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青年団「ニッポン・サポート・センター」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ニッポンサポートセンター.jpg
青年団の平田オリザさんの新作による本公演が、
今吉祥寺シアターで上演されています。

青年団としては箱も大きくロングランなのですが、
すぐに追加公演が決まるなど連日満員の盛況です。

平田オリザさんは、
色々な意味で現在の演劇界を牽引している存在ですが、
最近劇団への新作はなかったので、
今回は待望の公演ということになります。

演劇団は1990年代の初め頃から、
所謂「静かな演劇」の旗手として注目を集め、
駒場アゴラ劇場を拠点として精力的な活動を展開していました。

僕は正直当時はあまり好みではありませんでした。

1995年の「火宅か修羅か」、
1996年の「南へ」と「冒険王」、
1998年の再演版の「東京ノート」を観ています。

作品はほぼ地明かりのみの照明で、
音効もありません。
1幕1場の形式で物語は展開され、
ある日常的な風景がそのまま切り取られるようなドラマです。
作品の流れの中で、
登場人物が大声を出したり激高したりすることもあるのですが、
ほぼ瞬間的なもので、
日常的な時間が分断されるということもありません。
役者は通常の会話を普通の声でそのままに語り、
客席を真正面から見て、
観客に向かって台詞を言うようなこともしません。

こういう日常を切り取ったような演劇は、
他にもない訳ではなかったのですが、
ここまでその様式に徹底したものは、
それまでにはなかったと思いますし、
その後もあまり例がないと思います。
駒場アゴラ劇場の上演では、
肉声を聞かせるために、
上演開始と共に、
エアコンも停止させるという徹底ぶりです。

平田オリザさんは一種の政治家的な手腕や、
教育者としての手腕のある方のようで、
多くの若手の演劇人を育て、
独立した演劇人達が設立した劇団や団体が、
いずれも成功して現在の演劇界を支えています。

また多くの演劇関連のプロジェクトを進め、
アジアを中心として世界の演劇人とも交流を深め、
教育の現場への演劇の導入にも、
積極的に関わっています。

本拠地の駒場アゴラ劇場は、
主に若手の演劇人に広く開放されていて、
その上演作品の幅の広さにも感心します。
今最も小劇場らしい小劇場は、
駒場アゴラ劇場だと思います。

今回の上演では本当に久しぶりに青年団の公演に足を運びました。

以下ネタバレを含む感想です。

舞台はDVなどの一時避難を扱うNPO法人の事務所が舞台で、
正面に事務所のサポートスタッフなどが談話するスペースがあり、
奥に3つの面談室の扉があります。

例によって作品の時間の流れと上演時間は一致していて、
2時間のNPO法人事務所の日常が、
そのまま2時間の上演時間となり、
照明の観客に分かるような変化も、
音効の活用もありません。

NPO法人は行政の委託を受けているのですが、
公的なものではないための不安定さもあります。
センターのサブリーダーの女性の夫が盗撮で逮捕され、
そのために法人は存続が危ぶまれる事態となります。
そんな中でも法人の日常は展開し、
DVで避難を求める妻の元に、
夫が探しに訪れたり、
風変わりな女性が相談に訪れてクレームを付けられたり、
商社を適応障害で退職したエリートサラリーマンが、
斡旋された仕事が、
ゆるキャラの着ぐるみの中に入る仕事であったりというような、
些細なそれでいて本人達にとっては深刻なドラマが、
例によって淡々と展開し、
ラストはそれぞれの問題の解決のための話し合いが、
後ろの閉ざされた3つの面談室の向こうで、
見えない中で進行される中、
舞台の正面では残されたメンバーが、
やや唐突に「やまと寿歌」を歌い、
歌い終わるとキャストが立って終わりになります。

舞台の区民会館的な雰囲気が、
吉祥寺シアター自体の建物とマッチしていて、
その雰囲気が自然に導入される辺りは巧みです。
また、背後に中の見えない面談室を3つ用意して、
そこでの面談と、
正面の舞台での出来事をシンクロさせる、
という劇構造もさすがに巧みに出来ています。

役者は今回はオールキャストと言って良い豪華さで、
皆抜群に上手いので安心して観ることが出来ます。

1990年代の作品では、
今回も出演されている山内健司さんが、
作品のポイントとなる台詞を必ず言うのがお約束で、
今回も淡々と語られる貧困や社会問題の、
奥底にあるものを、
最後に山内さんの台詞で語らせる、
という趣向になっていました。

以前の作品と比較すると、
大分普通の演劇に近付いているな、
という印象で、
ベテランの松田弘子さんの芝居などは、
そのデフォルメの感じが、
大衆演劇的なスタンスに近くなっているのを感じました。
1990年代くらいの青年団の作品だと、
山内さんが登場して寒い感じのギャグを言っても、
それが他の役者さんには、
間合いとしては引き継がれずに流れる、
という感じがあったのが、
今回の作品では、
台詞のリズムが重視されていて、
ギャグも次の台詞に引き渡される感じになっています。
観る側としては観やすくなった反面、
かつてのようなリアリズム重視の姿勢、
敢くまで日常をそのままに切り取る、
という姿勢は後退しているように感じました。

それが演劇としての進歩であるのかどうかは、
今回だけでは良く分かりませんでした。

ラストに歌を持ってくるのは、
そこだけは間違いなく非日常的な感じなので、
皆で歌うという必然性もありませんし、
歌自体の性質上、
極めて分かりやすいメッセージ性が成立してしまうので、
個人的には納得がゆきませんでした。

もっとさりげない、
日常の時間が、
神様の鋏でフツッと切断されるような、
そうしたラストの方が良かったのではないでしょうか?

パンフレットでは平田さんは、
「ゆっくりと滅びの道を歩む日本の、影絵のような芝居になればと願っている」
という記載をされていて、
それはちょっときつい言い方過ぎないかしら、
と感じました。

多くの青少年に演劇を教えている方なのですから、
そうしたことを文章でパンフットに残されるのは、
ちょっとそれは違うのではないかしら、
と感じたのです。

ただ、これは敢くまで個人的な感想なので、
そう思われない方も多いと思います。

久しぶりに観た青年団は、
色々と考えさせられました。

「ゆっくりと滅びの道を歩む日本」で、
僕も何かしらの生き方を、
もっと必死に選択するべきなのかも知れません。

それでは2本目の記事に続きます。
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