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サムゴーギャットモンテイブ『NAGISA 巨乳ハンター/ あたらしい「Lady」』 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日はもう1本演劇の話題です。

それがこちら。
NAGISA 巨乳ハンター.jpg
山並洋貴さんの1人劇団、
サムゴーギャットモンテイブの新作公演を観て来ました。

この劇団のことは良く知らなかったのですが、
この折込みチラシの、
日本のラジオ所属の田中渚さんの艶姿を見て、
「田中渚さん(Aカップ)が街を支配する巨乳(Fカップ以上)と戦う演劇」
という煽り文句を読んだ瞬間に、
こうしたものが実は大好きなので、
思わず予約をして、
結構無理をして観に行ってしまいました。

作品は2本立てで、
最初に『あたらしい「Lady]』という30分くらいの英語劇があり、
これは旧作の再演のようです。
それから休憩なく「NAGISA 巨乳ハンター」に続き、
こちらは1時間くらいの作品になっています。

英語劇の最初の方は、
「こりゃ、大失敗かな」
と思ったのですが、
なかなか骨のある作品で悪くなく、
後半の「巨乳ハンター」は、
アマチュアの内輪のパロディ芝居、
というような雰囲気は濃厚にありながら、
随所にプロの気合のようなもの、
低予算のサービス精神のようなものに満ち、
大和屋竺を思わせるようなシュールなクライマックスまであって、
馬鹿馬鹿しくも素敵な作品でした。

予約は2000円で高校生以下は1000円ですから、
あまり子供に見せるようなものではないのですが、
その値段でこれだけ楽しませてくれるなら、
コクーンや本多劇場で、
眠気をこらえて辛い思いをするより、
遥かに建設的で素敵な時間を過ごせたと思いました。

実際僕はこれに近いような感じのお芝居を、
大学生の時にはやっていたので、
とても懐かしい感じもありました。
馬鹿馬鹿しさの質は、
「ナカゴー」や「シベリア少女鉄道」にも似ているのですが、
この2劇団も評価が上がってお上品になっていて、
かなり守りに入っている詰まらなさはあり、
今回のような芝居を観てしまうと、
「そうだよね。たかが演劇はこんな風じゃなくちゃ」
と膝を打つような思いもあったのです。

良い子にはお勧め出来ませんが、
僕は大好きです。

以下ネタバレを含む感想です。

上演された場所は東中野から15分くらいの、
大久保通り沿いのイベントスペースで、
京都の町屋みたいな奥に長い構造になっていて、
通常は通り沿いの入り口から入り、
奥の方を舞台として使うのだと思うのですが、
今回は受付は外にあって、
そこからスタッフに導かれ、
横の非常口のような扉から場内に案内されます。

通常舞台として使用する奥の部分を客席にして、
2枚の幕で仕切った奥行のある空間を、
舞台として使用しているのですが、
こんな規格外をした目的は、
舞台のクライマックスで明らかになります。

客席より遥かに奥行のある空間で立ち回りが演じられ、
それが繰り返されるのですが、
足首に紐を掛けられた男性が、
縦移動で奥に引きずり込まれるという、
通常はあまり舞台上にないような動きが面白く、
最後には外の路上まで使って、
暗殺劇を上演しています。

このテント芝居を彷彿とさせるような、
自由度のある舞台構造が面白く、
この創意工夫だけで充分元は取った気分になりました。

内容は最初の30分の英語劇は、
英語が公用語となっているような、
グローバルな日本企業がイメージされていて、
そこにベトナム人と日本人のハーフで、
日本語も英語も殆ど話せない、
という新入社員が社長のコネ入社で入って来て…
という話です。

かなりたどたどしい英語と芝居が、
どうかなあ、というクオリティではあるのですが、
善意の塊のような日本人の好意が全て裏目に出て、
結局主人公の孤独も周囲への誤解による恨みも、
全く解決することはない、
という冷徹なラストには、
「なるほど、そこまでやるか」
と少し感心しました。
それも、無残なラストではなく、
何か軽くポエジーな感じになっているのです。

1本目が終わると、
出演もされていた主宰の山並がさんが出て来て、
少し休憩を取りますみたいなことを言うと、
それまで音効オペをしていたスタッフらしき人が、
いきなり「ごちゃごちゃ言うとらんでとっとと始めんかい!」
みたいなことを言い出して、
実はその人がヤクザの組長役のキャストだった、
という小ネタが挟まります。

人数が少ないので、
キャストと裏方を兼ねているという裏事情を逆手に取った、
楽しい小芝居でした。

そこから一気に観客を引き込む2本目の「巨乳ハンター」は、
同題の宇宙から来た巨乳エイリアンと貧乳のヒロインが戦う、
という漫画とは別物の、
基本的には「仁義なき戦い」のパロディの世界で、
ヤクザも巨乳で、
巨乳でないとのし上がれない世界、
という点で無理やり巨乳ネタを押し込んでいます。

ただ、そこでヤクザに恋人の捜査官を殺された女性が、
復讐のために貧乳の殺し屋になる、
という梶芽衣子のさそりシリーズみたいな世界が繋がり、
クライマックスの女殺し屋による襲撃では、
同じ殺し場の時間が巻き戻されて繰り返される、
という最近ではタイムリープとしてお馴染みですが、
鈴木清順や太和屋竺の殺し屋物を彷彿とさせるような、
シュールな場面が奥行のある舞台を使い、
外の路上まで使って演じられます。

これには本当にしびれました。
お金はなくてもアイデアと気合で勝負という、
小劇場の見本のような素敵さでした。

キャストは主人公の貧乳の女殺し屋に、
日本のラジオの田中渚さんが、
如何にも小劇場の女丈夫という風格と魅力で、
とてもとても素敵ですし、
それに対してJカップのAVアイドルの塚田詩織さんが、
ちゃんと登場して華を添えます。
お金もないでしょうに、
この一点豪華主義には頭が下がります。
脇のキャストも坊主頭の組長を演じた吉成豊さんなどが、
ケチの付けようのないコミカルヤクザを、
迫力を持って演じていて感心しました。

まあ、僕だから感心した、
というところもあって、
初めてお芝居を見る、というような方には、
全くお勧めは出来ない舞台なのですが、
アイデアに溢れた非常に楽しい作品で、
心ゆくまで楽しむことが出来ました。

山並さん是非これからも頑張って下さい。

キャスト一丸となった接客も良く、
とても素敵でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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前川知大「プレイヤー」(2017年長塚圭史演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はお芝居の記事が2本あります。

最初はこちら。
プレイヤー.jpg
イキウメの前川知大さんが、
2006年にイキウメで上演した「PLAYER」を、
長塚圭史さんとの共同作業で、
劇中劇スタイルの芝居として再創造し、
藤原竜也さんや仲村トオルさんを含む豪華キャストで、
「プレイヤー」という新たな作品として制作、
今渋谷のシアター・コクーンで上演されています。

最初に申し上げますと、
かなり悪口の感想になっていますので、
この作品を楽しみにされている方や、
鑑賞されて素晴らしいと思われた方は、
腹立たしく思われると思いますので、
どうかこれから先はお読みにならないようにお願いします。

死んだ人間が、
生前のその人を知っている生者の協力で、
その「言葉」の情報として再生される、
という前川さんらしいホラーSFのような原作を、
急死した脚本家の戯曲としてそのまま使用し、
その戯曲を俳優が稽古場で練習しているというていで、
物語は展開されます。
つまり、2006年版の物語を入れ子にして、
劇中劇として上演するという趣向です。

宣伝などの資料を読む限り、
この劇中劇にするという趣向は、
長塚圭史さんから前川さんに提案され、
それに沿って前川さんが戯曲を書き直した、
という経緯のようです。

ただ、これは敢くまで僕の個人的な考えですが、
およそ劇中劇のような構造を取った戯曲で、
あまり面白くなったためしはないように思います。
特に元々は普通の戯曲であったものを、
後から劇中劇の入れ子構造に直した作品でそれが顕著です。

それは何故かと言えば、
劇中劇という構造は、
作品世界と客席との距離感をより遠くしてしまうからです。

特に額縁(プロセニアム)形式の舞台を、
客席から鑑賞するような場合には、
観客の立場からは、
遠くの四角い舞台で行われている世界に、
集中して無理をして同期してゆくような作業が必要になります。
これは実際には結構しんどいことなのです。
それが劇中劇の構造となると、
舞台上の世界に慣れた上に、
更にそこで演じられる世界にも慣れないといけない、
という二重の苦労が生じることになります。

こうした作品を書いたり上演したりする立場からは、
観客と俳優との関係を、
劇中劇のスタイルを取ることにより、
相対化するような面白みを感じているのではないかと思うのですが、
それは概ね芸術家の独りよがりであって、
観客に通常より大きな緊張や集中力を強いている、
という視点が欠けているのではないかと思います。

こうした劇中劇の構造は、
小説や映像のメディアであれば、
有効に機能することが多いのです。
映像や小説であれば、
劇中劇の中の世界と、
それを演じている世界とを、
全く同じように表現し、
それを瞬時に切り替えることが出来るからです。

しかし、それを演劇で表現する時には、
舞台の上にまた舞台を置くような、
面倒極まりないことをしなくてはならず、
そうした構造が舞台全体をゴタゴタさせて、
観客の集中力を奪い、
無意味な疲労に導く結果になるのです。

今回の上演はその最たるもので、
舞台はある地方都市の公共劇場のリハーサル室に設定され、
そこに沢山のパイプ椅子が置かれていて、
そこで死亡した無名の劇作家による「PLAYER」という戯曲の、
練習が行われている、という設定になっています。
作品の8割くらいは、
実際には「PLAYER」という戯曲の世界が展開されています。
しかし、リハーサル室で上演、
という設定があるので、
何かセットも衣装も全てが中途半端です。
更にはリハーサルの段取りのようなものが間に入るので、
全体がメリハリなくダラダラとして、
「早く話を進めてくれよ!」というイライラが、
観客には募ることになるのです。

この作品で劇中劇にした意味は何でしょうか?

結局は最後に「オチ」が付くだけです。
そして、そのオチは誰でも観ていれば、
想像の付くような凡庸なものです。
こんな凡庸なオチだけのために、
わざわざ劇中劇のゴタゴタを用意したのかと思うと、
その馬鹿馬鹿しさには脱力するしかありません。

はっきり言えば今回の劇中劇の構造は、
無意味だったと思います。

前川さん自身も、
こうしたひねった趣向で、
自分の過去の作品を改変し、
それが結局は改悪になっていることが多いと思います。
長塚圭史さんも、
分かりにくく回りくどい演出をして、
それが却って作品の力を削いでいる、
というような作品が最近は多いように思います。
三好十郎の「浮標」なども、
そのまま上演した方が良いに決まっているのに、
わざわざリハーサルの劇中劇的な趣向を使って失敗していました。

そうした同じ欠点を持つ2人のコラボレーションというのが、
どうも悪い方向に増強されてしまった、というのが、
今回の作品であったように個人的には思います。

作品世界はなかなか魅力的だと思うのです。
カルト宗教などを想起はさせますが、
それだけではない前川さんの独自の解釈や世界観が魅力です。
しかし、それをゴチャゴチャと劇中劇にしたのは大失敗ですし、
キャストも無駄に豪華で、
集客という以上に、
あまり出演に意味がなかったと思われるような、
殆ど見せ場のないキャストも多かったのは残念でした。

そんな訳で、
僕は前川知大さんの「太陽」も「聖地X」も、
長塚圭史さんの「はたらくおとこ」も大好きで、
お二人ともとてもとても尊敬しているので、
個人的にはとても残念な上演でした。

ただ、ネットの感想などを見ると、
大絶賛のものも多いので、
これはもう感覚の違いなのだと思います。

この作品を御覧になって、
面白いと思われた方は、
どうか色々な意見があるということで、
ご容赦を頂きたいと思います。

僕ははっきり駄目でした。

それでは2本目の記事に続きます。
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