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モイツァ・エルトマン&グザヴィエ・ドゥ・メストレ デュオ・リサイタル [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日まで診療所は連休のため休診です。
明日からはいつも通りの診療のもどります。
ちょっとブルーです。

いつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
昨日の地震は東京にいなかったので分かりませんが、
戻ってみると少し積んで合った本が、
崩れていた程度でした。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
モイツァ/エルトマン.jpg
ドイツの新進コロラトゥーラソプラノのエルトマンと、
元ウィーン・フィルのハーピストのメストレのデュオ・リサイタルが、
先日東京オペラシティで行なわれました。

これはちょっと悲しい気分になったリサイタルで、
観客とアーティストとの関係を考えさせられました。

リサイタルはシューベルトとシュトラウスの歌曲に、
オペラアリアとハープのソロが加わる、
というもので、
歌曲が基本的には主役のプログラムに、
おそらくは集客のためにアリアが追加されたように思います。

ただ、プッチーニの「私のお父さん」のような、
ベタなものがある一方で、
サリエーリのオペラのアリアのような、
滅多に生で聴く機会のないような作品も混じっていて、
エルトマンの音楽性への拘りを、
垣間見ることが出来ます。

エルトマンは新進のドイツのソプラノで、
声量はそれほどではないですが、
安定感のある透明な声質で、
コロラトゥーラの技術もまずまずです。
高音を出す時にはちょっと背伸びをするように、
身体の軸を変え、
細身の身体を上気させて絞るように声を出す感じが、
若い頃のデセイ様に、
ちょっと似たところがあります。

呼び屋のジャパンアーツさんは、
デセイ様、プティポンと、
美系のソプラノで集客を図る試みを続けていて、
彼女もその狙いで数年前に初来日しましたが、
やや地味な印象でそれほどの集客には結び付きませんでした。

その後で今年の初めには、
N響とオルフを歌い、
その格調のある歌い廻しに、
彼女の成長を感じて今回のリサイタルに期待が高まりました。

ただ、前回の歌曲主体の「正統的な」リサイタルの構成と比較すると、
およそ彼女のレパートリーとは思えない、
ベッリーニやプッチーニのベタなアリアを入れたり、
美男のハーピストに伴奏をさせたりという、
やや俗っぽい感じのする呼び屋の姿勢には、
何となく危惧も感じないではありませんでした。

始まってみると、
いつも見掛けるようなマニアの方もいる一方で、
何処から集めて来たのかしら、
と不思議に思うような方も、
割と正面真ん中に陣取っていて、
最初はシューベルトの歌曲が6曲続くのですが、
最初の曲が終わると共に盛大な拍手が響いたので、
脱力しました。

本当に何が正しいマナーなのか、
というようなことは、
個々の感じ方もありますし、
何とも言えません。

ただ、数曲の歌曲を1つの流れで歌う時には、
交響曲の楽章の間で拍手が入ると、
余韻や全体の流れが切れてしまって、
アーティストにとっても緊張が切れてしまうのと同じことで、
歌手が緊張感を持続させて歌い継いでいる時には、
拍手でそれを切らない方が、
より良いパフォーマンスに結び付くことは事実です。

それが最初から失われたことは、
非常に残念でした。

最前列付近にいたマニアの方が、
曲間の拍手を止めさせようと、
シーと声を出したり、拍手の方向を睨んだりしたのですが、
拍手をすることが礼儀と誤解した方の方が、
全体として多数だったので、
その後も曲間の拍手はむしろ多くなり、
静謐な歌曲の流れは最初からもう失われました。

僕のそばに外人の2人連れがいて、
その2人が率先して拍手をしていたので、
「外国のお方が拍手をしているのだから、
その方が正しいのだろう」
と誤解して拍手をされた方も多かったように感じました。

しかし、僕はそれほど海外でクラシックを聴いたことはありませんが、
観光スポットでもあるようなオペラハウスの観客のマナーは、
概ね日本より悪く酷いものだと思います。

オペラアリアの途中で拍手をしたり、
余韻を楽しむような場面で、
演奏が終わると同時に拍手をするようなことは、
本来は良くないマナーだと思いますが、
マリア・カラスが歌った1950年代のスカラ座のライブ録音を聴いても、
拍手のタイミングは本当に悪くて、
余韻を楽しむべき場面で、
フライングのような拍手が、
入りまくりなのには驚きます。
6代目菊五郎の録音で、
菊五郎の声よりプロンプターの声の方が、
大きく録音されていたのにもビックリしましたが、
別に観客のマナーやアーティストの姿勢が、
必ずしも昔の方が良かったとは言えないとも思います。

今回のことについても、
アーティストは、
「ああ今日の客はこんな感じなのね」と思って、
そのレベルでのパフォーマンスをするのだと思いますから、
それで良いと言えば良いのかも知れません。

ただ、リサイタルの後半にはシュトラウスの歌曲があり、
シュトラウスの短い歌曲を、
それぞれに拍手を合いの手で入れながら聴くというのは、
情緒の欠片もなくて個人的にはとても切ない思いがしました。
マニアの方も殆どあきらめていて、
ただ落胆のみしていたように思います。

僕が今回疑問に思ったのはジャパンアーツさんのスタンスで、
リサイタルやオペラを沢山企画されているのですから、
こうした結果になるのは予め分かっていたと思うのに、
もし歌曲は歌曲として、
しっかり聴いて欲しいという考えであるのなら、
知識のない方も多いのですから、
そして今回のリサイタルは、
あまり知識のない方にも気軽に聴いて頂こうという、
そうした趣旨でお客さんを呼び込み、
プログラムを決めたことが明らかなので、
せめてプログラムの記載やアナウンスで、
曲間の拍手は控えて下さい、
というような注意を出来なかったのか、
ということです。

そして、もしお客さんが何処で拍手をしようと、
それは自由なのだから制限はしない、
ということでしたら、
シュトラウスの繊細な歌曲を並べるようなプログラムは、
最初から避けてもらえれば良かったのにな、
というように思えてなりません。

今回の客層は、
概ねマニアの方や音楽好きの方が3分の1くらいで、
残りの方はそれほどのご興味は普段はない方だったように思います。

ジャパンアーツさんやNBSさんは、
集客には非常に努力をされていて、
今一つの知名度のアーティストでも、
それなりに客席を埋める点はさすがだと思います。
一方で非常にマニアックで優れた公演を、
実現されているような呼び屋さんでも、
集客力がなくて席はガラガラでアーティストも気の毒、
というようなケースもしばしばあります。

そのどちらが良いのかは非常に難しいところで、
どちらも良くない、というのが正解ではあるものの、
そんなことを言っていれば、
良い公演など殆ど成立しないことになってしまいます。

ただ、こうしたことを繰り返していれば、
ジャパンアーツさんの公演は、
フライングの拍手だけが矢鱈と入る、
やかましいものに、
いずれは全てなるのは必定で、
歌曲やリートのリサイタルというのは、
ある種の静寂を楽しむためのものなのだ、
ということが忘れられることになるのも、
もう近い将来のことになるような気がします。

凄まじいフライングの拍手をされる方が、
概ね地位もあるような壮年の方で、
好意で拍手をされているようにお見受けされるので、
尚更に文化というものの受容のあり方と、
それを共有して楽しむということの難しさ、
雰囲気という曖昧模糊としたものに、
価値を求める行為の虚しさに、
改めて思いを馳せる時間になりました。

殆ど音楽は耳に入らなかったので、
お金も時間もただの無駄でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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