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在宅医療はホスピスの代用品なのか? [仕事のこと]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

在宅医療専門のクリニックがありますね。

最近そうした開業も増えているようです。

何故増えているかと言えば、
病院に長く入院している患者さんを減らしたい、
という行政の方針があり、
そのために24時間体制で患者さんを診ることの出来る、
在宅医療のクリニックに対して、
診療報酬を手厚く配分したからです。

要するに、通常の外来の診療をしているより、
遥かに儲かるシステムになったのです。

六号通り診療所でも、
在宅医療は行なっています。
ただ、外来の診療も同時に行なっているため、
在宅医療に割ける時間は自ずと限られ、
そのために、それほど多くの患者さんを診ることは出来ません。

在宅医療と外来の診療では、
その必要な医療用具や備品も少し異なります。
また、外来の診療には、
患者さんがお待ち頂く場所や検査をする場所、
診察をする場所と、
多くのスペースが必要ですが、
在宅医療は患者さんご自身のお宅に伺い、
そこで診療を行なうので、
極端に言えば小さな部屋が1つあれば、
開業は可能です。
従って、在宅医療と外来診療を両方行なうより、
在宅医療に特化した方が、
遥かに利益率は高い、という理屈になる訳です。

僕はある在宅医療専門のクリニックに、
何度か研修に伺いましたが、
そこでは専属のドライバーの方を何人も雇っていて、
専用の往診車が何台もずらりと並び、
その車にそれぞれ医者を乗せて、
何班にも分けて都内を幅広く巡回していました。
夜間は当直の職員とドライバーがいて、
連絡があれば医者を乗せて、
速やかに患者さんのお宅に駆け付けるシステムです。

ちょっと圧倒されましたし、
もう在宅医療など細々やるのは、
無意味だから辞めてしまおうかな、
と思いました。

1人で無理を押してせっせと駆け回っているより、
こうしたシステムで守られていた方が、
どんなにか患者さんもご家族も安心でしょう。

こうした圧倒的な物量がありながら、
そこに掛からずに診療所に掛かった患者さんは、
気の毒なのではないか、とも思いました。

ただ、最近その考えを変える出来事が幾つかありました。

Aさんという患者さんがいて、
骨の癌があり、手術後に再発して、
肺に転移をしました。
何度か抗癌剤の治療を病院で行ないましたが、
その効果はあまりなく、
副作用の面からも、もう治療は打ち切ろう、
という話になりました。

その病院は在宅医療専門のクリニックと提携していて、
「これからは残された時間を、お家でゆっくり過ごされるのが良いですよ」
という話になり、
Aさんは退院となって家に戻りました。

ケアマネージャーとホームヘルパーと、
訪問看護師と在宅医療の医者とが、
どっとその日に患者さんのお宅を訪れ、
ベッドをどうするとか、入浴をどうする、というような話になります。
痛みがあったら言って下さい、
呼吸が苦しければ言って下さい、
のような話があり、
それから潮が引くように誰もいなくなりました。

Aさんが自殺を図って救急車で病院に運ばれたのは、
その夜のことです。

僕はそのお話を聞いた時、
Aさんがどうして自殺を図ったのか、
本当の意味ではよく分かりませんでした。
将来を悲観したのだろう、とは思いますが、
何故わざわざ退院の当日、
ご家族と久しぶりに一緒に過ごした晩に、
自殺を図らなければならなかったのでしょうか?

在宅医療のクリニックの先生も、
勿論お分かりにはならなかったと思います。

それから最近になって、
また別の事例がありました。

患者さんはBさん、診療所に定期的に掛かっていた方で、
ある時血尿があり、それで総合病院の泌尿器科で検査をしました。
結果は問題はないが、定期的に検査はする必要がある、
ということだったので、
それからは3ヶ月毎に病院でおしっこなどの検査が行なわれました。

そして、最後の受診からほんの1ヶ月後のことです。
Bさんは胸の痛みを訴えて診療所にお越しになり、
レントゲンを撮ると胸に水が溜まっていました。

それで泌尿器科と同じ病院の呼吸器科にご紹介すると、
すぐに入院となり検査が進められました。
結果は尿管の癌で、それが肺に転移しているのでは、
という所見でした。

もう転移しているので手遅れで治療は出来ない、
という宣告がなされ、
矢張り提携している在宅医療の専門クリニックに紹介になります。
「これからは残されたお時間を、
ご自宅でゆっくり過ごされるのがいいですよ」
「このクリニックなら病院とも連携が取れているし、
24時間対応なので安心ですからね」
という訳です。

Bさんは退院となり、ご自宅に戻りました。

僕は患者さんとの間に、
長い関係もあったので、
そのクリニックの診療とは別個に、
お邪魔にならない範囲で、
ご訪問に伺いました。

すると…

Bさんは退院の時には、
まだ普通に歩ける状態だったのですが、
わずか10日ほどの間に、
みるみる衰弱が進行して、
息苦しさのために、
食事も殆ど取れない状態になっていました。

クリニックの医者は、
「水が胸に溜まって来ているのだと思いますが、
抜けば却って具合が悪くなりますから、
どうすることも出来ません」
と言います。
ご家族は食事も取れないので、
点滴をするのはどうでしょうか、
と尋ねましたが、
「今の状態なら、このくらい食べれていればいいでしょう」
と受け付けてはくれません。
このくらい、と言うのは、
せいぜい1日に200キロカロリーの栄養剤1缶と、
ヨーグルトが1個だけです。

「病院に入院すれば、
点滴や水を抜くことも出来るのでしょうか?」
と尋ねられて僕も困りました。

ご家族は全然知らない先生より、
僕の方が色々と相談出来て嬉しい、
と言ってくれます。
Bさんご本人も、朦朧としたご様子ながら、
僕には笑顔を見せてくれます。
社交辞令かも知れませんが、
それでも僕はお伺いして良かったと思いました。

そして、何か暗澹とした気分になります。

クリニックの医師の考えは分かります。
はなから看取りという病院からの説明だったのでしょうし、
それに沿って、基本的には何もしない、
というプランを立てているのです。
治療は効果がなく、無意味なので行なわないのです。
在宅で胸の水を抜くのは危険ですし、
点滴はその場しのぎで意味はありません。
むしろ衰弱は進行した方が、
患者さんの痛みや苦しみは減ることが多いのです。

しかし、その認識は果たしてBさんご本人と、
ご家族に共有されているでしょうか?

現実には決してそうではありません。

胸に水が溜まって苦しいのであれば、
それは抜いて欲しいし、
その行為が危険なのなら、
一時的にせよ入院させてもらいたいのです。
食事が取れなければ点滴をして欲しいのです。

しかし、間違ってもクリニックの医師は、
入院の話などはしないでしょう。
病院が在宅診療専門クリニックに紹介したのは、
そういう意味だからです。
病院は自分達が治療の必要性がないと判断した患者さんを、
早く切り離すのがその目的なのです。
常にそうという訳ではないでしょうが、
少なくともこのBさんのケースではそうです。

病院にとって一番の面倒事は何でしょうか?

Bさんのような患者さんが、
救急で病院を受診したり、
もう治療の必要性はないのに、
それでも入院を希望したりすることです。

それを避けるために、
提携した在宅診療のクリニックが存在するのです。

つまり、治療の適応のない患者さんを、
二度と病院に関わらないように、
遠ざけてくれるのがこうしたクリニックです。
防波堤となって、
患者さんが絶対に病院には行かないように、
そうした行為を食い止めてくれる存在なのです。

在宅診療のクリニックの立場に立てば、
病院と提携することで、
黙っていても次々と患者さんは送られて来ます。
そして、その患者さんは看取りだという説明で、
基本的には何も治療行為は行なわないのですから、
見守るだけで診療報酬が入ってくる訳です。

すいません。

ちょっと悪意のある言い方過ぎたような気がします。

在宅診療のクリニックというのは、
勿論それだけの場所ではありません。
これまで非常な苦労をして、
病院に通い、何時間も無益に待って、
具合が悪くなっても、
救急車で受診する以外に、
診てはくれなかったような患者さんが、
そうした苦労なく、
きめ細かい診療を受けることの出来る場所であり、
医者もその患者さんの人生に寄り添った、
人間味のある医療を実践する場でもあります。

ただ、それは概ね、
たとえば難病でお元気ではあるけれど寝たきりの方とか、
脳梗塞はされたけれども、
全身状態は常に悪いという訳ではない、
というような方です。

そうした方と、
病院というシステムから、
無用の存在として弾かれた、
看取りという烙印を押された患者さんとは違います。

ホスピスというシステムがあります。
医療からはある意味弾かれてしまった末期の癌の患者さんが、
残された人生を人間的に過すための場所です。

上の事例のAさんにしてもBさんにしても、
ホスピスという適応のある方でもあります。

つまり、ホスピスのある種の代用品として、
この在宅医療専門クリニックは利用されている訳です。

しかし、そのことが、
本当にそのサービスを提供する側と、
サービスを受ける側とに、
共通の認識として存在しているでしょうか?

そんなことは決してない、
というのが僕の最近強く感じていることです。

在宅医療専門のクリニックは、
そうした看取りの患者さんと、
そうではない慢性の経過の患者さんとで、
その対応をしっかりと分けているでしょうか?

そうしたクリニックもあるでしょうが、
僕の知っているところはそうではありません。

そうでない患者さん以上に、
看取りの患者さんはその人間性を、
人間の尊厳を尊重される環境に、
置かれるべきだと僕は思います。

しかし、現実にはまず病院の対応がそうではありません。

看取りの患者さんは病院にとって無用の存在であり、
ちょっと極論かも知れませんが、
既に生きている存在と見做されていないのです。

つまり、ある種の不要と仕分けされた物体と扱われているのです。

その物体は極めてオートマチックに、
「在宅医療専門クリニック」という「処理装置」の中に、
ベルトコンベアーで運ばれるように入って行きます。

Aさんが退院の日の夜に自殺を図ったのは何故でしょうか?

それは自分が死という帰結に向かう、
ベルトコンベアーに、
知らずに乗せられたことを知ったからです。

自分がそうと知って決断したことなら納得が行っても、
この決断は病院の主治医とクリニックの医師との間で、
基本的には決められただけのことなのです。
「これからは残されたお時間を、
自宅でゆっくり過されるのがいいですよ」
という言い回しの何処に、
患者さんとその家族の尊厳が存在するのでしょうか?

Aさんは退院して、
自分をベルトコンベアーに乗せるスタッフに囲まれた時に、
初めてそのことにはたと気付いたのです。

Aさんに出来ることは、
自分の尊厳を取り戻すことでした。
自分が誰かの手によって既に死んだ存在と見做されているなら、
それに抵抗する方法は何でしょうか?

それは自ら命を絶つことによって、
他人に決められた運命に抵抗することです。

Bさんのお宅には頻繁に医師や看護師が、
クリニックから訪れます。

しかし、何か医療行為をする訳ではありません。
せいぜい薬を出すか、
採血をするくらいが関の山です。
採血の結果で貧血が強くても、
「仕方がないですね」で終わってしまいます。
それならそんな採血に何の意味があるでしょうか?
Bさんのご家族は点滴や胸の水を抜くことを希望されますが、
それも「そんなことをすれば、却って辛くなりますよ」
で終わってしまいます。

しかし、Bさんのご家族は、
何故医師や看護師が、
頻繁にご家庭を訪れることを望んでいるのでしょうか?

それは少しでもそのことによって、
Bさんが今よりお元気になり、
少しでも病状が回復し、
より人間的な時間を過ごすことを、
期待しているからです。

ただ、見守るだけのことなら、
何故それが偉そうな医者である必要があるでしょうか?

呪術師やセラピストや、超能力者や隣の親切なおばさんでは、
何故いけないのでしょうか?

人間的な生活や尊厳から、
程遠い職種の人間が偉そうに訪問し、
毎回「仕方ないですね」と言われるくらいなら、
嘘でもいいから、
「これで癌は小さくなるよ」
と謎めいた黒い丸薬を、
売りつける旅の薬売りの方が、
人間にとって最も大切な、
「希望」という宝物をくれるのではないでしょうか。

僕は日々の診療の中で、
在宅医療のシステムから抜け落ちている何かを補完したいのです。

その規模では太刀打ち出来ない、
目の眩むようなシステムですが、
そこにもほころびがあり、
そこで幸せになれない多くの人が、
実際には存在するのではないかと気付いたからです。

Bさんのご家族には、医療というものに対する信頼があるのです。
ですから、医師が訪問し、看護師が訪問することが、
Bさんにとって意味のあることであり、
それによりBさんが生かされている、と信じているのです。

しかし、現実には医療の提供者にはそうした意識はないのです。
全くとは言いませんが、そのクリニックの診療記録を読む限りは、
その意識は極めて薄いと僕は思います。
「お辛いのはお胸に水が溜まっているせいだと思います。
でも、治療はご負担が大きいので、
様子を見るようお話しました」
というようにそこには書かれています。
こうした記録を、在宅医療の診療所は、
患者さんに渡すことが義務付けられているのです。
しかし、これは一体誰のための記録でしょうか?
ここに誰に対するどのようなメッセージがあるのでしょうか?

僕はこうした心のないきれいごとを、
最近は憎む気分になっています。

これがもう少し以前でしたら、
患者さんが一旦病院を退院になり、
また胸にお水が溜まって苦しくなれば、
ご家族は病院に連絡を入れ、
また入院になって必要最小限の治療をする、
という経緯を取るのが一般的でした。
そうした治療が不合理なもので、
病院にとっては負担ばかりが大きく、
収益にもならない、ということは僕にも分かっています。

ただ、たとえばBさんの場合、
そうしていれば、もう少しお元気な時間が、
長かったことだけは確かです。

「そんなことをして引き伸ばしても無意味だ」
という意見があるのは分かります。
しかし、それは勝手に病院の医師が判断するべきことでしょうか?
病院でもう少し長く経過を見た場合と、
「看取り」マシーンに委ねた場合とで、
どのような違いがどれだけあるものかは、
もっとしっかりとBさんご本人とご家族とに、
説明し了解されるべきではなかったでしょうか?

確かにスパゲッティのように管だらけにされて、
無意味な延命を病院で続けることが、
人間性を無視した行為だということは分かります。

しかし、まだ治療の余地が皆無とは言えない癌の患者さんを、
1人の医者の判断で「看取り」と決め、
有無を言わさず「在宅医療専門クリニック」に引渡して、
それで一丁上がり、もう関係はありません、というのは、
それもある意味人間性を無視した対応ではないのでしょうか?

ごめんなさい。
まだ、良く分からないのです。
しかし、絶対に何かが間違っています。

それでも無用と言われれば引き下がりますが、
僕はBさんに何もしないことが正しいことだとは決して思いません。
何かがある筈です。
見守るといういうきれいごとではない何かが。
この世に奇跡はないのでしょうか?
Bさんのような良い人は他にはいないのに。
畜生、それをあっさり「看取り」と仕分けした何かを、
僕は決して許す気にはなれないのです。

最後は感情が先に立って、
どうもうまくまとまりません。
でも、僕は最後まであきらめず、
僕に出来る何かを探すつもりです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 24

ひろみ

いつも読ませていただいています。
高齢の両親はまだ元気ですが、ここ数年親戚などではいろんな亡くなり方をすることがあり、今日のお話も胸がつまる思いで読みました。
また娘がこの春から医学部に進学したので、これからいろんな場を経験するのだろうと、とても複雑な思いになりました。
by ひろみ (2010-06-22 09:34) 

さすらいの、、、

何故か、拝読後に涙が出ました。
by さすらいの、、、 (2010-06-22 09:57) 

tanico

もし、私がその方の家族であったなら、
>せいぜい1日に200キロカロリーの栄養剤1缶と、
 ヨーグルトが1個だけです。

それで充分!とした時点で、在宅クリニックの方々は、医療という言葉はもちろん、看取りという言葉すら使ってほしくはないです。
悪意のない殺人と思います。

我が家も癌家系で、ちょっと他人事とは思えず、少々過激な表現をお許し下さい。

先生、頑張ってください!!
先生のようなお医者様がたくさんおられるよう、願うばかりです。
by tanico (2010-06-22 10:25) 

yuuri37

私は、今息苦しいほどパニックになっています。
今朝、彼とある会話を交わしました。
そのときの私は・・・
分からなくなってしまいました。
落ち着いたら、記事に書くか、コメントします。
by yuuri37 (2010-06-22 13:21) 

fujiki

ひろみさんへ
コメントありがとうございます。

今後はこうしたことを含めて、
医療全体が良い方向に向かうことを、
期待したいと思います。
by fujiki (2010-06-22 14:37) 

fujiki

さすらいの、、、さんへ
コメントありがとうございます。
非常に素晴らしい人格の方なので、
無念の思いが去りません。
by fujiki (2010-06-22 14:38) 

fujiki

tanico さんへ
コメントありがとうございます。

病院からの病気の情報だけで、
その患者さんの人生を判断して欲しくはないな、
と僕には思えます。
by fujiki (2010-06-22 14:40) 

fujiki

yuuri37 さんへ
落ち着かれたら、
またどんなことがあったのか、
差し支えのない範囲で教えて下さい。
by fujiki (2010-06-22 14:42) 

a-silk

治療の余地があり、患者さんとその家族が望むなら、
治療するのが医療ではないかと思います。

人の命と生きる尊厳を無視して、利益を優先し患者仕分けをする、
時代になっていくのでしょうかね。

奇跡が起きてほしいですね。
by a-silk (2010-06-22 20:22) 

fujiki

a-silk さんへ
コメントありがとうございます。

「医療を成長産業に」ということになると、
そうした方向性は、
どんどん加速してゆくにではないか、
という危惧があります。
by fujiki (2010-06-22 23:03) 

みぃ

近所の方で、癌末期のお母様を最近、県外から引き取られた方がいます。 もう、助からないのですが、最後を見撮りたいと言う事でご自宅で療養しています。
もう通院する体力がないので、近所の総合病院の先生が来て下さるようです。 先日救急車が来ていましたので、今は入院中かも知れませんが。
在宅医療専門のクリニックは、この辺では聞いた事が有りません。 増えているのでしょうか? もし、先生の仰る事が本当ならば、悲しい事です。(疑っている訳では、全く有りません。)
私の知り合いには、難病や重病の方々が、結構いらっしゃいます。
姑もつい最近、日赤病院に入院したばかりですが、老母の事も含めて、将来がとても不安になりました。
近所の眼科の先生や歯医者さんに、訪問診療を致しますと、張り紙が有ったので、嬉しい事だな~と、単純に喜んでいました。
by みぃ (2010-06-22 23:24) 

fujiki

みぃさんへ
コメントありがとうございます。

勿論多くの在宅診療の医療機関は、
患者さんのことを第一に考え、
診療に当たっているのだと思います。
ただ、これがシステムになってしまうと、
流れ作業の無機的なものになっているのに、
そのことに当事者も気付かない、
ということは往々にしてあるのだと思います。
役割が固定化するということは、
効率的な反面非人間的になる一面を孕んでいます。
by fujiki (2010-06-23 06:19) 

はらへった

山奥の診療所でなんでも内科医をしている者です。
いつも読ませていただいております。

私の職場は医師不足のため数年前に病院から診療所に鞍替えしたのですが、高次医療機関でさじを投げられた方を、訪問看護ステーションと連携しながら看取ることを何度かしたことがありますが、最後には入院されたり、さまざまでした。
東京の街の中でも大同小異の悩みがあるのですね。
どうぞご無理なさらない程度に頑張ってください。
私も頑張ります。
by はらへった (2010-06-23 16:35) 

fujiki

はらへったさんへ
コメントありがとうございます。

そうですね。
お互いに壊れない程度に、
頑張り続けられればと思います。
東京ではドライでシステム化され過ぎている点と、
同じ地域であっても、
どの医療機関に掛かるかで、
天と地ほどの差があったりする点が、
やや特異な問題点かも知れません。
by fujiki (2010-06-23 22:59) 

ちこ

余命宣告日を遥かにこえて病とともに生きてる方達の存在を一番多く知っているお医者さんたちはその理由をわかっていないのでしょうか。多量の薬、点滴だけでは人は生きてるとは言えません。痛み苦しみをとりのぞく方法が在宅医療では無理があるのなら果たしてその意味はあるのでしょうか。西洋医学から見放された人は絶望のなかで生きる術を探すのです。残される時間がただの苦しみしかないのなら医者なんていらないんです。患者は医者を心から信頼し命をあずけているのに。。先生のような人間の尊厳を知っている生きるという事を本当にわかっているお医者様が
増えることを祈っています。先生ありがとう
by ちこ (2010-06-23 23:09) 

fujiki

ちこさんへ
コメントありがとうございます。

「最後の時間をご家族と一緒に」
というような言葉が、
あまりに考えなしに医療者の口から出ているように、
僕には思えます。
by fujiki (2010-06-24 06:23) 

やまんば@糖尿病

「Bさんのような良い人は他にはいないのに。畜生、それをあっさり「看取り」と仕分けした何かを、僕は決して許す気にはなれないのです。」
全く別人が書いた記事に思えました。
いつも医師特有の冷徹な理論を展開されているfujiki先生の心の声を聴いたおもいです。


by やまんば@糖尿病 (2014-02-06 11:30) 

fujiki

やまんば@糖尿病さんへ
コメントありがとうございます。
by fujiki (2014-02-08 08:46) 

よっちゃん

都内在住看護師です。
父が末期肺がんで大学病院から在宅専門医を紹介されました。
ホスピスも大変な思いをして複数申し込みました。
在宅医は24時間対応でしたが夜間電話をしてもきてくれたことはなく点滴もインシュリンも何も否定的。
本当に具合が悪く電話で願っても薬が出せないからと言い、翌日空いた時間に来るとだけ。
訪問ナースも結局来ず深夜救急車でホスピスに緊急入院、2日後に帰らぬ人になりました。

確かにギリギリまで家で過ごせました。化学療法を希望しなかった父は大学病院に入院することも出来ず、このベルトコンベアに乗るしかなかったのですが、私も言えます。これは絶対に間違っています。
有意義な時間をというきれいごとが、本質から目を背けさせています。

以前にこの記事を拝見して心に残っていました。
また目にすることが出来たのでコメントを残させていただきます。
長くなってすみません。。
by よっちゃん (2014-11-10 23:59) 

fujiki

よっちゃんさんへ
コメントありがとうございます。
試行錯誤しながら私も在宅には関わっていますが、
何が正解なのかは本当に分かりません。
ただ、もっと多くの選択肢が、
あるべきではないかという思いは強くあります。
在宅の看取りは1つの選択肢ではありますが、
今のような一種の押し付けは、
矢張り問題があるように思います。
お父様お悔やみ申し上げます。
by fujiki (2014-11-11 08:05) 

wie

 拝読しました。この春、86歳の父を自宅で亡くした者です。昨夏、○立がんセンター○病院のレジデントの方や患者支援担当者から父が言われたこと(肺がんで肝臓や甲状腺にも転移あり。手術しないほうが良い、入院なら3か月まで、訪問医療はどうか)、その後、看取りで文庫を上梓しテレビドラマ化もされたという在宅医療の医師と、そのクリニックの対応に感じたこと(結局ビジネスなんですね)、9か月にわたる父の苦しみと家族のつらい日々、などがまざまざと思いだされ、まったくもっておっしゃるとおり、と思っております。
 現在、81歳の母も喉頭がんで全摘手術後、自宅療養中。一応毎月外来受診には行っておりますが、6月のPET-CTで頸部(大動脈付近で深部のリンパ節あたりらしいということがサードオピニオンを求めた癌専門病院でやっとわかりました)に「転移の可能性が否定できない」という部分が見つかり、8月に主治医はエコーでご覧になっていた後、触診以外検査らしい検査もされず、まるで放置されているようなありさま(学会シーズンだからか3週間ほど休診。休診明けには一日で40人近い患者の予約をとり、当然、飲まず食わずで待たされた患者の中には怒り出す人もいます)。 この分ではいつか、化学療法の実験台になるか、自宅で死を待つかの二者択一をせまられるような気がしてなりません。
 40代の自分もこの先、こんな末路が待っているだけなのなら、最後は自殺したほうが良いのではないか、自分で死に時を決めてそれまでに貯金も使ってしまって、頭も体も自分でコントロールできるうちに安楽死できるほうがよっぽど幸せではないか、と考え始めています。
by wie (2014-11-14 10:02) 

fujiki

wie さんへ
コメントありがとうございます。
あまりネガティブにばかりは、
お考えにならないようにお願いします。
仕組み自体は悪くないと思うのですが、
選択肢が強引に狭められてしまう、
という点に大きな問題があるように思います。
by fujiki (2014-11-15 08:41) 

さき

何回読ませて頂いても、難しい問題だなと考えさせられています。先にコメントされている、
お一人おひとりのお気持ちも、分かるような気がして、胸が痛くなってしまいました。
拡大解釈ですが、やはり緩和ケア、ホスピス等の整備が急がれるように思います。
苦痛を取る治療だけはする、ご本人のQOLが低下しないようにするなど。

明日は我が身だと思うと、健康は大事ですね。
by さき (2015-03-30 20:53) 

fujiki

さきさんへ
コメントありがとうございます。
これは今も意見は変わっていません。
終末期の医療の態勢は、
もっとフレキシブルであるべきだと考えます。
ホスピスも絶対数が不足しています。
by fujiki (2015-03-31 08:26) 

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