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別冊「根本宗子」第5号「バー公演じゃないです。」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の記事は演劇の話題です。

それがこちら。
バー公演じゃないです.jpg
自分の名前を冠した劇団、月間「根本宗子」などで、
非常なハイペースで精力的な公演を続けている根本宗子さんが、
6月の中旬に本公演とは別個の位置づけの、
番外公演的な別冊「根本宗子」として、
中野の地下の小劇場での公演を行いました。

これは根本宗子さんと、
長井短さん、青山美郷さん、石澤希代子さんという、
4人の女優さんによる1時間10分くらいの小品ですが、
一種の語りによる演劇を、
4人の個性的な女優さんによるテンションの高い芝居で、
一気に駆け抜けるという趣向で、
なかなか面白い作品でした。

舞台はポップな装飾が施され、
オープニングやエンディングでは、
皆で時間差で同じ動作を繰り返したりするような、
様式的な演出も一部に取り入れられています。

基本的には根本宗子さんの1人語りで、
子供時代のトラウマに悩む少女が、
3人の同級生との交流を繰り広げるうち、
ラストでひょんなところからそのトラウマから解放されます。
4人の女優さんが特徴的な4人のキャラを演じ、
丁々発止の渡り台詞で、
長大かつテンションマックスな掛け合いを演じる部分が見所です。

バレエのくるみ割り人形が、
モチーフとして使用されています。

こういう「私を見て!私だけを見て!」というような、
自意識の塊のような芝居が、
根本宗子さんの魅力で、
最近はちょっとお上品に、
一歩引いたような感じや、
慣れない男性の心理に踏み込んだような作品など、
やや迷走気味の部分があったのですが、
今回の作品は小気味の良いタッチで、
これぞ根本宗子、というところを見せたと思います。

今回のキャストの中では、
長井短(ながいみじか)さんが、
極めて暴力的でハイテンションの怪演で、
僕はこの方はこれまで3回くらい見ていますが、
見るたびに良くなっている印象で、
今回の芝居は、
小劇場を代表する女優さんの1人になったことを、
認識させる演技だったと思います。

彼女は身体をたえずくねらせ、
身体の軸をぶらし続けながら、
静止させることなく台詞を発していて、
その規格外のところが、
小劇場的でとても良いのです。

次回は本多劇場とのことですが、
どのような展開を見せてくれるのか、
今から楽しみにして待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

ロベール・ルパージュ「887」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
何もなければ1日のんびり過ごす予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
887.jpg
6月23日から26日まで、
東京芸術劇場のプレイハウスにて、
ロベール・ルパージュさんの自伝的1人芝居、
「887」が上演されました、

その初日に足を運びました。

ロベール・ルパージュさんはカナダ出身の舞台演出家で、
プロジェクション・マッピングなどを先駆的に使用して、
映像の魔術師と称され、
シルク・ドソレイユの舞台の演出や、
メトロポリタン・オペラの演出なども手がけています。

大掛かりな舞台の演出も得意なルパージュさんですが、
その一方で今回のような、
ミニマムな演劇の上演も続けています。

今回の作品はルパージュさん本人の出演する1人芝居で、
上記の映像を見るだけでも、
何か幻想的で美しい舞台が期待出来そうです。

そんな訳で結構期待をして出掛けたのですが、
英語とフランス語を織り交ぜた台詞に日本語の字幕が付く、
という形式での上演で、
その全体を深く理解するには、
そもそもハードルが高いのですが、
内容自体もあまり僕好みの作品ではなく、
その演出自体も、
「映像の魔術師」と言うほどではない、
という気がして、
あまり乗れない観劇となりました。

これはそもそも「ポエトリー・リーディング」のお芝居です。

この場合は自作ではないのですが、
ある詩の朗読を依頼された、
というのが発端になっていて、
そこから所謂「想い出巡り」が始まるのですが、
クライマックスはその詩の朗読風景を、
特にケレン味なく演じて終わるのです。

欧米の演劇というのは、
言葉を韻を踏んで語るということ自体を、
演劇の到達点のように考えている節があって、
何か客席に向かって朗々と語り出すのですが、
正直その「情感の押し売り」のような押し付けがましく仰々しい感じには、
勿論その微妙なニュアンスは分からない、ということが大きいのですが、
いつもうんざりするような思いがして、
面白いと思ったことがありません。

先日大好きなパティ・スミスの公演に行きましたが、
彼女ですら、
ポエトリー・リーディングの部分は退屈に感じ、
旋律のある歌になると、
これはもう最高に感じました。

僕は演劇というのは、
もう少し屈折した部分や、
さりげない部分が良いと思っているので、
仰々しく前を向いて、
大声で詩を朗読し、
その世界に陶酔する、
というようなものが、
演劇とは到底思えないのです。

ただ、そう思わない方も多いと思いますし、
今回のような作品に、
感銘を受ける方もいらっしゃると思うので、
それを否定するつもりは全くありません。

作品は想い出巡りの部分で色々と仕掛けがあります。

大きなミニチュアのアパートのセットがあって、
それが回転すると別の部屋が広がります。
小さいカメラでミニチュアを写したりする趣向もあります。

セットの構造は庭劇団ペニノに非常に良く似ていましたが、
どちらかがどちらかに影響を受けた、
ということもあるのかも知れません。

多くの黒子が見えないようにセットチェンジをする、
というような趣向も欧米の演劇でお馴染みの感じです。
日本では歌舞伎や文楽の影響が大きいので、
黒子は舞台に見えるようにすることの方が多いのですが、
欧米演劇では敢くまで見えないことの方が多いと思います。

ただ、それほどびっくりするような趣向や、
新鮮に感じるものはありませんでした。

舞台セット自体ももっと小劇場向けのものなので、
プレイハウスの大きな空間には、
マッチしていない気がしましたし、
遠くの席からでは、
何をやっているのか分からない場面が多かったと思います。

これはもっと小劇場で上演するべき芝居だと思いました。

内容はルパージュさんがフランス系のカナダ人で、
カナダではマイノリティのために、
色々と差別に遭った、
というような個人的な恨みつらみのようなものが主体で、
あまりに主観的で一方的に思えたので、
これも何となくゲンナリしました。

個人的なそうした恨みつらみを、
世界中で上演するという姿勢自体にも、
何となく疑問を感じました。

そんな訳でとても乗り切れない上演だったのですが、
日本の演劇にはない新鮮さもあり、
それなりに楽しんで劇場を後にしました。

今日はもう1本演劇の記事があります。

それでは次に続きます。
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