So-net無料ブログ作成

マクドナー「イニシュマン島のビリー」(2016年森新太郎演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で石田医師は休診のため、
午前午後とも石原が診療を担当します。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
イニシュマン島のビリー.jpg
アイルランドの気鋭の劇作家、
マーティン・マクドナーの「イニシュマン島のビリー」が、
森新太郎さんの演出で上演されています。

これはケラさんに似たスタイルで、
繰り返しの台詞に笑いの要素を巧みに取り込んだ演出が良く、
役者と演出、戯曲とバランスの取れた好舞台で、
日本の翻訳劇としては、
かなり高水準の上演だと思います。
マクドナーの芝居の好きな方には、
かなり強力にお薦め出来ますし、
あまり馴染みのない方には、
好き嫌いはあると思いますが、
まずは高水準の舞台劇として、
お薦めはしたいと思います。

マクドナーは異形で変態的なキャラクターが多く登場し、
設定もかなり突飛で幻想的であったりもするのですが、
それでいて、先の読めないストーリーが、
非常に緻密に構成されていて、
必ず一か所はある種衝撃的な暴露があって、
人間の心の深淵を、
除き込むような気分にさせられます。

僕はマクドナーの舞台には、
長塚圭史さんが演出した「ウィー・トーマス」で、
初めて接しました。
これはタランティーノの映画みたいに、
頭のイカれたキャラクターが、
殺し合いを繰り広げる物語で、
いつ誰が拳銃の最初の一発を撃つのか、
というスリルが演劇として非常に新鮮で、
後半にはグロテスクの極みのような人間解体劇があり、
ラストには強烈で皮肉に満ちたオチが待っている、
という逸品でした。

ただ、実際にはこうした作品が沢山ある、
と言う訳ではなく、
殆どのマクドナーの作品は、
特異なキャラが突飛な設定で登場はしながらも、
もっと激情を底に秘めたような、
静かでアイロニカルな会話劇です。

長塚圭史さんの留学前の諸作品や、
松尾スズキさんの諸作品には、
マクドナーにとても良く似たところがあり、
それが1990年代から2000年代前半くらいまでの、
社会の空気感なのかも知れません。
ただ、その構成の緻密さと、
巧みなラストに向けての構成力、
登場人物の感情を的確に観客に伝える描写力などは、
マクドナーに一日の長があるように思います。

今回の作品もマクドナーの特質の良く出た、
なかなか完成度の高い心理劇で、
派手さはなく、やや淡々と展開するので、
役者や演出が凡庸であると、
退屈な芝居になりかねないのですが、
今回の上演では、
緻密でリズム感のある演出と、
充実した役者陣が、
質の高い舞台に仕上げていたと思います。

以下ネタバレを含む感想です。

舞台はアイルランドの田舎の港町で、
時代は1930年代くらいに設定されています。
主人公のビリーは脳性麻痺で手足が不自由な若者で、
その障害を村人に馬鹿にされています。
彼は幼い時に両親を海で亡くしていて、
怪しげな2人のおばさんに引き取られているのですが、
両親が障害のある自分を愛していたのかどうかを、
ひどく気に掛けています。

鈴木杏演じるヘレンは、
多くの男と関係を持ち、
男をいたぶるのが大好きなサディスティックな女性ですが、
ビリーは密かに彼女に好意を寄せています。

そんな時に山西淳扮する村のニュース屋の男が、
近くの島にハリウッド映画の撮影隊がやって来る、
というニュースをもたらします。

ヘレンと彼女の頭の足りない弟が、
村の漁師の船で、
映画撮影の見物に行くと知ったビリーは、
「肺結核で余命3ヶ月」という村の医師の診断書を、
漁師の男に見せて同情させ、
一緒に船に乗り込むことに成功します。

身障者の役の俳優を探していた撮影隊は、
ビリーにカメラテストをしないかと声を掛け、
アメリカに連れて行きます。

ビリーはカメラテストで瀕死の役を演じますが、
結局は健常者の役者に役は取られてしまい、
失意のままに、
島で撮影された映画が上映されたその日に、
村に戻って来ます。

「余命3ヶ月」というのは、
ビリーが船に乗るために吐いた嘘で、
そのために漁師にビリーはさんざんに暴行を受けます。

ビリーは両親もアメリカに向けて船を出し、
遭難したという話を聞いていたので、
自分もアメリカへ行けば、
何かが変わるかのように虚しい期待を持っていたのです。

それから今度は、
両親はビリーの治療費を捻出するために、
保険金を掛けて入水自殺をしたのではないか、
という話を聞きます。

確かに子供の時にビリーは重体になり、
何処かからその治療費が捻出されたことは事実であるようなのです。

両親に自分が愛されているという証として、
その噂にビリーは縋るのですが、
実は両親はビリーの方を保険金殺人で殺す計画を建てていて、
海で死にかけたビリーを、
救ってくれたのは、
村の嫌われ者のニュース屋であったことを知ります。
ビリーの治療費も、
そのニュース屋が母親のへそくりから用立ててくれたのです。

両親に愛されていなかったことを知ったビリーは、
ヘレンにデートを申込みますが拒否され、
自殺を試みようとしますが、
そこで気まぐれなヘレンが、
戻って来てデートを受け入れるので、
すぐに自殺を取りやめます。
しかし、咳き込んで血を吐き、
「余命3ヶ月」がアメリカ行きの過労のために、
現実となってしまったことを知るのです。

この救いのない物語を、
マクドナーはある種の残酷な御伽噺のように、
グロテスクなユーモアを交えて描きます。
ちょっとしたことで絶望し、
他愛のないことで生きる希望を持ったりもするビリーは、
勿論僕達全員の写し絵で、
悲しくも愛らしい存在であると共に、
抗いようにない力に翻弄され、
無残に死んでゆきます。
それを救うものは、
ちょっとしたユーモア以外にはないのかも知れません。

ニュース屋という存在は、
勿論「メディア」のことなのですが、
唾棄すべき存在でありながら、
情報が人間の救いでもあるという、
本質的な部分に切り込んで、
それを陰影のある人物に仕立てたマクドナーの才気には、
感心せざるを得ません。
何となくベースにあるのは、
「天井桟敷の人々」であるような気がしました。

構成も非常に巧みで、
ビリーは撮影隊に連れられてアメリカに行くのですが、
それをアメリカのホテルで、
ビリーが1人で演技の練習をしている、
という場面のみで表現する、
という辺りが非常に無駄がなくクレヴァーです。
しかも、その場面を観ている観客には、
ビリーがアメリカで結核のために死にかけている、
というように見えるという、
凝った趣向です。

今回の上演はまず演出が非常に優れていて、
絶妙な間合いの台詞の繰り返しが、
原作のユーモアを巧みに表現していて引き込まれます。
ちょっとケラさんの芝居のようで、
出演者にもケラさんの芝居の常連がいるので尚更ですが、
それでも、深刻な台詞へスムースに移行する当たりは、
ケラさんとは違う才気を感じさせます。

また、ビリーが漁師に殴られた場面で、
吹き替えを使い、
すぐに暗転なく包帯を巻いたビリーがいる次の場に、
繋げた演出も鮮やかです。
暗転を省略して舞台のリズムを切らさないために、
吹き替えの役者を使っているのです。
この発想にも非常に感心しました。

舞台装置は回り舞台ですが、
背景のホリゾントに荒れ狂う海の情景を写していて、
それが舞台の奥行を増しているのが見事です。

役者陣もこの芝居としては非常に充実しています。

ビリー役の古川雄輝さんの純粋な感じも良いですし、
風変わりなおばさん2人に、
峯村リエさんと平田敦子さんというのは鉄板です。
中でも鈴木杏さんのサディスティックな少女と、
ニュース屋の山西淳さんの芝居は、
2人の今充実期にある役者さんの、
現時点での代表作と言って良い、
素晴しい演技で、
この舞台の質を大きく高めたと思います。
脇に村の医者の藤木孝さんと、
ニュース屋の母の江波杏子さんなど、
隙のない布陣です。
しかもアンサンブルも非常に良く取れていました。

そんな訳で、
内容には好き嫌いはあると思いますが、
今の日本で望み得る限り最高水準の翻訳劇として、
強くお薦めしたいと思います。

ご興味のある方は是非。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
メッセージを送る