北村想「寿歌」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

北村想は、
1970年代の後半から名古屋を本拠地として、
その演劇活動を開始。
1979年に初演された、
この「寿歌(ほぎうた)」で、
一躍全国区に名前が知られるようになりました。
僕は高校卒業から1年間、
名古屋にいたのですが、
その時に演劇の魅力に取り憑かれ、
北村想が当時名古屋では絶対的な存在だったので、
七つ寺共同スタジオまで、
「彗星86」の舞台を見に出掛けました。
高校時代にはつかこうへいや井上ひさしなど、
演劇を何本か観てはいたのですが、
どちらかと言えばその頃の興味は、
パンクロックとプログレにあって、
渋谷陽一のラジオを聴いて、
ストラングラーズやグラハム・パーカー、
ジェネレーションXなどのライブに足繁く通いました。
レゲエのボブ・マーリーが最初で最後の来日ライブを行ない、
それを聴いたのは自慢です。
ただ、正直あまりレゲエの神様は、
やる気はなさそうなライブでした。
名古屋に行って、
演劇に触れて、
「ああ、何だ、こんなに面白いものがあったのに、
何故気付かなかったのかしら」
と地団駄を踏んだのですが、
その1年は唐先生から寺山修司と、
アングラ演劇を貪るように廻りました。
ただ、最初に見た北村想の舞台は、
「猟奇王」という漫画が原作の舞台でしたが、
脱力系でいい加減で、
あまりに酷くて力が抜けました。
北村想本人もチラと登場して、
やる気がなさそうに台詞を言うのですが、
その姿にも非常にガッカリしたのです。
一緒に行った名古屋の友達にそのことを言うと、
「いやでも、『寿歌』は良かったけどな」
と地元のヒーローを、
庇うようにそう言っていたことを思い出します。
僕が最初に買った戯曲本は、
「北村想の劇襲」という本で、
正直その時書店に行っても、
演劇の本はそれ以外にあまりなかったのです。
その中に載っていたのがこの「寿歌」で、
どんなものかと読んだのですが、
正直「うーん」という感じでした。
この戯曲の中段に、
唐先生の「少女仮面」の巻頭の台詞が、
パロディとして出て来るのです。
確か「この部分は自由に変更して頂いて結構です」
というように書かれていました。
つまり、
「皆で自由に上演してね」
というようなことが書いてあるのです。
これはちょっと新鮮でした。
あまり面白いパロディではないのですが、
この戯曲を読んで初めて僕は、
唐先生に改めて興味を持ち、
それから唐先生の芝居に通うようになりました。
その点では、
不思議な縁を感じさせてくれる戯曲です。
この作品は登場人物は3人だけで、
上演時間も1時間ちょっとの短い戯曲です。
核戦争で人類が滅んでしまった世界で、
何故か生き残った男女2人の大道芸人が、
荒地をリアカーを引いて旅をしています。
そこに謎の若者が1人現われ、
しばし3人で旅をするのですが、
やがて若者は別れて、
また2人の旅が続きます。
端的に言えばそれだけの話です。
その何処が面白いのか…
と言われると、
あまり北村想の良い観客とは言えない僕には、
正直よく分かりません。
僕は戯曲は何度も読んではいますが、
まっとうな上演を観るのは、
今回が初めてです。
途中で漫才が出て来るのですが、
その辺りで「ああ、ああ…」という気分になり、
短いのに後半はかなりきつい感じになりました。
集客力はあるキャストなので、
客席は一杯でしたが、
客席の空気にも戸惑いが感じられたと思います。
僕なりに分析すると、
この戯曲はまず、
非常にアマチュアでもプロでも、
上演し易い戯曲なのです。
登場人物は少ないし、
男性2人に女性1人というバランスも良いのです。
何と言うのか、
稽古場の雰囲気も非常に和む感じになるのです。
これに演出家が1人いれば、
稽古時間も短くて済むし、
「少女仮面」のところをどう変えようか、
とか、
漫才のところをどうしようか、
とか、
稽古自体も盛り上がりそうだし、
稽古が終わって、
「これからちょっと呑みに行こうよ」
と言っても、
スムースに4人で飲み会に移行出来そうです。
セットは荒野なので、
基本的に何もなくて良く、
リアカーがあればそれでOKです。
80年代くらいの小劇場やアマチュア劇団には、
必ずリアカーの一台くらいはあったのです。
更にラストには雪が降って来るので、
皆で紙ふぶきを作るのも楽しく、
演劇をされたことのある人ならお分かりのように、
舞台で紙ふぶきの雪を浴びながら、
台詞を言うほど気分の良いものはないのです。
つまり、
元々練習劇として書かれたこともあるのでしょうが、
非常に上演に親切な戯曲なのです。
これが一時期この戯曲の上演が、
全国各地で行なわれた大きな理由だと、
僕は思います。
演劇というのは概ねそうした傾向があるのですが、
やる側が楽しい戯曲は、
観客にとってはそれほど面白く感じないことが多いのです。
この戯曲は、
ベケットの「ゴドーを待ちながら」の、
1つのバリエーションです。
「ゴドー…」では、
2人の男が冗談を言い合いながら、
神様を待ち続けるのですが、
その代理人は登場しても、
神様は登場しないのです。
「寿歌」では、
おそらくは神様に会い、
どうして人間が滅んでしまったのか、
文句を言いたいために存在している2人の大道芸人が、
すぐにキリストに会ってしまうのですが、
キリストは答えを持っていないので、
2人の旅は終わることがないのです。
「核戦争後の世界」というのは、
当時でも物凄くベタな設定だったのですが、
それを無雑作に使用しながら、
意外に物語に奥行きがあるのです。
この辺に作品の魅力があるのかな、
とは今では思います。
今回の上演に関しては、
正直あまり建設的な意味合いは感じませんでした。
この戯曲は素人が演じてもプロが演じても、
さほどの違いがない、
という点が大きな特徴で、
堤真一が力んで台詞を発したりすると、
「何か違うな」という気分になるのです。
つまり、あまりプロの演じる意味合いがないのです。
演出は千葉哲也で、
何か海外のストレートプレイのような、
暗い感じのスタイリッシュな舞台を作るので、
これも「何か違うな」と思いました。
もっと安っぽい方が、
戯曲の世界には合っているのです。
今回の上演では、
北村想が新たにちょっとしたプロローグを、
書き足しています。
なるほど、と思わなくもないのですが、
僕はどちらかと言えば蛇足に感じました。
戸田絵梨香は意外に悪くはありませんでしたが、
あまり舞台向きとは思いませんし、
舞台で消耗するのは勿体ない、
という気がしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

北村想は、
1970年代の後半から名古屋を本拠地として、
その演劇活動を開始。
1979年に初演された、
この「寿歌(ほぎうた)」で、
一躍全国区に名前が知られるようになりました。
僕は高校卒業から1年間、
名古屋にいたのですが、
その時に演劇の魅力に取り憑かれ、
北村想が当時名古屋では絶対的な存在だったので、
七つ寺共同スタジオまで、
「彗星86」の舞台を見に出掛けました。
高校時代にはつかこうへいや井上ひさしなど、
演劇を何本か観てはいたのですが、
どちらかと言えばその頃の興味は、
パンクロックとプログレにあって、
渋谷陽一のラジオを聴いて、
ストラングラーズやグラハム・パーカー、
ジェネレーションXなどのライブに足繁く通いました。
レゲエのボブ・マーリーが最初で最後の来日ライブを行ない、
それを聴いたのは自慢です。
ただ、正直あまりレゲエの神様は、
やる気はなさそうなライブでした。
名古屋に行って、
演劇に触れて、
「ああ、何だ、こんなに面白いものがあったのに、
何故気付かなかったのかしら」
と地団駄を踏んだのですが、
その1年は唐先生から寺山修司と、
アングラ演劇を貪るように廻りました。
ただ、最初に見た北村想の舞台は、
「猟奇王」という漫画が原作の舞台でしたが、
脱力系でいい加減で、
あまりに酷くて力が抜けました。
北村想本人もチラと登場して、
やる気がなさそうに台詞を言うのですが、
その姿にも非常にガッカリしたのです。
一緒に行った名古屋の友達にそのことを言うと、
「いやでも、『寿歌』は良かったけどな」
と地元のヒーローを、
庇うようにそう言っていたことを思い出します。
僕が最初に買った戯曲本は、
「北村想の劇襲」という本で、
正直その時書店に行っても、
演劇の本はそれ以外にあまりなかったのです。
その中に載っていたのがこの「寿歌」で、
どんなものかと読んだのですが、
正直「うーん」という感じでした。
この戯曲の中段に、
唐先生の「少女仮面」の巻頭の台詞が、
パロディとして出て来るのです。
確か「この部分は自由に変更して頂いて結構です」
というように書かれていました。
つまり、
「皆で自由に上演してね」
というようなことが書いてあるのです。
これはちょっと新鮮でした。
あまり面白いパロディではないのですが、
この戯曲を読んで初めて僕は、
唐先生に改めて興味を持ち、
それから唐先生の芝居に通うようになりました。
その点では、
不思議な縁を感じさせてくれる戯曲です。
この作品は登場人物は3人だけで、
上演時間も1時間ちょっとの短い戯曲です。
核戦争で人類が滅んでしまった世界で、
何故か生き残った男女2人の大道芸人が、
荒地をリアカーを引いて旅をしています。
そこに謎の若者が1人現われ、
しばし3人で旅をするのですが、
やがて若者は別れて、
また2人の旅が続きます。
端的に言えばそれだけの話です。
その何処が面白いのか…
と言われると、
あまり北村想の良い観客とは言えない僕には、
正直よく分かりません。
僕は戯曲は何度も読んではいますが、
まっとうな上演を観るのは、
今回が初めてです。
途中で漫才が出て来るのですが、
その辺りで「ああ、ああ…」という気分になり、
短いのに後半はかなりきつい感じになりました。
集客力はあるキャストなので、
客席は一杯でしたが、
客席の空気にも戸惑いが感じられたと思います。
僕なりに分析すると、
この戯曲はまず、
非常にアマチュアでもプロでも、
上演し易い戯曲なのです。
登場人物は少ないし、
男性2人に女性1人というバランスも良いのです。
何と言うのか、
稽古場の雰囲気も非常に和む感じになるのです。
これに演出家が1人いれば、
稽古時間も短くて済むし、
「少女仮面」のところをどう変えようか、
とか、
漫才のところをどうしようか、
とか、
稽古自体も盛り上がりそうだし、
稽古が終わって、
「これからちょっと呑みに行こうよ」
と言っても、
スムースに4人で飲み会に移行出来そうです。
セットは荒野なので、
基本的に何もなくて良く、
リアカーがあればそれでOKです。
80年代くらいの小劇場やアマチュア劇団には、
必ずリアカーの一台くらいはあったのです。
更にラストには雪が降って来るので、
皆で紙ふぶきを作るのも楽しく、
演劇をされたことのある人ならお分かりのように、
舞台で紙ふぶきの雪を浴びながら、
台詞を言うほど気分の良いものはないのです。
つまり、
元々練習劇として書かれたこともあるのでしょうが、
非常に上演に親切な戯曲なのです。
これが一時期この戯曲の上演が、
全国各地で行なわれた大きな理由だと、
僕は思います。
演劇というのは概ねそうした傾向があるのですが、
やる側が楽しい戯曲は、
観客にとってはそれほど面白く感じないことが多いのです。
この戯曲は、
ベケットの「ゴドーを待ちながら」の、
1つのバリエーションです。
「ゴドー…」では、
2人の男が冗談を言い合いながら、
神様を待ち続けるのですが、
その代理人は登場しても、
神様は登場しないのです。
「寿歌」では、
おそらくは神様に会い、
どうして人間が滅んでしまったのか、
文句を言いたいために存在している2人の大道芸人が、
すぐにキリストに会ってしまうのですが、
キリストは答えを持っていないので、
2人の旅は終わることがないのです。
「核戦争後の世界」というのは、
当時でも物凄くベタな設定だったのですが、
それを無雑作に使用しながら、
意外に物語に奥行きがあるのです。
この辺に作品の魅力があるのかな、
とは今では思います。
今回の上演に関しては、
正直あまり建設的な意味合いは感じませんでした。
この戯曲は素人が演じてもプロが演じても、
さほどの違いがない、
という点が大きな特徴で、
堤真一が力んで台詞を発したりすると、
「何か違うな」という気分になるのです。
つまり、あまりプロの演じる意味合いがないのです。
演出は千葉哲也で、
何か海外のストレートプレイのような、
暗い感じのスタイリッシュな舞台を作るので、
これも「何か違うな」と思いました。
もっと安っぽい方が、
戯曲の世界には合っているのです。
今回の上演では、
北村想が新たにちょっとしたプロローグを、
書き足しています。
なるほど、と思わなくもないのですが、
僕はどちらかと言えば蛇足に感じました。
戸田絵梨香は意外に悪くはありませんでしたが、
あまり舞台向きとは思いませんし、
舞台で消耗するのは勿体ない、
という気がしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2012-01-15 12:00
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コメント(4)
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し、渋谷陽一…(笑)
わたし、去年あたりからまた聴き始めました。(爆笑)
パンクで一番好きだったのはジャン・ジャック・バーネルです(笑)
先だってネットで「最近のバーネル」を見たときにはがっくり(とほほ)
去年のサマソニにPILとポップグループが来てたのにびっくり!
20代の友人は、「ポップグループはよかった」と言ってました。
戸田恵梨香に関してのご意見、興味深いですね。
「映像」向きの女優は「映像」でどんどん頑張ればいいと、わたしもいつも思ってます。
RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2012-01-15 23:32)
RUKO さんへ
コメントありがとうございます。
そうですね。
映像向きの女優さんは、
あまり中途半端に舞台など、
やらない方が良いのだと思います。
逆に舞台の名花が、
テレビですり減ってしまう、
ということもありますね。
そのスタイルが違うので、
別箇の職業と、
本来は考えるべきなのかも知れません。
by fujiki (2012-01-16 08:10)
寿歌について検索していたら、このページを見つけました。
「猟奇王」で猟奇娘を演じていました。
想さんの魅力は、摩訶不思議な世界と脱力感との融合だと思います。
想さん演出の「寿歌」をご覧になれなかったのは残念でしたね。
by 猟奇娘 (2013-06-09 11:02)
猟奇娘さんへ
コメントありがとうございます。
適当なことを書き散らしているので、
失礼がなければ良いのですが…
北村想さんの演出の舞台は、
勿論観ているのですが、
どうも良いものは外している、
という感じです。
ただ、お名前を聞くと、
物凄く懐かしい思いがします。
by fujiki (2013-06-10 08:39)