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捏造する天才と捏造しない凡人の話(勿論逆もあり) [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。

今日は雑談です。

医学関連の論文の捏造が、
最近報道を賑わすことが多くなりました。

ただ、捏造や不適切なデータ操作などと一口に言っても、
その内容は様々で、
間違いなく捏造と言えるものから、
うっかりミスというレベルのもの、
今では許されないけれど、
少し前までは問題ないと考えられていたもの、
確かに意図的ではあるけれど、
心情的には多くの研究者が理解可能なものなど、
様々な性質のものがあります。

更には医学の研究には臨床研究と基礎研究とがあり、
その両者にはかなりの違いがあるので、
それを一括りに捏造と表現するのも、
問題が大きく一般の方の誤解を招くもののように思います。

僕が基礎研究をしていたのは、
大学院に在籍していた時と、
その後の数年くらいに過ぎないので、
それほどの経験がある訳ではないのですが、
データの扱いなどについては、
研究をされたことのない方よりは、
理解をしているつもりなので、
今日はその辺りの問題を、
僕なりに整理をしておきたいと思います。

医学には臨床研究と基礎研究とがあります。
臨床研究というのは実際の患者さんの血圧や血糖値などのデータを取り、
そこから一定の結論を導き出すものです。

ディオバンという薬のデータに不正があり、
製薬会社と特定の大学教授などとの不適切な関係などもあって、
大きな問題となったのは、
皆さんご存じの通りですが、
これは要するに臨床研究です。

それから、神経疾患の治療薬の効果を見る研究において、
患者さんの心理試験のデータなどに不適切な点があったとして、
問題になっている事例もありますが、
これも臨床研究です。

臨床研究における不適切な行為として、
最も多いのは、
都合の悪いデータを取り除いたり、
条件を後から変えたりして、
本来は出なかった結論を出たように変えてしまう、
というものです。

ディオバンの事例はかなり露骨なもので、
本来は別の薬と比較して、
血圧が同じであれば脳梗塞などの発症には、
差がなかったのですが、
それを数字自体を書き換えて、
発症が抑制されたように見せかけた、というものです。
これは明確に捏造です。

医学の研究者の99%の方はこうしたことはしません。

ただ、神経疾患の治療薬の事例は、
本来は時間を決めて行わないといけない検査が、
そうした記載のない不備なものだったので、
後から不備がなかったように体裁を取り繕った、
というもので、
これは状況によっては少なからぬ研究者が、
手を染める可能性のあることのように思います。

結果にはほぼ間違いがないのです。
それはデータを見れば分かります。
ただ、本来するべき手順を踏んでいなかったり、
書き込まれるべきデータがなかったりした場合、
その不備を後から修正することは、
倫理的にはそれほどの問題がないことのように、
考えてしまうケースがままあるように思います。

更に良くあるケースでは、
予め設定されていた条件を、
後から変えてデータを解析する、
というものがあります。

たとえば最初は50歳以上の男女として、
データを解析したのですが、
それではうまく治療の効果が出なかったので、
今度は65歳以上の女性に、
患者さんを絞って解析すると、
今度は思い通りの結果が出たとします。
この場合、最初は50歳以上という設定で研究を開始し、
それで有意な差が出なかったので、
これこれの理由を持って、
65歳以上の女性に絞り込みを行なった、
のようにそのままに記載すれば、
何ら問題はないのですが、
最初から65歳以上の女性のみを対象として試験を行なった、
というように書いてしまうと、
それは一種の捏造になるのです。

最近の特に一流の医学誌の文献では、
そうした途中でのデータの絞り込みの変更が、
事細かに記載されています。

ただ、少し前までは、
条件の後からの変更は、
割と頻繁に行なわれていたと思います。

臨床研究というのは、
相手が人間ですから、
それが特に大規模なものになると、
時間もお金も掛かります。
関わる人間の数も多くなります。
そうなってくると、失敗は許されないということになり、
規則を逸脱した修正が起こり易くなるのです。

ただ、ディオバンのケースはかなり特殊な事例です。
捏造を行なったのが誰であるのかは、
特定はされていませんが、
かなり特異なキャラクターを持った個人が、
単独で行なったことだと個人的には思います。

一方で基礎研究というのは、
動物実験や細胞を使ったような実験で、
病気のメカニズムなどをより詳細に検討しようとするものです。

患者さんから採取した血液などの検体が、
使用されることはありますが、
それはあくまで材料としてであって、
人間そのものが対象となる訳ではありません。

時間の掛かる研究もありますが、
臨床研究のように数年以上観察して…
というようなことはありません。
基本的には実験毎の結果はその度に出て、
それを組み合わせて1つの結論を導き出します。

関わる研究者の数も、
それほど多くはありません。
全くの個人で研究を行なうケースもありますし、
通常は数人のグループで、
責任者の指導のもとに行なわれることが多いのです。
ただ、実験に使用される技術は、
それぞれに得意の分野がありますから、
最近多いのは他施設の、それも世界を跨いだ共同研究で、
細胞の培養はイギリスのこの施設で行ない、
その細胞の機能の解析は日本の研究施設で、
ある成分の分析はアメリカの研究所で…
というようなケースが典型的です。

個人的な経験からお話すると、
僕の学位論文は膵臓のβ細胞からのインスリン分泌の調節についてでしたが、
これはネズミを解剖して膵臓を取り出し、
β細胞のあるランゲルハンス島をばらして、
それを様々な条件にして、
その時のインスリンの産生を測定する、
という段取りのものです。

1回の実験は準備を含めて1から2日で終わりますが、
データはなかなか思い通りには出てくれません。

採取したランゲルハンス島の質が悪かったり、
採取の仕方にミスがあったりすると、
当然出るべき反応が出ないので、
同じ実験をやり直さないといけないのです。

予め、こうした実験をこのように組み合わせれば、
こうした結果が出る筈だ、という想定があるのですが、
1つ目に躓けば次に進むことは出来ません。

新しい条件を設定して、
想定外の結果が出れば、
それは当初の想定とは違ったことが起こったことになり、
新たな発見に繋がることもあります。

ただ、実際には予想通りの結果が出ないのは、
実験の手技の未熟さや、
実験のデザインの不備によることが多いのです。

こうした時に、
ちょっとした誘惑があります。

出るべき反応がたまたまランゲルハンス島の質により、
出なかったのが確実であれば、
出たことにしてしまえば、
同じ実験を繰り返す必要はないではないか、
という誘惑です。

僕がその時師事していた先生は、
非常にそうした点には厳格な方でした。

ある時僕のミスで、
培養液の採取量を誤り、
それが培養に入る直前で明らかになった、
ということがありました。

僕は一瞬、このまま黙って結果を出してしまおうか、
と心が動いたのですが、
先生は即座に誤った採取量を計算して補正し、
その量に他の実験のデータも合わせることで、
捏造もすることなく、
無用な再実験も行うことなく、
その急場を乗り切ったのでした。

この時に僕の感じたことは2つあります。

1つは研究者たるもの、
実験で得たデータこそ全てであって、
その1つ1つの画像や数値に対して、
最大の尊重を持って、
その厳密性に奉仕するべきだ、
ということです。

そして、もう1つ感じたことは、
僕自身の心の弱さで、
先生がその場にいなかったら、
確実に僕は数字を自分のミスを隠すためにいじってしまった、
つまり保身のために捏造をしてしまっただろう、
ということです。

人間にはタイプがあって、
こうした研究に対するモラルにも差があるのです。

先生は高いモラルを持ち、
僕はそうではありませんでした。

これは勿論訓練や努力や環境によって、
変更の可能なものではありますが、
こうした捏造をそれほど重要なことと感じないというのは、
それはもう、その人の素質による面が、
大きいのではないかと思います。

たとえば、
頭の中で理論を構築するようなタイプの人がいます。
そうした人にとっては、
実験はあくまで自分の理論を証明するだけの作業に過ぎません。

医学の研究の場合、
理論的にこうした現象があり得る筈だ、
というようなことでは論文にはなりませんから、
それを実証するための基礎実験が必要になります。

しかし、そうした研究者は往々にして、
実験の技術はそれほどではないことが多いので、
理論は完璧なのに、
実験結果は思うように出ない、
ということになると、
結果を自分の理論に合わせたい、
という誘惑が生じます。

一方で実験を繰り返して、
そのデータの解釈から、
コツコツと理論を積み上げて行くタイプの研究者は、
データこそが全てですから、
その扱いには厳密になり、
決してそのデータをいじろう、
というような誘惑には駆られません。
しかし、そうした研究者は、
データから飛躍した、画期的な理論を、
頭の中で組み上げるような作業には、
往々にして向いていないのです。

ここでちょっと論理の飛躍をお許し下さい。

極論を言えば、天才はしばしば捏造するのです。
自分の理論が時に実験結果の遥かに先を行ってしまい、
それを地道に確認するまで待つようなことが出来ないからです。

ただ、その捏造した結果が、
実際には真実であれば、
後から「良心的な」研究者が、
その追試を行なうことにより、
その結果が今度は真に証明されることになるのです。

この問題は従って、
手術の上手い先生が、
必ずしも他の医療技術や医療倫理に、
優れた医者であるとは限らない、
というような事項と、
似通った面があるように思います。

医学の基礎研究は、
斬新な発想や理論と、
それを証明する実験結果が、
表裏一体で成立するものですが、
それを兼ね備えた研究者は実は少なく、
実験のみや理論のみの業績が、
それだけでは評価されない、
というところに問題の一端があるように思うのです。

最後に1つの事例をお示しします。

ネットなどで取り上げられているものですが、
その真偽はまだ確実ではないことをお断りしておきます。
事実ではないと判明した場合には、
削除させて頂きます。

先日割烹着の女性若手研究者として、
一躍有名になった方がいます。

その方が2011年に第1著者として発表した論文がこちらです。
割烹着ねつ造論文.jpg
これは正常の組織の中にある幹細胞と呼ばれる細胞が、
従来言われているよりも、
万能性を持っているのではないか、
という仮説を検証したもので、
そこに万能化に結び付くストレスを加えることが、
最近注目された発見に結び付いています。

つまり、今回の発見の元になった研究の1つです。

そこで、その細胞が万能細胞であるかを検証するために、
多くのタンパク質の発現量を測定しています。
その結果の一部がこちらです。
割烹着の同じ画像.jpg
並んでいる横線は、
蛋白の発現量を示しています。
それぞれの行は別個の蛋白の結果ですから、
それぞれ別個のものの筈です。

ところが、
上から4番目のCriptoと書かれた行の結果を、
上下ひっくり返すと、
一番下にあるKlf4の結果に一致しています。
擦れているような部分も完璧に一致していますから、
これは画像を反転させて使用したことが、
ほぼ明らかです。

次にこちらをご覧下さい。
割烹着の同じ画像2.jpg
これは別個の実験結果を示したものです。
しかし、一番下のNat1の結果の画像は、
先刻のCriptoの画像の左2つと、
これも全く同一です。

今はこうした画像の結果は、
データをパソコンの画像ソフトに取り込んで、
そこから適宜選択して使用しているのだと思いますから、
同じ画像を誤った位置に使用してしまう、
と言うケアレスミスは当然あり得ることです。

しかし、この画像が意図的な印象が強いのは、
画像を上下反転させたり、
その半分だけを用いたり、
というように、分かり難くするための加工が施されていることで、
おそらくこの問題はうやむやになり、
画像を誤って使用したケアレスミスとして、
説明されるのだと思いますが、
多くの方はその結果には心の底では納得はされないと思います。

本来は同じ画像をそのままに使用した方が、
追及されたような時には言い訳はし易いのです。
ケアレスミスで画像の配置を間違えた、
と言えばそれで済むからです。
ただ、それだと同じ画像だとバレ易いので、
バレないようにと上下を反転させたりするのです。
姑息なことをして本質を見失うのは、
極めて人間的だと言えなくもありません。

僕の個人的な見解は、
この方は天才であると思うので、
結果が誤りでなければ、
失敗したデータを多少修正するのは許容範囲だ、
と言う判断をした可能性が高いのでは、
ということです。

そして、むしろ強調したいことは、
仮にそうであっても、
この方を指導される先生が、
データについての厳密な考えを持っている方であったら、
おそらくこの方も画像を加工したりは、
しなかったのではないか、ということです。
つまりは、こうした捏造をした研究者がいるとすれば、
その研究者を指導した方も、
高い確率でそうした行為をする方なのです。
(これはあくまで現時点での推測ですので、
その点はご理解の上お読み下さい)

捏造にも色々な性質のものがあり、
それを一括りに解釈することは誤りです。

ただ、研究者は矢張り実験のデータを、
全てに優先させて尊重することが本来で、
どんな天才であっても、
その点は揺るがせにするべきではないように思います。

要するに、
理論が実践に先行してしまうために、
しばしば捏造をするのが天才で、
それをわざわざ追試して確認したり、
時にはその捏造を指摘して公正さを保つのが凡人です。
「馬鹿」は融通の利かないのが長所なのです。
その意味で人間の積み上げた科学技術という作業には、
天才と凡人との双方が、
協力し合うことが必要なのです。

これは勿論そういうこともあるのでは、
という僕の個人的な考えです。

捏造をするのが全て天才である訳はなく、
たとえば僕が捏造の誘惑に駆られたのは、
僕が天才であるからでは勿論なく、
僕が凡人であることの証左です。
また自分が天才であることを証明しようとして、
捏造を繰り返すような自称天才の凡人も多いと思います。
つまりは、捏造は凡人でも天才でもするのですが、
その意味合いはそれぞれ違うのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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megumi

アカデミアで臨床研究支援を行っています。品質管理の重要性がいかに研究者に理解してもらえるか、日々苦労奮闘しています。石原先生の記事、非常に興味深く拝見しました。ねつ造とはもっと稀なものだと思っていました。思ったより身近、というか(表現がよくなくて申し訳ありません)。今回の女性研究者さんのことで少しひやりとする研究者がいてもらえることを願っています。
by megumi (2014-02-25 08:34) 

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