっています。
彼女は乱暴者の河童と不幸な結婚をして、
娘を1人設けていたのですが、
彼女はまだ自分を人間だと思っていて、
その場での母親のカミングアウトに衝撃を受けます。
更には娘の友達の不良少女が、
その場を目撃して家に戻り、
友達が河童であったことを、
ろくでなしの両親に告げるのですが、
それがまた実は…
という感じで次々とお話は連鎖して、
人間の皮を被って生活を続ける、
河童の実体が明らかになってゆきます。

物語はその河童の三平を中心とした前半と、
パスタの店の店長と店員を巡る人間関係から始まり、
驚天動地の誰にも予想出来ないクライマックスを迎える、
ナカゴーお馴染みの設定の後半とに二分されています。
ただ、前半と後半の筋も、
共通に関わるキャラが複数用意されていて、
両方は連鎖する構造になっています。

オープニングに男優さんが1人前説に登場して、
「今回の作品に登場する人間は自分だけです」
とネタバレをします。

前回公演の「ていで」でも、
あらすじを最初に説明してしまい、
台詞の練習風景も見せてしまうという、
同じような趣向が使われていました。

確かに分かっていても面白いのが、
ナカゴーのお芝居ではあるのですが、
分からないに越したことはありませんし、
今回の場合には「全員が実は妖怪」というのは、
ちょっと見れば推測のつくことではあっても、
わざわざ最初に言う意味が、
何処にあったのかな、というのは疑問に感じました。
この辺は鎌田さんは常人ではないので、
おそらく鎌田さんなりの理屈があるのだとは思います。

ただ、物語が始まってしまうと、
一気呵成に観客の思考を先取りするようにして、
軽快に進むのがいつもながら心地良く、
オープニングの10秒で、
もう物語の骨格が説明されて、
一気のその世界に入り込める、
という無駄のなさがさすがと思います。

小劇場の重鎮の方で、
本筋が始まる前に、
ダラダラとダンスもどきの退屈な場面を、
連ねたりするような人がいますが、
鎌田さんの爪の垢でも飲ませたいと、
本気で思います。

今回はナカゴー勢は、
スターの暴れん坊篠原正明さんと、
最近加入した土田有未さんの2人だけで、
後は素人に近いような方も多いのですが、
あまり「やらされ感」がなく、
上手く演出されているのにも感心します。

篠原さんは、さすがのクオリティで、
大暴れも歌もしっかりあり、
最後は凛々しい河童姿も見せてくれます。

上演時間は1時間20分ですが、
充実度があります。

とても楽しい時間を過ごさせてもらいましたし、
これからも本当に楽しみです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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倉持裕「鎌塚氏、腹におさめる」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
診療は午前午後とも石原が担当しています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
鎌塚氏.jpg
M&Oplaysプロデュースとして、
倉持裕さんの新作が、
先日まで下北沢の本多劇場で上演されました。

最初に申し上げますと、
今日もあまり褒めていません。
むしろ否定的な感想となっていますので、
この作品をお好きな方は、
多分ご不快になるかと思いますので、
以下はお読みにならないで下さい。
色々な意見があるということで、
ご容赦頂ければ幸いです。

倉持裕さんは、
現在最も活躍をされている、
劇作家で演出家の1人と言って良いと思います。

ペンギンプルペイルパイルズという劇団を、
主な活動場所としていた頃には、
かなりシュールでとらえどころのない作風で、
「246番地の雰囲気」という、
ケラ風のテイストのハードボイルド活劇があったかと思うと、
「機械」のような娯楽味を排したような、
不条理劇もありました。
その頃の傑作と言えば、
岸田戯曲賞にも輝いた「ワンマン・ショー」で、
これは別役風の設定を取りながら、
奇怪でグロテスクでシュールな不条理劇で、
後半現実と思われた世界が急速にその現実味を失い、
円環が閉じるように世界が縮んでゆく辺りは、
これまでの演劇にはあまりないようなタイプの、
現実感覚が根底から揺らぐような凄みがありました。

最近別の団体での再演もありましたが、
小劇場演劇を代表する戯曲の1つ、
と言って過言ではない傑作でした。

その後倉持さんは急速に仕事が増え、
有名な俳優さんや映像のスターを主役に据えた舞台や、
漫画の舞台化などの企画ものの舞台に重用されるようになります。
ちょっと不思議な気もしますが、
こうした職人芸的な商売人的な世界が、
意外に合っていたのかも知れません。
その一方で趣味的な仕事もこなしていて、
たとえば昨年上演された「家族の基礎~大道寺家の人々~」は、
ケラの年代記を思わせるマジック・リアリズムの世界を、
心躍るようなドラマにしていて見応えがありましたし、
竹中直人さんと組んだ「磁場」という芝居は、
三島由紀夫を彷彿とさせる美と藝術を追及した台詞劇で、
こんなものも書ける人なんだ、
と非常に感心させられました。

さて、今回の芝居は三宅弘城さんが執事を演じる、
浮世離れした設定のコメディのシリーズの1本で、
マドンナ的な女優さんが毎回登場し、
今回は二階堂ふみさんが貴族のお嬢様を演じています。

これは正直あまり乗れませんでした。

内容は今回は推理劇となっていて、
今時絶対ないような家柄の良いお金持ちの屋敷があって、
そこの執事を三宅さんが勤めている、
という設定です。
お嬢様の二階堂ふみさんは大の推理好きで、
事件のないところも事件にしてしまうような勢いなのですが、
父親である屋敷の当主が、
背中にナイフを突き立てられた死体として発見されたことから、
三宅さんと二階堂さんの、
推理合戦の様相を呈するようになります。

このメンバーから言って、
それほどドロドロした展開にはなる筈もなく、
悪人は誰も登場しないままで、
「殺人事件」は終了します。

これはまあ、三宅弘城さんを主人公にして、
ベタでマンネリ上等の、
シリーズもののコメディを作ろう、
ということなのだと思います。

従って、安心して観られるようなものを、
ということが大前提なので、
話は極めて予定調和的に展開されますし、
随所に笑いはありますが、
その場でちょっと笑う、と言う感じで、
良く出来たシチュエーションコメディのような、
連鎖的な笑いなどはありません。
映画の「ピンクパンサー」がモチーフとして使われていますが、
「暗闇でどっきり」のような、
ブラックなコメディになっている、
という訳ではありません。
極めて穏当で、不必要な遊びもなく、
意表を突くような展開や、
やり過ぎという部分もありません。

これが倉持さんの作品でなければ、
「パンチは利かないけど、これで良いのかな」
と思うところです。

でも、倉持さんが作・演出で、
昨年は「磁場」のような傑作も作っているのですから、
もう少し今上演する意味のある作品というか、
もっと破天荒なところや規格外のところのある作品を、
期待してしまうのです。

そもそも貴族のお屋敷や執事というものを、
今の時代に作品にする意味は何でしょうか?

「謎解きはディナーのあとで」もありましたし、
「貴族探偵」もありました。
「貴族探偵」の原作は、
もっとひねりのあるものですが、
両者ともドラマ版として考えると、
貴族や良家のお嬢様、
というような現実には存在しないし、
むしろ現実には否定的な文脈でしか、
批評されることのないような世界を描き、
そこでもミステリーを成立させています。

こうしたものが恒常的にあるということは、
別にもう貴族社会などは存在しないし、
金持ちも隙あらば引き摺り下ろせ、
というような殺伐した気分しかないような世の中で、
ある種のロマンをそこに感じる「気分」が、
あるということを示しているような気がします。

たとえば昭和初期くらいに時代を取れば、
一応日本にもそれらしい貴族社会はあったと思いますし、
お嬢様的な人もいたと思います。
しかし、通常今回の芝居もそうですが、
こうしたものはわざわざ現代に時代を取るか
時代不明のモヤモヤした設定にすることが殆どです。

つまり、観客や読者に、
何となく素敵だな、うらやましいな、
と思わせればそれで良い訳で、
そう思う観客や読者の心の中には、
実際にはもっとドロドロした醜悪な部分があるように思いますが、
その部分には気づかない振りをして、
偽善的に物語に没入してもらいたいのだと思うのです。

こうした思考停止を前提とした娯楽、
それも作者はそのことを知っていて、
それを観客や読者には、
なるべく自覚しないでもらおう、
というようなやや観客や読者を下に見た、
小馬鹿にしたような感覚が、
僕は嫌いなのです。

それからもう1つ不満なのは二階堂ふみさんの扱いです。

今回の舞台の二階堂さんは、
確かに愛らしくて可愛くて、
ラストには大堀こういちさんのギター伴奏で、
三宅さんと一緒に、
懐かしい「リンゴ殺人事件」を歌い踊る、
というサービスまであります。
ここまでされれば感心するしかないのですが、
二階堂さんの本領はこうした芝居でしょうか?

かつての演技派女優めいた感じ、
ギラギラした緊張感の漲る感じが、
最近の二階堂さんからは消えてしまいました。
それはそれで良いのかも知れませんが、
せめて舞台では、
もう少し二階堂さんの情念的な部分というか、
生の舞台ならではの演技を見たかった、
というのが正直な気持ちでした。

それで思い起こすのは岩松了さんの「不道徳教室」での、
緊迫感溢れる二階堂さんの舞台姿で、
こうして比較すると岩松さんというのは、
女優さんの何を舞台で引き出すべきかを、
本当の意味で心得ている稀有の演出家なのだ、
ということを改めて感じます。

要するに、
僕は倉持さんのことも二階堂さんのことも大好きなので、
もっと二階堂さんが活きる芝居、
そして本人はもっと舞台上で苦しんでいるような芝居が見たかったですし、
絵空事の大衆の消費材みたいな設定を使いながらも、
その設定自体に復讐するような芝居を、
倉持さんには見せて欲しかったのです。

脇の猫背椿さんだって、
もっともっと面白い役者さんの筈ですし、
色々な意味で今回の作品は、
個人的にはとても残念でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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サムゴーギャットモンテイブ『NAGISA 巨乳ハンター/ あたらしい「Lady」』 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日はもう1本演劇の話題です。

それがこちら。
NAGISA 巨乳ハンター.jpg
山並洋貴さんの1人劇団、
サムゴーギャットモンテイブの新作公演を観て来ました。

この劇団のことは良く知らなかったのですが、
この折込みチラシの、
日本のラジオ所属の田中渚さんの艶姿を見て、
「田中渚さん(Aカップ)が街を支配する巨乳(Fカップ以上)と戦う演劇」
という煽り文句を読んだ瞬間に、
こうしたものが実は大好きなので、
思わず予約をして、
結構無理をして観に行ってしまいました。

作品は2本立てで、
最初に『あたらしい「Lady]』という30分くらいの英語劇があり、
これは旧作の再演のようです。
それから休憩なく「NAGISA 巨乳ハンター」に続き、
こちらは1時間くらいの作品になっています。

英語劇の最初の方は、
「こりゃ、大失敗かな」
と思ったのですが、
なかなか骨のある作品で悪くなく、
後半の「巨乳ハンター」は、
アマチュアの内輪のパロディ芝居、
というような雰囲気は濃厚にありながら、
随所にプロの気合のようなもの、
低予算のサービス精神のようなものに満ち、
大和屋竺を思わせるようなシュールなクライマックスまであって、
馬鹿馬鹿しくも素敵な作品でした。

予約は2000円で高校生以下は1000円ですから、
あまり子供に見せるようなものではないのですが、
その値段でこれだけ楽しませてくれるなら、
コクーンや本多劇場で、
眠気をこらえて辛い思いをするより、
遥かに建設的で素敵な時間を過ごせたと思いました。

実際僕はこれに近いような感じのお芝居を、
大学生の時にはやっていたので、
とても懐かしい感じもありました。
馬鹿馬鹿しさの質は、
「ナカゴー」や「シベリア少女鉄道」にも似ているのですが、
この2劇団も評価が上がってお上品になっていて、
かなり守りに入っている詰まらなさはあり、
今回のような芝居を観てしまうと、
「そうだよね。たかが演劇はこんな風じゃなくちゃ」
と膝を打つような思いもあったのです。

良い子にはお勧め出来ませんが、
僕は大好きです。

以下ネタバレを含む感想です。

上演された場所は東中野から15分くらいの、
大久保通り沿いのイベントスペースで、
京都の町屋みたいな奥に長い構造になっていて、
通常は通り沿いの入り口から入り、
奥の方を舞台として使うのだと思うのですが、
今回は受付は外にあって、
そこからスタッフに導かれ、
横の非常口のような扉から場内に案内されます。

通常舞台として使用する奥の部分を客席にして、
2枚の幕で仕切った奥行のある空間を、
舞台として使用しているのですが、
こんな規格外をした目的は、
舞台のクライマックスで明らかになります。

客席より遥かに奥行のある空間で立ち回りが演じられ、
それが繰り返されるのですが、
足首に紐を掛けられた男性が、
縦移動で奥に引きずり込まれるという、
通常はあまり舞台上にないような動きが面白く、
最後には外の路上まで使って、
暗殺劇を上演しています。

このテント芝居を彷彿とさせるような、
自由度のある舞台構造が面白く、
この創意工夫だけで充分元は取った気分になりました。

内容は最初の30分の英語劇は、
英語が公用語となっているような、
グローバルな日本企業がイメージされていて、
そこにベトナム人と日本人のハーフで、
日本語も英語も殆ど話せない、
という新入社員が社長のコネ入社で入って来て…
という話です。

かなりたどたどしい英語と芝居が、
どうかなあ、というクオリティではあるのですが、
善意の塊のような日本人の好意が全て裏目に出て、
結局主人公の孤独も周囲への誤解による恨みも、
全く解決することはない、
という冷徹なラストには、
「なるほど、そこまでやるか」
と少し感心しました。
それも、無残なラストではなく、
何か軽くポエジーな感じになっているのです。

1本目が終わると、
出演もされていた主宰の山並がさんが出て来て、
少し休憩を取りますみたいなことを言うと、
それまで音効オペをしていたスタッフらしき人が、
いきなり「ごちゃごちゃ言うとらんでとっとと始めんかい!」
みたいなことを言い出して、
実はその人がヤクザの組長役のキャストだった、
という小ネタが挟まります。

人数が少ないので、
キャストと裏方を兼ねているという裏事情を逆手に取った、
楽しい小芝居でした。

そこから一気に観客を引き込む2本目の「巨乳ハンター」は、
同題の宇宙から来た巨乳エイリアンと貧乳のヒロインが戦う、
という漫画とは別物の、
基本的には「仁義なき戦い」のパロディの世界で、
ヤクザも巨乳で、
巨乳でないとのし上がれない世界、
という点で無理やり巨乳ネタを押し込んでいます。

ただ、そこでヤクザに恋人の捜査官を殺された女性が、
復讐のために貧乳の殺し屋になる、
という梶芽衣子のさそりシリーズみたいな世界が繋がり、
クライマックスの女殺し屋による襲撃では、
同じ殺し場の時間が巻き戻されて繰り返される、
という最近ではタイムリープとしてお馴染みですが、
鈴木清順や太和屋竺の殺し屋物を彷彿とさせるような、
シュールな場面が奥行のある舞台を使い、
外の路上まで使って演じられます。

これには本当にしびれました。
お金はなくてもアイデアと気合で勝負という、
小劇場の見本のような素敵さでした。

キャストは主人公の貧乳の女殺し屋に、
日本のラジオの田中渚さんが、
如何にも小劇場の女丈夫という風格と魅力で、
とてもとても素敵ですし、
それに対してJカップのAVアイドルの塚田詩織さんが、
ちゃんと登場して華を添えます。
お金もないでしょうに、
この一点豪華主義には頭が下がります。
脇のキャストも坊主頭の組長を演じた吉成豊さんなどが、
ケチの付けようのないコミカルヤクザを、
迫力を持って演じていて感心しました。

まあ、僕だから感心した、
というところもあって、
初めてお芝居を見る、というような方には、
全くお勧めは出来ない舞台なのですが、
アイデアに溢れた非常に楽しい作品で、
心ゆくまで楽しむことが出来ました。

山並さん是非これからも頑張って下さい。

キャスト一丸となった接客も良く、
とても素敵でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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前川知大「プレイヤー」(2017年長塚圭史演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はお芝居の記事が2本あります。

最初はこちら。
プレイヤー.jpg
イキウメの前川知大さんが、
2006年にイキウメで上演した「PLAYER」を、
長塚圭史さんとの共同作業で、
劇中劇スタイルの芝居として再創造し、
藤原竜也さんや仲村トオルさんを含む豪華キャストで、
「プレイヤー」という新たな作品として制作、
今渋谷のシアター・コクーンで上演されています。

最初に申し上げますと、
かなり悪口の感想になっていますので、
この作品を楽しみにされている方や、
鑑賞されて素晴らしいと思われた方は、
腹立たしく思われると思いますので、
どうかこれから先はお読みにならないようにお願いします。

死んだ人間が、
生前のその人を知っている生者の協力で、
その「言葉」の情報として再生される、
という前川さんらしいホラーSFのような原作を、
急死した脚本家の戯曲としてそのまま使用し、
その戯曲を俳優が稽古場で練習しているというていで、
物語は展開されます。
つまり、2006年版の物語を入れ子にして、
劇中劇として上演するという趣向です。

宣伝などの資料を読む限り、
この劇中劇にするという趣向は、
長塚圭史さんから前川さんに提案され、
それに沿って前川さんが戯曲を書き直した、
という経緯のようです。

ただ、これは敢くまで僕の個人的な考えですが、
およそ劇中劇のような構造を取った戯曲で、
あまり面白くなったためしはないように思います。
特に元々は普通の戯曲であったものを、
後から劇中劇の入れ子構造に直した作品でそれが顕著です。

それは何故かと言えば、
劇中劇という構造は、
作品世界と客席との距離感をより遠くしてしまうからです。

特に額縁(プロセニアム)形式の舞台を、
客席から鑑賞するような場合には、
観客の立場からは、
遠くの四角い舞台で行われている世界に、
集中して無理をして同期してゆくような作業が必要になります。
これは実際には結構しんどいことなのです。
それが劇中劇の構造となると、
舞台上の世界に慣れた上に、
更にそこで演じられる世界にも慣れないといけない、
という二重の苦労が生じることになります。

こうした作品を書いたり上演したりする立場からは、
観客と俳優との関係を、
劇中劇のスタイルを取ることにより、
相対化するような面白みを感じているのではないかと思うのですが、
それは概ね芸術家の独りよがりであって、
観客に通常より大きな緊張や集中力を強いている、
という視点が欠けているのではないかと思います。

こうした劇中劇の構造は、
小説や映像のメディアであれば、
有効に機能することが多いのです。
映像や小説であれば、
劇中劇の中の世界と、
それを演じている世界とを、
全く同じように表現し、
それを瞬時に切り替えることが出来るからです。

しかし、それを演劇で表現する時には、
舞台の上にまた舞台を置くような、
面倒極まりないことをしなくてはならず、
そうした構造が舞台全体をゴタゴタさせて、
観客の集中力を奪い、
無意味な疲労に導く結果になるのです。

今回の上演はその最たるもので、
舞台はある地方都市の公共劇場のリハーサル室に設定され、
そこに沢山のパイプ椅子が置かれていて、
そこで死亡した無名の劇作家による「PLAYER」という戯曲の、
練習が行われている、という設定になっています。
作品の8割くらいは、
実際には「PLAYER」という戯曲の世界が展開されています。
しかし、リハーサル室で上演、
という設定があるので、
何かセットも衣装も全てが中途半端です。
更にはリハーサルの段取りのようなものが間に入るので、
全体がメリハリなくダラダラとして、
「早く話を進めてくれよ!」というイライラが、
観客には募ることになるのです。

この作品で劇中劇にした意味は何でしょうか?

結局は最後に「オチ」が付くだけです。
そして、そのオチは誰でも観ていれば、
想像の付くような凡庸なものです。
こんな凡庸なオチだけのために、
わざわざ劇中劇のゴタゴタを用意したのかと思うと、
その馬鹿馬鹿しさには脱力するしかありません。

はっきり言えば今回の劇中劇の構造は、
無意味だったと思います。

前川さん自身も、
こうしたひねった趣向で、
自分の過去の作品を改変し、
それが結局は改悪になっていることが多いと思います。
長塚圭史さんも、
分かりにくく回りくどい演出をして、
それが却って作品の力を削いでいる、
というような作品が最近は多いように思います。
三好十郎の「浮標」なども、
そのまま上演した方が良いに決まっているのに、
わざわざリハーサルの劇中劇的な趣向を使って失敗していました。

そうした同じ欠点を持つ2人のコラボレーションというのが、
どうも悪い方向に増強されてしまった、というのが、
今回の作品であったように個人的には思います。

作品世界はなかなか魅力的だと思うのです。
カルト宗教などを想起はさせますが、
それだけではない前川さんの独自の解釈や世界観が魅力です。
しかし、それをゴチャゴチャと劇中劇にしたのは大失敗ですし、
キャストも無駄に豪華で、
集客という以上に、
あまり出演に意味がなかったと思われるような、
殆ど見せ場のないキャストも多かったのは残念でした。

そんな訳で、
僕は前川知大さんの「太陽」も「聖地X」も、
長塚圭史さんの「はたらくおとこ」も大好きで、
お二人ともとてもとても尊敬しているので、
個人的にはとても残念な上演でした。

ただ、ネットの感想などを見ると、
大絶賛のものも多いので、
これはもう感覚の違いなのだと思います。

この作品を御覧になって、
面白いと思われた方は、
どうか色々な意見があるということで、
ご容赦を頂きたいと思います。

僕ははっきり駄目でした。

それでは2本目の記事に続きます。
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ままごと「わたしの星」(2017年上演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当します。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
わたしの星.jpg
柴幸男さん率いるままごとが、
2014年に初演した「わたしの星」が、
キャストも新たにリニューアルして、
今三鷹で上演されています。

ままごとと言えば「わが星」という作品が、
演劇史上に燦然と輝く大傑作で、
僕も非常に感銘を受けました。
星を擬人化してその一生を辿る、
という着想がまず素晴らしく、
少女に見立てた星と、
それを望遠鏡で見つけた少年が時空を超えて奇跡的に出逢う、
という超絶なラブストーリーでした。

2014年に初演された「わたしの星」は、
題名の通り「わが星」の姉妹編的な性質のもので、
今度は実際の高校生をオーディションで集め、
未来の高校生を演じさせるという物語でした。

作品の性質上、
キャストをそのままに時間を置いて再演することは出来ないので、
今回はまた新たに高校生をオーディションで選び、
そのキャストにあて書きで、
新たな「わたしの星」を創作しています。

これも…素晴らしかったです。

「わが星」と比較すると、
そのスケール観や完成度、
オリジナリティにおいてはやや落ちるのですが、
非常に愛すべき、
抱きしめたくなるような85分ほどの小品で、
誰でも一度は感じたことのある、
思春期の頃の胸が苦しくなるような切なさに、
もう一度出逢うことの出来る作品に仕上がっていました。

これはもう、絶対のお薦めです。

以下ネタバレを少し含む感想です。

これは端的に言えば、
もう一度同じ時間を巻き戻して、
アンハッピーエンドをハッピーエンドに変える、
というお話で、
最近は映画もドラマも小説も、
そんなものばかりなので、
「またそれかい!」と思いたくなるところはあるのですが、
この作品は未来の地球で、
何かの原因があって、
殆どの人間は火星に移住してしまい、
老人と行き場のない人だけが、
地球に残っているという設定を加え、
それでいて登場するのはレトロなカセットデッキで、
全校でも10人しかいない「残された高校生」が、
最後の文化祭で最後の出し物を、
誰も観客のいない体育館で上演し、
その音だけがカセットテープに記録される、
という、これでもかのノスタルジックな仕掛けを追加して、
時間軸を何度も巻き戻しながら、
ある特別な1日の出来事を綴っています。

柴さんの作品の素晴らしさは、
多分柴さん自身が、
この世界観を本気で信じているからで、
勿論絵空事ではあるのですが、
設定自体が日本の現状のようでもあり、
過疎の島や村の現状のようでもあり、
それでいてもっと大きく世界そのもののようでもあります。
つまり、設定を超えたある種の心情のようなもの、
今この時代に生きている全ての人の心の底にある、
何かが失われていくという切なさと悔恨のようなものが、
柴さんの心から、
舞台を観る観客の心へと、
確実で手渡されている、
という部分にあります。

何も言わずに永遠に別れてしまった2人の少女が、
カセットテープの音源を巻き戻し、
代役の女の子の体を使うことで、
もう一度最後の瞬間を繰り返して、
実際には言えなかったことを伝え、
舞台の中央で抱き合う瞬間などは、
お芝居という虚構を遥かに超えた、
本物の心情そのものが、
立ち現れるような思いすらありました。

キャストは高校生とは言え、
セミプロみたいな経験者が多いようで、
高校演劇的な安定感があります。
ただ、それだけでは詰まらないことが柴さんには分かっているので、
主人公の内気な少女には、
本当に演技などまるで出来なさそうな、
内気そうな素人を選んでいて、
その彼女がクライマックスではしっかり泣いて見せます。
ちょっとあざといのですが、
さすがだと思いました。

演出も囲み舞台で、
舞台下に10人のキャスト全員が座り、
登場しないキャストが楽器を演奏したりする、
という、まあこれも野田秀樹演出や、
串田和美演出などで手垢の付いた、
「またそんなのかい!」というようなものなのですが、
高校生がたどたどしく演奏する楽器で、
シンプルで抒情的な旋律が奏られると、
その微妙な揺らぎがグッとくる感じがありますし、
舞台上へのキャストのまなざしのようなものも、
初々しくて心に残るのです。
これがプロだったら全く面白くはない訳で、
この辺りの柴さんのセンスというか、
感覚は抜群だと思います。

そんな柴さんの演出があるので、
絵空事の設定の物語に、
すぐに観客は引き込まれて、
舞台上に確かに過疎の地球の海辺の風景や、
少年少女が語らう光景の空気感のようなものが、
極めてリアルに感じられるのです。

これはもう、ざらにあることではありません。

作品の性質上、
この作品はこれで終わりだと思います。

公演は明日までで、
当日券も毎日かなり並んでいるようですが、
苦労しても観る値打ちはあります。

とてもとても素晴らしいです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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松尾スズキ「業音」(2017年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
業音.jpg
2002年に荻野目慶子さんの主演で初演された「業音」が、
キャストも新たに今回再演されました。

これはもう素晴らしくて、
現代最高のアングラ女優(筆者認定)である平岩紙さんが、
ほぼ出ずっぱりの熱演というだけで最高ですし、
他のメンバーも大人計画のレジェンドが揃い、
極めて完成度の高い、
松尾スズキの極私的な世界が存分に繰り広げられていました。
時間が許せば毎日通い詰めたいような、
いつまでも観続けていたいような、
そんな至福の2時間でした。

この「業音」は松尾スズキさんが、
大人計画以外にプロデュース公演的に上演していた、
日本総合悲劇協会というユニットの1作で、
初演の2002年は松尾スズキさんと大人計画の人気が沸騰していた反面、
2000年の「キレイ」という、
ある意味松尾さんのそれまでの劇作の、
集大成的な傑作の上演以降、
おそらくはプライベートに生じた問題などもあって、
劇作という意味ではかなり煮詰まっていた時期だと思います。

実際その後1人芝居などの傑作はあっても、
松尾さんの戯曲としてのヒットは、
「キレイ」以降はなく、
純粋に戯曲として傑作と言える作品も、
今のところこの「業音」が最後のように思います。

この作品は草月ホールの初演を観たのですが、
かなりやぶれかぶれの感じがして、
「ヘブンズサイン」辺りの焼き直しの印象があったのと、
最初の「神の存在は是か非か?」という命題が、
結局「答えを聞いたけど歩いている間に忘れてしまった」
という脱力系の結論に至るので、
正直あまり感心はしませんでした。
当時はもっともっと先の世界を見せて欲しい、
という期待があったのだと思います。

ただ、今にして思うと、
この作品は松尾さんの劇作の中で、
最も個人的なギリギリの思いに溢れた、
限界点に近いような私小説的な作品で、
松尾さんが設定は違うものの「松尾スズキ」を演じ、
作中のその人物は死に取り憑かれていて、
超人的で支配的な女性に、
自殺を止めるという形で支配されている、
という物語なので、
それまでの大人計画の芝居とは一線を画した、
当時の松尾さんの遺書のような芝居であったのだと思います。

それを徹底した悪ふざけと猥雑な妄想、
中年男性に時間と共に変貌する老女や、
脳を切り取られ便器と一体化する女性、
自分のコピーを増殖させることが生きがいのゲイの怪人など、
グロテスクで奇怪なキャラクター達、
お騒がせ女優であった荻野目慶子さんを、
本人として出演させ、
自分の愛人役を演じさせるという、
虚実ないまぜの危険極まりない趣向を含めて、
極私的に生と死と演劇を突き詰めた、
怪作として成立させていたのです。

今にしても思うと壮絶な芝居でした。

さて、15年後の再演となった今回ですが、
松尾スズキさんの役柄は本人が演じているものの、
役名は「松尾」ではなく「堂本コウイチ」と変えられています。
皆川猿時さんや伊勢志摩さんも初演と同じ役を演じていますが、
役柄は矢張り架空のものに変更されています。

これはつまり純粋な虚構として、
今回は距離を取って作品を再構成しよう、
ということなのだと思います。

初演の荻野目慶子さんの役は、
今回は平岩紙さんが演じています。

それ以外のキャストも松尾さんが信頼する、
古くからの大人計画のメンバーで固められていて、
ややノスタルジックな感じのする、
非常に豪華で鉄壁な布陣です。

ある意味「最高の大人計画の芝居」を、
今の観客に見せよう、
というのが今回の眼目の1つであったように思われます。

そして、その目的なかなり高いレベルで、
果たされていたのではないかと思いました。

平岩紙さんは世が世であれば白石加代子になっていたのではないか、
とも思えるようなアングラ演技の逸材で、
聖女から狂女、
チンピラ女子高生から不倫するエロチックな人妻、
世界支配を企むSM女王様まで、
あらゆる役柄を変幻自在に演じ分け、
その一方で能面のように完全に表情を殺して、
物体として存在することも出来る技巧の持ち主です。

今回の舞台はある意味彼女のワンマンショーで、
その存在自体の素敵さと、
惚れ惚れとするような演技術には、
女優さんを観る喜びを、
心より堪能することが出来ました。

唯一不満は前回荻野目慶子さんは舞台上でほぼ全裸になったのですが、
平岩さんはラストまでシュミーズ姿のままだったことで、
平岩さんはCMもされていますし、
おそらくはそうした事情によるものなのかな、
と思いました。

基本的な戯曲の構造に変更はありませんが、
台詞は初演よりかなり分かりやすくなり、
現代を意識した細部の変化もあります。
演出も初演とほぼ同じでしたが、
キャストも変わった分、
とてもスタイリッシュで完成度の高いものになっていました。

以下は僕の勝手は推測なので、
そのつもりでお読み頂きたいのですが、
松尾スズキさんは実際にこの作品の初演の頃には、
死に取り憑かれていたのだと思いますし、
それを周囲の人や劇団員などによって、
監視され止められることによって生きていたのではないかと推察します。
そんな生活の中で、
神の存在を哲学的に思考し、
肉体のない精神だけの女性に、
支配されて生かされる自分を、
夢見ていたのではないかと思うのです。

この作品にはその頃の血を吐くような思いが、
吐露されているのだと思いますし、
それがグロテスクで甘美で奇怪な妄想の力を借りて、
唯一無二の演劇として成立している点が、
素晴らしいと思うのです。

是非ご覧ください。
これぞ掛け値なしの「演劇」です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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赤堀雅秋「鳥の名前」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
何もなければ1日ゆっくり過ごす予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
鳥の名前2.jpg
最近多方面で活躍をされている、
THE SHAMPOO HATの赤堀雅秋さんが作・演出を勤め、
新井浩文さんや水澤紳吾さんなど、
映像で活躍をされている曲者役者と、
荒川良々さんや村岡希美さんなど小劇場のプロフェッショナルが、
一堂に顔を揃えた舞台が、
今下北沢のスズナリで上演されています。

スズナリの小空間での舞台としては、
贅沢過ぎるような顔ぶれで、
かつての竹中直人さんの舞台のような、
客席の熱気がありました。

赤堀さんの作品はあまり良い観客ではなく、
THE SHAMPOO HATの公演は、
何度か観ようとは思いながら、
他の芝居と同じような時期に上演されることが多く、
何となく観る機会を逃していました。

赤堀さんが作品を書いた、
プロデュース公演には何度か足を運びましたが、
犯罪などを扱ったかなりドロドロした筋立にも関わらず、
まったりしたテンポで淡々と物語は展開し、
何処が山場かも分からないように話が終わってしまうので、
ウトウトしながらの気合の入らない観劇になってしまいました。

今回も不安を抱えながらの観劇となったのですが、
矢張り犯罪なども扱い、
まったりとしたテンポで物語は進むのですが、
小空間ならではの空気感と、
物語の密度とのバランスが良く、
赤堀さんの意図もかなり明確に感じられる舞台であったので、
結構面白く充実した気分で劇場を後にしました。

以下ネタバレを含む感想です。

愛すべきダメ男達の群像劇、
というタイプの1時間50分くらいの芝居で、
主演が誰かは必ずしも明確ではありませんが、
ボロアパートの大家で、
家賃収入でブラブラしている無職の新井浩文さんと、
その友人で会社員の時に痴漢を疑われて仕事を失い、
父親の自転車屋を継いだ赤堀雅秋さんを中心として、
物語は開始されます。

アパートの住人の村岡希美さんと、
赤堀さんを結婚させようと、
新井さんが2人の仲立ちをするのですが、
村岡さんは荒川良々さんにストーカーをされていると訴え、
それを止めさせようと新井さんがサウナに乗り込む辺りから、
得体の知れない闇の世界に引き込まれてゆきます。

親の遺産で食いつなぎながら、
それはいつまでも続くものではなく、
無為に人生を過ごしている中年男達に、
今の社会の閉塞感のようなものが見え隠れします。

「アウトレイジ」のたけしを彷彿とさせるような、
吃音のヤクザを演じる水澤紳吾さんや、
力士上がりの怪しい青年実業家の荒川良々さんの、
怪演技も楽しく、
根本宗子さんは地下アイドルとして物語に絡み、
ストーカーに斬り付けられ殺害されるという、
現実の事件をイメージした役柄を演じます。

ラストは村岡希美さんが嘘吐きの本性を現すのですが、
新井さんも赤堀さんもそれを呑み込んで安スナックの夜は更け、
オープニングで友達から2万円を返せと言われた新井さんが、
ヤクザからもらったお小遣いで、
それを清算したというオチが付いて、
物語は軽快に終わります。

狂気を孕んだ人物が沢山登場する、
という意味では松尾スズキさんの世界にも、
ちょっと似たところがありますが、
良くも悪くも登場するのは「小物」ばかりなので、
壮大な物語になることはなく、
事件としても新聞の1面に載ったり、
3面でも大きく載るような事件ではなく、
一般紙なら3面の片隅に、
小さく載るような哀れを誘うような事件が、
その中心に据えられています。

そして、同時代的な切迫感のようなもの、
将来への絶望と空しさと、
それでも小さな希望を追い求める切なさのようなものが、
観客の心に澱のように残るのです。

作者が意図したその「気分」のようなものを、
観客が共有出来るかどうかが、
こうした作品を楽しめるポイントだという気がしますが、
今回は意図もかなり明確で作品の密度も濃かったので、
充分にその「気分」を感じることが出来ました。

ただ、国会中継をラジオで流したりする、
なくもがなの演出もあって、
「私だって危機感は共有しているのですよ」
と言いたいのかも知れませんが、
その辺は正直余計だと感じました。
いつの時代の何処の場所でも成立する物語だと思うので、
その点は筋を通した方が良いのではないでしょうか。

赤堀さん演じる自転車屋が、
自分が痴漢で捕まった話をしたり、
地下アイドルの根本宗子さん
(彼女の今の立ち位置からすれば、
ちょっと気の毒な役回りに感じました)が、
大して意味のない調子で自転車屋に本音を語る場面などの、
一方向的な「告白」の虚しさに、
充分作品のテーマは感じられると思いました。

役者は手練れが揃っていますから勿論楽しく、
荒川良々さんのサウナでの大暴れなど、
お約束のようなサービスも盛り沢山で、
赤堀さんの僕が観た作品の中では、
最も楽しめる素敵な1本になっていたと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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