長塚圭史「荒野に立つ」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

長塚圭史が主催する、
阿佐ヶ谷スパイダースの新作公演を見て来ました。
以下少しネタバレがあります。
まだ上演中の作品なので、
観劇予定の方はご注意下さい。
それと、あまり面白くは感じなかったので、
ファンの方などには、
ご不快に思えるような表現があるかも知れません。
こうした意見もあるということで、
ご容赦頂ければ幸いです。
阿佐ヶ谷スパイダースは、
長塚京三の息子である長塚圭史を中心として、
それに役者の伊達暁と中山祐一朗と3人のユニットで、
通常長塚圭史の作・演出に、
3人が揃って出演し、
それに毎回複数の客演を迎えるのが、
通常の公演のパターンです。
長塚京三は申し訳ないですが、
演技はとても下手でしたが、
最近は「不器用な味」が悪くない役者になっています。
長塚圭史は昔の長塚京三にそっくりで、
そんな点は似なくても良さそうなものですが、
その演技の不器用さも良く似ています。
僕が最初に見た阿佐ヶ谷スパイダースの舞台は、
番外公演の色彩の強い、
「真昼のビッチ」で、
これは田舎町を舞台にした、
血で血を洗う惨劇の話ですが、
そのタッチは松尾スズキにちょっと似ていて、
松尾スズキほどセンスは感じませんでした。
しかし、ラストに馬渕英里何が狂うのですが、
それが「えっ、本当にこんなことをしてもいいの?」
と問い掛けたくなるような見も蓋もないもので、
そのある種の基本的な倫理観の欠如に、
呆然としつつ興味も湧いたのです。
同年の「はたらくおとこ」は、
僕は見逃して録画でのみ鑑賞しましたが、
掛け値なしに衝撃的な作品で、
しぶいリンゴ作りにこだわり、
経営に失敗した東北の男達が、
禁止された農薬と、
誰かに処分を依頼された、
得体の知れない廃棄物により、
次々と命を落としてゆく話です。
殆ど男しか出演しない作品ですが、
ともかくマトモな人間は1人も登場せず、
「ああ、そんなことをすればお終いなのに…」
というような行動を皆がして、
そのために自滅してゆく様が、
執拗に描かれるのです。
ただ、そのラストには、
廃棄物を自分達で食べて処理しようとすると、
それが自分達のかつて目指していた、
しぶいリンゴと同じ味に感じるようになり、
汚泥の中から穢れのないリンゴが現われる、
という感動的な場面が待っています。
この地獄絵図は、
まさに今の日本そのもので、
当時は早過ぎたのですが、
見事に時代の狂気を切り取って、
「今」を予言していた作品だと思います。
このように監禁や暴力と暴行、
狂気に満ちた露悪的な世界が、
一時期の阿佐ヶ谷スパイダースの世界でした。
しかし、2007年の「少女とガソリン」がそのラストになり、
2008年の「失われた時間を求めて」から、
その劇世界はガラリと変わります。
「失われた時間を求めて」は、
オールビーの「動物園物語」が、
そのベースになっていて、
何も具体的な事件は舞台上では起こらず、
数人の登場人物が、
すれ違いながら、
ただひたすらに何かを探している、
というような体裁の物語で、
ラストまで何がが明らかになるという訳でもなく、
それまでの通例だった暴力的な事件も、
残酷な場面も、
何1つありません。
どうにか頑張って最後まで見ましたが、
正直苦痛以外の何も感じませんでした。
長塚圭史の短期のイギリス留学を挿んで、
2010年に新作の「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」
という作品が上演されましたが、
これも「失われた時間を求めて」と同じ系列の作品で、
今度はとある作家が新作の評判が悪くて苦悩するうちに、
不思議な世界に紛れ込み…
のようなよくある「作家のマスターベーション」的な話でした。
こういうのはフェリーニの「81/2」くらいになれば、
凄いと思いますが、
通常苦悩の末に生まれた作品を観たいのに、
それが生み出せない苦悩だけを延々と見せられるので、
通常は苦痛以外の何物でもないのです。
ちょっとカフカ的なところもあるのですが、
中途半端でこなれておらず、
後半は睡魔を堪えるのに多大な苦労がありました。
そして次の新作が今回の作品です。
僕は正直この辺りで少しまた方向転換があるのでは、
と期待していたのですが、
今回の作品も前2作と同じ系譜の作品でした。
舞台には抽象的な1本の木が生えているだけで、
他にセットは何もなく、
オープニングには舞台に役者さんが、
1人ずつ椅子を持って登場し、
その椅子を思い思いの位置に置いて、
それで群集や街の音を表現するような、
青臭い学生演劇みたいなことを始めるので、
「ああ、またこんな風なのか…」
と以前のファンからするととてもガッカリします。
家庭でも仕事でも恵まれない1人の女性が、
自分の死んだ分身から、
「あなたは自分の目を失っている」
と言われるところから、
彼女の深層世界を巡る冒険が始まり、
コミカルな目玉の探偵など、
シュールな登場人物が次々と出現し、
自分の家の中の「荒野」を彷徨ううちに、
自分の若くして死んだ分身と対話し、
最後に自分の失った目を取り戻します。
渡辺えり子のここ10年くらいの作品もそうですが、
頭でっかちの劇作は、
矢鱈と本題に入る前の前フリが長くなります。
この作品もその悪癖があり、
最初の椅子の場面から、
主人公の女性の情景描写を同時にしゃべるモノローグなど、
ダラダラ長くてちっとも面白くないのでうんざりします。
しかも、イチイチ後ろのスクリーンに、
「まず教師が話を始める」
のように説明が加わるのです。
これじゃいけません。
僕の意見では、
最初の台詞が「わたし目玉をなくしたんです」
で良いと思います。
目玉を探す探偵の1人には、
福田転球がキャスティングされていて、
これは間違いなく、
シュールなギャグで盛り上げて欲しい、
という意味合いだと思いますが、
台詞に面白味が皆無で、
ちっとも笑いには結び付かず、
せっかくの才人が舞台上で死んでいます。
総じて「過剰な演技」が持ち味のキャストに、
中途半端にさりげない芝居をさせているので、
皆がそのスタンスに戸惑っているように感じますし、
これまでとは別の肌合いの芝居をさせたいのであれば、
もっと徹底しないと意味がないと思います。
上演時間の2時間10分はあまりに長く、
後半は何度も一時的な意識消失に襲われました。
先日ビデオで「はたらくおとこ」を観直したのですが、
非常に素晴らしく、
かつ今のムードにあった作品なので、
僕は方向転換の気持ちも、
分からなくはないのですが、
以前の暴力的な舞台が、
今こそその真価を発揮し、
今の観客に衝撃を与えられるのに、
とそれを思うと残念でならないのです。
舞台が東北である点といい、
無責任さが増殖する過程といい、
起こるべくして事故が起こり、
有害物質が撒き散らされる点といい、
リンゴが最後に1つの救いとなる点といい、
今の事態を予見したように思えてなりません。
藝術というのは不思議なことをするものです。
長塚圭史さん、
また転向しては頂けないでしょうか?
今の作品を評価される方もいらっしゃるとは思いますが、
別に変わらなくても良いのではないでしょうか?
時代の狂気は今まさにあなたのかつての作品と、
同じ地点に存在しているのです。
そこで苦悩し雄叫びを上げる中村まことや、
コミカルに狂って残酷に自滅してゆく中山祐一朗の姿を、
僕はもう一度舞台で観たいのですが…
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

長塚圭史が主催する、
阿佐ヶ谷スパイダースの新作公演を見て来ました。
以下少しネタバレがあります。
まだ上演中の作品なので、
観劇予定の方はご注意下さい。
それと、あまり面白くは感じなかったので、
ファンの方などには、
ご不快に思えるような表現があるかも知れません。
こうした意見もあるということで、
ご容赦頂ければ幸いです。
阿佐ヶ谷スパイダースは、
長塚京三の息子である長塚圭史を中心として、
それに役者の伊達暁と中山祐一朗と3人のユニットで、
通常長塚圭史の作・演出に、
3人が揃って出演し、
それに毎回複数の客演を迎えるのが、
通常の公演のパターンです。
長塚京三は申し訳ないですが、
演技はとても下手でしたが、
最近は「不器用な味」が悪くない役者になっています。
長塚圭史は昔の長塚京三にそっくりで、
そんな点は似なくても良さそうなものですが、
その演技の不器用さも良く似ています。
僕が最初に見た阿佐ヶ谷スパイダースの舞台は、
番外公演の色彩の強い、
「真昼のビッチ」で、
これは田舎町を舞台にした、
血で血を洗う惨劇の話ですが、
そのタッチは松尾スズキにちょっと似ていて、
松尾スズキほどセンスは感じませんでした。
しかし、ラストに馬渕英里何が狂うのですが、
それが「えっ、本当にこんなことをしてもいいの?」
と問い掛けたくなるような見も蓋もないもので、
そのある種の基本的な倫理観の欠如に、
呆然としつつ興味も湧いたのです。
同年の「はたらくおとこ」は、
僕は見逃して録画でのみ鑑賞しましたが、
掛け値なしに衝撃的な作品で、
しぶいリンゴ作りにこだわり、
経営に失敗した東北の男達が、
禁止された農薬と、
誰かに処分を依頼された、
得体の知れない廃棄物により、
次々と命を落としてゆく話です。
殆ど男しか出演しない作品ですが、
ともかくマトモな人間は1人も登場せず、
「ああ、そんなことをすればお終いなのに…」
というような行動を皆がして、
そのために自滅してゆく様が、
執拗に描かれるのです。
ただ、そのラストには、
廃棄物を自分達で食べて処理しようとすると、
それが自分達のかつて目指していた、
しぶいリンゴと同じ味に感じるようになり、
汚泥の中から穢れのないリンゴが現われる、
という感動的な場面が待っています。
この地獄絵図は、
まさに今の日本そのもので、
当時は早過ぎたのですが、
見事に時代の狂気を切り取って、
「今」を予言していた作品だと思います。
このように監禁や暴力と暴行、
狂気に満ちた露悪的な世界が、
一時期の阿佐ヶ谷スパイダースの世界でした。
しかし、2007年の「少女とガソリン」がそのラストになり、
2008年の「失われた時間を求めて」から、
その劇世界はガラリと変わります。
「失われた時間を求めて」は、
オールビーの「動物園物語」が、
そのベースになっていて、
何も具体的な事件は舞台上では起こらず、
数人の登場人物が、
すれ違いながら、
ただひたすらに何かを探している、
というような体裁の物語で、
ラストまで何がが明らかになるという訳でもなく、
それまでの通例だった暴力的な事件も、
残酷な場面も、
何1つありません。
どうにか頑張って最後まで見ましたが、
正直苦痛以外の何も感じませんでした。
長塚圭史の短期のイギリス留学を挿んで、
2010年に新作の「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」
という作品が上演されましたが、
これも「失われた時間を求めて」と同じ系列の作品で、
今度はとある作家が新作の評判が悪くて苦悩するうちに、
不思議な世界に紛れ込み…
のようなよくある「作家のマスターベーション」的な話でした。
こういうのはフェリーニの「81/2」くらいになれば、
凄いと思いますが、
通常苦悩の末に生まれた作品を観たいのに、
それが生み出せない苦悩だけを延々と見せられるので、
通常は苦痛以外の何物でもないのです。
ちょっとカフカ的なところもあるのですが、
中途半端でこなれておらず、
後半は睡魔を堪えるのに多大な苦労がありました。
そして次の新作が今回の作品です。
僕は正直この辺りで少しまた方向転換があるのでは、
と期待していたのですが、
今回の作品も前2作と同じ系譜の作品でした。
舞台には抽象的な1本の木が生えているだけで、
他にセットは何もなく、
オープニングには舞台に役者さんが、
1人ずつ椅子を持って登場し、
その椅子を思い思いの位置に置いて、
それで群集や街の音を表現するような、
青臭い学生演劇みたいなことを始めるので、
「ああ、またこんな風なのか…」
と以前のファンからするととてもガッカリします。
家庭でも仕事でも恵まれない1人の女性が、
自分の死んだ分身から、
「あなたは自分の目を失っている」
と言われるところから、
彼女の深層世界を巡る冒険が始まり、
コミカルな目玉の探偵など、
シュールな登場人物が次々と出現し、
自分の家の中の「荒野」を彷徨ううちに、
自分の若くして死んだ分身と対話し、
最後に自分の失った目を取り戻します。
渡辺えり子のここ10年くらいの作品もそうですが、
頭でっかちの劇作は、
矢鱈と本題に入る前の前フリが長くなります。
この作品もその悪癖があり、
最初の椅子の場面から、
主人公の女性の情景描写を同時にしゃべるモノローグなど、
ダラダラ長くてちっとも面白くないのでうんざりします。
しかも、イチイチ後ろのスクリーンに、
「まず教師が話を始める」
のように説明が加わるのです。
これじゃいけません。
僕の意見では、
最初の台詞が「わたし目玉をなくしたんです」
で良いと思います。
目玉を探す探偵の1人には、
福田転球がキャスティングされていて、
これは間違いなく、
シュールなギャグで盛り上げて欲しい、
という意味合いだと思いますが、
台詞に面白味が皆無で、
ちっとも笑いには結び付かず、
せっかくの才人が舞台上で死んでいます。
総じて「過剰な演技」が持ち味のキャストに、
中途半端にさりげない芝居をさせているので、
皆がそのスタンスに戸惑っているように感じますし、
これまでとは別の肌合いの芝居をさせたいのであれば、
もっと徹底しないと意味がないと思います。
上演時間の2時間10分はあまりに長く、
後半は何度も一時的な意識消失に襲われました。
先日ビデオで「はたらくおとこ」を観直したのですが、
非常に素晴らしく、
かつ今のムードにあった作品なので、
僕は方向転換の気持ちも、
分からなくはないのですが、
以前の暴力的な舞台が、
今こそその真価を発揮し、
今の観客に衝撃を与えられるのに、
とそれを思うと残念でならないのです。
舞台が東北である点といい、
無責任さが増殖する過程といい、
起こるべくして事故が起こり、
有害物質が撒き散らされる点といい、
リンゴが最後に1つの救いとなる点といい、
今の事態を予見したように思えてなりません。
藝術というのは不思議なことをするものです。
長塚圭史さん、
また転向しては頂けないでしょうか?
今の作品を評価される方もいらっしゃるとは思いますが、
別に変わらなくても良いのではないでしょうか?
時代の狂気は今まさにあなたのかつての作品と、
同じ地点に存在しているのです。
そこで苦悩し雄叫びを上げる中村まことや、
コミカルに狂って残酷に自滅してゆく中山祐一朗の姿を、
僕はもう一度舞台で観たいのですが…
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2011-07-24 10:32
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目玉をなくしたのが、男性だったら、と、考えずにはいられません。
ところで、今日、梅田で、なんでや、という社会を考える社会人の方々と、話をする機会がありました。
先生のブログを拝読していたお陰で、その方たちと同等の会話を楽しむことが出来ました^^
本当に先生には、色々な意味で、お世話になっております^^
いつも、ありがとうございます^^
by ゆうら (2011-07-24 21:51)
すみません・・・。名前を間違えて、入力してしまいました・・・。
よろしければ、訂正して頂けると嬉しく思います。
さきほどの方たちに、名前を伝えてありますので、
混乱させてしまうと、とても残念なことだと思っています・・・。
by ゆうな (2011-07-24 21:58)
ゆうなさんへ
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2011-07-25 08:34)
阿佐スパは、『日本の女』以来観ていません。
私の中では2000年辺りが潮時でした。
「ここで終われば良かったのに!」っていう
タイミングが必ず1回は訪れる様になったので…。
なので、『はたらくおとこ』はノーマークでした。
機会があれば、観てみようと思いますぅ。
by acco (2011-07-26 00:19)
acco さんへ
僕は初期の作品は観ていなので、
とても羨ましいです。
「日本の女」と「はたらくおとこ」、「少女とガソリン」で、
3部作的な意味合いですね。
マクドナーを演出した、
「ウィー・トーマス」や「ピローマン」も、
非常に良かったと思います。
by fujiki (2011-07-26 08:18)