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日本のラジオ「カーテン」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が外来を担当し、
午後2時以降は石原が担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
カーテン.jpg
「日本のラジオ」という劇団の新作「カーテン」を、
三鷹市芸術文化センター星のホールで観劇しました。
この劇場で毎年企画されている、
注目の若手劇団シリーズの1本です。

これは正直に言うと物凄く詰まらなくて、
最近久しぶりに「しまった。時間を完全に無駄にした!」
という絶望感と敗北感に苛まれることになりました。

上演中にそんな感想を書くのは失礼なので、
書かなかったのですが、
もう公演は終わっていますので、
率直な感想を書きたいと思います。

以下ほぼ全て悪口ですので、
この劇団がお好きな方や、
この公演を見られて気に入ったというような方は、
ご不快に思われたら申し訳ありません。
色々な感想があるということで、
ご容赦頂ければ幸いです。

お芝居の内容は結構意欲的なもので、
沖縄をモチーフにした架空の島が舞台となっています。
そこでは本土から独立しようとする過激派がいて、
その集団が島の劇場を占拠して、
収監されている同志の解放を要求する事件を起こします。

観客には予めその事件に関する、
パンフレットを兼ねた詳細な資料が配布されていて、
事件は4日目に軍の特殊部隊の突入により終結し、
テロリストは全員射殺、
人質のうち33名も窒息死した、
という経過が書かれています。

劇場は素舞台の側が仮設の客席となっていて、
観客は裏手から誘導されて、
通常の舞台上に座ります。
観客の目の前には舞台と客席を分ける緞帳が下がっています。

緞帳が開くと、
客席を見下ろす格好になり、
何の装飾もない客席のあちこちに、
布の頭巾を被せられた役者さんが腰を下ろしていて、
2人のテロリスト役の役者さんが、
自分達の主張の記録動画を撮っているところが見え、
そこから物語が始まります。

確かにその一瞬はなかなか刺激的で面白いのです。

客席から舞台を見上げる代わりに、
客席という舞台を見下ろすという恰好になりますし、
客席をそのまま舞台装置にする、
という発想も斬新です。
そこに頭巾で顔を隠した役者さんが、
ズラリと並んでいるのも異様な感じがします。

ただ、1時間半の上演時間中、
舞台(実際には客席)の風景には、
全く変化が見られず、
役者さんが自分達のパートでは頭巾を脱ぎ、
自分達のパートが終わると頭巾を被って、
不特定の人質に代わる、
という繰り返しが、
延々と続くだけです。

リアルにそこを劇場として見せたいのかと思うと、
必ずしもそうではなく、
テロリストの持っている銃や爆弾も、
簡素な小道具と見えるものになっていますし、
結果として生き残った人質という設定かと思いますが、
人質役の役者さんが、
もう事件が終わった後の時制から、
過去を振り返るような独白をセリフに挟んだりもしています。

パンフレットに書かれている事件の経過のうち、
占拠事件の翌日から舞台はスタートし、
軍の特殊部隊が突入する寸前で、
物語は終了します。

つまり、基本的に劇的なことや大きく状況が動くという場面については、
舞台上では描かれず、
テロリストと人質との、
ある種淡々とした「日常」の部分のみが描かれます。

これはまあ、平田オリザさんや岩松了さんの劇作に、
基本的には近いスタイルのものだと思います。
また素材自体で言えば、
TRASHMASTERSや劇団チョコレートケーキ辺りに、
近いという印象です。

ただ、平田さんや岩松さんの劇作であれば、
客席と舞台を入れ替えるというような無理はせず、
オーソドックスに安心出来るような舞台を作り、
展開されるドラマ自体に観客の意識を集中させたと思いますし、
人物描写はもっと繊細かつ緻密に紡がれて、
舞台上で実際には描かれない部分にも、
もっと魅力があったのではないかと思います。

一方でTRASHMASTERSであれば、
言葉の暴力を含めて暴力的な闘争はもっと凄味を持って描かれ、
強烈なテンションに貫かれた作品になったと思いますし、
劇団チョコレートケーキであれば、
人物のディテールはもっとリアルに磨かれ、
重厚でリアルな作品となったのではないかと思います。

ただ、劇作自体は、
やや平凡でパンチの効かないものではあっても、
そう悪くはなかったと思うのです。

この芝居がたとえばスズナリ辺りで、
オーソドックスな演出で上演されれば、
「あまり面白くはないけど、まあこんなものかな」
というくらいの感想だったと思います。

問題は演出です。

この作品で客席と舞台を逆転させた意味は何処にあるのでしょうか?

観客は簡易の椅子でとても居心地は悪く、
客席から舞台の距離も不必要に遠くなっています。
舞台面に全編全く変化がなく、
音効効果や照明効果も全くないので、
とても単調で退屈を感じます。

確かに緞帳が上がった瞬間はインパクトがありますが、
そんなものは数秒で終わる性質のものです。

たとえば観客を人質に見立てるというような、
明確な意図があればそれでも良いですし、
通常の舞台と客席では得られない臨場感を、
感じさせるような作品であれば、
それはそれで良いと思うのですが、
前述のように設定はリアルではなく、
平田オリザさんのスタイルに近いような台詞劇なので、
観客は無理をして舞台に意識を合わせるような気分になり、
無用に集中して舞台を見ないといけない羽目に陥ります。

これはいくら何でも観客に失礼ではないでしょうか?

せっかく設備の整った劇場に招聘されての公演なのですから、
ワンアイデアで押し切るのではなく、
もう少し手間と時間とお金を掛けて、
演出に変化を付けるべきではなかったのでしょうか?

パンフレット自体は出来の良いもので、
背景の説明は全てそこで済ませて、
そこにない余白の部分を演劇化する、
という趣向は良いと思うのです。
しかし、そうした発想であれば、
舞台自体はもっとオーソドックスな作りにした方が、
間違いなく良かったと思います。

その一方でもっと滅茶苦茶で前衛的な舞台にしたいのであれば、
ディテールを固める必要などあまりなかったと思いますし、
もっと過激で押して欲しかったと思います。
客席と舞台を反転させるという仕掛けを最初にしておきながら、
その後は1時間半、
ただおとなしく居心地の悪い椅子に座って、
平田オリザさん的舞台を見続けるだけ、
というのはいくら何でもおかしいと思うのです。

これでは、
単純に舞台予算を削減するための演出と言われても、
仕方がないもののように思いました。

今回の芝居で舞台と客席の交換、
という趣向を外してしまうと、
音効も照明もなくセットもない素舞台での芝居、
ということになり、
それは余程の覚悟がなければ、
手抜き以外の何物でもないからです。

劇団のサイトを見ると、
あまり劇場では公演は行わず、
音効や照明も極力使用しない、
と書かれているので、
いつもの通りだったのかも知れません。
今回の芝居でも、
たとえば施設の通路や中庭での公演であれば、
これでも良かったと思いますが、
通常の設備のある劇場を使用してお金を取っておいて、
この使い方は有り得ないように思うのです。

役者の肉体さえあれば何処でも芝居は成立する、
まあそれは確かにそうでしょう、
しかし、今回の芝居に登場した肉体に、
そうした覚悟や凄味はなかったように思います。
何も装飾のない芝居を成立させてお金を取ることは、
一部の天才のなし得る境地で、
そうしたことは滅多にはないからこそ、
多くの劇団は照明や音効やセットに頼るのではないでしょうか?

僕は最低でも同じ劇団の芝居は、
2回から3回は観に行くようにしているのですが、
さすがにこれだけ辛い経験をすると、
もう一度見る元気は、
なかなか起こって来ないのが実際です。

ただ、その一方で僕はデタラメな芝居、
観客を置き去りにしたような芝居も嫌いではなく、
以前にも「なんだこれはひどいな」と思って、
意外にそうした劇団がその後急成長、
というようなことも何度も経験しているので
(僕にとってはケラさんの芝居もそうでした)、
次はビックリ素晴らしい芝居、
というようなこともないとは言えないと思うのです。

おそらくはこの劇団の皆さんにも、
皆さんなりの狙いがあり、
意地があるのだと思うので、
今後の活躍を期待したいと思います。

頑張って下さい。

ただ、最後に1つだけ言いたいことは、
詰まらないお芝居ほど多くの娯楽の中で苦痛なものはなく、
一度そうした芝居を見てしまうと、
お芝居や演劇というもの自体が、
その後一生嫌いになってしまうことがあり、
そうした芝居嫌いの人を僕自身沢山知っているので、
これが地下の小劇場や、
余程の好き者しか行かないような場所での公演であれば良いのですが、
今回のような、
公的な劇場で若手の良いお芝居を集めました、
というような企画の場合には、
演じる側も、
観客の中にはお芝居を見るのが初めてという人もいて、
そうした観客にとっては、
この機会が一期一会で、
この芝居が面白いかどうかが、
その後の演劇に対する姿勢を決定することもある、
ということは是非念頭において欲しいと思うのです。
要するに何にせよTPOということはあるのではないか、
というのが僕の唯一言いたかったことです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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