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「飴屋法水 本谷有希子 Sebastian Breu くるみ」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日はクリニックは夏季の休診中です。
これから奈良に行く予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
くるみと本谷有希子.jpg
これは題名があるのか、無題なのか、
良く分からないのですが、
本谷有希子さんが飴屋法水さんとコラボレーションをして、
久しぶりに演劇をする、
というので話題となった舞台が、
8月5日から9日まで、
原宿のVACANTというイベントスペースで、
上演されました。

非常に話題を集め、
チケットは即日完売となりましたが、
元々フリースペース的な空間なので、
結構沢山の当日券が出ていました。

これは本谷さん自身が出演をしていて、
後半は割としっかり台詞も喋ります。

本谷さんは劇団本谷有希子として、
演劇から活動を開始し、
最近は作家活動に軸足を移して、
今年は芥川賞も受賞をされました。
ただ、自分は基本的にはこれまで役者はやらず、
第8回公演の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」では、
ちょこっと出演しましたが、
本当に恥ずかしそうに、
小声で数語喋るだけでした。

それが今回は出演者として登場し、
少し他人を演じるパートもありますが、
基本的に「自分自身」を演じます。

最初は飴屋さんの方が、
「私は本谷有希子です」
と語り始め、
そこに口パク的に本谷さん本人が囁く感じで始まり、
飴屋さんのお子さんのくるみさんが、
本谷さんを演じたりもするので、
「ははあ、これは結局自分は喋らないということなのだな」
と思ったのですが、
後半になると徐々に自分で台詞を語り始め、
ラストは詩的な独白を語ると共に、
飴屋さんがアングラの呼吸で、
徹底して本谷さんを糾弾し精神的に追い込む、
というパートでクライマックスを迎えます。

これは相当凄かったです。

追い込まれて、上気した顔に、
何か変な汗をかいているような本谷さんは、
尋常ではないような魅力を放っていて、
「僕は今紛う事なき天才を見ている」
という強烈な実感があったのです。

これまで多くの女優さんが、
本谷さんの台本で屈折した追い込まれるヒロインを演じましたが、
本人がこうして満を持して演じる姿を見ると、
ちょっとどんな名女優も所詮は女優に過ぎない、
という思いを強く感じました。
「遭難、」の松永玲子さんも、
「幸せ最高 ありがとうマジで!」の永作博美さんも、
その時はとても良いと感じたのですが、
こうして今回本谷さん自身による「本物」を観てしまうと、
これはもう比較にはならないな、
と感じたのです。

誤解のないように言えば、
本谷さんは役者ではなく、
従って演技は素人です。
しかし、彼女の中にある物は、
まさしく「演技の魂」なので、
彼女が描く作品の主人公は、
結局のところ彼女が演じないと、
本当の意味での輝きを持たないのです。

今回の舞台はもう1人の演劇の天才飴屋法水さんとのコラボで、
そこに更にセバスチャン・ブロイという、
ヨーロッパ的感性の才人が加わります。

僕の感触としては、
本谷さんが自分を語るパートは、
本谷さんが書き、
それ以外の部分の構成は、
主に飴屋さんの担当ではないかと思いました。
以前からの飴屋さん一家3人の家族劇に、
お客さんとしての本谷さんとブロイさんが、
加わったという感じです。

本谷さんはまず、
芥川賞を取ったことはとても嬉しかったのだけれど、
インタビューを受け続けているうちに、
何かが違うという気がしてきて、
別のことをやりたくなった、というような話をします。

これは誰が入れたのか分からないのですが、
フリードリヒ2世が、
多くの捨て子に全く言葉を与えることなく育てる実験をしたところ、
その赤ちゃんは何語を話すようになったのか?
という有名な挿話がクイズのように語られ、
見えない赤ちゃんを本谷さんがあやし、
実際には互いの言葉を全く理解していなかった2人が、
長い時間を一緒に過ごすことが出来た不思議とか、
使わなくなった言葉を捨てる穴の話など、
言葉を巡る思索が軽演劇として語られ、
それから本谷さんがメインになると、
昨年の10月に出産をした経験を語り、
腰椎麻酔で帝王切開をしたので、
出産の痛みを感じることがなく、
そのため子供が自分から生まれるという、
大切な瞬間を感じることに失敗した、
という話になります。

自分は耳から子供を生んだので、
子供に名前という言葉を与えることに躊躇する、
言葉は人を殺さないけれど、
意味は人を殺す、
というような話になり、
見えない子供を可視化するために、
もう一度そこで観念の子供を産んでみせろ、
と飴屋さんから詰め寄られます。
ラストは見えない子供に向かい、
本谷さんが「君は夏の雪、君は冬の熱風…」
と歌い、
最後に母と子が時空を超えて一体化して終わります。

ともかく凄い世界で、
何よりも天才が実在して目の前にいる、
という事実に圧倒されました。
凡人の身としては、
素朴に強い羨望を感じましたし、
人間という存在の不公平さを感じました。

前にデセイ様の歌を目の前で聴いた時にも感じたことですが、
この人に話しかけられたら、
その場で死んでも良いと思えるというか、
久しぶりに「藝術としての女性」に恋をして倒錯するような、
そんな思いに囚われたのです。

正直飴屋さんの家族劇の世界が、
日本にいる外国人の映像を延々と流したり、
死の灰が降ってくるという終末像を安易に入れたりと、
あまり僕の趣味には合わないのですが、
趣味が合わないというだけで、
飴屋さんも天才であることは間違いがなく、
2人の天才が目の前で心理的に戦うのですから、
これはもう演劇の究極というか、極北というか、
もうあまり後には何も残らないのではないか、
というような感じすらする世界なのです。

別に完成度が高いということではないのですが、
ともかく凄かったのです。
もうしばらく普通の芝居など観ても仕方がないな、
というように感じました。

絶品でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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