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匿名社会と人格の形成の問題を考える [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

診療所は本日より1月4日まで、
年末年始の休診に入ります。
その間はメールのご返信も出来ないと思いますので、
ご了承下さい。

昨日はまた歯がバンバンに腫れてしまって、
気もそぞろで、
この世の終わりかと思いましたが、
夜に歯医者さんに行って、
今は落ち着いています。

多分今年1年間で、
一番のんびりした気分。

朝からいつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日は雑談的な話です。
先週に一度アップしたのですが、
ちょっと差し障りのある点を感じ、
一度取り下げました。
少し修正して再度アップします。
諸方面に気を遣った結果、
回りくどい表現になっていることをご了承下さい。

解離性人格障碍、
所謂多重人格の方とお話をしていると、
これは別に特殊な話ではなく、
人格というのは、
むしろ1つになっていることの方が難しいのであって、
ある手綱のようなものが弛んでしまえば、
人格が複数、1つの心の中に生じるのは、
むしろ自然なことのように、
思えることがあります。

動物には本能というものがあります。

これは言ってみれば一種の「人格」のようなものです。

群れを成すという本能とか、
親が子を育てる本能とか言うのは、
人間で言う人格と似通ったものですが、
もっとシンプルで、
それでいて、
その生涯持続する性質のものです。

人間にもそうした本能というものが、
本来はあった筈で、
その本能は抗いようのないものであり、
その生涯継続するものであった筈です。

しかし、おそらくは脳の発達の過程において、
その構造の複雑さが、
あるレベルを超えると、
肥大化した複雑な神経ネットワークと、
そこから形成される「自我」の構造を、
一定の方向に強引にまとめ上げるような秩序が、
内的に自然に形成されることは、
困難になったのだと思います。

働き蜂は働き蜂の脳を持ち、
その構造上決して「怠け者」の蜂にも、
「女王蜂」にもならないのですが、
その脳の構造が複雑化すると、
多くの選択肢が生まれることにより、
「働き蜂」という「蜂格」を、
生涯維持することが出来なくなります。

つまり、
人間にも本能があり、
それが人間の「人格」であった訳ですが、
人間の脳の構造が複雑化する過程で、
本能が人間をまとめ上げることが出来なくなり、
その代わりに生まれたのが、
生まれた社会がその人間を管理し、
外的に一定の規律を作って、
擬似的な本能を幼児期から成長期に掛けて形成することにより、
複雑化した脳のネットワークを、
1つの「人格」で制御しよう、
というシステムです。

教育というのは、
子育てにおけるしつけも含めて、
「人格」を形成させるために存在する仕組みです。

公正な「人格」とか、
平等な「人格」というようなものは、
基本的には有り得ません。

ある意味人間の心というのは、
トータルに見れば平等でバランスの取れた、
それでいて混沌とした情報の集合体のようなもので、
その中の一定の傾向のみをより出して、
それを他より優位なものとして、
絶対化したものが、
要するに人格だからです。

人格の本質的な要素の1つは、
「何に従うか?」ということで、
それが親であったり、国家であったり、
神であったり、ある種の思想であったり、
将軍様であったりする訳ですが、
「何故人を殺してはいけないの?」
というような質問と同じように、
それが何であるか、
つまり何故従わなければいけないのか、
ということの理由はないのです。

それは何故かと言えば、
人格というのは、
心の他の部分を、
有無を言わさず「従わせる」のが、
その役割なので、
人格自体が従うことに疑問を持てば、
自分が心の他の部分を、
従わせる正当性を失ってしまうからです。

人間は多くの社会を持ち、
それが拮抗する形で、
並立していたのが、
これまでの社会でした。

しかし、次第に社会はその境界を不鮮明にし、
その社会において、
「何に従うべきか?」
という基準もあやふやになって来ています。

親が子供を従わせるのは、
要するに子供の未熟な心の中に、
「何かに従わせる」という構造を、
作ることがその目的です。

子供は親に従う、
という回路を脳の中に形成すると共に、
自分の脳の中に「親」を形成します。

その「親」が、
心の他の部分を従わせることにより、
子供の人格の母体となる訳です。

しかし、日本のような社会においては、
しつけや教育の規範は失われ、
従わせるという関係自体が、
「それが本当に必要なものだろうか?」
と疑問視されるようになっています。

人間の心の中には、
基本的に「支配ー被支配」の関係があるのです。
それがないと、
人格というものは形成されないのです。

人格というのは、
心のある部分が、
独立して他の機能を自分の配下に置き、
統合して支配するシステムのことだからです。

それでは、
人間の心が一部の「人格」に支配されることを望まず、
常に平等でありたいと、
そうした考えを持ったらどういうことになるでしょうか?

心の中には無数の人格が生まれ、
それが緩い統合を持ちながら、
並立するような状態となります。

その状態こそが、
多重人格です。

通常完全に並列に複数の人格が成長する、
というようなことはないと思います。

不充分ながらある種の秩序が、
この社会にもまだ存在はしているので、
この社会でどうにか生きてゆくためには、
1つの人格を、
他より優位にするしかないからです。

ただ、優位人格の独裁者的な強さが形成されないと、
それは緩い結合に留まり、
その人の心理は常に不安定で、
何かに常に脅かされているような、
そうした気持ちが持続します。

その人が脅かされているのは、
自分の心の中にある他の人格に対してなのです。

その人の心は、
非常に不安定な独裁国家であって、
その人の優位人格は独裁者ではあるのですが、
その権力は弱く、
その独裁者自身が、
「本来人間は平等であるべきで、
独裁は良いことではない」
と思っているので、
常にその人は自分が陥れられるような、
不安に怯えているのです。

その人に対して、
外界からストレスが掛かります。

これは言ってみれば、
その独裁国家に、
他国が侵略して来たような事態です。

そこで優位人格が、
他国の侵略を押し返せず、
独裁者の地位を降りてしまうと、
その人の心は、
多くの人格がごちゃごちゃと入り混じり、
どの人格も責任を取って、
心という国家を、
自分が率いて行こう、
というような責任感を持たないので、
心はバラバラになってしまうのです。

これが、
ストレスによって、
解離が起こる仕組みです。

ネット社会においては、
多くの人が匿名で発言をし、
仮想の人格を形成しています。

優位人格による心の統合が強固な人では、
ネット上に別個の人格を持っても、
何ら問題はありませんが、
不安定な人格を持つ人では、
そのことにより、
仮想の人格が力を持ち、
優位人格の優位性が揺らいで、
解離を生じ易くなる可能性が危惧されます。

つまり、
人格の解離が、
そのことにより誘発される可能性があるのです。

今後の社会は、
より心の不安定さを増し、
人格の形成が充分ではない人の、
比率が増加すると予想されます。

ただ、ちょっとSF的な発想になりますが、
これは人間の進化の1つの兆候なのかも知れません。

人間はその歴史の中で、
独裁者に支配された社会を憎み、
平等で支配ー被支配の関係のない社会を、
その理想として闘って来た訳ですが、
他ならぬ人間の心の中には、
優位人格という、
支配ー被支配の関係が、
明らかに存在しているのです。

仮に人間の複雑なシステムが、
優位人格による支配、
というシステム以外でも成立可能なら、
つまりは複数の人格が共存し、
助け合うような心のシステムが実現可能なら、
それは現在の人間の心より、
数段優れたものであると、
言っても良いと思いますし、
そうなって初めて、
人間の社会においても、
支配ー被支配の不幸は、
消滅することになるのかも知れません。

フロイトの最大の発見は、
人間は心の中にある葛藤を、
常に外界に投影する、
というものだと僕は思いますが、
その考えでゆくと、
脳の中に支配ー被支配の関係があり、
独裁者が存在する限り、
人間の社会から、
そうした不幸が、
なくなることはないのではないか、
とも思えるのです。

先日橋本徹氏の「体制維新ー大阪都」という本を読みましたが、
ここで言われているのは、
社会が滅びに向かって進んでいる時には、
社会のシステムを変えないと、
そのシステムの中での最善を目指しても、
世の中の停滞を止めることは出来ない、
ということのように理解しました。

多分同じことは人間の心についても言えることで、
人間という種が袋小路に入り、
滅びに向かっているとすれば、
人間の心の中にある、
「1つの人格による支配構造」
つまり人間の心のシステム自体を変えないと、
人間の再生もないのではないかと思うのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日はこれから神奈川の実家に行く予定です。

皆さんも良い年の瀬をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 7

人力

非常に興味深いテーマで、先日一度掲載されてから、引っこめられてしまったのを残念に思っていました。

最近の若者はネットの中が「主人格」で、普段の生活で「キャラを被って」います。これも一つの進化なのかも知れません。そういう私も匿名でブログを書いている時点で同類なのだと思います。
by 人力 (2011-12-30 12:16) 

ドクター・ヘル

とても深いテーマだと思いました。

文中にあった「何故人を殺してはいけないの?」ですが、この問を「何故、日本の刑法には殺人罪があるの?」と置き換えると、「日本人を殺す事は、日本国憲法第25条(生存権)を侵害する行為だから、罰せられる」という事に基づくものであり、決して、「人を殺す事は悪い事だ」という曖昧な理由によるものではありません。
しかし、日本国憲法の条文はその大多数において、「すべて日本人は……」という書き出しで始っています。つまり、外国人には基本的人権すら認めていないのです。基本的人権がないという事は、殺されても文句を言えないという事です。(裏を返せば、殺しても罪に問われないということ)
だから、日本国憲法には、改正の余地があると言って良いはずです。これを行うとなれば、日本という社会を根本から見直すことが求められるはずですから、それに伴って「人格」も多様化していくべきなのではないかと思いました。

蛇足
現在は、昭和53年に最高裁判所が出した「マクリーン事件」の判例により、外国人にも人権が認められています。
by ドクター・ヘル (2011-12-30 14:56) 

fujiki

人力さんへ
コメントありがとうございます。
昔現代はスキゾの時代だ、
という本が流行ったことがありましたが、
その伝でゆけば、
今は間違いなく解離の時代ですね。
ネットは解離を促すツールだと思いますが、
現状では心の機能が不安定になる、
リスクの方が大きいのではないか、
という危惧があります。
by fujiki (2011-12-30 20:24) 

fujiki

ドクター・ヘルさんへ
コメントありがとうございます。
社会の改変は、
心の改変からしか、
本質的には成し得ないものなのかも知れませんね。
by fujiki (2011-12-30 20:26) 

☆ acco ☆

これは、『解離性同一性障碍(害)』
(以下DID)と解して宜しいでしょうか?

独創性のある見解として、
興味深く読ませて頂きました。
ただ何となく腑に落ちず、
自分なりに反芻してみたのですが・・・

やはり、DIDの人格の多重性は、
『強力な』ストレッサーありきで
生じるのではないでしょうか?

確かに、人間の心は多面的で、
あたかも、幾つもの『人格』を
擁立しているかの様にも考えられます。
しかし、これはココロの多様性によるもので、
その中の、本能や心理による事象は、
人格という総和の、一局面に過ぎません。

DIDの特徴は、
耐え難い外圧に対して、
無意識に自己防衛の産物として、
別人格を作り上げ、
自身をエスケープさせる所にあると思います。
(その意味では、自我の不安定さ故に
潜在的に人格が解離し易い人と言うのは、
存在するかも知れませんが・・・)
健全な心身をお持ちの方であれば、
匿名社会が、直接DIDのリスクファクターと
なるケースは、それ程多くはない気がします。

日本は憲法で、治者と被治者の自同性が
(一応)担保されていますから、
システム自体の妥当性の検討も大事ですが、
国民一人一人に政治を動かす力があるのだ、
と言う、意識改革の方が、急務だと思います。

あ、橋下市長は、六号通り出身らしいですね。
知人の弁護士が、
「お金への執着がハンパない」と言ってました。
大阪の土地柄には合うかも知れません。
(良い意味で経済にシビアって事で・・・)

それから・・・
フロイトは『解離』は認めない立場だと思います、
たぶん・・・

とりとめのない書き込みになってしまいましたが、
☆★☆良いお年をお過ごし下さい☆★☆

by ☆ acco ☆ (2011-12-31 10:46) 

fujiki

acco さんへ
コメントありがとうございます。
雑談ですので、軽く流して頂ければ幸いです。
思い付きをそのままだとすぐ忘れてしまうので、
書いて留めておくような意味合いがあるのです。
必ずしも全てその通りと思っている訳ではありません。

東京は比較的落ち着いた年の瀬ですね。
来年がacco さんにとって良い年でありますように。
(勿論今年が悪かった、という意味ではありません)
僕も他人のことは言えませんが、
お身体にはお気を付け下さい。
by fujiki (2011-12-31 11:39) 

☆ acco ☆

♫ 早速のお返事有難うございます ♫

私は来年1月中旬に、慶応大学病院で、
骨盤の骨を、左踵に移植する手術を受けて、
外科的な治療は、ひと段落つく予定です。
ここ2年間で、レントゲンを千枚位撮ったかな?
被曝については、もう考えない様になりました。

解離性障害に関しては、
都立広尾病院の神経科で診て頂いています。
診断に必要なエピソードや身体の具合を、
適切に聞き出して下さる女性の先生で、
とても信頼していますし、実際助かっています。
病状は、緩やかに快方には向かっていますが、
まだ時間は掛かりそうです。

2012年度の私の目標は
『 死なないようにする!』 に決まりました。

2012年が、石原先生にとって
スペシャルな一年でありますように☆
それから、歯の痛みが消えますように☆

♡ ♥ ♡ ♥ ♡ 良いお年をお迎え下さい ♡ ♥ ♡ ♥ ♡

by ☆ acco ☆ (2011-12-31 13:50) 

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