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臨床試験原理主義を憤る [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から意見書など20枚書いて、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

先日レビー小体型認知症に対して、
ドネペジル(商品名アリセプトなど)の適応追加が承認されました。

レビー小体型認知症は、
大脳と脳幹の神経細胞の脱落と、
レビー小体と呼ばれる構造物の出現を、
特徴とする変性性の認知症です。

ただ、この所見は、
解剖によってしか明らかにならないので、
通常生前の確定診断は困難です。

しかし、特徴的な症状が揃えば、
それをもってこの病気と診断されます。

アルツハイマー型認知症と同じ、
進行性の認知機能障害に加えて、
パーキンソン症状と言われる運動機能の異常や、
精神症状としての幻視がその特徴で、
認知機能にはかなりの波があり、
急にぼんやりして意識レベルの低下が起こり、
それがまたしばらくすると回復するのも、
その特徴の1つです。

その治療には、
まだ明確な方針がありません。

幻視などの精神症状には、
抗精神病薬と呼ばれる、
一種の鎮静剤が有効ですが、
少量でもパーキンソン症状の悪化することがあり、
使用には注意が必要です。

パーキンソン病に使用するような薬剤は、
逆に幻覚や妄想などの症状を、
悪化させることがあります。

そんな中で、
ドネペジルのようなコリンエステラーゼ阻害剤は、
レビー小体型認知症では、
脳のアセチルコリンの低下が確認されていることから、
その使用による症状の改善が期待され、
日本のおいて適応追加についての臨床試験が行なわれました。

その第2相の臨床試験の結果は、
2012年にブログ記事としてご紹介したことがあります。

トータル140名の患者さんを、
無作為に偽薬群と、
ドネペジルの3mg、5mg、10mgという、
3種類の用量に振り分けて、
認知機能や運動機能など、
複数の指標により、
その効果を12週間に渡り観察したところ、
CIBIC-plusというトータルな認知症の臨床評価の指標では、
偽薬に比べて、
少量の3mgを含む全ての用量で、
改善が認められました。

ただ、認知機能の指標や行動の指標では、
5mgと10mgでのみ有意な改善があり、
介護者の負担の軽減という指標では、
高用量の10mgのみに有意な改善が認められました。

副作用などの有害事象は、
概ねアルツハイマー型認知症に、
ドネペジルを使用した場合と、
同等であったとされています。

一番の危惧は、
ドネペジルの使用により、
幻覚なせん妄などの精神症状や、
パーキンソン症状が悪化するのではないか、
ということですが、
臨床試験の結果では、
そうした事例は少なく、
むしろ幻覚も歩行障害も、
トータルにはドネペジルの使用により、
改善が見られています。

ただ、パーキンソン症状が高度の方は、
除外されているので、
この臨床研究は、
レビー小体型認知症の患者さんを、
トータルに見ているとは必ずしも言えず、
認知機能の低下は中等度から高度で、
パーキンソン症状はそれに比較すると軽い患者さんを、
そのターゲットにしている、
という点には注意が必要なのではないかと思います。

その後第3相の臨床試験を経て、
ドネペジルのレビー小体型認知症に対する効果は、
再度確認がされ、
今月のレビー小体型認知症への、
適応拡大に至ったのです。

ここまでは特に問題はありません。

問題なのはその用法用量です。

レビー小体型認知症に対しては、
1日3ミリグラムから開始し、1から2週間後に5ミリグラムに増量する、
と明記されています。
5ミリグラムで4週間以上経過後、
10ミリグラムに増量すると書かれ、
症状により5ミリグラムに減量出来る、とされています。

これの何処が問題かと言うと、
アルツハイマー型認知症にある、
「症状により適宜減量する」という記載がないことで、
この薬は原則として、
最初の2週間以内を除いては、
5ミリグラムか10ミリグラムの用量しか使用してはならず、
5ミリグラムを継続する場合も、
一旦は10ミリグラムを使用してみて、
問題のあった事例に限られる、
ということになります。

認知症の診療をされている方なら、
感覚的にお分かり頂けるかと思うのですが、
患者さんによっては通常量のドネペジルでは、
興奮やイライラ、不眠などが生じ、
それが減量により落ち着くのは結構あることです。
ドネペジルは腎機能にはあまり影響されずに、
使用の可能な薬ではありますが、
それでも高齢の患者さんの場合、
通常より少量が最適用量であることも、
稀なことではないように思います。

しかし、上記のような添付文書の記載では、
たとえば10ミリグラムに増量しないで5ミリグラムを継続したり、
3ミリグラムを長期間使用することは、
査定の対象となることが充分に考えられます。

幾ら臨床試験の結果が、
10ミリグラムが適正の用量という結果であったとしても、
それは単なる1回の臨床試験の結果に過ぎないのですから、
このような用量の制限と、
減量を認めないというような方針は、
患者さんにとっても望ましいものではないように思います。

同様の問題は最近は数多く、
たとえば疼痛治療薬のプレガバリン(商品名リリカ)は、
神経障害性疼痛での用量の上限は1日600ミリグラムであるのに対して、
線維筋痛症に対する用量の上限は450ミリグラムという差があり、
これも承認時の臨床試験の用量設定がそうだったから、
というだけの理由で、
合理的な臨床上の理由は何らありません。

このような承認時の臨床試験の用量で、
厳格に処方を制限しようという考え方は、
人間の体質の違いを考える時、
あまり合理性のあるものとは言えず、
医療者がその裁量の広さを良いことに、
いい加減で非科学的な処方を繰り返したことが、
こうした制限を誘発した側面はあるので、
それを考えると忸怩たる思いがあるのですが、
基本的には「適宜用量増減」というような幅を持たせた記載は、
是非付け加えて欲しいと思うのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

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デング熱事例紹介 [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から意見書など書いて、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

デング熱の流行が、
丁度診療所のある渋谷区の周辺の地域で問題となっています。

数日前にデング熱の診断が確定した、
比較的典型的な事例を経験しましたので、
患者さんの特定に繋がらない範囲で、
ご紹介したいと思います。

患者さんは20代の女性で、
8月中旬に代々木公園に行き、
その6日後より40度代の熱発と嘔吐の症状が出現しました。

全身の関節痛と倦怠感が強く、
ウイルス性胃腸炎でも良さそうな症状ですが、
下痢はありません。
発熱発症後4日後に近くの大学医学部の附属病院を救急で受診し、
血液検査を施行しています。

結果は白血球が2300と低下、
血小板が12.2万とやや低めで、
炎症反応であるCRPは0.6と弱陽性でした。

細菌感染では白血球は増加し、
血小板も増えるのが典型的ですから、
これはウイルス感染を示唆する結果です。

ただ、救急の担当医は、
フロモックスとカロナールを処方し、
特に再診や再検査は指示しませんでした。
お世話になっている病院なので、
悪くは言えませんが、
フロモックスで様子を見るのは、
さすがに如何なものかな、
と言う気はします。

その翌日の発熱発症5日後には、
解熱傾向となり、
同時期より湿疹が出現しました。

患者さんは体調が戻らないので、
発熱発症6日後に診療所を受診されました。

診察時には平熱に復していましたが、
その割に重症感は強い印象です。
頭部から体幹中心に、
皮膚の発赤と風疹様の皮疹を軽度に認め
(良く見ればあるかな、と言う程度です)、
扁桃腺炎は認めませんでしたが、
口腔粘膜は全体に発赤が強く荒れています。

採血を再度行なうと、
白血球は2300で変わらず、
CRPは0.3で陰性でしたが、
血小板は54000と減少が明瞭化していました。

回復期と考えましたが、
血小板減少が進行していることと、
まだ重症感のあることから、
大学病院の感染症科に診療を依頼し、
IgM抗体が陽性でデング熱と診断されました。

現在流行しているデング熱としては、
比較的典型的な事例と考えられます。

個人的に考えるポイントは、
感染源となる蚊の生息地域で刺されてから、
概ね1週間程度の潜伏期を経て、
突然の高熱でインフルエンザ症状で発症し、
通常の風邪より関節痛や全身倦怠感などの全身症状が強く、
発熱より数日くらい遅れて、
風疹様の皮疹が出現します。
血液検査においては、
白血球の減少と血小板の減少を認め、
時に肝機能障害を合併しますが、
CRPは上がっても軽度に留まります
(10を越えていれば否定的との指針あり)。

つらつら考えると、
同様の症状の患者さんが
(湿疹を除外すれば)、
10人以上は8月中旬以降に受診されていて、
臨床医の感触としては、
高熱と全身症状の割に、
他の局所の所見が非常に乏しいので、
「これはちょっとおかしい」という印象を持ちましたが、
それ以上は診断の方法もなく経過していました。

従って、おそらくは診断事例は氷山の一角で、
局所的にはかなりの流行が起こっていることが想定されます。

現行の僕の方針としては、
典型的な事例においては、
通常より早期に血液検査は施行して、
血小板減少が明瞭で症状が遷延していれば、
感染症科への紹介を考慮しています。
(などと書いていたら、
保健所と医師会から対応方針のファックスが届いたので、
その方針通りで対応する予定です)

それではこの話題はこのくらいで。

今日は土曜日なのでもう1本趣味の話題があります。

石原がお送りしました。

ジェネリック医薬品をめぐる理不尽 [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日は雑談です。

先日ある患者さんから、
ビックリするような話を聞きました。

その患者さんは慢性のご病気を持っていて、
毎日薬を服用されています。

僕が処方したのは先発品でしたが、
調剤薬局では、ジェネリックにすればこれだけ安くなりますよ、
というような話があり、
患者さんの同意の上でジェネリック薬品が処方されました。

ある時診療所の処方箋を薬局に持って行くと、
いつもより高い金額を請求されました。

薬の変更は特になかったので、
患者さんは不思議に思って薬剤師さんに聞くと、
「今月から薬の値段が上がりました」
という返事です。

同じ薬の値段が急に上がるのはおかしいと思い、
より突っ込んで事情を聞くと、
次のようなことが分かりました。

処方されている薬の成分にはそれまでと違いはありません。

しかし、ジェネリック薬品の会社が変わったのです。
薬局の取引先が変更されたのです。
そして、その変更された会社の同じ製品は、
元の会社の製品より高い値段が付いているので、
処方箋は全く同じであるのに、
支払う金額は上がることになったのです。

それでは、前の薬に戻して欲しい、と言うと、
今は取引をしていないので出来ません、
という返事です。

患者さんは何か釈然としない気分で、
薬局を後にしました。

新薬が開発され販売されてから、
概ね10年位の一定期間が過ぎると、
特許切れとなるので、
他のメーカーも同じ成分の薬を、
販売することが可能となります。

これがジェネリック薬品で、
元の新薬より安い値段が付きます。

この仕組み自体は世界中にあるものですが、
日本の特殊性は新薬の値段も国が決め、
ジェネリックの値段も国が決めていて、
その価格でしか販売することを許していない、
という点にあります。

国はジェネリック薬品の使用を推進しています。
これは医療費の削減のためです。

そのための方策として、
僕が先発品での処方箋を出しても、
薬局ではそれをジェネリック薬品に変更して、
良いことになっている訳です。

しかし、実は同じ成分の薬のジェネリックにも、
複数の価格が存在しています。

たとえば、
ランソプラゾールという薬があります。
新薬としての名称はタケプロンで武田製薬の薬です。
通常量の15ミリグラムの薬価は、1錠89.3円です。
この同一成分の沢井製薬という大手ジェネリックメーカーでの薬価は、
1錠50.6円に設定されています。
確かに先発品より安い価格です。
しかし、その一方で同じジェネリック大手の共和薬品での価格は、
1錠34.8円とより安く設定されているのです。

もう1つの例を出します。
エバスチンという抗アレルギー剤があります。
先発品の名称はエバステルで、
5ミリグラム1錠の薬価は76.0円です。
この同一成分のジェネリック大手沢井製薬の薬価は、
1錠が48.40円です。
これが最近ジェネリックに参入した、
先発でも大手メーカーのファイザーの薬価は、
1錠が29.9円となっています。

ついでにもう1つ出します。
認知症の治療薬として有名なアリセプトですが、
先発品の5ミリグラム1錠の薬価は334.7円です。
この同一成分のジェネリック大手沢井製薬の薬価は、
1錠が193.5円です。
これが先発でも大手の田辺三菱系列のジェネリックの薬価は、
同じ用量で1錠155.4円になっているのです。

このように概ね売れ筋の商品のジェネリックは、
販売の時期や薬価改訂のタイミングその他の理由により、
2種類の価格が付いていることが多く、
中には3種類の価格が付いているものもあります。

実例は高コレステロール血症治療薬のシンバスタチンで、
10ミリグラム錠の先発品の薬価は221.8円ですが、
そのジェネリックには1錠62.6円、87.6円、124.0円という、
3種類の価格が存在しています。
先発品の高額であることにもビックリですが、
同じジェネリックであるのに、
価格差が2倍もあると言うことにもビックリです。

つまり、同じジェネリックの扱いで、
同じように優遇されていながら、
その価格は会社によって違うのです。

僕はこの辺りの裏事情は知らないので、
敢くまで推測になりますが、
何となく利益誘導の仕組みがあるように思えます。

参入の時期や卸値の調査など、
調べれば理屈はあれこれと書いてあるのです。
薬剤師さん対象のQ&Aなどにも、
もっともらしい理屈や、こう説明すれば良いのだよ、
というような偉い先生の蘊蓄が書かれています。

しかし、卸値が反映されると書かれてある一方で、
一律に薬価を強制する算術が書かれているなど、
じっくり読むと矛盾がゴロゴロ出て来ます。
そもそも医療費を下げるために導入された仕組みである筈なのに、
それが二重価格になっていて、
患者さんにその選択権が事実上ない、
という理不尽さが何故放置されているのか、
その本質的な疑問の答えが、
何処にも書かれていません。

専門家たるもの、
理不尽な仕組みには、
シンプルに「これはおかしい」と言うべきではないでしょうか?
それを全くしないでおいて、
「患者さんの言いくるめ方」
のような指南をするようなことは、
少なくとも専門家のするべき仕事ではない筈です。

皆さんが医者から処方箋をもらい、
それを調剤薬局に持って行くと、
この薬にはジェネリックと言って、
もっと安い薬があるのでそれに替えましょうと、
半ば強制的な指導が行なわれます。
ただ、これは薬局の意思と言う訳ではなく、
国家の意思であり指導であるのです。
その時にジェネリックに替えると、
これだけ負担が安くなりますよ、
と言う説明がされますが、
その際に全てのジェネリックの価格が、
説明されることはまずありません。

調剤薬局が採用しているのは、
概ね1種類のジェネリックだけです。
それはそうで、
複数のジェネリック薬品を同時に採用すれば、
在庫の管理が非常にややこしいことになるからです。

そして、そのジェネリックがより安い価格のものであるかと言うと、
必ずしもそうしたことはないのです。

仮にジェネリック薬品という国のお墨付き
(実際にはただの書類審査です)
が全て正しいものであり、
国の説明に誤りが何もないとすれば、
全てのジェネリック薬品の製品の質には、
何ら差はないということになります。
それであるのに価格に結構な差があるとすれば、
当然全ての薬局は最も安い価格のジェネリックを、
採用するのが理の当然であり、
そうなれば何処かの大手メーカーのように、
他より高い値段の製品ばかりを売っているジェネリックメーカーは、
潰れるのが必然ということになります。

しかし、実際にはそうしたメーカーが莫大な利潤を上げ、
多くの薬局がわざわざ高いジェネリックを採用して、
患者さんにそれをあたかも最低価格の製品であるかのように、
販売しています。

調剤薬局の皆さんの理屈も分かります。
取引の継続性や流通の問題もあり、
そうせざるを得ないのです。
しかし、それを分かった上で敢えて言いたいのですが、
これは消費者たる患者さんに対して、
フェアなあり方でしょうか?

本来ジェネリック薬品が、
国家の言うように医療費削減のために存在しているのなら、
ジェネリックに複数の価格があり、
どれを選ぶかによって患者さんの負担も変わるような、
そんな仕組みを作るべきではありません。
ジェネリック薬品の価格は一律であるべきで、
そうでなければ色々な意味で、
不公正なことが起こることになるからです。
医師会も薬剤師会も、
その理不尽を強く主張するべきではないでしょうか?

しかし、実際には平然とそうしたことが行なわれているのです。

ジェネリック薬品とは誰のためのものでしょうか?

それは本当に医療費削減のために存在しているのでしょうか?

それなら何故、
一部のメーカーが得をして、
より利潤を上げるような仕組みがあるのでしょうか?

そこに何の意味があるのでしょうか?

皆まで言うことは出来ませんが、
それが何故であるかは、
皆さん先刻ご承知なのではないかと思います。

ジェネリック薬品とはこうした胡散臭い部分のあるものなのです。
そのことを、是非皆さんにも分かって頂きたいと思います。

念のため補足しますが、
上記の内容は薬局や薬剤師さんを非難するようなものではなく、
ジェネリックが二重価格になっているという、
そのシステム自体が理不尽であるという趣旨のものです。
文句を言うべきで責任があるのは、
厚生労働省や、
この奇怪なシステムを容認している、
業界の一部の権力をお持ちの方であって、
調剤薬局や薬剤師さんに存在する性質のものではありません。

ただ、かつて薬の多くを医療機関で出していた時には、
製薬会社からのマージンが常態化していたように、
消費者を無視した不公正なシステムは、
必ず不公正な取引の温床となることもまた事実です。
そうしたことが分かっていながら、
そうしたシステムを作り、
暗に「お前らはこのグレーゾーンで儲けろよ」
と指南するのが行政なのです。

不公正で儲かるシステムを作っておいて、
マスコミにつつかれたりすると、
自分の責任は何処吹く風に、
平気でそれを非難するのがお役所なのです。
騙されて口車に乗ってはいけません。

僕の言いたいことは、
とっととジェネリックの価格を一定にすればそれで良く、
薬価が大きく引き下げられている昨今では、
新薬の値段を下げればジェネリックも不要で、
適正な価格が同一成分で1つになれば、
よりシンプルで公正なものになる、
ということです。
以前でしたらそうした考えは絵に描いた餅でしたが、
新薬の薬価は定期的に引き下げられ、
大手の開発を手掛けるメーカーが、
自前で他社のジェネリックを、
最低価格で販売している現在では、
すぐにでも実現可能なことなのです。

皆さんはどうお考えになりますか?

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

ヘキストララスチノンの消滅を悼む [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は水曜日なので診療は午前中で終わり、
午後は産業医の面談に廻る予定です。

それでは今日の話題です。

ヘキストララスチノン(一般名トルブタミド)
という飲み薬の糖尿病治療薬があります。

これはSU剤というタイプの薬ですが、
現行使用されている他のSU剤と比較すると、
その効果が弱く効きが長いことがその特徴です。

僕が大学の内分泌の医局に入った時の、
糖尿病の治療薬と言えば、
飲み薬はラスチノンとオイグルコン(グリベンクラミド)だけで、
後はインスリンの注射薬でした。
その後の数年に、
αGIと呼ばれる食後のブドウ糖の吸収を抑える薬と、
糖尿病の合併症の進行を抑えると言われた、
キネダック(エパレルスタット)が加わりました。
ビグアナイトはありましたが、
使う医者は「変態」だけでした。

医局の助教授の先生の説明は感銘にして要を得たもので、
「糖尿病の飲み薬には大きな粒と小さな粒の2種類があって、
大きな粒は弱くて、小さな粒は強い」
というものでした。

この先生は他にも名言を残しています。
抗生物質については、
「一番古い薬が一番良く効く」
という言い方でした。

さて、この場合の大きな粒というのが、
ラスチノンのことです。

当時の糖尿病の医者の心得は、
飲み薬ではラスチノンとオイグルコンを上手く使い分ける、
ということに尽きます。

つまり、軽症で低血糖にならないように、
血糖をコントロールしたい時には、
ラスチノンを1から2分の1錠くらいで使用して、
経過を見ます。

それで不充分な場合には、
オイグルコンの少量へと切り替えるのです。

その後グリニドというSU剤の一種で、
食後の短時間しか効かない、
というタイプの薬が開発され、
それからDPP-4阻害剤という、
SU剤とは別箇のメカニズムで、
インスリンを刺激する薬が開発されると、
ラスチノンを使用していた患者さんの多くは、
そちらへと変更されて、
あまりラスチノンは使用されなくなりました。

しかし、薬の値段という観点で言えば、
先発品で1錠13円程度で、
ジェネリックは10円弱ですから、
間違いなくラスチノンの方が安い薬なのです。

僕はつい最近まで、
2名の糖尿病の患者さんに、
このラスチノンを使用して来ました。
その使用は前医から計算すれば、
20年以上の長きに渡ります。

お2人とも今もお元気で網膜症のような合併症はなく、
心筋梗塞や脳梗塞も起こしていません。
糖尿病のコントロールの指標である、
HbA1cの値は6.5以下をキープしています。
五月蠅い先生が言われるように、
無症候性に深夜帯などに、
低血糖を起こしている可能性は完全に否定は出来ませんが、
少なくともはっきりとした低血糖の既往はありません。

ですから、このお2人の患者さんに対しては、
極めて古いSU剤であるラスチノンの使用は、
適切なものではないかと考えています。

SU剤を長期間使用していると、
二次無効になったり膵臓が疲弊すると、
多くの専門医の方が言われていますが、
勿論そうした事例もあり、
そうでない事例もあるのです。

ところが、このラスチノンが使えなくなりました。

薬価は消えてはいないのです。
今年の改定でも薬価基準は掲載されています。

しかし、実際には製薬会社はもう数年前から製造を中止しているのです。

まだ在庫のあるうちは処方を継続していたのですが、
とうとう4月の後半になって、
完全に流通がストップしました。
ヘキストララスチノンは死んだのです。

本来は先発品があり、
ジェネリック薬品があるのですから、
先発品は製造を中止しても、
ジェネリックは継続されるのが筋だと思います。

しかし、実際にはそうではないのです。

ある種の談合なのだと思いますが、
前述の薬価でもお分かりの通り、
うんと安い薬になると、
先発品の値段もジェネリックの値段も、
実際には大きな開きはありません。

先発メーカーにとって利潤の少ない薬は、
ジェネリックメーカーにとっても、
お荷物であることに変わりはないのです。

そんな訳で、
先発のメーカーがラスチノンの製造の中止を決めると、
ジェネリックのメーカーも右に倣えで全て中止を決め、
かくして僕には何の断りもなく、
患者さんへのラスチノンの処方は、
強制的に打ち切りの憂き目に遭うのです。

僕は患者さんに説明の上、
「仕方なく断腸の思いで」
1錠188円のトラゼンタを処方しました。

アマリールやオイグルコンは強過ぎますし、
メトホルミンは病態からして適応ではなく、
グリニドはコンプライアンスの面で問題があるからです。

このようにして、医療費は膨らんでゆきます。

資本主義の世の中において、
現行の薬剤の流通システムは、
新しい薬は古い薬より優れていて、
新しい薬にスイッチすることが正しいことである、
という考えの下に運用されています。
そして間違いなく、
新しい薬は古い薬より高いのです。

一種の進歩史観であり、
景気が限りなく拡大して行くという、
幻想に支配された考え方です。

その顕著な特徴は「過去の否定」です。

糖尿病の治療薬をトータルに考えた時、
アマリールがあればオイグルコンはなくても良く、
グリミクロンもなくても良く、
DPP-4阻害剤が糞のように沢山の種類がある必要はなく、
グリニドもαGIも1種類あればそれで充分ですが、
ラスチノンはないと困ります。
それは、病態にインスリンの分泌不全が関わっていて、
1日1回という利便性があって、
初期の軽症の糖尿病に使用出来る安価な薬が、
それ以外にはあまりないからです。

しかし、そんなことは多くの医者も考えず、
先発品のメーカーも考えず、
その尻馬に乗るジェネリックメーカーも考えず、
製造中止の申請を審査する厚労省の担当者も考えないのです。

せめて、ジェネリックメーカーが1社でも、
この薬を細々と製造してくれていれば、
それで何の問題もないのですが、
実際にはそうしたことが許されないのが、
現行の薬のシステムなのです。

僕の手元に1989年の「今日の治療薬」がありますが、
そこには現在では製造が中止された多くの薬が掲載されています。

しかし、
たとえば降圧剤のグアンファシンは、
軽度の認知症への効果が期待されている薬剤ですが、
発売は以前に中止され使用することが出来ません。
耐性菌への有用性で見直されている複数の抗菌薬も、
今ではその使用に疑問が投げかけられている、
第3世代のセフェム系の新薬の登場により、
製造が中止されました。
静脈注射の鉄剤は、
当時は4種類が使えましたが、
現在は2種類しか使用出来ません。
しかし、現在最も広く使用されているフェジンには、
高率に低リン血症が発症します。
しかし、そうした副作用の少ない薬の、
選択肢が殆どない状態になっているのです。
ああ、こんなにも多くのかけがえのない愛すべき薬が、
無雑作に葬り去られているのかと思うと、
暗澹たる思いがします。

このように、
有用性のある「安い」薬が、
薬価を急激に下げる厚労省の方針により、
「利益が少ない薬」として製造中止になっているのです。
それでも医者が多く使っていれば、
おいそれと中止には出来ないのでしょうが、
新薬の宣伝に踊らされる医療者は、
有用な「古薬」を簡単に見限ってしまうのです。

これが正しいあり方でしょうか?

本当に医療費の抑制を考えるなら、
高価な新薬を何種類も採用するようなことはせず、
使用を限定して古い薬の有用性を見直すべきです。
ラスチノンで何ら問題のない患者さんに、
薬価が10倍以上の新薬を使うべきではありません。
それと共に、
古い薬の薬価を際限なく下げ、
結果として製薬会社が販売の継続を困難にさせるような、
厚労省の薬価の決め方もまた誤っています。

しかし、糖尿病治療薬の今の状況はどうでしょうか?

ラスチノンは使用出来なくなる一方で、
SGLT2阻害剤という新薬が、
5種類以上も次々と販売されるのです。

そんなもの1種類で沢山じゃん。

それより古くからある良い薬で、
きちんと商売の出来るような、
製薬業界を作ることこそが必要なのではないでしょうか?

皆さんはどうお考えになりますか?

臨床医はね、皆好きな薬があるのです。

自分の経験から信頼を寄せている薬、
それによって危機が回避されたり、
患者さんの状態が改善したりして、
「ありがとう、お前なかなかやるじゃん」
と思ったことが必ずあるのです。

患者さんへの向き合い方と共に、
診療器具や薬などへのフェティッシュな愛が、
臨床医の1つの特性でもあるんだよね。

僕にとってラスチノンはそうした薬の1つでもあったので、
今回のその消滅を、
心の底から悼む思いが強いのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

いつもの追伸です。
今日からamazonは発売予定です。
よろしくお願いします。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

  • 作者: 石原藤樹
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2014/05/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2014/05/15
  • メディア: Kindle版





呪術師としての医者と呪術としての医療について [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

さっき診療所に何とか到着しました。
診療は通常通りですが、
道は非常に悪い状態なので、
受診予定の方はお気を付け下さい。
自宅の周りは雪に閉ざされて動きの取れない状況です。

今日は雑談です。

インフルエンザが診療所周辺でも流行しています。

インフルエンザの診療というのは、
ある種決まり切った一連の流れによって行われます。

患者さんがお見えになり、
急な発熱や寒気などの症状があり、
周囲でインフルエンザが流行っている、
というような情報があると、
インフルエンザを疑い、まずは咽喉の所見を取ります。

そこで矢張りインフルエンザが疑われるような所見があれば、
インフルエンザの迅速検査を行なって、
その可能性が高いかどうかを判断し、
それに応じた対処をすることになる訳です。

さて、今日話題にしたいのは、
インフルエンザの診療そのものではなく、
診療に付随するものとしての、
インフルエンザの感染の診断書と、
治癒証明の診断の文書についてです。

患者さんがインフルエンザの可能性が高いと思われる場合、
まず学校や職場から、
感染の診断を求められます。

それから、患者さんがインフルエンザから回復された時に、
今度は学校や職場に復帰して問題がないかどうか、
という治癒証明を求められます。

僕は個人的には、
患者さんからそれが必要だ、というお話があれば、
基本的にはその全てに対応しています。
(文書は無料の性質のものもあり、
診断書料を頂いているものもあります)

しかし、それを批判する意見もあります。

まず感染の診断に関しては、
インフルエンザの迅速診断は、
100パーセント確実なものではなく、
迅速診断で陰性であっても、
インフルエンザであるケースもあり、
また施行するタイミングによっても、
陰性になってしまうケースもあります。
更には流行状況からほぼ間違いがなければ、
することの意義はあまりない、
という意見もあります。
会社や学校によっては、
熱も出ていないけれど、
流行っているので検査はしてもらいなさい、
と言われて医療機関を受診される方もいて、
そうしたケースでは一種の不顕性感染として、
症状は軽いのに検査は陽性になる、
ということがしばしばあるのですが、
そうした検査は無意味なので、
良識ある医者はその検査依頼を拒否するべきだ、
というような見解もあります。

治癒証明についても多くの見解があります。

厚生労働省や文部科学省は、
学校や保育園の登校や登園の基準は示していて、
その判断は必ずしも医者のお墨付きが必要、
というものではありませんが、
実際には多くの学校や保育園で、
医者のサインが必要な治癒証明書が使用されていて、
多くの医者がそれにサインをしています。
しかし、こうした治癒証明書は無意味だという意見があり、
まともな医者はサインを拒否するべきだ、
という見解を表明される方もいます。
不要との文書を患者さんに予め配布して、
絶対に証明書は出さない、
と明言をされているような方もいます。
絶対に周囲に感染しない、
というような保障は本来出来ないものですし、
治った患者さんの保護者が再度訪れることで、
感染の機会を増やしてしまうから良くない、
と言われる方もいます。

皆さんはこうした考えをどう思われますか?

僕の個人的な意見はこうです。

医療を科学として考えれば、
医者による治癒の診断や証明は不必要だと思います。
診断のための迅速キットの使用に関しても、
実際には不必要であったり、
混乱に拍車を掛ける結果になりかねないケースが、
往々にしてあるように思います。

しかし、それでは一般の多くの方は、
本当にそうしたことに無知なので、
診断や治癒証明を医者に求めているのでしょうか?

それはちょっと違うのではないでしょうか?

多くの患者さんが求めているのは、
医者にある種の責任を担って欲しいと思っているだけなのではないか、
と僕は思います。

医療に関わるかそうでないかに関わらず、
この世の中にある証明書や許可書のような文書の多くが、
非科学的で無意味なものであることを、
社会で働く多くの人は、
世間知らずの医者などより、
遥かに良く知っている筈だからです。

治癒証明についても、
本来は企業なり学校なりが、
復帰や登校の有無を判断すればそれでいいのです。

法律上はそのようになっています。
しかし、それでも医者に御鉢が廻るのは、
医療の専門家としての医者に、
自分達の責任の肩代わりをして欲しい、
と期待をしているからです。

医療には呪術的な側面があります。

昔のまじない師の役割の1つは、
病気が治ったということを、
「悪霊が去った」というようなレトリックで表現することにありました。

医療は確かに科学ではありますが、
近代の社会がまじない師を公認することを止めて、
医者のみに病気の診断と治療とを任せたのは、
科学者としての役割と共に、
医者に部分的には呪術師としての役割を、
担ってもらう、という側面があったのではないかと思います。

端的に言えばそれは、
人間社会にとっての厄介者としての「病気」の、
それが存在する状態と、
それがなくなった状態とを、
自らの責任を持って保障する、
ということです。

医者が書くことを要求される診断書や証明書というのは、
その全てでは勿論ありませんが、
多くはそうした「まじない札」のような性質のものなのです。

病気がない、と書く診断書であれ、
病気のために仕事が出来ない、と書く診断書であれ、
勿論一定の裏付けや根拠はありますが、
厳密に科学的に考えれば、
全てが100%の確信を持っては、
到底書くことの出来ない性質のものです。

それを書く医者の頭の中には、
常に一定の飛躍があります。
どんなに科学を信奉している人でも、
診断書や証明書を記載する際には、
自分なりの経験的な基準に照らして、
何処かで科学を飛び越えています。

そうしたことは絶対にしない、
という見解の医者も確かにいて、
科学者としての医者としては、
それをまっとう出来る立場にあるのであれば、
それはそれで立派なことだと思いますが、
医者がこの社会で必要とされている少なからぬ部分は、
実は呪術師としての医者として、
呪術めいたことをしたり、
まじない札としての診断書や証明書を発行して、
多くの人々が自分では担いたくない責任の一端を、
肩代わりするというところにあるのだと思うので、
呪術師であることを放棄した医者というのは、
科学者としては立派だと思いますが、
必ずしも立派な医者と同義ではないように思います。

つまり、
治癒証明書など意味がないので書かない、
という医者と、
意味はないかも知れないけれど、
社会的な必要が僅かでもあるのなら、
自分の仕事として書きましょう、
と考える医者とは、
同じ医者でも自分の仕事に対するとらえ方が違うのです。

どちらが良いと言うつもりは僕にはありません。

しかし、現代の社会でもそうした呪術が必要であり、
呪術師が面倒な責任を担ってくれる、
ということは、
決して無意味な仕事でも有害な仕事でもなく、
それが非科学的な作業であることを、
患者さんとの関係の中で了解可能であれば、
僕は自分が科学的な呪術を行なう医者であっても、
決して恥ずかしいこととは思わないのです。
何らかの責任を担うということは、
人間にとって、
重要な仕事の1つであると信じているからです。

医者が呪術師であることを否定すれば、
結果として昔ながらの呪術師が復活し、
呪術師としての医者の仕事を、
代わりに行なうことになるのではないでしょうか?
それで良いという意見の方もいらっしゃるでしょうが、
僕はそうは思いません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

局所的感染症情報(2014年1月下旬版) [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から少し掃除とゴミ出しをして、
それから今PCに向かっています。

今日は久しぶりの、
診療所周辺感染症情報です。

報道でも再三流されているように、
診療所周辺でもインフルエンザの患者さんが急増しています。

1月初旬の頃は、
簡易検査ではB型とA香港型(疑い)が、
半々くらいの感じであったのですが、
今週には8割がH1N1(2009)で、
残りがB型で稀にA香港型(疑い)という感じに変わっています。

現行の簡易検査は、
H1N1(2009)と、それ以外のA型とを、
分けて判定が可能なのですが、
A型2種の判別については、
結構微妙なケースが多く、
必ずしも正確とは言えないようです。

H1N1(2009)というのは、
2009年に新型インフルエンザと呼ばれていたものが、
季節性に移行したものです。

ここ数年流行がなく、
免疫が低下したために再度今シーズンの流行となった、
と考えられます。

典型的な症状は、
まず咳が先行して半日くらいしてから、
寒気と頭痛、関節痛などを伴って、
高熱が続きます。
翌日には熱は一旦下がることもありますが、
関節痛や寒気などの全身症状は持続します。

これがA香港型は、
咳があまり先行せずに、
一気に寒気を伴って高熱になることが多く、
B型はかなり症状に幅があります。
吐き気や胃腸炎症状が後に続くケースは、
多くがB型のようです。

お子さんではかなり重症感があり、
肺炎を併発した事例もありました。
また、家族内感染も非常に多い、
という印象です。

しばらくはまだ流行が続くと考えられ、
職場や学校での集団感染の事例も多く、
日頃の感染予防には、
より一層の注意が必要と考えられました。

簡単ですが診療所周辺の感染症情報でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

ワクチン同時接種割引のチラシを考える [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から古い資料などを整理して、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日は雑談です。

先日ある医療ジャーナリストの方が、
ご自宅に医療機関のダイレクトメールが入っていた、
というツィートをされました。

この方は非常に辛辣な発言を多くされていて、
その発言の是非はともかくとして、
多くの医療従事者の天敵のような方なのですが、
このツィート自体は、
別に悪口雑言という感じではありません。
どちらかと言えば、
「医療機関がこのようなチラシを配るようになったのか、おやおや」
というくらいの軽いニュアンスのものです。
勿論好意的な意味でないことは明らかですが、
明確な非難というほどの感じではありません。

そのチラシというのは、
ワクチンの同時接種をすると、
単独接種より割引料金にします、
という内容のものです。
その医療機関の担当者自身が、
「同時接種での特別キャンペーン」
と謳っています。

チラシの文面は以下のようなものです。

まず、
「インフルエンザ+風疹 一緒に予防接種を受けましょう!」
と書かれていて、
その下に小さな文字で、
「赤ちゃんを先天性風疹症候群から守りましょう」
と書かれています。
その下に病気のイラストがあります。
そして、
「ぜひワクチンを打っていただきたい!ので
インフルエンザワクチン3600円+麻疹風疹混合ワクチン8820円
=12420円のところを、
同時接種の方に限り、
9500円ポッキリにて提供いたします」
と結ばれています。

以上はチラシの原文のままご紹介しました。
医療機関の名前は書きません。
特定の医療機関を批判したりするつもりはもとよりなく、
こうしたチラシでワクチンの宣伝をする、
というあり方について、
僕なりの意見をまとめておきたい、
ということが本記事の意図です。
従って、本来はチラシの文面自体も、
特定のチラシの批判に結び付かないように、
改変するべきであるのかも知れません。
ただ、文章を少しでも変えれば、
変えたことによる意図が発生してしまうので、
文面は事実そのままとさせて頂きました。

繰り返しになりますが、
これは現在巷に多くあるこうしたチラシの1つとしての、
単なる例示であって、
この特定のチラシを批判したりすることが趣旨ではありません。

どうかその点はご理解の上お読み下さい。

さて、皆さんはこのチラシの文面をどうお読みになりますか?

僕のこのチラシを見た正直な印象は、
これは絶対にやってはいけないことではないか、
というものでした。

趣旨は分かります。
しかし、こんなチラシを作って宣伝めいた活動をするのは、
僕の倫理観では100%NGです。

しかし、
驚いたことに多くの医療従事者と思われる方が、
このチラシに対して、
「素晴らしい」
「医療機関の鑑だ、頭が下がる」
というような絶賛のコメントを寄せているので、
呆然として何が何だか分からなくなりました。

そうしたコメントの多くは、
前述の医療ジャーナリストの方へのアピールなので、
そうした趣旨も分からなくはありません。

ただ、幾ら医療ジャーナリストの言うことは、
全て気に入らないとしても、
このチラシを褒めるのは如何なものでしょうか?

僕には何かがさかさまになっているように思えてなりません。

ただ、
「じゃあお前は、このチラシの何が悪いのか言ってみろ!」
と改めて言われると、
「それは…」
と考え込んでしまうような思いもあります。

それでも僕なりに、
問題点を整理してみたいと思います。

医療というのは、
公共サービスとしての側面、
一種の自己犠牲や奉仕の側面と、
商売やビジネスとしての側面があります。

この日本は村上春樹さんの表現によれば、
「巨大な蟻塚のような高度資本主義社会」なので、
医療も所詮は資本主義のシステムの一部であって、
そこから逃れることは出来ません。

それは要するに、
医療サービスは全てお金に還元され、
お金の高低によって、
その価値は評価され、
それ以外では決して評価されない、
ということです。

しかし、資本主義社会であっても、
医療のような公共サービスというものは、
お金という価値からは離れた部分を、
常に内包しています。
医療に多くの規制があるのは、
要するに資本主義の価値観から、
医療サービスの公共的な側面を、
守るためなのです。

従って、三木谷さんのような資本主義の権化が、
医療の全ての規制を撤廃しろ、
と言うのは理の当然で、
その一方で共産主義を標榜したり、
隠れキリシタンのように崇拝している人が、
より規制を強化して、
医療者は全てボランティアたるべき、
のような発言をするのは、
それはそれで当然のことなのです。

さて、医療従事者は、
常に医療の資本主義的な側面と、
公共サービス的な側面との、
矛盾に苦しみながら、
個々の倫理観によって、
その2つのバランスを取って、
医療行為を行なっているのではないかと、
僕は思います。

その中で一番重要なことは、
医療には2つの矛盾した価値観があるのだと言うことを、
常に意識して医療行為を行なうべきではないか、
ということです。

そこで、上記のチラシに戻ってみましょう。

チラシを書いて配った人には、
間違いなく1つの理念があります。

それは風疹が流行しているにも関わらず、
国は適正な施策を取っていない、というものです。

この人にとっての適切な施策とは、
全ての国民が負担なく風疹のワクチンを接種して、
妊娠される人が風疹に罹るという不幸が起こらないように、
国を挙げて予防する、ということです。

しかし、現実には小さいお子さんでは市町村の補助があり、
妊娠を希望される女性やその配偶者にも、
補助を設けている自治体はありますが、
多くの成人は現時点で補助の対象になっていないので、
自発的に医療機関に赴き、
自費でワクチンを接種する必要があります。

ワクチンによる予防ということについても、
実際には色々な考え方があります。

ワクチンは完璧な予防法ではなく、
有害事象もありますし、
ワクチンのメカニズム自体に潜む危うさのようなものもあります。

しかし、
今はそうしたことは抜きにして、
この人の考えが100%正しいとしましょう。

つまり、
妊娠されている女性が絶対に風疹に罹らないように、
全ての国民がワクチンを接種することが望ましい、
というのが真実だと仮定します。

この考えに立った時に、
上記のチラシを作ったような、
地域の医療機関に出来ることは何でしょうか?

基本的には行政が全ての国民にワクチン接種が可能なように、
法令を改正してそのための予算を付けるように、
行政に働きかけをする、
ということが考えられます。

1人の医療従事者が騒いだところで、
その影響はしれていますから、
所属の学会を通じての働きかけをしたり、
政治的な力をお持ちの方に、
お願いをしたりする、
ということになる訳です。

ただ、そうしたことをしても、
行政は何ら動かない、
と思われた場合はどうでしょうか?

今回の風疹の問題の場合、
風疹の流行がワクチンを接種されていない、
若い成人を中心して起こり、
それに対する行政の対策は後手後手に廻りました。

そのため、行政の対応を待ってはいられない、
ということで、
積極的にワクチン接種をPRするような動きが、
医療従事者の間において起こりました。

その中には、
まず通常は診療をしていないことの多い、
夜間の時間帯や日曜祝日の時間帯に、
臨時でワクチン外来を行なって、
普段あまり医療機関に掛からないような人にも、
ワクチンの接種をしてもらおう、
というような取組みもありました。

僕は必ずしも賛同はしませんが、
これは1つのあり方ではあると思います。

もう1つの考えは接種に掛かる金銭的なご負担を、
なるべく減らして接種をし易くする、
というものです。

上記のチラシの文面は、
そうした考え方に沿うものです。

ただ、それにしては多くの問題があるように思います。

まず文面があまりに安っぽい商品の宣伝のチラシに似ている、
という点があります。
「9500円ポッキリにて提供いたします」
という表現の下劣さ、品のなさはどうでしょうか?

また、同時接種で割引、という発想は如何なものでしょうか?

勿論接種される方の手間を減らすために、
インフルエンザの予防接種に見えた時に、
同時に風疹麻疹混合ワクチンを接種すれば、
効率的だ、という考え方は成り立ちます。

同時接種自体は、
どのようなワクチンをどのように組み合わせても、
原則としては問題ない、
という考え方があります。

しかし、文面は同じ日に接種すると安くなってお得ですよ、
という露骨なものですから、
セット料金のような名目で、
同時接種をある種強要している、
というように取ることが出来ます。

同時接種というのは、
本来このように準強要するべきような性質のものでは、
ないのではないでしょうか?

要するに、
「同時接種にはこれこれの利点がありますよ」
と説明することは問題のないことですが、
「同時接種すれば安くワクチンが打てますからお得ですよ」
というような説明は不適切ではないか、
ということです。
そもそもの問題の本質が見失われ、
損得勘定の話にすり替わってしまうからです。

総じて一番の問題は、
このチラシの中において、
1人でも多くの方に風疹のワクチンを打って頂き、
妊娠中に風疹に罹る女性を少しでも減らそう、
という公共の福祉的な考え方が、
途中で露骨な資本主義的商品売買の手口に、
すり替わっている、
という点にあると僕は思います。

価格を安くしても、
医療機関がワクチンを仕入れる価格が変わる訳ではなく、
医療機関の利潤を減らしているだけなのだから、
言わば自己犠牲的な行為であって、
商業主義のように批判するのはおかしいのではないか、
という反論をされる方があるかも知れません。

しかし、
ワクチンの価格に医療機関がある程度の上乗せをするのは、
接種される方の安全に配慮し、
適切な説明と診察、問診を行ない、
接種後に何か問題が生じればそれに対する対応も行なうことを含めた、
専門家が管理することの代価としてのものなので、
その部分を減らしたから立派なことであるとは、
必ずしも言えないように僕は思います。

更には9500円という価格は、
平均的な仕入れ値から考えて、
利益がゼロという価格ではないと思います。
単独接種の価格自体は、
どちらかと言えば高めの設定になっているからです。

従って、少ないながら利潤があるとすれば、
「セット料金で今ならお得です」
という煽りで集客を図ると言う手法は、
純粋に商業主義的なもので、
更に言えば限定された期間のみ、
赤字覚悟の低料金にして集客を図り、
その後に別途収益を得ようというシステムも、
商品販売においては常套手段の1つです。

商業主義的なもの、
と断じるのは言い過ぎかも知れません。
しかし、そう取られても仕方がないような、
チラシの文面になっていることは間違いがないと思います。

仮に無自覚にこうしたことをしたとすれば、
この方の頭の中では、
医療行為における資本主義的な側面と公共サービス的な側面とが、
混乱した状態のまま混ざり合っている、
ということになり、
これは矢張り問題ではないかと思うのです。

ワクチンの価格の主たる部分は、
当然ワクチンメーカーの決めた価格にあり、
それが高額であることが、
自費のワクチンが高額であることの主たる理由です。

従って、ワクチンの価格を下げると言う時に、
医療機関のみが身を削って、
自らの利潤を切り詰め、
何か自己満足的に良いことをした気分になる、
というのは本来は正しいあり方ではないと思います。

ワクチンの価格を下げるのであれば、
ワクチンメーカー自体もその価格を下げ、
中間の卸さんも利益を削って、
痛み分けで下げるのでなければフェアではありません。

本来はそうしたあり方こそ望ましいので、
医療機関だけが利益を削って、
ヒーローになったような自己満足に浸る、
というのは健全なあり方ではないと思うのです。

何故なら、資本主義の中における医療行為は、
結局それに掛かるお金の額をもってしか、
その価値を判断されないからです。

公共サービスの視点に立って、
「ワクチンは高いから診察代は半分にしておくよ」
というようなことを無自覚にすると、
結局はその診察は半分の価値しかない、
ということになり、
診察料自体がそのうちに半分にされてしまうのです。

診察や管理や責任の価値を、
自分から下げてはいけないのです。
公共の福祉の視点に立ち、
より良いサービスのために、
利益度外視で尽力するのは崇高な行為だと思います。
しかし、それを「割引」のような商行為として行なってはいけないのです。
それは資本主義的な医療と、
公共の福祉としての医療とを、
混同することに繋がるからです。

それでは今回のチラシをどうすれば良かったのか、
と言う点についての僕の見解は、
以下のようなものです。

風疹ワクチンを積極的に打ちましょう、
というアピールは、
それが確固たる信念を元にした主張であるなら、
チラシで配っても何ら問題はないと思います。
ワクチンの価格を明示しても、
それも問題はないと思います。
しかし、それは資本主義的な医療ではない、
ということの線引きは必要なので、
間違っても商業主義的な煽りのような、
誤解を招くような表現は避けるのが妥当で、
同時接種の場合1回の来院で済むのですから、
価格は下がっても良いのですが、
それを「出血大サービス」のように広告するのは、
商業主義的な医療そのものですから、
絶対にするべきではないと思うのです。

資本主義の世の中なのですから、
金儲け目的に特化した医療機関があっても、
それはそれで仕方のないことだと思うのです。
しかし、目的が公共サービスであり奉仕の精神であるのに、
セット料金でお買い得、のような商業主義的な宣伝をすることは、
僕には一番問題がある行為であり、
医療者が厳に慎むべきことのように、
思えてならないのです。

皆さんはどうお考えになりますか?

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

診療報酬により医療を変えようとする愚劣さを考える [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日は雑談、と言うより愚痴のようなものです。

いつとは言えませんが、
ある時に、関わっている施設から連絡があり、
本日入所されている高齢者のご家族に、
病状の説明をして欲しい、という依頼がありました。

その患者さんの状態は、決して良いものとは言えませんでした。

所謂老衰に近い状態で、
特にこれといった基礎疾患はないのですが、
徐々に食事が取れなくなって、
点滴をしながら経過を見ている状態でしたが、
次第に寝ている時間も多くなっていました。

しかし、その状態は基本的にはここ数カ月変化はなく、
3ヵ月ほど前にご家族には一度病状のご説明をしていました。

それなのにどうして今もう一度説明を、
それも今日すぐ、というようなタイミングで、
行なわないといけないのでしょうか?

疑問には思いましたが、
僕のような立場の医者は、
命じられたことを淡々とこなすしか生きる術はないので、
シンプルに「分かった」と言いました。

何故僕は説明を繰り返す必要があったのでしょうか?

実は次のような理由がありました。

施設には看取り加算というものがあって、
ご高齢の患者さんを家にいるように最後までケアをすると、
それを評価して施設に入るお金が増えます。
ご本人の自己負担も当然増えます。

この看取り加算には規定があって、
誓約書のようなものにご家族のサインをもらわないといけないのですが、
そのためにはまず、
主治医が病状を説明するという段取りが必要なのです。

看取り加算というもの自体嫌な言葉ですが、
このようなものがあるのは、
病院ではなく施設での看取りを増やそう、
という国の方針があるのです。

介護保険も医療保険もそうですが、
たとえば「施設の看取りを増やしたい」というような目論見があると、
「それじゃ、看取りをする施設は報酬を増やして、
看取りをしない施設は報酬を減らせば、
少しでも報酬を増やそうと施設はするので、
看取りが増えるだろう」
というように考え、
そうした報酬の改定を行なうのです。

施設はそのために、
看取り加算を取る要件として、
僕にご家族への説明を命じた訳です。

こういう手続きの意味しかない仕事というのは、
虚しさを感じさせます。

そもそも、社会保障の方向性を、
お金を増やしたり減らしたりすることで、
達成しようという手法はどうでしょうか?

個人的には愚劣な方法のように思います。

来年の4月には診療報酬の改定があり、
そのための議論が現在行なわれています。

それに関して次のような記事がありました。

口から食事を取ることが困難になった患者さんのために、
胃に穴を開けて、直接チューブで栄養を胃に注入する、
胃ろうという方法があります。

12月11日に診療報酬の改定を議論する、
中央社会保険医療協議会という会議があり、
そこで胃ろうの取り扱いを巡って議論があったのだそうです。

その中では、
患者の生活の質を損なわない観点から、
不必要な「胃ろう」の導入を控える取り組みを、
医療機関に促していくことで一致したとされました。

ふーん。不必要な「胃ろう」を控えるべきと言うのですか。

それだけなら勿論異論はありません。
そもそも「不必要」なのですから、
それが明らかであれば、
やらないに越したことはありません。
しかし、実際には必要であるどうか、という判断は、
非常に難しく、ガイドライン的なものは先日公開されましたが、
その記載も極めて曖昧で模糊としています。

それを一体どのようにして達成するのかと言うと、
まず胃ろうの造設に当たっては、
口から食べることが出来ない状態であるかどうかを、
十分検証することを要件とし、
一方で胃ろうの取り外しに当たっては、
積極的に取り組んでいる医療機関には診療報酬を引き上げる方針である、
ということのようです。

この文章を皆さんがお読みになると、
もっともで妥当な要件だ、
と思われるかも知れません。

ただ、これをより現実的に考えると、
まず胃ろうが必要がどうかの検討を、
どのように行なうのかが問題となります。

通常診療報酬でこうした要件を決める場合、
これこれの検査をするとか、
どれだけの期間を置いて食べることの困難さを確認するとか、
研修を受けた職員がいることとか、
そうしたことが条件となり、
それを事前に届け出て、
実際に患者さんに検討を行なった場合、
その記録をしっかり残すことにより、
胃ろうの診療報酬を請求することが可能となる、
ということになります。

検査の機器が指定されれば、
それを買わなければいけませんし、
研修を受けた医師や看護師などがいなければ、
その養成も必要となります。

勿論こうした要件にはそれなりの意義はあるのです。
たとえば、ガイドラインとしてこうしたことを決めることは、
診療をより適切に行なうために必要なことです。

しかし、実際には患者さんの状態は様々で、
そうした検討が是非必要な患者さんもいれば、
そうした検討をするまでもない、
という病態の方もいます。
更には患者さんのご家族を含めた環境や、
その医療機関の医療資源の状況によって、
現実的にはガイドライン通りの判断が、
困難なケースもあります。

たとえば、
胃ろうが必須とまでは言えないけれど、
経口摂取を継続的に行なうことは非常に困難で、
その適応自体はあり、
胃ろうが増設されれば施設入所が可能となるけれど、
そうでない場合には、
在宅に戻るより他に選択肢がなく、
ご家族は施設入所を強く希望している、
というようなケースでは、
胃ろう造設はご家族のためには意味のあることですが、
診療報酬の改定が行われれば、
こうした患者さんは胃ろうの適応にはならず、
行き場を失う可能性があります。

問題はつまり、
ガイドラインではなく診療報酬としてこうした要件が決まると、
その強制力は非常に大きなものになり、
患者さんの環境要因など、個々の患者さんの状況の違いに、
きめ細かく対応することは、
不可能になる、と言う事実です。

胃ろうの閉鎖についても、
同じことが言えます。

胃ろうの閉鎖に積極的に取り組んでいる医療機関の、
診療報酬を増額する、という方針が示されています。

胃ろうというのは、
胃壁の一部をお腹の壁に固定して、
そこに穴を開けて管を挿入することによって行われますが、
管を抜いてしまえば、
左程の時間が経たないうちに穴は塞がってしまいます。

従って、胃ろうを閉鎖すること自体は、
病院でなくても何処でも出来る、
簡単な処置で可能なのです。

しかし、胃ろうを塞いだからと言って、
お体が元の状態に戻る、
という簡単なものではありません。

胃壁とお腹の皮膚が癒着した状態自体は、
そのままで残りますから、
胃ろうは抜けても胃の動きはそれまでより低下します。

また、その時点で患者さんが口から食事を取ることが可能であっても、
そもそも胃ろうの適応とされたように、
経口摂取に問題がある患者さんなのですから、
その後再び胃ろうが必要となるような、
言葉を変えれば胃ろう造設の適応となるような、
状態になることは高い確率で想定されます。

しかし、一度胃ろうを閉じていますから、
現実的にはもう一度胃ろうを造ることは不可能です。

一般の方で誤解をされている方も多いかと思いますが、
胃ろうを造設していても、
口から食事を取ることは可能です。
ボタン型の胃ろうというのは、
その穴を保持するストッパーのようなものですから、
そのままお風呂にも入れますし、
日常生活はそのままで全て可能です。

胃ろう以外の人工栄養法である、
経鼻の胃管や中心静脈栄養の方が、
遥かに生活の制限が大きく、
合併症も多いのですが、
あまりそうしたことは一般の方には知られていません。

胃ろうの閉鎖に積極的に取り組んでいる医療機関は、
確かにその院内においては、
適切できめ細かい患者さんの指導やリハビリなどが行われ、
患者さんに持続的な経口摂取を可能にするかも知れません。

しかし、その患者さんが在宅に戻ったり、
施設に入所したりすれば、
その環境は大きく異なり、
同じようなケアの継続が困難となれば、
すぐに患者さんの状態は悪化して、
胃ろうを含む人工栄養の実施が不可欠となる事態が予想されます。

それでは、そうした時に、
元の医療機関が援助をしてくれるでしょうか?

そんなことは絶対にありません。

こうした診療報酬の改定に欠けているのは、
患者さんの医療を継続的に捉える、
と言う視点なのです。

慢性疾患で寝たきりのような患者さんや、
癌の末期の患者さんは、
ベルトコンベアーに載せられるように、
医療機関や在宅、施設を移動する存在です。
そのように規定しているのも診療報酬の体系自身です。
ある病院に長期間入院していると、
診療報酬を減らすようなシステムを作っているからです。
しかし、より高次の医療機関には、
より高いケアの水準を要求し、
それに対して高い診療報酬を設定しているにも関わらず、
その患者さんが施設に移った時に、
ケアの水準が大幅に低下するということに、
配慮するという視点がまるでありません。

何故こうしたことが起こるかと言えば、
厚労省や診療報酬を決めている偉い皆さんにとって、
個々の患者さんは点としてしか存在してはおらず、
時系列に沿って連続しているその患者さんの人生を、
そのままに捉えるという視点がないからです。

患者さんは医療機関や施設の、
「附属物」としてしか認識されていないのです。
ですから、その医療機関に附属している間は、
規定通りのケアが受けられても、
そこから排除されれば、
同じ患者さんとは認識されないのです。

現行のプラン通りに胃ろうに関わる診療報酬の改定が行われれば、
面倒な胃ろうの造設をする医療機関は、
確実に減少します。
そして、一部の「良心的な」医療機関は、
積極的に胃ろうの閉鎖を行ないます。

従って、これにより間違いなく胃ろうの患者さんの数は減少し、
診療報酬を決めている皆さんや厚労省の皆さんは、
我々の適切な指導により、
胃ろうという不必要な手技が減少したと、
胸を張るに違いありません。

しかし、その裏で確実に行き場のない寝たきりの患者さんは増え、
そのご家族が重い介護の負担に苦しむことになるのは、
これも間違いのないことに僕には思えるのです。

何が間違っているのでしょうか?

僕の個人的な意見はこうです。

間違っているのは診療報酬のシステムそれ自身なのです。

ある行政の施策を実現するために、
それに都合の良い施設の診療報酬を増やし、
都合の悪い施設の診療報酬を減らすようなやり方は間違っているのです。

個々の医療機関や施設は点で存在しているのではなく、
ある患者さんの1つのかけがえのない人生において、
その時間軸にそれぞれ別個に関わっているからです。

問題はその継続性をしっかり担保するように、
診療報酬のシステムは構築されるべきだ、ということなのです。

不適切な胃ろうを造らせないようにする、
という方針は誤りではありません。
しかし、それで診療報酬をいじくるのであれば、
食事が自力で取れなくなった患者さんをどうするか、
という根本的な問題を、
点ではなく線で考える発想が必要です。
胃ろうを造ることなくそうした患者さんを、
特別養護老人ホームのような施設でケアすることは、
現実的には多くの場合に不可能なのです。
それでは、在宅でみられるのでしょうか?
現行の介護保険のシステムの中で、
どれだけの時間を食事介助に割けますか?
充分な時間の確保は不可能です。
それではご家族にそれを強いるのでしょうか?
それが可能なご家族はごく少数だと思います。
長期療養型の病院で、
そうしたきめ細かいケアが可能でしょうか?
もし可能であるとすれば、
それは現行の診療報酬で想定される数倍の労力を、
ボランティアで行なう献身的なスタッフの犠牲により、
贖われる性質のものではないでしょうか?

以前にも書きましたが、
現行の胃ろうは一種の必要悪なのです。

その一番のメリットは、
ご家族や施設の職員の労力が、
他の方法と比較して少なくて済む、
ということにあるからです。

それを人間性の否定だとして、
排除することは簡単です。
きれいごとだけなら、幾らでも言えるのです。
しかし、そうするだけでは、
問題の根本的な解決にはならないのです。

医療のデザインを、
トータルに良いものにしていこう、
と言う視点がなければ、
そうした臭い物には蓋の発想は、
悪い結果を生むだけだからです。

僕が最も嫌悪するのは、
行政の担当者や診療報酬の改定に当たっている専門家の、
おそらくは全員が、
胃ろうというものの性質が、
そうした必要悪であることを分かっていながら、
そこには触れずにきれいごとの議論だけで改定作業を行なっている、
その偽善的な態度そのものなのです。

皆さんはどうお考えになりますか?

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

匂いと臭いについて [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は水曜日なので診療は午前中で終わり、
午後は産業医の面談に廻る予定です。

それでは今日の話題です。

人間の身体、
特に口から発せられるにおいが、
病気の診断に役立つことは知られていますが、
こういうものは結構教えたり教えられたりすることが難しく、
最近ではDVDなどの画像で、
勉強をされる方も多いと思うのですが、
映像では決して学べない知識ではあります。

別に病気の診断ということでなくても、
患者さんの状態を、
そのにおいから判断することはあります。

よくあることですが、
アルコール依存症の患者さんで、
禁酒をしていると主張をされているのですが、
診察の時にその口からは、
プンプンとアルコールの臭いがすることがあります。

多分その方の感覚としては、
酒量自体は減らしていて、
このくらい飲んでも臭わないだろう、
とお考えになっている可能性が高いように思うのですが、
理屈より意外にアルコール臭というものは、
少量でも結構残るもののようです。

オペラやクラシックのコンサートなどで、
真剣に聴きたい思いがあるのに、
隣の方がプンプンとアルコールの臭いをさせていることが、
しばしばあるのは絶望的な気分になります。

そういう方はアルコールの影響で、
鼻の奥の粘膜も腫れているので、
鼻息が荒くてそれも耳触りですし、
かなりの確率で爆睡されるので、
いびきにはならなくても、
スースーという息音が、
僕の集中を奪って、絶望的な気分にさせるのです。

摂食障害で自己嘔吐を繰り返している方は、
手には吐きダコがありますし、
それから矢張り特有の臭いがあります。
胃液に何かが混じったような臭いです。

ですから、
お話をするだけで嘔吐をされているかどうかは、
すぐに分かるのですが、
臭いの強い方ほど、
そうしたお話はされないことが多いのです。
治療者はそうしたお話があるのを、
黙って待つしかありません。

胃の関連で言うと、
高齢者で萎縮性胃炎が進行し、
胃酸の分泌が悪い方や、
胃酸の抑制剤を長期間使用していて、
胃酸が強力に抑えられている方は、
これも独特の、
何かが発酵したような口臭があります。

胃の酸による殺菌が、
充分に行なわれず、
長時間胃内に食物などが停滞することが、
その原因と思われます。

従って、胃癌でもそうした臭いがするのですが、
必ずしも癌特有の臭いではないようです。

こうした臭いがあれば、
胃の検査をお勧めしますが、
その通りにお話しすることは、
失礼に当たり難しいので、
その説明には苦慮することもあります。

糖尿病性ケトアシドーシスのアセトン臭というのは、
教科書には必ず書いてある有名なものですが、
なかなかそのものズバリでこれだ、
というものを嗅いだ経験はありません。
ただ、糖尿病のお悪い方は、
確かにリンゴの腐ったような甘酸っぱい口臭がすることは事実です。

口臭がして心配と、
受診される方がいますが、
そうした方は殆どが、
お話しをしていて臭うような口臭はありません。

原因は1つにはメンタルなもので、
過度に自分の臭いを気にされる場合、
そしてもう1つは蓄膿などの「内向き」に臭う原因のある場合です。

蓄膿で細菌感染を伴っていると、
膿が鼻の奥に溜まって、
くさい臭いを出すことがあります。
この臭いはあまり外には洩れず、
内向きに鼻粘膜を刺激するので、
本人は非常に不快で臭いのですが、
周りで口臭と感じることはあまりないのです。

今日は一般臨床のにおいの診断あれこれでした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

ディオバンのことその他のこと [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から書類など書いて、
それから今PCに向かっています。
連休明けでどうも調子が出ませんが、
どうにか頑張ります。

それでは今日の話題です。

今日は雑談です。

ディオバン(一般名バルサルタン)をめぐる、
日本の臨床試験のデータ捏造問題が、
収束に向かうどころか拡散を続けています。

先日は滋賀医科大学が主導して、
慈恵医科大学の試験と同時期に行われた、
SMARTと呼ばれる試験のデータも、
ほぼ改竄されていたことが発表されました。

この試験は例数は150例という小規模の試験ですが、
ディオバンと、
広く使用されている、
アムロジピンという降圧剤とを比較し、
血圧は同一に低下させながら、
半年の経過観察で、
アムロジピンはおしっこのアルブミンという蛋白質が、
増加しているのに対して、
ディオバンではそれが低下しているという結果が、
極めて明確に示されているものです。

おしっこに出るアルブミンは、
高血圧による腎機能の低下の、
初期の検査所見であると考えられているので、
この結果は、広く使用されているアムロジピンと比較して、
ディオバンを使用した方が、
将来の患者さんの腎機能の低下を、
抑制することが出来る可能性を示唆しています。

しかし、タネを明かされた手品を見ているのですから、
当然のことなのですが、
今にして思うと、
これだけの例数で、
こんなクリアが結果が出るのは、
どう考えても作為が加わっているとしか思えません。

アムロジピンを使用した群と、
ディオバンを使用した群とで、
血圧の数値自体が物の見事に一致していて、
これは慈恵医科大学の試験や、
京都府立医大の試験と、全く同一の傾向です。

つまり、同じ人間の手が加わっている可能性が、
非常に高いと思われます。

捏造を一体誰がしたのでしょうか?

この点については、
製薬会社と大学側の見解はいずれの事例においても、
明確に対立しています。
大学側は元製薬会社の研究員が、
勝手に数値を操作して不正をした、
と言わんばかりですが、
製薬会社側は関与は限定的だと強調しています。

本来はお金は製薬会社から出ているにしても、
研究の実施の主体は大学の研究者にある筈ですから、
元製薬会社の研究員が数字の操作を行なったとしても、
責任の主体は研究の実際の主体にこそあるべきですが、
当事者がそうは言えないという辺りに、
問題の根の深さが窺えます。

今後の処方への対応という面でも、
色々な意見があります。

僕は個人的には、
処方を大きくは変えない、という方針で、
不安に思われる方には、
他剤への変更は行なっていますが、
特定の薬剤にシフトさせる、ということはしていません。

ACE阻害剤に変えるべきである、とか、
いやいや利尿剤に変えるべきである、
というような発言をされている医療者の方もいますが、
一般論としてそうした言い方をするのは、
軽率であるように個人的には思います。

利尿剤もACE阻害剤も、
これまでには広く使用されてきた歴史があり、
しかしディオバンのような薬剤にシフトして来た背景には、
意外にその副作用が厄介であったり、
健康保険上の用量設定が、
実状に合わないものであったり、
という経緯があり、
簡便に使用出来る薬剤に、
自然に移行していった、という意味合いもあるからです。

勿論安易に流れ過ぎた弊害は、
臨床医の反省すべき点ではありますが、
全てを利尿剤に変更すればそれでOK,
というような言説は軽率に過ぎると思います。
安易にそうした流れになれば、
絶対にそれはそれで問題が起こりますし、
患者さんにも不利益が生じます。
利尿剤は意外にリスクのある薬なのです。
あくまでケースバイケースで考えるべきことで、
ディオバンのようなタイプの薬が、
適している事例も当然あるのだと思います。

SNSなどで毒々しく粘着質なことを言われる、
少数の例外が目立つので、そうは見えませんが、
大多数の医者は非常に従順で勉強熱心で、
権威を愛する傾向があるように、
個人的には思います。

偉い先生が「ディオバンが良いよ」と言われれば、
真面目にその先生の書いた記事を読み、
その先生の講演を聞いて、
その通りに処方を出すのです。

意見を鵜呑みにする訳ではないのです。
それなりに勉強して、考えた上でそうするのですが、
それでも権威には従順する傾向は強いので、
あまり結論に対しての疑問は感じないのです。

それが今回のようなことがあると、
一体何を信じれば良いのか、
ということになり、
今度はこうした先生を批判して、
やや過激な内容を大きな声でネット発信するような、
ネットの人気者に、
乗り換えて従順さを示す、
ということになりがちです。

ただ、僕は個人的には、
過激な言説に従順になることは、
たとえそこに一面の真理があるにしても、
リスクが却って大きいように思えてなりません。

総じてやはり詰らないことを言う偉い先生の方が、
従順である対象としては適しているのです。

ただ、そうした先生が、
同じような種別の2つの薬のうち、
どちらか一方を良い薬のように言う時は、
その情報については、
基本的に耳を塞いでいるのが賢明なように思います。

あんなことがあったのにも関わらず、
製薬会社のパンフレットには矢張り、
大学教授といった立場の先生が、
同じように新薬の宣伝すれすれのご発言や記述を繰り返していて、
こうしたものを目にすると、
絶望的な気分にもなるのですが、
そうしたご発言や記述に不適切な点があれば、
常に批判の声を挙げてゆくのが、
末端の医療者としても、
今後は求められてゆくのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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